釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

古事記と日本書紀の成立の謎

2010-03-31 07:04:28 | 歴史
一昨日一日降った雪も昨日のうちに平地は大部分融けてしまった。職場の方の話ではこの時期は内陸は雪は降らずに沿岸部の方がよく降るのだそうだ。それが毎年のことで春が来る証でもあるようだ。しかしそれにしても三月も末になって降る雪と言うのはさすがに東北なのだと感じさせられる。雪のせいで気温もまだ上がらず寒さが続く。日射しだけは着実に春を感じさせてくれるが。日本の古代について書かれた史書としては712年成立の古事記と720年成立の日本書紀が古いものとして知られているが、両者はわずか8年の差しかなく、何故、8年くらいの歳月の差であえて日本書紀が編纂されたのか疑問が多い。古事記と日本書紀では記述内容にも相違が見られる。古事記は南北朝時代の写本である真福寺本が最も古いもので原本は残されておらず、古事記につてはその写本が発見されるまで存在すら知られていなかった。8年後に成立した日本書紀にすら古事記については一言も触れられていない。日本書紀は古事記は存在しないものとして記されている。これは何故なのだろう。古事記は天智天皇(中大兄皇子)の第四皇女であり、天武天皇(大海人皇子)と持統天皇の子・草壁皇子の正妃である女帝元明天皇に献じられている。一方、日本書紀はその元明天皇と草壁皇子の子である初めての独身女帝元正天皇に献じられている。古事記成立の40年前の672年には教科書でも記されている壬申の乱が起きている。この乱は天智天皇の弟である天武天皇が天智天皇の第一皇子である大友皇子による自分の暗殺に抵抗して起こしたものと日本書紀は詳述している。元来天智天皇の後を継ぐものは大友皇子であるはずのところ、天武天皇が継いだ、その正統性を述べている。ところが古事記では本文には日本書紀のように壬申の乱についての詳しい記事はなく、その序文に触れられているだけであり、内容も日本書紀とは全く異なる。日本書紀は天武天皇が止む終えず大友皇子から皇位継承権を奪った形で述べられているのに対して、古事記は単に天武天皇が占いで自分が天皇位につくことを知ったとされているだけである。従って天武天皇は自らの意志で天皇位を簒奪したと言うことになる。天武天皇の後継者たちにとって古事記の記述は世に出てては困るものであったろう。天皇位後継の大義名分がなければならないからだ。しかし事実は663年(中国史書では662年)の白村江の戦いで疲弊した九州王朝へは8年間に渡る唐より派遣された郭務宗らによる占領軍が駐留しており、その占領軍の力を借りて、また九州王朝下にあった残存勢力の協力も取り付けて天武天皇、大海人皇子は謀反を起こしたと考えるのが妥当と思われる。そしてそこに古事記に代わって日本書紀の成立の必然性があったと考えられる。

一昨日木々に降り積もった雪が昨日の晴れ上がった空を背景にまぶしく光っていた

米国債から逃げ始めた投資家たち

2010-03-30 07:03:51 | 経済
昨日も昼前から雪がちらつき始め、午後には再び白銀の世界になってしまった。金沢から来られた方に今年の金沢の冬の雪のことをお聞きすると金沢でもやはり今年はよく雪が降り、気温も低めだという。「温暖化って本当なんですかね」と言われた。せっかく開いて来てくれた梅の花も寒さで凍えてしまっているだろう。朝は土も凍てついている。米大手格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは2月初めに米国債格付けにとって財政赤字の膨張が脅威となっていることを報じた。現在米、英、独、仏などの国債の格付けは最上級の「トリプルA」であるが、今月半ばに同社は、これらの国々の格付けは足元で安定してはいるが大型の景気対策により、財政悪化を受けて「格下げまでの距離は縮まってきた」と報じ、リスクが高まっていることを指摘した。ここに来て米国債の売れ行きに影が見られるようになり、米国債の金利がじわじわと上昇し始めた。売れ行きが悪化した原因は外国投資家の米国債離れのようだ。昨年来のギリシャ財政危機を始めとするユーロ危機からの逃避先として米国債に流れる動きがあったが、膨らむ財政赤字を危惧する外国投資家が今や米国債の方を危ぶむようになってきた。連邦準備銀行ー連銀(FRB)のグリーンスパン前議長も最近「最近の米国債金利の上昇は、今後さらに金利が高騰していく可能性を示す『炭坑のカナリア』だ」と述べたという。3月23日の米国フォックス・ニュースによると、すでに米国民の8割は「米経済は崩壊するかもしれない。米政府は崩壊を回避する策を持っていない」という世論調査の結果が出ているようだ。米国債の売れ行きがさらに悪化すれば当然格下げは避けられなくなる。米国債の格下げは多くの米国債を保有している日本や中国への影響は多大なものになる可能性が出て来る。ドルへの信用も同時に低下して来る。巨大な赤字財政を抱えて、長期金利が上昇傾向を見せて来た米政府の舵取りは極めて困難になりつつある。(国債は需要と供給の関係で需要が増えれば政府の負担が軽くなるように金利が下げられるが、需要が減れば国債への魅力を増すよう金利が上がり、少しでも買い手が増えるような仕組みになっている)

