釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

この秋の紅葉はさほどではないかも知れない

2012-10-31 19:21:13 | 自然
昨夜は久しぶりに職場の方々と親睦の集まりをもった。下戸なので、ウーロン茶を飲みながら、食べる方にいそしんだ。焼き鳥とおでん、刺身というごくありふれた料理だが、それぞれがとても美味しかった。金沢から来られている方に手土産の金沢特産の甘エビのみそを出していただき、お店のご主人の案で、焼いたパンにそれを付けて食べさせていただいた。変わった食べ方だが、それはそれで美味しくいただいた。地元の方が多いので、こういう席では地元の人がよく知っている地域情報なども聞かせていただける。紅葉シーズンに入ったので、北上方面へ行くことがあれば、夏油温泉(げとうおんせん)の方へ行ってみるといい、と教えていただいた。また鵜住居川の上流の笛吹峠方向で青森県の奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)など比べ物にならない景観が見られるとも教えていただいた。このルートは何度も通っているが、それほどの場所があるとは思ってもいなかった。今朝はいつも通り起きて、ネットで紅葉情報を確認してみると、予定していた平泉の中尊寺や毛越寺の紅葉はまだ色付き始めになっていた。急遽、笛吹峠方向から、遠野の荒川高原や重湍渓(ちょうたんけい)へ行くことにした。鵜住居川に沿って上って行くと、紅葉が見えて来たが、どうも今年の紅葉は綺麗ではない。よく見てみると、紅葉が不揃いだ。まだこれから紅葉するものやすでに紅葉したもの、紅葉が終わってしまったものなど、が混ざり合っている。1本の木でもそれらがやはり入り交じっている。夏の異常な暑さが長引いたためだろうか。いつものきれいな紅葉が見られない。笛吹峠を越えて遠野側に下って行くと、空を雲が覆っている。高原地帯は場合によっては雨かも知れない、と考えて、行き先を盛岡城跡公園に変更した。ネットで朝調べた時に、「見頃」となっていた。遠野を過ぎて大迫あたりまで来ると、青空が見えて、日も射して来た。やはり変更して良かった。しかし、盛岡に近づくにつれて再び空を雲が覆い始めて来た。盛岡城跡に着いてみると日が射していなかった。それでも見頃の紅葉を期待して歩いたが、ここでも期待を裏切られてしまった。むしろ、まだ紅葉には早いのだ。ここのすばらしいモミジ類が色付き始めたばかりで、緑の葉もたくさん見かける。しかし、銀杏や一部の楓は鮮やかな色を見せていた。一通り城跡内を歩いた後、まだ時間がありそうなので、釜石へ戻りながら仙人峠へ行って見ることにした。盛岡市郊外から紫波町、大迫町にかけてはリンゴ畑がたくさん見られ、リンゴもかなり赤くなって来ていた。紫波町は『銭形平次捕物控』を書いた野村胡堂の出身地で、旧制の盛岡中学校時代は、金田一京助と親しく、下級生には石川啄木がいた。遠野へ入って、仙人峠へ向かう道に逸れると、両伊勢神社の辺りから路面が濡れていた。早瀬川の上流の砂防ダムのところで一度車を止めた。ここは湖面から伸びた枯れ木のせいで、いつ見ても上高地の大正池を思わせる。仙人峠に近づくに連れて山稜近辺に霧が漂うようになって来た。古い長いトンネルを抜けると、峠の展望所に着く。やはり、仙人峠では赤が少ない。目の前の山の斜面でも上の方は霧が出ている。今日の行程で近辺の紅葉の様子はだいたい検討がついた。ここしばらくは休日は紅葉巡りになりそうだ。
笛吹峠に近い鵜住居川上流

