釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

住民流出をもたらす対応の遅れ

2012-08-31 19:20:25 | 社会
今朝は青空が広がったためか、昨日より涼しくなった。しかし日中の気温は変わらず30度を超えた。日本では一番早く紅葉する北海道の大雪山では例年より1週間遅く紅葉した。釜石では先の冬は例年より気温が下がり、この夏は暑くなった。こうした気温の大きな変化は秋の紅葉にどう影響するだろう。偶然、先日葬儀のあった橋野地区に住むお年寄りに今日お話をうかがった。遠野に抜ける笛吹峠の下の橋野地区は釜石では比較的遠野の雰囲気のある集落で、気に入っているが、昔に比べて昆虫類がすっかりいなくなったそうだ。鵜住居川の上流にあたるが、かっては葦が茂っていた。河川工事により川の生態系が変わってしまったようだ。以前は蛍もたくさん飛んでいたが、今は蛍を見ることがなくなってしまったそうだ。カブトムシなどもずっと少なくなったらしい。 世界銀行は7月は前月に比べて世界の食料価格が10%上昇したと発表している。米国や東欧で旱魃被害が広がっているためだと言う。途切れることのない西アジアでの紛争や戦争で原油価格は高騰した状態が続いている。消費税増税が決ったことで、日本の財政事情の好転と見る投資家により、円の信認が増し、円高の圧力が出始めている。円高への手だてが打たれないまま国内経済の低迷も続いている。生産工場が閉じられて行くことで地方はますます疲弊して行くことになるだろうが、原発事故のあった福島県では人口の急激な減少が予想されている。現在福島県は人口が196万人だが、福島第一原発の事故後は人口流出が起きており、流出が続くと、最悪の場合は2040年の人口は73万人もの減少の可能性があり、人口は123万人になってしまうと福島県が試算している。福島県は流出を止めるための対策の必要性を認識しているが、一番の問題は進まない放射性物質の除染だろう。今年3月経済同友会が仙台で行った「東日本大震災追悼シンポジウム」で、東京大学アイソトープ総合センターセンター長の児玉龍彦教授は「医学・放射 線防御の専門家の観点から言えば、現 在の東日本は「放射線災害」に直面して います。放射性ヨウ素、セシウムなど、 原爆に含まれる量の 100 倍以上もの放射性物質が、放出されたのです。」として除染の必要性を述べられている。外部被曝だけではなく内部被曝を防ぐためにも食品検査と水道の浄化の徹底を訴えておられる。また汚染土壌の回収、森林や住宅地の除染も大きな課題だとされている。これらの指摘された内容は現在も福島県ではほとんど半年前と変わっておらず、除染も住民が納得出来る方法がとられていない。福島県は7割を森林が占めており、環境省がこの森林の除染を限定的にすることに住民側から強い反発が出ている。セシウム回収型の焼却炉設備などがあるにもかかわらず、その導入にも環境省は拒否をしている。こうした国や東京電力の除染や検査への消極的な態度は県民の流出をくい止めることには繋がらない。原発立地地域には確かに補助金がたくさん下りるため、一時的に地域が潤うが、ひとたび事故になれば、地域は広い範囲で崩壊して行く。影響が長期間残るため、それだけ住民にとっては県外への転居も切実となる。福島県自体の姿勢も住民を十分納得させているとは言えず、むしろ、県への不信感をもたらしている。県民の健康を守る姿勢が住民には見えて来ないのだ。
庭に射し込む朝日