白梅 昨日の大雪でこの白梅も散ってしまったかも知れない

アイヌ人の成立

2010-03-29 07:05:32 | 歴史
風が出ていなければ日射しがあると釜石も暖かくなって来たが、そこに風が出ると風はまだ周囲の山に雪が残るためかまだ冷たい。一昨日も雪が降り、今冬の釜石はほんとうによく雪が降った。最初は回数を数えていたがそのうち何度も降るので数えるのを止めてしまった。こんな中でも植物は確実に春の到来を感知して緑の芽を出して来ている。紫陽花の枯れたように見えた枝にも緑の葉がわずかに見られるようになった。2008年4月15日に発刊された『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・北海道史ーアイヌ民族・アイヌ語の成立史』(崎谷満 著)によれば現在のアイヌ人は遺跡出土骨のミトコンドリアDNA分析ではアムール川流域をホームランドとするシベリア系集団が半分、日本系新石器時代人(いわゆる縄文人)が半分の比率で成立しているという。どの時期に後者が流入したのかが未解決だが一つの可能性として、平安期の東北北部集団が擦文文化とともに北海道へ日本系DNAを持ち込んだことが考えられるとする。現在アイヌ文化として知られるものははるか後代の13世紀に北海道内の固有文化として成立したもののようだ。そしてこのアイヌの固有文化は釧路を中心とする道東から生じて道北・道央へ広がったという。道南は植物相の違いもあって日本系擦文文化の下にあった。言語的にもアイヌ語は北海道東部アイヌ語と北海道中部・北部アイヌ語とに大別されるようだが両者は多くの共通語を持っているという。それぞれがさらに体系化される必要性が早急に求められるようだ。残念ながら父系遺伝を示すY染色体分析はアイヌ人については現在もまだサンプルが少なく、体系化できていない。この書で明らかなことはいずれにしても本州ではアイヌ人の住着いた痕跡が見られないということである。したがってこれまでにも少し触れて来たように本州や時には九州にもあると言われるアイヌ語由来地名と言われる地名は直接的にはアイヌ語に由来するものとは言えないことになる。それでもアイヌ語で解すると理解出来る地名があるのは事実であるからー特には東北は顕著であるし、やはりアイヌ語と縄文語との関連を知る必要があると思われる。しかし縄文語の研究は一朝一夕には進められるものではない。まだ長い時間がかかるだろう。また『東日流外三郡誌』に記された安日彦・長髄彦兄弟の津軽への到来が北海道のアイヌとどう関連するのかしないのかも興味の惹かれるところだ。東北の古代史にはあまりにも謎が多く、それだけ興味が尽きない。

山茱萸(さんしゅゆ) 中国・朝鮮半島が原産で日本に渡来したのは江戸中期だそうだ

日高見国の弊伊(へいい)

