釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

自然の豊かさと厳しさ

2008-11-30 08:46:00 | 自然
昨日はよく晴れて風もなく久々に日中は暖かく気持ちがよかった。しかし夜はこの季節にはめずらしく雷雨が続いた。よく聞くと雷鳴が山間にこだまして長く鳴っている。昼間所用で遠野へ出かけた。田の稲は当然もう刈り取られていて、田には人影もない。六角牛山(ろっこうしさん)や早池峰山(はやちねさん)の頂は雪を冠って、雲が頂をゆっくりと流れる。田園の中を車で走っていると周囲の時間が止まってしまうようだった。以前見かけたコサギの群れは残念ながら見ることができなかったが猿ケ石川の支流にはカルガモが何匹か休んでいた。その後釜石へ戻って知人宅へ届け物をした際偶然狩猟で打たれたニホンジカ三頭の解体に出くわした。雄二頭に若い雌一頭だった。鹿の天敵がいないため繁殖しすぎて農家が周辺でもかなり被害を受けているようだ。狩猟をする人たちは雪の山に入り、険しい山の中を鹿を追うわけだから相当の体力、脚力を要する。持ち帰った鹿の解体まで自分たちでやらねばならいからそれを考えると並の体力ではない。追われる鹿も、追う人間も岩手の広大な自然を相手に戦わねばならない。そうした現実を見ると自然を守ることがいかに厳しいことなのか思い知らされる。自然が豊かであればそこには厳しさも当然あるわけで、見かけだけの自然の美を見ているとそのことを忘れがちになる。


遠野郷から眺む雪を冠った早池峰山

趣味のパソコン

2008-11-29 09:26:59 | 文化
パソコンを始めたのは1996年でWindowsだった。しかしこれが1年も経たないうちにおかしくなり、急遽本を買って本を片手に何とか再インストールをやり使えるようになった。以前からMacを使っている友人からMacを勧められていたことを思い出し、翌年自分専用にMacを購入。操作が簡単というか、かなり直感的に操作ができ、一番感激したのは再インストールや部品であるメモリーやハードディスク、CPUの交換がほんとうにメチャメチャ簡単。なんでこんなに簡単なものが世に受け入れられないのか不思議だった。その後パソコンの歴史を本で読んでやはり商売上手はマイクロソフトなんだと理解した。しかし商売上手とマシンの使い安さは全く別で、事務的なものは無論だが音楽や画像までMacは表現に自由度があり、Windwsよりもマシンであることを感じさせないようにできていた。My Macなのだ。以来必要がなければMacでほとんどやって来た。IllustratorやPhotoshopにはまり、絵画の才能がなくともそれなりのものをパソコン画像で表現できることを知り、毎日遅くまでパソコンというより自分の分身を酷使するようだった。現在のMacは一台でMacとWindowsの両方のOSを動かせるのでもうわざわざWindowsマシンを買う必要もなく、Officeその他のソフトも必要なものはほとんどフリーソフトがネットで手に入る。地方ほどパソコンは手放せない時代になった。


冬枯れの鷲ノ巣滝

熊の油

2008-11-28 07:07:29 | 文化
今朝は雨だ。雪になっていないだけいいのかも。以前匠の方から熊の油をいただいたことがあり、家人が調理中誤って手の指を切った時にそれを付けたところ、傷がびっくりするほど早く治った。以来熊の油は欠かせず家の常備薬に加えられた。無くなった頃にたまたま橋野のどんぐり広場で売っているのを見つけてまとめ買いをしたが、お店の人の話では店に熊の油が出るとすぐ売り切れるそうだ。20gほどが1000円で、ネットの販売より安い。先日匠の方のところで巨匠にこの話をすると、熊の油はアトピーにもよく効くし、巨匠などは熊の油を食べて手術後の胃の経過がいいそうだ。熊の油の特に柔らかいところをスライスして刺身にして食べると美味しいそうだ。切り傷は無論、火傷、日焼け、しもやけ、あかぎれ、かゆみ、擦り傷、口内炎などにも効き、胃薬としてもいいそうだ。昔からマタギの人たちが必ず持ち歩いたものの1つだという。東北は勿論、栃木や群馬辺りの関東でもかっては重宝がられたという。何年か前に馬油が流行ってどこでもよく見かけたが、熊の油は馬油以上によく効くらしい。馬よりずっと野生的な熊ならばそうであってもおかしくはないだろうと思える。傷を受けた熊は医者にかかるわけではなく自らの治癒力で治しているわけだから。もっとも人間にしても基本は同じなのだが。


岩肌にへばりつく樹木(市内の山)