地震が続くと予想されても変わらない原発推進

2012-08-30 19:18:19 | 文化
今朝早く震度3の地震があったが、もうこの程度の地震だと職場では話題にもならなくなった。相変わらずの暑さが続き、8月も末になるにもかかわらず、秋の訪れを感じさせるのは夜の虫たちの声だけだ。昨夜は職場の野球チームが他施設との親睦試合をやるというので、写真を撮らせていただいた。動態を撮ることはあまりないので何度も試行錯誤を繰り返した。強い照明があっても望遠レンズを使うとやはり明るさが足りない。ある程度は感度を上げざるを得ない。バッターよりも守備側のボールのキャッチ場面を撮るのが難しい。広いグランドにはとても気持ちのいい、程よい風が吹き、雲の多い空に月が出ていた。明るい照明のためかセミの声も聴こえて来た。 駿河湾から四国沖に延びる、浅い海溝を南海トラフと呼ぶが、内閣府の中央防災会議はここで予想されるいわゆる東海・東南海・南海の三連動地震の規模をM9とした場合、最悪のケースでは30都府県32万人の死者が出ると発表した。7割は津波による犠牲者で、巨大津波が駿河湾-紀伊半島沖、紀伊半島沖、紀伊半島沖-四国沖、四国沖、四国沖-九州沖でそれぞれ発生した場合を想定したものだ。建物倒壊と火災では9万2,000人が犠牲になるとされている。また建物倒壊などで救助を必要とする人の数は31万1,000人と予想している。昨年原発事故後に政府が真っ先に運転停止を指示した静岡県の中部電力浜岡原発では今年3月に公表された21mよりも2m低い19mの津波が襲うと予想された。海岸から約100~350m離れた5基の原子炉建屋周囲は、最大5~10m浸水すると発表されている。中部電力は運転停止後1,400億円をかけた防波壁や建屋の水密化、電源の多重化などの安全対策を実施中のようだが、使用済み核燃料が8,975本残されている。こうした南海トラフの最悪の被害予想が出されている一方で経済産業省原子力安全・保安院はこれまで断層があるところには原発を立地出来ないとされて来たが、安全基準を緩和して原発直下に断層があっても一律には運転を停止させないという方向を検討している。原子力安全・保安院に替わる原子力規制委員会の人事についても原発を推進して来た原子力委員会の委員長代理を務めて来た田中俊一氏を委員長とするなど、委員の決め方に対して国会事故調査委員会の前委員長であった黒川清氏は27日経済同友会の講演で政府の決定の仕方を批判している。名前を変えても実態はこれまで通りの原発推進が維持されており、「規制」が行われず、「緩和」になることは明らかだ。昨日の日本経済新聞によれば米国の大手電力会社であるエクセロンが南部テキサス州で原発の新設を計画していたが、新型天然ガス「シェールガス」の増産によりガス価格が下落し、経済の低迷で電力需要も伸び悩み、原発新設は相対的に高コストで「経済性が合わない」と判断して計画を撤回したと報じている。エクセロンは声明で「原発の新設は今も近い将来も経済性が合わない」と説明したという。米国では今年スリーマイル島原発事故以来34年ぶりに原発の新設計画2件を相次ぎ認可されたが、今月中旬、原発から出る使用済み核燃料の取り扱いに関する新たな指針を策定するまで、新設や既存原発の運転延長の認可を凍結する方針が発表されている。原発大国ではあっても地震大国ではない米国の方がよほど健全な判断をしている。
涼しい風の吹くグランドでのプレイ 隣接地にコミュニティー型仮設住宅がある

白と黒の喪服

2012-08-29 19:15:08 | 文化
今日も雨の降らない暑い日になった。予想最高気温は32度だった。もう毎日のように庭に水を打って犬たちを少しでも涼しくしてやっている。日中はNPOを辞めた娘が何回か水を打つ。娘は犬たちにも直接水をかけてやっている。北海道にいた頃は犬たちを網走川へ連れて行き、川にボールを投げて、流れるボールを取りに行かせていた。犬たちは喜んで川に飛び込んでいた。釜石へ来てから一度だけ家の近くの甲子川へ連れて行き、川へ入らせたことがあるが、リードを外すため、民家が近い甲子川では人もよく通るので、その後は止めてしまった。 昨夜、四国松山にいる1歳違いの兄から電話があった。四国はこちらより2~3度は高いようだ。9月には家族そろってハワイでの縁者の結婚式に出るのだと言う。兄は飛行機が嫌いで、これまでずっと飛行機に乗らないで過ごして来た。恐らく、清水の舞台から飛び降りる気持ちだろう。こちらは今日は職場の方の身内の葬儀に出席した。釜石へ来てから、何度か葬儀に出席したが、釜石ではほとんどが仏式だ。斎場を利用するところもあるが、まだまだお寺で葬儀をするところも多い。お寺も宗派によって若干焼香の違いなどがある。喪服を着て日中の日射しの中を山間深くにあるお寺まで車で出かけた。予定時間を少し過ぎて本堂に入ると、すでに読経が始まっていた。正座をして読経に耳を傾けているとミンミンゼミの声も入って来る。クーラーも入っているようだが、やや暑さも残っているためか、扇子を取り出している人も見かけた。寺の壁の高い所には檀家で亡くなった人たちの写真がたくさん掲げられている。軍服姿の人たちが多い。読経を聴きながらふと最近見た中国の歴史ものの映画の情景を思い出した。中国の葬儀ではみんな白装束であった。日本の喪服はどうして黒なのだろうと、思った。白と黒の違いは何なのだろう。家に帰ってからもそのことが気になった。早速、ネットで調べた。日本は文化の多くを中国から取り入れているのでおそらく日本も白の時代があっただろうとは考えていた。江戸時代の切腹や敵討ちの場面などは白装束だ。調べてみるとやはり日本ももともとは白だ。平安時代に貴族の間で一時黒装束が取り入れられたようだが、庶民は昔からの習わし通り白を身に付けていた。明治になり、諸外国の外交官の参列を考え、黒に変えられたが、庶民の間ではやはり白が中心だったようだ。第二次大戦後貸衣装などが中心に汚れやすい白を黒に変えたとある。それまでは庶民の間では白なのだが、白装束はあくまで身内の人たちだけであり、参列者は特に喪服を着ることはなかったようだ。戦後になり現在のような身内も参列者も黒という形になったそうだ。白は清らかさの象徴として使われたのだろう。黒は喪に服する哀しみの象徴と言うことなのかも知れない。今日送られた方は生前に釜石の遺跡や古民家の保存に尽力された方だと言う。それを知っていたら健在だった頃にお話を聞いておけば良かった、と残念に思われた。
赤い八重の木槿(むくげ)  「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」