2010-03-27 07:09:16 | 歴史
やはり一昨日降った雪は平地では昨日のうちに融けてしまった。昨日は天気予報通り晴れてくれたが気温は10度までは届かなかった。それでも日中外に出ると春がやって来ている気配を感じられる。職場の近くの蝋梅(ろうばい)もまだ少し花を残しているが花の色がかなり褪せて来た。かわりに薮椿が一斉に開いて来た。その椿の花には毎日メジロがやって来ている。日本書紀によると大和によりはじめて東北へ目が向けられたのは武内宿禰の派遣に始まる。(景行)廿五年秋七月庚辰朔壬午 遣武内宿禰 令察北陸及東方諸國之地形 且百姓之消息也(廿五年の秋七月の庚辰の朔壬午に、武内宿禰を遣はし、北陸及東方の諸國の地形、且た百姓の消息を察しむ。) 年代は西暦95年7月3日ということだ。2年ほど後、武内宿禰は大和へ報告を持ち帰る。(景行)廿七年春二月辛丑朔壬子 武内宿禰自東國還之奏言 東夷之中 有日高見國 其國人 男女並椎結文身 爲人勇悍 是總曰蝦夷 亦土地沃壞而曠之 撃可取也 (廿七年の春二月の辛丑の朔壬子に、武内宿禰、東國より還て奏して言す、「東の夷の中に、日高見國有り、其の國の人、男女並に椎結け、身を文けて、爲人勇み悍し。是を總べて蝦夷と曰ふ。亦、土地沃壞えて曠し。撃ちて取りつべし。」 ) ここでは日高見国の国名が見られており、蝦夷の住む国として書かれている。以来、日高見への大和の攻勢は続き、日本後紀卷第廿一によれば811年に文室綿麿が征夷大将軍に任ぜられると爾薩體(にさて)、弊伊(へい)の二村を攻撃する。この時 謀發勇敢俘囚三百餘人。出賊不意。侵雪襲伐。殺戮爾薩體餘蘖六十餘人。功冠一時。名傳不朽也。つまり300余りの俘囚(帰順した蝦夷)を使って60人余りを殺した。これが大和による蝦夷征討の最後となっている。ここに出ている弊伊(へい)は後の閉伊であるがその名の由来は閉」「幣」「幣伊」「弊」「弊伊」などと記されて来たことから辺境の国の意味であるとかアイヌ語の「ヘ(対面や顔面)」からとされたり諸説あるようだが、それらよりも有力と思われる説がある。現在青森県には八戸市、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町の名が残り、岩手県には二戸市、一戸町、九戸村があり、遠野市もかっては十戸(とおのへ)であったという。四戸を除き一から十まで戸の付く地名が残されている訳だが、この「戸」は弊伊に由来する可能性があるというのである。従って現在の岩手県の太平洋沿岸部の閉伊は上古にはもっと広い地域を指していた可能性が出て来る。とするとその閉伊の中心はどこになるのだろうか。蝦夷で最後まで抗い続けたのが荒吐族(あらはばきぞく)が都を移したとされる閉伊であったこともうなずけるように思う。

やっと見られるようになった紅梅

インターネットへのアクセス

2010-03-26 07:04:08 | 文化
昨日はべとついた雪が一日降った。周囲はまた白銀の世界となってしまった。釜石でもやっと梅が咲き始めたばかりなのだが。現在のところ南面の日当りのいい場所にあるものだけが開いている。木々の間をよく見るともう蕗の薹(ふきのとう)も大分伸びていた。これらもまた従って雪化粧をしてしまったのだろう。ただもう気温はさほど低くはなく、今日は一日晴天の予想で昨日の雪も平地はすべて融けてしまうだろう。総務省が出している情報通信白書の「インターネット利用人口の推移」を見ると平成20年末で9,091万人となっている。これは6歳以上が調査対象となっているもので国民の75.3%がインターネットを利用していることになる。平成9年末にはわずか1,155万人(15歳~69歳までが調査対象)であった。今やインターネットはパソコンだけでなく携帯電話、PHS、PDAと称される携帯情報端末、ゲーム機など様々の機器からアクセスすることが可能だ。インターネットは世界中に蜘蛛の巣状に張り巡らされたネットワークであり、仮想的にサイバースペース(電脳空間)などと呼ばれたりする。そしてそこはあらゆる情報が行き交い、そこから個々の情報端末に侵入して情報を盗み取るサイバー犯罪も生じさせている。先月世界的な大手検索エンジンであるGoogleが中国でのサイバー攻撃をめぐって通信傍受機関の米国家安全保障局(NSA)と協力関係を持つことが報じられた。NSAは2001年の米中枢同時テロ後、大統領の許可を得て令状なしに電話盗聴や電子メールの傍受を実施しており、それが許されている。Googleには膨大な個々の人や組織の情報へのアクセス履歴が蓄積されており、両者の協力は世界最強のネット監視システムを生み出すことになる。サイバースペースには国境がない。瞬時に世界中を駆け回ることが出来る。情報を得るには非常に便利であるが、同時に個人の情報が盗まれたり、監視されたりする危険も満ちている。個人のカード情報が漏洩する事件はしばしば起きている。カード情報を持つ企業のセキュリティ(安全性)への取り組みに左右されてしまう。第二次大戦以来情報収集は国家にとって最大の重要事項となった。世界をリードしてきた米国は当然この情報収集でも最先端の技術を手に入れて来ている。今回Googleが中国でサイバー攻撃を受け、中国から撤退することとなったが、これは明らかに米中双方の情報戦と見ることが出来る。米国は中国だけでなく同盟国である日本の情報もかなり取得しているだろう。日本は米国などに比べるとインターネットのセキュリティに対してかなり甘い国であり、それだけ個人はネットに接続することには危険を伴っていることを意識する必要がある。