地方の衰退と人の衰退

2008-11-27 06:54:25 | 文化
今朝は今冬初めて外の水道が凍った。朝焼けの筋雲がゆっくり東へ流れていた。家人がよく言うのが学問と教養は違う、ということ。学問という言葉を家人が使うとき、学問とは学があるなどというときの学の意味のようなのだがとりあえずその意味で考えても確かに今の日本では学問と教養を身につけた指導者が余りにも少ないように思う。教養には幅広い知識と心の豊かさ、物事に対する理解力が含まれる。今の日本の政治的リーダーなどは学問と教養の双方が欠けた典型的な例に思われる。政治、経済、報道、大学などどの分野を見ても指導者の人格にその意味では疑問が湧く。人間の文化は自然と不可分なはずなのだが歴史を振り返るとどうも自然豊かな地方の衰退、地方の軽視とこうした人の有り様の変化が関係しているように岩手に来て感じるようになった。短絡的になることを承知で言えば地方に活気が無くなると人物が世に出なくなるのではないだろうか。地方の自然の豊かさの中で育った人が都会へ出て都会育ちの人たちにも刺激を与えて切磋琢磨されることで人に互いに磨きがかかるような気がするのだが。今こそ日本には地方の復活が必要なのではないだろうか。勿論安直な地方へのバラマキなどではなく、地方自体による復活が重要だと思う。釜石は街を見ていると新日鉄の企業城下町から脱皮し切れていないように思うが、ここには優れた人たちが沢山いる。街としてこういう人たちをどう生かすかが再生に繋がると思う。ここでもやはり指導者の問題にぶつかるのかもしれない。


まだ紅葉が残っていた公園

バイクの話

2008-11-26 09:08:55 | 文化
三十代後半に入った頃道路を走るバイクの音に引きつけられた。トントントンとリズミカルでいて力強く、のんびりとした雰囲気があった。このバイクに乗りたい。直感的だった。同じ音のするバイクに出会った時そのバイクの後を追ってバイクの名前をチェックした。YAMAHAの400ccのSRだった。単気筒のキック始動のバイクだった。セルボタン始動のバイクばかりの中で未だにキックというのは一種類しかない。すぐバイク免許の申し込みを教習所にした。免許が降りると同時に乗れるようにバイク店に手配もした。教習所では二十代前半の人ばかりで三十代は一人だけ。最後の実地テストの直前に教官が各人に免許を取る目的を聞いて回った。これは下手に遊びで取ると言わない方がいいなと思ったので、三十代後半にふさわしく、通勤で使います、と答えておいた。結果は見事に合格。二十代でずっと自分より上手かった人が何人か落とされた。免許が降りると早速バイク屋にSRを引き取りに行った。夕方だったがかまわずそのままバイクに乗り続けた。その後HONDAのアメリカンやモトクロスタイプと、北海道で住んだ時は農家の納屋に眠るメグロをつぎつぎに手に入れて一時は14台ものバイクになった。いずれも単気筒か二気筒だった。他の種類のバイクは車と同じでコンピューターチューンでつまらない。エンジンやキャブがいじれない。


菊の匠の方の家先で

獲れたてアワビ

2008-11-25 06:55:38 | 文化
今朝は側の山が白くなっていた。夜半に雪が降ったようだ。朝は雨なので解けてしまうだろう。また職場の人に新鮮なアワビを持って来ていただいた。今年はアワビが大漁らしいが、他の場所にいればとても簡単に新鮮なものが口に入るわけではない。やはり地元であってその上、何よりも漁師の人たちの事情に詳しい人がいて親切に持って来てくれるからで、もう感激し感謝しきれないものがある。調理も家人にちゃんと教えてくれるので早速講師立ち会いのもと調理がはじまった。聞くこと、目にすることが初めてのことばかりで驚きの連続。アワビを貝からはずして口の部分を取り除き、内蔵部分を別に分けてアワビ本体をとりあえず刺身用に切る。別に分けた内蔵はいくつかの調味料を組み合わせて火にかける。これは釜石へ来てはじめて味わう味でアワビの別の魅力に出会った。夕方には巨匠からのご招待があり、いつもの匠の方の家に出かけ、遅くまで山海の珍味を味わった。地元の人たちはアワビに限らず小さい頃から地元で採れるものを口にして、しかも何世代にもわたってそれらのおいしい食べ方を工夫して食べて来ている。どこの地方にもそうした伝統があるが釜石は特にその材料となるものが豊富なのだ。山があり、海があり、山も海もただあるだけでなく非常に豊穣な山と海なのだ。採れるものの種類が多く、それらの調理法もさまざまだ。しかも人間的にも豊かな人たちが住む土地だとあらためて感じる。


いただいたアワビ


手前の赤みがあるところが口


刺身の出来上がり

11月の晴れた日

2008-11-24 08:18:19 | 自然
昨日は雲が流れていたがよく晴れた一日だった。パソコン関連の調整をやっている過程でUSBコードが必要になったのでK's電気へ出かけた。ついでに近くのMAIYAでフランスパンを頼まれたのでそちらへも立ち寄る。SUNDAYの前を通りかかると先日の公園の真っ赤なもみじが目に入り、車を止めてしばし辺りを散策する。子供達のサッカー大会が行われていてにぎやかな声が響く。一面に枯れ葉が散って、歩くとカサカサと音を立てる。この空間はどこの都市でも共通の日常。日射しがあってもさすがに11月のこの時期になると寒い。車に乗って甲子川に沿った堤をゆっくり走り、周囲の山を見るともう葉が落ちてしまった木が目立つようになった。甲子川はずっと下流で鮭の遡上を止めているため浅く静かな流れが続く。釣り人の姿ももう見かけない。そろそろヤマセミに会えるかもしれない。いつも遥か西、甲子川の上流方向に聳えて小型富士のように見える山に雪が積もりいつもより尚目が引かれる。この山は何て言う名前だろう。地図を見ると標高1229m愛染山のように思うのだが。釜石は空気も今はきれいで川沿いに辿ると気持ちいい自然を見ることができる。