「封殺」のための民主主義

2012-08-28 19:19:07 | 社会
今年はお盆が過ぎてから30度を超える暑い日が続く。子供の頃夏休みになると友人たちと毎日のように海やプールへ泳ぎに出かけた。時には川で泳ぐこともあった。しかし、お盆を過ぎると日中と朝夕で気温差が出るようになり、水温も少し下がって来たので、ほとんどの子供たちは泳がなくなった。今の子供たちは学校のプールで毎日泳いでいるので海で泳ぐ機会は少なくなっているのだろう。それでも震災前は海で泳ぐ親子連れを見かけたが、やはり今はほとんど海で泳ぐ姿は見られない。家のまわりや職場近辺でもエゾゼミの声に変わってミンミンゼミの声が聴こえて来る。釜石へやって来る前の愛知県の岡崎市ではやたらとクマゼミばかりが鳴いていた。岩手に来てからはほとんどクマゼミの声を聴くことがなくなった。 職場の金沢から来ておられる同僚の方の席のそばにはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの大きなポスターが貼られている。アフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者であったキング牧師は1964年にノーベル賞を受賞している。ベトナム戦争への反対運動にも積極的に参加して、最後は暗殺される。同僚の方がどうしてキング牧師のポスターを貼ってあるのかよく分からないが、このポスターを見ていると「民主主義国家」である米国が、同時にいかに政治運動に関わった人びとを多く暗殺しているか、と言うことも考えさせられる。国内外での銃の使用が許容された国だ。民主主義では一般に議論が重要視され、暴力は否定される。議会での討論や外交交渉によって解決の道を見出すのが民主主義のはずだ。現代史を振り返ると「民主主義国家」を自認する米国が一番多く武力解決の道を選んでいる。武力は議論そのものを封殺する。紀元前5世紀のギリシャの哲学者プラトンはアテネの民主制を見て、民主制を批判している。師であるソクラテスはその民主制により処刑された。処刑もまた議論の封殺でもある。議会制民主主義と呼ばれるものもそれが機能するためには議論や討論が十分に行われ、その議論や討論の中から適切なものを見出す場が保証されていることが前提となる。しかし、実際には議論や討論の中から適切なものを見出すという本来の議会の役割は失われており、単なる多数による少数の排除の働きでしかない。議論や討論はあくまで形式であり、結論はすでに出されていて、常に多数を占めたものが通される。政党という形で意見はまとめられ、その政党により決定されたことには党員は異論があっても従わなければならない。党則もまた一種の議論の封殺の役割を果たしている。多数を占めたものだけが通される構造は戦争と同じ構造でもある。多数のダメージを与えた側が勝利者となる。民主主義の基本には自由と平等の概念があるが、この平等の概念が現代では危うい状況におかれている。少数を排除する今の単純な多数決のやり方では平等などとても保証されることはない。巨額の金と多数の人を配する米国の議会におけるロビー活動などもある種の議論の封殺でしかない。現代は「民主主義」を単なる多数決と同義と曲解しているだけのように見える。国会の議論なども、聴いていると、よほど小学生のまじめな議論を聴いている方が議論の本来の姿に見えて来る。
近所の公園に咲いていた芙蓉