笛吹峠付近で

笛吹峠を越えた遠野側で

盛岡城跡で

盛岡城跡の楓

早瀬川上流の砂防ダム

仙人峠展望所から


責任を問われない司法の番人たち

2012-10-30 19:18:21 | 社会
朝起きがけに西を眺めるとちょうど愛染山の山頂に日が射しかかっていた。まだ愛染山には雪がない。朝の気温は7度で外は上着を着なければ寒い。日は射していたが午前中は風も少しあり、昼前から雲が空を覆い、午後になって再び青空が広がった。出勤直後、製鉄所の火力発電所から立ち上る白い煙が流れるのを見ているとその後ろの山の頂近くで部分的だがとてもきれいな紅葉が目に入った。黄色と赤がおり混ざったところに日が射していた。昼休みに隣接する薬師公園へ行ってみると、公園の階段の近くで聞き慣れない小鳥の声が聞こえて来た。声のする方を見てみると、アカゲラに似て頭と頬が赤いアオゲラだった。コゲラはよく見かけるがアオゲラははじめてだった。 昨日、東京高等裁判所で、1997年に起きた東京電力女性社員殺害事件で無期懲役が確定し、今年6月に再審開始決定を受けたネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ氏(46歳)の再審控訴審第1回公判が開かれた。検察側からは謝罪の言葉はなかったが、マイナリ氏の無罪を主張した。判決は11月7日となるがほぼマイナリ氏の無罪は確定した。この事件では検察側の証拠開示の姿勢が問題であることや一審ですでにマイナリ氏が犯人とするには疑わしい根拠が示され、無罪となっていたにもかかわらず、上級裁判所はことごとくそれを無視して、最高裁判所は無期懲役の有罪判決を下した。法は社会の秩序を保つためにある。犯罪が行われれば、その犯罪を犯した人を裁くためにある。しかし、現在の日本ではその法を守るべき検察や裁判所そのものに問題がある。無実の者が逮捕され、刑を執行される。刑を執行されて、後になって無罪となってもその人の人生は元へ戻らない。さらに、その執行までに関わった検事や裁判官の責任は不問のままだ。責任が問われなければいい加減な捜査や審理に繋がるのは目に見えている。無実の人が有罪となる冤罪がいつまでも後を絶たない。こうした現在の日本の司法の在り方の中では基本的に死刑には反対である。冤罪のまま死刑が執行された可能性が強くなったのが、1992年に起きた飯塚事件で、2008年に死刑が執行されてしまった。この事件で有罪の根拠となったDNAのMCT118型判定法は1990年に起きた足利事件でも使われており、足利事件では再審請求で無罪となっている。無罪の根拠は新しいDNA判定法でMCT118型判定法とは異なる結果が出たからだ。当時のMCT118型判定法には信憑性に疑問が出たのだ。このMCT118型判定法によって有罪判決がなされた事件は8件ある。足利事件では被害者の家族が真犯人の体液が付着した下着の返還を求めているが検察は未だにそれに応じていない。明らかな警察や検察の誤りを示す証拠物件となるからだ。こうした警察や検察の姿勢があるために一層死刑制度に危惧を覚える。2009年に起きた障害者郵便制度悪用事件でも厚生労働省雇用均等・児童家庭局長であった村木厚子氏が冤罪となった。村木氏は当時省内でも人望が厚く、有能で、次官候補としても名前が上がっていた人だが、官僚には珍しく地方国立大学出身であった。この事件ではその後検察官による証拠改竄が明らかとなり、大阪検察特捜部の幹部3名が逮捕されている。飯塚事件では犯人とされた久間三千年氏はすでに死刑を執行されてしまったが、逮捕当初から氏は無罪を主張し続けていた。弁護団は現在もその無罪を示すために活動を続けており、去る25日被害者の遺体などから採取された血液のMCT118型判定法によるDNA型鑑定に使われたネガフィルムを解析した結果、久間元死刑囚とは異なるDNA型が見つかったと発表した。弁護団によればこのネガも検察により証拠として開示されていなかった。法を守るべき者の誤りが問われない現在の司法は今後も冤罪を作り出す温床となり続けるだろう。そうである限り、死刑制度は尚更あってはならないと考える。「人は過ちを犯す」、誰であっても。
アオゲラ 距離は2.5mくらいだった