雪が降る前に撮った蕗の薹(ふきのとう)

地方と都会

2010-03-25 07:02:39 | 文化
学生時代に初めて四国から東京へ出て感じたのは、とても東京生まれの人たちのスマートさにはかなわない、ということだった。そして遅い時間の電車の中の殺伐とした雰囲気には閉口した。今でもたまにやむを得ず東京へ出かけると電車の中の人を人としてあえて意識しない車中の人たちの表情には嫌悪感すら感じてしまう。東京はとても人の住むところだとは思えない。人が人ではなくなっているように見えて来る。一方、釜石のような地方に住んでみると豊かな自然と多くの匠の存在とともにあまりにもこののんびりとした環境に浸り切ってしまっている人たちにも気が付く。後者は都会とはまた違った意味で我道を行き、他への配慮に欠けるところがある。どちらかというとやはりバランスのとれた人は一度は都会での生活を経験している人たちであるように思われる。現在の日本は東京への一極集中が過度に進み、大阪ですら地盤沈下をしており、まして地方は疲弊し切ってしまっている。ブラジルやインド、中国などの人口を多く抱える国々は大いに未来が期待出来るだろうが日本のように高齢化が進む一方で少子化が進み、独身者が増える国はもうそれだけで未来は困難であることが見えて来る。このままの地方と大都会の状態が続けば地方のさらなる衰退は避けられないだろう。地方の高齢化率は都会より遥かに高い。せめて首都機能の地方への移転や企業の本社の地方への移転を考えなければ大都会も地方も人が活かされないますます非効率な国になってしまうのではないだろうか。ただその際かっての釜石のように新日鉄という釜石にとって非常に巨大な企業が1社だけ入って来ると言うのは避けたいと思う。大企業への過度の依存性が生まれ、釜石という地域の自主性が損なわれてしまう。本来の地方の自立ではなくなってしまう。地方と都会の交流はぜひ必要だと思うがあくまでも地方の自主性は堅持されなければ意味がない。先日札幌で育って大阪に住む子供たちが釜石へやって来たが、わずか半日のイワシ「すくい」を経験しただけで心から楽しんでいた。本人には強烈な印象だったようだ。釜石は都会に住む子供たちが数日過ごすには絶好の場所だと思う。子供には自然との遊びが不可欠だと思う。本来人は動物なのだからその動物として本能を子供の時に刺激しておくことが大事ではないかと思うのだ。それによってまた都会の人たちが地方の本来の存在を知ることにもなる。日本の国土には無駄なところなどどこにもないのだ。人も同じだ。無駄な人などないはずだ。人が「住める」都会と地方の再生が今の日本には必要だと思うのだが。