地球がすべての命を与えてくれている

2012-08-27 19:20:11 | 自然
今日も30度を超える暑さが続いている。天気予報の向こう1週間の予報でも30度を超える日がずっと続くようだ。晴天が続き雨が降らない日が多いので、そろそろ農作物に影響が出て来るのではないかと心配だ。米国では56年来の大旱魃になっており、1年前には洪水で被害をもたらしたミシシッピ川が旱魃の影響で水位が低下して先週だけで100隻以上の船舶が座礁している。米国の穀物輸出の60%は河川輸送が行われており、穀物の不作と輸送量の高騰が大きく響いて来る可能性が出て来た。すでにトウモロコシや大豆の先物価格が急騰しており、米国飼料に頼る国内の畜産農家に不安が広がっている。食用油の価格も上昇する可能性があり、スーパーや外食産業への影響も懸念されている。沖縄では過去最強クラスの台風15号が上陸し、東シナ海へ抜けたが、気象異変も今年は世界的に見られる。東北では今年の春頃から例年になく月の輪熊の出没、被害が増えている。春の熊の目撃件数は昨年の3倍にもなっていた。山で椎や楢の実が不作のようだ。これから秋になりドングリ類がどれだけ生るかが問題になって来るようだ。生まれ育った四国の瀬戸内海では魚介類の漁獲量が減り続けている。農林水産統計などによると、瀬戸内海の漁獲量は1982年の46万トンをピークに減少し、2010年には17万5000トンまで落ち込んだそうだ。アサリ類は80年代に比べて約190分の1に激減している。高度経済成長期に汚れた瀬戸内海をきれいにするために工場排水制限や下水道整備などを進め、2001年には窒素やリンの総量規制が行われたために、1983年に1リットルあたり0.34mgだった海中の窒素量は、昨年は0.14mgにまで減少し、海水の透明度も大阪湾で3mから6mに広がった。きれいになった海はむしろ窒素やリンが不足して海藻類が育たず、魚のエサ場や産卵場が失われてしまったらしい。高度成長期は全国的に河川工事も積極的に行われており、それが河川の植物系に影響し、やはり魚たちが住めなくなった。北海道にいた頃、鮭の遡上を途中でくい止めてしまったために、ヒグマが人里へ下りて来るようになった。被害が多発したため、一部の河川で鮭を再び川上まで遡上させることになった。これでヒグマの餌を確保させようとした。河川や海は人の手が入れば、必ず生態系を変化させてしまう。2010年春にアイスランドの火山が大噴火し、火山灰の影響が欧州に広まり、一時は欧州の空港が閉鎖された。大西洋中央部には南北に貫く海嶺がある。海嶺は海底の火山のようなもので、マグマが流出している。アイスランドはこの海嶺の延長にあるため噴火を生じた。これを機に世界の地震や火山活動が活発になっている。太平洋にも東太平洋海嶺(海膨)と呼ばれるものがあり、こちらも活動が活発になって来ている。海底での地殻の変化や海流の変化が気象の変化に繋がり、地球規模で自然現象の変化が生まれて来ている。大自然の変化がその他の自然へも大きな影響を与える。これらの大自然の変化は長い地球の歴史の中で何度も繰り返されて来た。その度に長い時間をかけて環境の変化に適応できたものが生き残って来た。動植物や昆虫にはその長い適応のDNAが刻まれている。自然であれ人工であれ環境を変化させてしまうと、それへの適応には長い時間がかかる。大自然がもたらす環境変化は人がコントロールすることはできない。しかし、人工による環境変化は事前に十分影響を検討することができるはずだ。残念ながら人はしばしばその機会を簡単に逸している。
アメリカ芙蓉 草芙蓉とも言う。和芙蓉よりも花が大きい。