天体表面の科学的調査

2012-10-29 19:16:27 | 社会
今朝も昨日からの雨が続いていたが、昼前から雨が上がり午後には青空も見えて来た。昨日は仙人峠マラソンが行われたようで最高齢は84歳だった。1000人を超える人が走っている。岩手日報の写真を見ると背景の山はもう紅葉して来ているようだ。先週金曜日の良く晴れた日に八幡平の紅葉を見に行かれた職場の方の話では、八幡平ではもう山頂付近は葉が散っていたそうだ。しかし、中腹は晴れていたこともあってすばらしい紅葉風景だったという。車から外へ出ると気温が低く、とても寒かったそうだ。晴れていなければもう夏タイヤでは無理だったろう、と言うことだ。 46億年前に地球が生まれて、その1億年後にちょうど地球の半分ぐらいの大きさの火星と同じくらいの天体が地球に衝突した。その時に月が生まれた。現在月の表側には直径が3,000Kmある盆地があるが、その盆地が38億年以上前に直径300Kmの小惑星が衝突したために出来た可能性があることが分かった。月の周回衛星「かぐや」に搭載されたスペクトルプロファイラ(SP)という光の波長分析装置によって明らかとなった。科学の進歩で天体に起きた物理的変化が解明されるようになった。しかし、そのためには精密な調査が必要で、地球上の物理的変化も事情は変わらない。今月23日原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理(東京大名誉教授、地震学)は原発の安全審査で考慮する活断層の判断基準を見直し、従来の「13万~12万年前以降に活動したもの」から「40万年までは同じと考えてよい」として、年代にはこだわらず古い年代まで遡って調査することを発表した。現在、国内で唯一稼働している関西電力大飯原発は、今年6月に敷地内に活断層が走っている可能性があることを東洋大学渡辺満久教授が指摘された。そのため当時の原子力安全・保安院は関西電力に対して再調査を指示した。一方、あらたに組織された原子力規制委員会も今月17日独自に来月2日に現地調査を実施することを決めた。この現地調査には活断層の可能性を指摘した渡辺教授も参加する。しかし、今日関西電力は早々と大飯原発には活断層は走っていない、という「中間報告」を報道陣に答えている。原発の建設は予定地についての電力会社側の調査しか行われておらず、電力会社が提出した調査結果を原子力安全・保安院が検討するという形で建設されて来た。保安院が直接調査すると言うことは原則的になかった。電力会社の調査だけを根拠に建設されて来た。その調査方法は基本的に超音波検査に頼っていた。しかし、活断層の研究を専門とする変形地質学の渡辺教授は以前からそうした超音波によって地表からのみ活断層を判定する方法自体を批判されていた。掘削により地層を直接調べなければ活断層の判定は出来ないとされる。今回、関西電力は試掘したり、ボーリング調査をしたりして破砕帯(断層)の活動時期や全長を調べたという。しかし、何よりも、活断層が疑われるのであれば、先ずは運転を止めて、調査を優先するのが本来のはずだ。法的には活断層が走るところには原発は建設できないのだ。それほど活断層の有無は建設の要件として重要視されている。大飯原発には15本の破砕帯、断層が走っている。特に渡辺教授が問題とされるのはその中でも最も長いF-6と呼ばれる断層で、3・4号炉用の非常用の取水路がこの断層を横断している。そのためF-6の断層が活断層だとなると少なくとも3・4号炉については運転は出来なくなる。同教授によればF-6断層(破砕帯)の掘削調査は可能であり、掘削後、断層が確認できれば、その観察は1日で終了する、と言う。来月2日に予定されている原子力規制委員会の調査がどこまで踏み込んだ調査になるのだろう。福島第一原発では東京電力や国が動かないと言って来た断層が昨年の震災の1ヶ月後に福島県で起きた地震で別の活断層とともに動いた。「安全性」をほんとうに考えるならば、調査を電力会社まかせにするのではなく、活断層については本来の活断層の専門家である変形地質学の研究者によって調査すべきだろう。地震学の専門家は活断層の専門家ではない。
終わりかけて来たコスモス