子供達の声がにぎやかな公園で


甲子川上流に見える山頂に雪を冠る山

雪の笛吹峠越え

2008-11-23 08:22:41 | 自然
昨日は気温が4~8度の範囲で日中は晴れて、夜も満天の星が見えた。街中の公園には枯れ葉が風に舞って四散し、まだ葉の落ちていない真っ赤な紅葉が目に入り、日射しに照らされて透過光の鮮やかな赤がきれいだった。行きそびれた鷲ノ巣滝がどうしても気になり、遠野の買い物に合わせて笛吹峠越えを決行した。橋野のどんぐり広場へいつものように寄って家人が気に入った熊の油を買い込み野菜も沢山買ってしまった。山にはまだところどころきれいな紅葉が残っているが周囲の景色がもう今ひとつという感じになってしまった。冬枯れの木立の中で目立つのは柿の実が花のように付いた小粒の渋柿の木だ。まるで枝垂れ桜のような垂れた枝に数知れない柿がなっている。これも他所ではあまり見かけない風景だ。比較的大きめの甘柿がぽつんと1本立っていて柿の実もさほど多くないのがこれまでの柿の木だった。釜石近辺だと小粒の垂れ下がった柿の木があちこちで見られ、橋野近辺だと1軒の家に何本もの柿の木があったりする。残念ながら鷲ノ巣滝ではもう紅葉が終わっていた。峠の釜石側は日が当たらず雪が残り、滑る路面で、車が1台ガードレールにぶつかり放置されていた。久しぶりに怖い雪道の運転だった。


笛吹峠近辺

冬がやって来た

2008-11-22 09:01:55 | 自然
昨日は遠野では雪が少し積もったそうだが釜石は雪はない。職場の人の勧めでタイヤをもうスタッドレスに変えた。釜石市内だけであれば夏タイヤでもすぐは困らないがちょっと遠野へという場合はやはり心配になる。北海道にいた時車で事故を起こしたのは冬場だったことが記憶に残り、しかも岩手の道路が北海道ほど広くないのでなおのこと冬場はあまり遠出したくない。ただ一方で岩手の各地の冬景色も見てみたい気もある。欲を言えば雪の角館も見たい。雪の遠野は絵になることが分かっているのですでにどの場所へ行けばいいか暖かい時期に下調べしてある。今年の1~2月頃にも白鳥のやって来る場所も見ている。内陸方向でなければあまり雪の心配がないのだが。海岸部も確かに絵になるところがあるし、まだ行っていないところも多いと思うが海岸部は海岸部で寒いイメージが強くちょっとためらう。寒くなるといずれにしろ行動が制限されて来る。車に乗っている分にはいいが外気に触れて長くいることは避けたくなる。夏の暑さも嫌だが同じように冬の寒さも嫌だ。贅沢なものだ。


釜石周辺の夜明け

日本は経済ももうだめかも

2008-11-21 07:27:03 | 経済
先月経団連が帰国を前提としない移民の受け入れを提言している。少子高齢化社会の急速な進展により2055年の総人口は8993万人となり、生産年齢人口(15~64歳)は現在の半分になると言う。その結果消費が減り、経済が停滞し、年金や医療保険が現在以上に急激に深刻化すると言うのが理由のようだ。以前いた愛知県では中小企業から大企業まで至る所にブラジル人や中国人の派遣労働者が働いていて、賃金は極端に低く、当然各種の保障がなかった。こうした中で日本人の若者も職を確保するためには低い賃金を受け入れざるを得ず、賃金が低いだけでなく過重労働に体調を崩していた。マスコミでも取り上げられているこうした派遣労働者の出現が生み出した格差社会はまさに経団連が派遣労働を強力に主張した結果だということを忘れるわけにはいかない。少子化が経済発展した国々に共通の社会問題だとしても派遣労働の導入で低賃金を促進することで消費を減少させ、子供を安心して育てる経済的余裕をますます奪っているのが現状ではないのだろうか。資本主義は消費がなければ循環しないという大前提があるにもかかわらず、消費を誘発しない金融経済に走り、低賃金でますます消費を収縮させた。安易に派遣労働を導入し自ら消費を減少させ、今また安易に大規模な移民の導入を唱える、経団連は日本という国を考えるより企業の目先の利益しか考えていない。かっての経団連には国を考える賢人がいた。政治家も経済人もみんな小粒の日本になってしまった。


灯台躑躅 (どうだんつつじ)