矢巾町のひまわり

2012-08-26 20:39:54 | 自然
今日も天気は晴れて、30度を超える気温になった。昨夜疲れて気仙沼から帰って来た姉弟は帰宅後も二人で長く気仙沼での話に夢中になっていた。午前中はゆっくりして、昼頃からみんなで盛岡の隣の矢巾町へ出かけることになった。2haの畑に6万本のひまわりが植えられていて、今がちょうど見頃だと言う。往きは娘の運転で帰りは息子が運転することになった。遠野の北の大迫から石鳥谷を抜けて4号線へ出て、しばらく北上する。矢巾町へ入ると防災センターの前の道を進み、煙山ダムの方向へ進むと、ダムに近くひまわり畑がある。見渡す限りひまわりばかりの光景が広がる。暑い日射しが射しており、日陰がなく、風も釜石ほどの風がないため、しばらくすると汗がどっと流れて来た。次から次へと人もやって来る。ひまわり畑の向こうには積乱雲が立ち上っていた。ひまわりの上には赤トンボもたくさん飛んでいる。釜石ではあまり聴かないツクツクボウシの声も聴こえて来る。奥羽山脈よりのこの場所はもう少し涼しいのではないかと思っていたが、よく考えると、釜石よりずっと内陸なので、気温は高いのだ。これだけ暑いとせめて駐車場付近で冷たいものでも売っていてくれるとありがたいのだが、自販機一つ設置されていない。人もほどほどにやって来るので、もう少しそのあたりの配慮が欲しいと思った。うっかりタオルを持って来なかったので、次への移動中にあったコンビニで急遽タオルを買い込んだ。簡単にスポーツ飲料1本を飲んでしまった。息子の言い出した花巻温泉郷のバラ園へ向かうことになった。4号線へは出ないで、山裾に近い道を南下する。信号がほとんどないその道の両脇は田園が広々と広がっていて、遠野とはまた趣の違った田園の良さがある。遠くには方角の違ったところにも積乱雲が立ち上っていた。バラ園はこの時期のせいか以前来た時よりも客の数が少ない。ゆっくりと園内をまわり、こちらの方が山間にあるためか風もありひまわり畑よりずっと涼しく、木立の影に入ればとても気持ちがいい。何種類ものバラと大きなアメリカ芙蓉が咲いている。しばらく歩くと、大半は日射しを浴びることになるので、次第に暑くなって来た。園内の小高い所に店があるので、そこでバラ入りのソフトクリームを食べることにした。日射しを遮った屋根の下は風通しがよく、とても涼しい。お店にはバラに因んだ商品がいくつか並べられている。娘と息子がそろってそれらの品物を見て回り、いくつか人への土産に買い込んでいた。ナビを設定して帰路につき、遠野の「ばんがり」で夕食を摂った。食事後駐車場に出ると西の空に夕焼けが広がっていた。遠野夕焼けはやはり空が広く、その広い空に夕焼けも釜石よりずっと広く広がっている。しばらくそのきれいな夕焼けを眺めていた。夕焼けは秒単位で刻々と色彩を変えて行く。内陸の田園風景もとても気に入った。娘と息子は住田町の光景が好きらしく、その住田町に似た風景もあり、北上川が創り出した広い平野の恩恵で、内陸は内陸なりのいい田園風景に出会えた1日だった。
広大な畑地に植えられたひまわりの花

田園のはるか向こうにも夏の積乱雲が立ち上っていた

バラの園

日本列島のメダカ

2012-08-25 19:19:40 | 自然
朝は晴れていたが昼過ぎから雲が覆い、雷が鳴るとともに一時雨になった。おかげですっかり熱気を取り去ってくれて、夕方には西の空にいつものすばらしい夕焼けを見せてくれた。しかし何度も鳴る雷の音にベルギーシェパードが吠え立てた。ドイツシェパードに比べて神経質なのだ。ドイツシェパードはめったに吠えることがない。ただその分いざ吠えるとなると迫力が出て来る。ベルギーシェパードは元来牧羊犬として飼育されてきた犬種なので、走りはドイツシェパードよりずっとスピードが早い。おそらくすべての犬種の中でもトップクラスだと思われる。深夜の2時前に気仙沼から息子は一旦家に帰って来たが、また朝4時過ぎには気仙沼に引き返して行ったようだ。こちらは寝ていたのでよく分からなかった。起きていた娘が今朝話してくれた。午後1時から気仙沼でコンサートがあるので、娘もそれに間に合うように午前中に一人で気仙沼へ出かけて行った。コンサートが終わると二人で息子の知り合いになった気仙沼のイタリアレストランで食事を摂ることにしている。このレストランも津波で被災して、その復旧作業を息子たちのボランティア活動で支えたことがきっかけとなり、再開後にはよくここへ顔を出しているようだ。今晩には二人でそのレストランの料理を土産に釜石へ戻って来る。それまで夕食は我慢して欲しいとのことだ。 近畿大学大学院農学研究科などのチームがこれまで日本の「メダカ」は1種類だとされて来たが、南北で2種類いることを明らかにしている。遺伝子研究ではすでに2種類の集団がいるとされていたものの形態的な違いがないとして1種類だとされて来た。分子遺伝学を専門とする新潟大学酒泉満教授が遺伝子的に青森県から京都府の日本海側に分布する「北日本集団」と、そのほかの地域の「南日本集団」に大別できるとしたが、形態的にそれが実証されていなかったため、学術的には「オリジアス・ラティペス」1種だとされていた。1823年30歳前の若きドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは鎖国時代の長崎へやって来て、出島のオランダ商館医となった。ドイツの名門貴族出身であったシーボルトはヴュルツブルク大学で医学以外にも動物学、植物学、地理学なども学び、日本ではそれらの領域にも関心を寄せた。彼の日本での著作の一つである『日本動物誌』で日本のメダカは1種類だとされて以来、大きく形態的に違いはないということから1種類説が長く受け入れられて来た。研究チームの全国的な個体調査により北日本と南日本では模様や背びれに形態的な差異があることが分かった。3年ほど前から、全国の川や湖沼、ため池など50カ所以上でメダカを採集し、600以上の標本を作って分析した。その結果、「オリジアス・ラティペス」は南日本集団にあたり、北日本集団は南日本集団に比べると、雄の背びれの切れ込みが小さい、うろこが網目状に黒っぽい、体側後方に不規則な黒い斑点がある、などの特徴があり、別種であることが分かった。北日本集団と南日本集団の分布域がぶつかる京都府の由良川水系の調査で、交配せずにそれぞれが独自集団を保っていることも確認された。研究チームは北日本集団の学名を酒泉教授の名から「オリジアス・サカイズミ」と名付け、ドイツの学術誌に発表している。東京大学海洋研究所と千葉県立中央博物館などの研究チームは、南北のメダカが共通の祖先から枝分かれしたのが約1800万年前であることを、遺伝子の解析で突き止めている。このころ日本列島は南北二つに分かれてそれぞれアジア大陸から離れて行った。そうした日本列島の形成過程と関連がある可能性があるように思われる。
近所に咲いていた八重の木槿(むくげ)の花