動植物の低温での機能休眠

2012-10-28 19:19:43 | 自然
今朝起きていつものように愛染山を見ると、山影を横切るように雲が流れていた。山頂はしっかり見えていたが、空全体を雲が覆っていた。午前中から雨が落ち始め、その後本格的に雨になった。今日は仙人峠マラソンの日だが、どうなっただろう。平地より高い位置ではもう少し雨の勢いが強いはずだ。近くの山に目をやると、この数日で色付きが進んで来ているようだ。晴れていれば、釜石側から仙人峠へ向かうのを避けて、鵜住居から笛吹峠を越えて、一旦遠野に入り、遠野から仙人峠へ向かおうかと考えていた。しかし、雨になったので今日は家に留まることにした。家の玄関先にある杏の木を見ると、先日からの強めの風のせいかほとんどの葉が散ってしまっている。近所の公園の桜の葉も雨でかなり下に落ちていた。樹木は低温と乾燥に弱く、気温が低くなる地域に育つ樹木は、葉を落とすことで冬場の低温期に休眠状態になってその時期をやり過ごす。環境への見事な適応だ。葉を落とすために葉への養分の供給を絶って行く。それが秋の紅葉として人の目を楽しませてくれる。ある意味で落葉樹に見られる葉の老化が紅葉と考えることもできるだろう。そう考えれば、老化も決して悪くはないように思えて来る。人間の勝手な考えではあるが。東北では落葉樹だけでなく、月の輪熊も冬場は冬眠に入る。熊にとって秋は冬眠に備えてブナやミズナラの実、ドングリを食べて栄養を蓄えておく時期でもある。それらの木々の実りは熊たちにとって極めて重要だ。今年のようにドングリの実りが悪いと、代わりの栄養を求めて、里近くまで下りて来ざるを得なくなる。昔は杉の植林などなかったため、ドングリが成る木々もたくさんあった。熊は山の中だけで十分冬に備えることが出来た。しかし、人が植林をするようになると、山のドングリは限られるようになり、そのドングリの実りが悪ければ、里へ下りなければならなくなった。熊は冬眠に入ると栄養の消費を最低限に保つため、体温を下げ、排泄機能なども止まってしまう。人は何ヶ月か動かない期間があると筋肉や骨が萎縮するようになるが、熊の場合はあまりそうした影響はないようだ。今年2月17日にスウェーデン北部ウーメオ近郊の林道で、雪に埋もれた車が見つかり、車内に2カ月間食料なしの状態で閉じ込められていた45歳の男性が救出されている。この男性は、閉じ込められている間、後部座席で寝袋に入り、雪を食べていたということだが、搬送先のウーメオ大学病院の医師らによると冬眠状態になったことが生存の要因ではないかと話している。「クマが冬眠するようなもの。人間でも可能だ。恐らく、彼の体温は31度前後になっており、そのおかげで体力の消耗が抑えられたのだろう」と言う。日本でも2006年10月31日に兵庫県の六甲山の山の中で35歳の男性が24日間仮死状態でいたところを発見されている。発見時直腸体温は22度だった。周辺部では排泄物も見られなかった。従来は30度以下の低体温や10日以上の絶食では生存できないと考えられていた。やはり、人間にもある条件下では低体温の冬眠が可能なようだ。いずれの例も治療後はまったく健康に異常なく日常に復帰出来ている。
近くの山の色付き