ヒマラヤ雪の下 暑さにも寒さにも強く、咲いている期間も長い

日本の春は

2010-03-24 07:07:31 | 文化
3月も末が近付いて来たが東北ではまだ10度以下の気温が続き、今週はまだ雪のマークの予想まで出ている。北国の春はやはり遅い。幕末に腐敗した幕府や藩へ反旗を掲げて青年が立ち上がり明治の新政府が成ったが、新政府はやがて内部の対立を生み、理想が萎んで行った。第二次大戦後も民主主義を掲げた米国占領軍の下で大改革が行われようとしたが、これも共産主義の広がりに慌てた米国の方針転換により、改革は頓挫し、一部はかえって復古が認められてしまった。立法、行政、司法の三権分立は有名無実となり、三権それぞれがやがて腐敗して行った。特に法の番人たる司法の腐敗は当然行政である警察組織の腐敗を許してしまう。これまでにも記した冤罪がいつまでも続くことがそれを示している。警察組織の腐敗を内部告発した元警察官たちがいくら腐敗を告発しても大きな組織は微塵も動くことはない。現在香川県で弁護士をしておられる生田暉雄氏は元大阪高等裁判所の裁判官で退職後に裁判所の腐敗を告発した書籍を出された。退職後は弁護士となって警察の腐敗の犠牲となっている弱者の弁護活動を行っているが、そこでも警察と裁判所とさらには弁護士会もが一体となって生田暉雄氏の動きを押さえにかかる。戦前の悪名高い「特高」は決して過去のものではない。現在の国家という組織にとって「不都合な真実」は隠蔽されなければならないものであり、それに抵触する動きはすべて葬り去られようとする。かってはこうした国家の腐敗を監視する役割が報道にあったが、今や報道そのものが腐敗の極みとなってしまった。こうした世の中では弱者を守ることは極めて困難なことになる。5年前に「ポチの告白」という映画が上映された。「良識ある巡査が警察の犯罪機構に巻き込まれながら悪徳に染まり、やがて自滅するまでを描いた」映画とある。撮影段階で日本外国特派員協会が協力し、取材も海外の新聞社の方が熱心であったようで日本の大手マスコミは完全に無視した。民主主義とは一体何なんだろう。一人一人が意見をもって国政に参加出来ることがその政治的な意味合いだとしたら、その一人一人に考える為の、判断する為の情報が開示されることが前提になるはずだ。しかし現在の腐敗はそうした情報が開示されず隠蔽されていることから醸成されている。一人一人に情報をもたらすはずのマスコミが腐敗してしまえばこれからも国家の腐敗は進行し続けるだろう。

開き始めたクロッカス 花の色は他に白、青、紫などがある

中国の微妙なシフト

2010-03-23 07:03:37 | 経済
昨年以来日本では円高が継続している。現在おおよそ1ドル=90円のレートになっている。通常は経済が拡大しているいわゆる景気のいい国の通貨が高くなる。しかし日本の現状はけっして景気が良いとは言えない。むしろ景気面では悪い数字の方が多い。にもかかわらず円高が続くのは逆にドルを通貨とする米国の景気が日本よりずっと良くないことが大きく影響している。米国は巨大な財政赤字を背景にドルへの信用を危うくしており、もはや自国の税収だけでは支えきれずに国債を購入してもらうことで財政を支えている。この国債の米国外の最大の購入者は過去には日本であったが先年中国が日本に取って代わり、米国債の最大の保有国になった。しかしここに来て若干情勢に変化が現れた。先月17日の時事通信によれば2008年8月以来、1年4カ月ぶりに再び日本が中国を抜き米国債の最大の保有国となった。「日本は2カ月連続で米国債保有高を増やした一方で、中国は保有高を削減してきて」いるとある。「中国による保有高削減は、外貨準備の運用先多様化の一環とみられる。」が、「ただ、対中ダンピング(不当廉売)調査など通商政策をめぐり米側の厳しい対応が目立ち始めた昨秋以降、米国債の保有高削減が一段と加速している。」として米国の中国に対する厳しい姿勢への中国側の報復の可能性を暗に指摘している。3月9日China Press 済龍は、中国人民銀行の副総裁でもある中国外貨管理局の易綱局長が最近中国が、保有する米国債を急激に減少させている件について、「米国債の売買は外貨管理局が行なっている市場投資行為の1つに過ぎず、同件を政治問題化することは望んでいない。」、「中国の米国債売買はまったく正常に行なわれている。」と強調したとの記事を載せている。また新華社は同日、易綱局長がまた「金相場は過去30年間乱高下し、投資商品として大きな収益はなかった。中国は市場の状況を踏まえ、金の買い増しを慎重に考える」と表明したと伝えている。これら一連の発言は中国が米国債の購入を控え、金購入にシフトしたのではないかという憶測を否定するためのものと思われる。さらにロイター通信によれば14日に中国の温家宝首相は全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の閉幕にあたって記者会見し、海外からの人民元切り上げ圧力に反発するとともに、最近の米中間の問題をめぐり、米国を非難した、と伝えている。現在中国は日本や欧米の経済悪化を尻目に経済成長が進んでおり、人民元の実際の価値より低く設定されているため、中国の輸出に有利で他国の輸出に不利になっていると欧米から見られている。同首相は同じ全人代で2010年のインフレ目標を約3%に設定するとも表明している。中国は今や米国従って世界の経済に対して大きな鍵を握っており、内には自国経済の成長とともに生じるインフレを抑制しつつ、外にはドル崩壊に警戒しつつ米国債の保有量を調節しなければならない。インフレが急激に進むようなことがあれば中国は他国から言われなくとも人民元を切り下げざるを得なくなる。一方、ドル崩壊に向けての準備も裏では十分対策を執っているものと思われる。外貨準備を着々と資源に換えていることは以前にも記した通りだ。