「幻想」の原発の安全性

2012-08-24 19:19:03 | 社会
遠く山の尾根の向こうに白雲がわずかに見える程度の青空の広がる天気になった。職場の近辺は風がよく吹き、裏山に茂る葛の葉が風に煽られて白っぽい裏面を見せていた。内陸側にある自宅近辺と比べても海に近い職場付近はほんとうにいい風が吹いてくれる。日陰で風が吹いていれば暑さを感じない。しかし今日もまた日中は30度を超えた。気仙沼へ行った息子は今晩釜石へ一旦帰って来るが、明日にはまた気仙沼に引き返す。気仙沼でゴスペルのコンサートがある。娘はあまり気乗りしないようなので家に残るのかも知れない。 22日政府のエネルギー政策に対する国民の意見を検証する専門家委員会の初会合が開かれた。意見公募に寄せられた約8万9,000件のうち、約7,000件を分析した結果が公表された。89.1%が「原発は不要」としており、原発依存度については81.0%が「即時ゼロ」、8.6%が「段階的にゼロ」を求めていた。原発推進を求める意見は「20~25%」「25%以上」を合わせてもわずか3.1%にとどまった。他にも「原子力安全に不安がある」との意見が2,431件、「再生可能エネルギーや新エネルギーの開発を急ぐべきだ」との意見が2,355件出ている。この意見公募では2,030年までの原発への対応としている。米国マサチューセッツ工科大学(MIT)教授を歴任し、現在同大学メディアラボ副所長である情報工学研究者の石井裕氏は日経ビジネスの対談で今回の政府のこの意見公募について語っている。「「エネルギー・環境に関する選択肢」を読んで、まず驚いたのは、2030年に焦点を絞っていることです。エネルギーを議論するタイムスパンとしては短すぎる。少なくとも100年、もし高レベル放射性廃棄物の処分を本気で議論するなら、生物にとって無害になる10万年というタイムスパンが必要。フィンランドはそういう時間的スケールで国民を巻き込んで議論し、「オンカロ」と呼ぶ高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場をつくっています。「将来世代に影響の及ぶ課題の選択」「将来世代の負担低減」と本気で言うのなら、 2030年ではあまりに近視眼的です。」対談者のノンフィクション作家山岡淳一郎氏は「10万年という時間は、人類の「出アフリカ」から現代までに相当します。それほど先まで放射性廃棄物をオンカロ、すなわち「隠し場所」に納めようという決断がある。日本では逆に「経済や国際情勢の正確な見通しが立たない18年先では遠すぎる。もっと将来予測をしやすい時点にターゲットを置いて、シミュレーションすべきだ」という意見もあります。」と応じた。それに対して石井氏は「日本の選択にとって、いま必要なのは、 エネルギー問題にどういう要因があって、それらがどう関係しているか、その因果関係を理解することだと思います。そのうえで、数字に短絡させず、本質的な価値基準の議論を進めなくてはいけません。」と述べている。原発の安全については反対概念である「リスク」要因から考える必要があるとして、三つのリスク要因、「自然災害」・「技術的課題」・「人的組織的課題」を上げ、「自然災害はもちろん、人的組織的課題も、実は基本的に我々はコントロールできません。例えば、2030年までに、「保身のための隠蔽」が社会からなくなるとは考えられません。となると、政府の「エネルギー・環境に関する選択肢」には、原子力の安全確保について「徹底した安全対策の強化によりリスクを最小化し」と書いていますが、これはイリュージョン(幻想)ですね。自分で制御できないものを「最小化」すると約束することはナンセンスですから。」と述べ、「ハード、ソフトの安全対策が重要なのは言うまでもありませんが、それで自然災害や人的組織的課題を「最小化」できるわけではない。原発は止めても廃炉まで40年かかる。稼動しなくてもリスクは残り続けるわけです。そして高レベル放射能汚染物質は、原発が稼働する限り増え続ける。 永久埋葬地の存在しない日本では、確実にリスクが増え続ける。1万年単位で考えれば、東日本大震災級の地震、津波は100回以上、起きると予想されます。その確率と被害予測を、きちんと盛り込まなければおかしい。」とし、「100,000年後の安全」という映画を作ったマドセン監督の言葉を紹介している。『オンカロの取材をしたとき、学者たちに「最終廃棄物処理場が作れない国があるとしたらどこか」という質問をしました。その答えは日本でした。現在の科学では放射性廃棄物の処理は地層処理しかないと言われていますが、地層処理場ができないのに原子力を持っている国である日本は、火山があり地震があり、常に地層が安定していません』。
釜石では百日紅の花もよく見受ける