二人の「知の匠」

2012-10-27 19:21:17 | 文化
今日は雲が多く、気温も昨日より低くなった。風はないが少し寒い。ここのところまた連日地震が増えて来た。日本気象協会の地震情報を見ても全国的に一日の地震の数が増えて来ている。京都大学防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)をはじめ何人かの研究者は昨年の地震による余震は数十年は続くと言われている。今日は仕事で待機状態のため以前から読もうと考えていた古田武彦氏の『親鸞』と加藤周一氏の『親鸞ー一三世紀思想の一面ー』を読んだ。古田氏は九州王朝説や『東日流外三郡誌』をはじめとする和田家文書を江戸時代の秋田孝季らが書き残したものと考えられている古代史家として知られるが、ご本人は思想史がご専門だ。加藤周一氏はもともと医学研究者で広島に原爆が落とされた敗戦直後に日米「原子爆弾影響合同調査団」に血液学の専門家として参加されている。後に文芸、文明批評に転じて、欧米の大学で講義をされたりしている。古田氏は10代半ばで親鸞の語録集である『歎異抄』に出会ったことがその後の親鸞研究などの思想史への傾倒へのきっかけになっている。加藤氏は戦争体験が「日本人とは何者か」という問いかけをもたらしたように思える。古田氏にとっても同じように戦中に出会った親鸞という日本の歴史の中で特異な思想家に興味を惹かれたのではないかと思われる。我々日本人は欧米人と異なり、自然を生活の中に取り込んで来た。欧米では自然を人に合うように変形させて来た。庭園の造り方を見ればその違いは一目瞭然だ。日本では自然にあるがままの風景を庭に作り出し、欧米では区画した中に自然を配置する。水を使うにも獅子威しと噴水の違いがある。日本の太古では自然の中に神を見出していた。神は我々の生活の中にいた。欧米ももともとは自然や生活の中に神を見出していたが、原始キリスト教が現れると生活を含めた現実を超越したところに絶対者である神をおいた。古田氏が『神の運命』で言われているように、欧州における長く続いた魔女狩りはキリスト教以外に残っていた生活と密着した土着の神々を駆逐してしまった。唯一絶対の神の世界を築いた。日本では仏教が伝来しても以前からの自然や生活の中の神と融合し、現世利益の仏として迎えていた。源頼朝の源平合戦から鎌倉幕府成立以後平安時代からの貴族社会や民衆にとっては世の乱れた時期であり、いわゆる乱世であった。それまでの仏教、南都北嶺、奈良と比叡山は権力と同化し、民衆の救いとはなっていなかった。法然からはじまり親鸞が徹底させた「専修念仏」は現世の人びとを相対化し、絶対者としての阿弥陀仏を見出した。世の善も悪も、支配者も被支配者も、富者も貧者も等しくただひたすらに念仏を唱えることで彼岸に達することが出来るとした。まさに原始キリスト教が唱えた絶対者の存在が日本においてはじめて、そして唯一唱えられたのだ。しかし、親鸞没後の浄土真宗は次第に「現世」に歩み寄り、東西本願寺に見るようにすっかり親鸞の面影が消えてしまった。何故そうなってしまったのか。加藤氏は、一つは親鸞が関東の民衆という限られた地域でしか活動出来なかったことと、二つ目は「絶対者」を媒介として現実を相対化した後に、やはり「絶対者」を媒介として現実の人間関係をいかに築くかという作業が親鸞の中に欠落しているためだ、と捉えられておられる。欧米の現在のキリスト教もやはり「現世」に歩み寄ったものになってしまっているが、浄土真宗とは違って、少なくとも生活の中の一つの規範にはなっている。現在の日本社会の問題の一つはそうした社会における生活の規範、あるいは人間関係の規範が失われていることだろう。
ベコニア オーストラリアを除く熱帯や亜熱帯を原産地とする