馬酔木(あしび、あせび) 枝葉に有毒成分を含んでいるため馬が食べると酔って足がなえることから名付けられる

えみし再考

2010-03-22 07:02:47 | 歴史
「えみし」は古くは毛人と書かれ、後に蝦夷と書かれた。蝦夷はえみし、えびす、えぞと読まれる。いずれにしても「えみし」は一般には卑字が当てられていると見られて来た。毛人は中国の史書に記されており、中国は他国には卑字を当てて来た。日本の正史である日本書紀も当然のごとく「えみし」を蝦夷の字で表し、中国と同じ態度で字を当てた。しかし、日本書紀の神武紀では「愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒」「愛瀰詩(えみし)を 一人 百(もも)な人 人は云えども 抵抗(たむかひ)もせず」と神武に高々と詠わせているがここでは「愛瀰詩(えみし)」の字が使われ、むしろ雅のある字が当てられている。古田武彦氏によればこの久米歌は本来は神武の東征時の歌ではなくアマテラスの孫のニニギによる北部九州侵略時の勝利を詠ったものだとされる。「えみし」はその時に侵略された人たちを指す。自ら「えみし」と称えていたと考えられる。むしろ「えみし」は誇りをもって自称されたのだろう。実際、蘇我氏の氏長である蘇我蝦夷(そがのえみし)あるいは蘇我豊浦毛人(そがとゆらのえみし)、東大寺の造営、長岡京遷都で活躍した佐伯今毛人(さえきのいまえみし)、小野妹子の子で太政官と刑部大卿を兼務した小野毛人(おののえみし)など貴人や高官が堂々とその名を使っている。従って「えみし」は決して卑下される名ではなく誇り得る名であったと考えられる。ニニギによって侵略された北部九州の「えみし」たちは「えみし」の名と「日の本」の名を持って安日彦・長髄彦に率いられて東日流(つがる)=津軽へ逃れた。(東日流は日の本が東へ流れることを意味する)『明治前期、全国村名小字調査書、第四巻<内務省地理局編纂善本叢書33>』(ゆまに書房刊)では筑前国那珂郡屋形原村日本(ヒノモト)、筑前国那珂郡板付村日ノ本(ヒノモト)、筑前国早良郡石丸村日ノ本(ヒノモト)、筑後国生葉郡干潟村日本(ヒノモト)、筑後国竹野郡殖木村日本(ヒノモト)と北部九州に集中して「ひのもと」地名が残っているという。これはちょうど日本列島で最大の弥生前期の水田地帯板付(遺跡)の中心にあたる。『東日流外三郡誌』では安日彦・長髄彦以来の国を「日下(ひのもと)」或いは「日本(ひのもと)」と言い、「わたしたちの国は、『ひのもと』という名前である。」ことが繰り返し出て来る。そして彼らが稲作も同時に津軽へもたらしたことが記されている。青森県弘前市の弥生前期の砂沢遺跡や青森県南津軽郡の弥生中期の垂柳遺跡の稲作跡がそれを示していると言える。安日彦・長髄彦らの後に続く安倍・安東氏らもまた「日の本将軍」と称している。「えみし」の名は縄文後期から北部九州で稲作を行っていた人々が誇りを持って自称していたものであり、ニニギたちの侵略を逃れて津軽へ落ち延びた人々に受け継がれたものであると考えられる。「えみし」とアイヌは従って異なっており、最近のDNA分析結果でもアイヌはほとんど北海道内に留まっていたとされ、一部は一時的に東北北部にもいた程度のようだ。これは以前から記している本州側にアイヌの文化が残っていないことと符号している。

黄梅 梅の字が入るがジャスミン科の花で中国では迎春花と言われる