低所得者の生活が厳しくなって来ている

2012-08-23 19:18:14 | 文化
暑い日が続く。西の空には積乱雲が立ち上る夏空だ。職場の裏山では日中ミンミンゼミが鳴く。セミの声が尚暑さを感じさせる。これから1週間の予報でも最高気温が30度を超える日が続いている。昨日は釜石より北になる内陸の盛岡や二戸で35度を超えたようだ。夏の花の百日紅の花があちこちで見られるようになった。芙蓉の花も今が真っ盛りだ。庭の紫陽花の木ではほとんどの花が終わりかけているが、まだこれから咲こうとしている2~3輪の花もある。日よけのない職場の駐車場に停めた車に昼休みに乗ろうとすると中の熱気が酷い。それでも四国や愛知県よりはいいが。 現在日本は長くデフレと景気の低迷状態に陥っているが、総務省統計局の消費者物価指数を良く見てみると二分化している。生活に必要な食料や光熱費関係の物価は上昇している。それら以外が大きく下がっているために全体としてはマイナスになっている。年収200万以下の世帯も増え続けている。1985年のプラザ合意で日本は円高になるのを恐れて、積極的な経済・金融政策をとったためにバブルを招くと言う失敗を犯した。それがトラウマとなって今のような中途半端な政策に留まっていることが円の高止まりに繋がっている。円高がおさまらないため多くの大企業が生産を海外へ移転しており、国内の工場が閉鎖され、人員が削減され続けている。シャープなどはいよいよ経営状態も悪化して来ているようだ。年収が下がる一方で、生活に密着したものの物価が上がっている。地方の生活には欠かせない車の燃料も下がって来ない。所得の低い世帯ほど生活はますます厳しくなっている。背景には世界的な新興国の食料や燃料の大きな需要増があることは確かだ。日本は食料も燃料も輸入に頼る構造になっているので、世界的な食料や燃料の高騰の影響を受けやすく、それはまともに低所得者を直撃する。米国は景気の低下を避けるため市中にドルを流し続けている。中国も元が高くなることを避けるため、ドル買いを大量に行っており、買われたドルを補うためにもさらに米国はドルを供給し続けている。米国も中国も自国通貨を安く誘導するために積極的だ。日本の円だけが中途半端な政策のためにいつまでも高止まりから抜け出せないでいる。その間に競争力を維持しなければならない企業は生産拠点を海外へ移転させて行く。経済成長を導き、一刻も早くデフレから脱却しなければならない時に、消費税の増税などという景気にさらにブレーキをかけるような政策にこだわってしまった。中国にはすでに自動車会社が500社もあり、家電では韓国にも追い抜かれて来ている。これまで日本が頼みとしていた自動車や家電はアジアの国々にいずれ世界の需要を奪われて行くだろう。自動車や家電以外のあらたな成長産業を生み出して行かなければならない。どう見ても今の政府にはそうした新産業育成の姿勢は感じられない。既得権に守られた企業の保護だけに汲々としているとしか思えない。こうした状態が尚続いて行けば、低所得者たちの生活はますます厳しくなって行くだろう。経済成長がなく、景気の悪化から脱することが出来なければ国の税収は落ち込んで行くだけであり、社会保障はますます削られて行くだろう。TTPは小泉政権以来急速に押し進められて来た市場原理主義のだめ押しであり、小さな政府と内外の企業のやりたい放題を許す制度であり、経済的な強者と弱者の格差をますます広げて行くだろう。1億総中流と言われた日本は過去のものとなって来ている。
立ち上る夏の雲