知恵を手にした人類

2012-10-26 19:21:09 | 自然
午前中は風も比較的穏やかで、雲一つ見えない青空が広がった。遠くの空を白く輝いた飛行機が飛んでいるのがくっきりと見えた。職場の裏山のハゼの葉も赤くなって来た。小鳥たちのさえずりを聞きながら、周辺の山々と青い空を見ていると、それだけでほのぼのとした気分に浸ることが出来る。甲子川にもいよいよ鮭が上って来た。自分が生まれ育った川を覚えているというのはとても考えられないような能力だ。生き物は環境に適応しながら生き残って来た。その生命力もすばらしいものだ。人間だけが知恵があり過ぎて、動物であることを忘れる。今日付けの米国科学誌サイエンスに発表された記事では「ルーシー」の名で知られるアファール猿人の330万年前の子供の骨の化石から二足歩行だけでなく、木登りもして暮らしており、樹上でかなりの時間を過ごしていたことが明らかにされている。猿人は600万年前にアフリカに出現した。類人猿とは異なり、尻尾がない。手で道具を使うことを知っており、石器も利用している。猿人には6属があるが、アファール猿人はアウストラロピテクス・アファレンシスに属し、人類はこのアウストラロピテクス属(400万年-200万年前)に遺伝子的には近い。そして、アウストラロピテクスのさらに古い祖先に当たる猿人がアルディピテクス属(580万年-440万年前)で、現在は猿人のアルディピテクス属、アウストラロピテクス属と続いた後、ホモサピエンスである人類へと進化したと考えられている。猿人という名前の通り、人類とは違って、全身が猿のような体毛に覆われていた。1974年にエチオピアで最初に発見されたアファール猿人に付けられた名前が「ルーシー」だった。ビートルズの曲『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』に因んで付けられたらしい。発見されたエチオピアでは「ディンキネシュ」という現地語の名前も付けられている。「貴女は驚異的だ」という意味のようだ。遺伝子解析の科学の進歩でこうして地球上の太古の歴史が次第に明らかになって来ている。遺伝子の研究は、しかし、様々な分野で応用されており、農産物でも害虫に強いものが遺伝子組み換えで作り出されている。先般ノーベル賞を受賞するきっかけとなったiPS細胞(人工多能性幹細胞)では、京都大学の中辻憲夫教授(幹細胞生物学)らのチームが従来の方法より低コストで効率良く、安全な心筋細胞を作る方法を開発したことが今日の共同通信で報じられている。再生医療や薬の副作用の研究などに応用出来ると言う。18世紀の産業革命とともに人類の科学は短期間にめざましく進歩して来た。生物はそれまでは気の遠くなるような長い時間をかけて地球上の環境変化に適応して来た。しかし、人類が手にした科学はそうしたそれまでの生物の環境適応スピードをはるかに上回る速さで環境そのものを変えてしまった。遺伝子操作の科学や核分裂の科学の進展のスピードを果たして人類は、真にコントロールし得るのだろうか。生物はそれらによって変化させられた環境に果たして適応して行けるのだろうか。人類が持つ知恵がそれらを解決出来ることを信じたい。
Leica(ライカ)が描いた狛犬