被災地での長期支援

2012-08-22 19:18:57 | 文化
晴れた日が続いて、連日30度を超えている。気温差があるため夜は比較的涼しくはなるが、日中の日射しで暖められた二階は夜になっても熱気が残る。お盆が過ぎた今になって犬たちも毎日暑さに喘いでいる。気仙沼へ行った息子は少なくとも今週は向こうにいてボランティア活動に参加することになった。大阪の通っていた教会の人たちも金曜日までは参加しているらしい。娘も昨日からU先生のところから派遣されているカウンセラーの方が関わっている心のケアを手伝うために、行動をともにしている。その娘の話によると、やはり仮設住宅では様々な問題が出ており、特に暴力沙汰は思った以上に多いようだ。生活の不安と暑さでいらついた精神状態になる人が増えているのだろう。昨晩は娘と釜石での震災後の被災者のための支援事業について少し話し合った。日本では1995年の阪神・淡路大震災、2004年の中越大震災と二度の震災があったが、そこでの震災後の支援活動のノウハウが釜石ではほとんど活かされていないということで一致した。現在釜石で行われている支援事業の大半が、未経験者の試行錯誤で行われている。組織も責任の所在も曖昧だ。被災者からの支援事業に対する評価も芳しくなく、それだけ不満を募らせている。阪神や新潟には震災後支援活動を組織的に行ってノウハウを持ったNPOなどもいくつかあるが、それらのNPOのノウハウを活用させてもらうような仕組みがないために、素人が一から始める状態になってしまっている。唯一今のところ評価を受けているのがU先生たちの心のケアだと言ってもいいくらいだろう。各仮設住宅に配置された見守り支援員の在り方も各仮設毎にばらばらで統一されていない。何を支援するのかも十分合意されていないために、そうした支援員自身がストレスを溜めてしまっている。市の職員も毎日被災者の状況を掴むために被災者のところへ出かけて行ってはいるが、数が圧倒的に足りない。現場を担当する職員にもストレスが溜まっているようだ。市の担当部署からU先生のところから来られたカウンセラーのS先生には支援員への心のケアについての依頼があったりするようだ。S先生は毎週東京から釜石へやって来られ、釜石ではとても多忙な時間を過ごされている。これまでのU先生やS先生の活動はすべてボランティア活動である。最近ようやく米国の団体からの資金援助が得られることになったようで、今後は交通費なども支援してもらえることになりそうなので、釜石での活動を一層強化できる可能性が出て来た、と娘は喜んでいた。現在までU先生たちの支援活動は宮城県の石巻と気仙沼、岩手県の釜石の三カ所で行われて来た。U先生は阪神・淡路大震災で自分自身が被災され、そこから支援活動に関わるようになり、米国での2001年の9.11同時多発テロ後の支援活動や中越地震後の支援活動も心のケアの分野で行って来られた。すべてがボランティア活動であったが、今回の震災後の活動の関わりが長くなって来たことと、地域が広いため、資金的に厳しくなって来たのだろう。米国での研修を重ねて来られているので米国の知人も多く、そのルートで支援金を得たのではないかと思われる。日本国内にも支援を申し出てくれた企業はいくつかあったようだが、ほとんどはその企業が生産する現物支援が多かったようだ。こうした活動の合間にオリンピック選手のメンタルトレーニングも依頼されており、先日も釜石へ来られた後、開催中だった英国へすぐ旅立たれた。地方にはもともと職が限られており、震災はそれにさらに拍車をかけた。被災地で必要なのは長期にわたる支援だ。それもできるだけノウハウを身に付けた人たちの支援が望まれる。実際、企業での組織づくりのノウハウを身に付けた人たちも来られていて、とても活躍されているが、派遣期間は決して十分ではない。
カサブランカ 日本原産の百合から改良してつくられた百合