北東北の特異な墳墓

2012-10-25 19:18:34 | 歴史
昨日より気温が3度ほど高くなったので、風が少し出ていても、昼休みに職場の周辺を歩くと気持ちが良かった。薬師公園のある小山もよく見ると少しづつ色付き始めて来た。被災した市街地では建物の取り壊しと、新しい建物の建築と入り交じって行われている。コンクリートの土台だけが残されたところではむき出された土の上で黄色く変化して来た猫じゃらしが風に揺られていた。 23日の福井新聞に敦賀市で公開された7世紀の古墳時代終末期に造られた「横穴墓」の記事が出ていた。通常の横穴墓は字の通り、山肌に横方向へ穴を空けて、その奥に遺体を納める玄室が造られる。縦方向に先ず穴を空けて行き、その先で穴の方向が横方向に変えられる方式が地下式坑と呼ばれているが、今回公開された横穴墓は単純な横穴墓ではない。地下式坑のように、最初に縦に穴が空けられ、その後横に穴の方向が変わっている。しかし、地下式坑ではドーム状の玄室が見られないのに対して、ここでは玄室が造られている。全国的にこうした横穴墓と地下式坑の折衷されたものは珍しい。横穴墓は5世紀後半から8世紀初めまで造られており、地下式坑は15~16世紀に造られている。横穴墓はほとんどが周辺に何十基かまとめて発見される。敦賀市の公開された横穴墓でも周辺に40基ほどの横穴墓がすでに発掘されている。3世紀から7世紀頃にかけて造られたいわゆる前方後円墳は近畿に巨大なものが存在する。横穴墓の分布を見ると、南東北から九州にかけて広く分布しているが、近畿は逆に少ない。東北や関東、九州などには装飾された横穴墓が多く見出されている。前方後円墳と横穴墓の分布からそれらが造られた時代は明らかに中心地が別々であったと思われる。まして北東北には横穴墓すら見られない。岩手県で唯一発掘されている奥州市胆沢区にある角塚古墳が最北端の前方後円墳だ。5世紀末から6世紀初めに造られたと考えられている。北東北3県と宮城県の一部では7世紀初頭頃から9世紀にかけて小規模な円形墳墓が造られる。それ以前はこの地域では平面形態が楕円形で墳丘と呼べるような高さのない墓が造られており、墓を区画する施設もない。7世紀初頭頃からの円形墳墓と異なり、墓の形態と規模から屈葬と考えられている。北東北で造られて来た墳墓は7世紀以前の楕円形の墓も7世紀から9世紀まで続いた円形墳墓もともに南東北以南で造られた墳墓と大きく異なっているのが、墳墓の規模や副葬品による差がないと言うことだ。このことは単純に豊かさだけでは論じられない。副葬品からはこの地域が大陸や九州などとも活発に交流があったことがうかがえる。しかし、埋葬者の階級差が少なくとも他の地域のように墳墓には意味付けられていなかった。地域の社会の構造が他地域とは明らかに異なっていたと考えられる。さらに和田家文書に記述されている荒覇吐王国における平等性を考慮すれば、北東北の墳墓はまさにその平等性を示していると見ることが出来るだろう。東北大学埋蔵文化財調査研究センターの藤沢敦特任准教授はこうした北東北で見られる墳墓形態を含めて旧来の考古学が地域の遺跡を対象とする時、「所与の前提として、「日本」あるいは「日本史」という枠組みが設定され、その枠組みの中での変化を追求するという側面が極めて強かった」として、「日本考古学が所与の前提としてきた、このような枠組みを、批判的に捉え直すことが必要なのだ。」とされる。研究者の中にもこうした視点を持つ人がいることをあらためて知った。こうした研究者が東北の歴史の真実を見出して行ってくれればと期待したい。
色付き始めたモミジ

海外報道機関による原発関連報道

2012-10-24 19:16:02 | 社会
今日も晴れてはいるが風が続いていて、最高気温も15度までしか上がらなかった。空を流れる白雲も流れが速い。家の近所の仮設住宅のある公園の桜の葉が数日でずいぶん色を変えた。28日の日曜日には毎年恒例の仙人峠マラソンが行われるが、その頃には仙人峠の紅葉も見られるかも知れない。一昨年は職場の同僚の方も出場されて、完走されたが、その後、足を骨折されたので、それからは出場を止められた。70代後半の高齢者も参加されて、完走しているようだ。仙人峠は標高が887mあり、かっては釜石から遠野へ抜ける難所だった。今も曲がりくねった旧道を冬場に車で通るのは大変だ。バイパス役の自動車道が出来たので助かっているが、仙人峠マラソンはその旧道を走って仙人峠へ向かうのだ。 今日の埼玉新聞によれば秩父市浦山で21日に捕獲された鹿の肉から基準値100ベクレル/Kgをはるかに超えた820ベクレルもの放射性セシウムが検出された。埼玉県の自然環境課によれば「文部科学省の航空機モニタリング調査では、捕獲された場所の周辺は比較的放射線の沈着量が高い場所。落ち葉などを継続的に捕食したことで、体内にセシウムが蓄積されて高濃度になったのではないか」と言うことだ。8月には岩手県の陸前高田市でも鹿の肉から584ベクレルのセシウムが検出されている。福島県では須賀川市の農家が出荷した米からやはり基準値を超えたセシウムが検出されていることが今日報じられている。フランスのAFP通信は昨日、東京都内で会見した国際環境保護団体グリーンピースの放射線専門家、リアナ・トゥール(Rianne Teule)氏の記事を載せている。グリーンピースは10月16日~19日に福島市内と飯舘村で放射線調査を実施した。その結果、福島市の一部の公園や学校では放射線量が毎時3μSvを超えている場所があった。政府による被曝線量の上限は毎時0.23μSvだ。氏によると「政府のモニタリングポストの設置場所は当局が除染している。しかしモニタリングポストから数歩離れた場所をわれわれが測定したところ、放射線量が大幅に上昇した」、「除染作業は大幅に遅れており、グリーンピースがこれまで何度も特定してきたホットスポットも依然として残っていた」、「特に遊具周辺にホットスポットが多くあり、放射線リスクに最もぜい弱な子どもたちが放射線にさらされている点を憂慮している」と述べている。相変わらず、政府は放射線の実態を姑息なやり方で隠蔽し続けているようだ。どこの国も政府というものは「不都合な真実」は覆い隠す。問題はむしろ日本のメディアにある。メディアが「真実」を探り出す努力をしない。福島第一原発事故直後も実態を真っ先に伝えたのは米国のニューヨークタイムズだった。日本のメディアはその後やっと腰を上げて、とりあえずの報道を繕っただけだ。22日のロイター通信は米国電力大手ドミニオン・リソーシズが来年、米国ウィスコンシン州にあるキウォーニー原子力発電所を閉鎖することを伝えている。米国ではシェールガスの生産が急増し、シェールガスの価格が下落した。そのため石炭火力発電所の閉鎖に続き、原子力業界にも影響が出始めたようだ。同社のトーマス・ファレル社長兼最高経営責任者(CEO)は22日、廃炉決定について「純粋に経済性に基づくもの」と説明している。記事では「米国では、安価な国内ガスの生産が急増して原発新設計画が中止されていたほか、東日本大震災に伴う福島原子力発電所の事故を受けた安全性への懸念で原子力への国民の期待がそがれた。」と書かれている。神奈川県では県立学校の大半の160校で今月から使用している電力を東京電力から特定規模電気事業者(PPS)のエネットに切り替えた。年間で八千万円安くなる。発電と送電の分離がなされれば、さらに電気料金は下がるだろう。
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近所の孔雀草


人と環境

2012-10-23 19:15:28 | 社会
今日はまた午前中は風が強いだけでなく、雨まで伴っていた。朝起きると必ず愛染山が見えるかどうか、を確認する。釜石の西にあたる愛染山が雲に隠れていると、たいていはその日のうちに雨が降る。冬ならば雪が降ったりもする。職場の裏山では午後になって風はまだあったが雨が小降りになった頃に、今日もカラ類がやって来て、さえずりを聞かせてくれた。内陸の白鳥の飛来地として知られる北上市の相去町の新堤や盛岡市の高松池ではもう白鳥が来ている。北上市では今月はじめにやって来たようだ。釜石で白鳥を見るのはまだ先になる。 ここのところ沖縄県のニュースが目に付く。一つは米国海軍兵による日本人女性の暴行事件で、もう一つは沖縄で行われた第52回ミス・インターナショナル世界大会で日本人がはじめてミス・インターナショナルに選ばれたことだ。沖縄での米軍兵による犯罪はこれまでも何度も起きている。その背景には明らかにすでに指摘されて来ている日米地位協定の問題がある。沖縄に駐留する米軍兵には日本の法律の網を潜る抜け道が許されており、沖縄に限らず、米軍兵による犯罪については日本の捜査権限が限定されている。この点は今年改正をなし得た韓国と比べても日本は立ち後れている。韓国ではすべての米軍兵による犯罪に対して、韓国側の捜査権を保有するようになった。戦中から戦後にかけて沖縄は多くの犠牲を払って来た。その犠牲は今も是正されていない。森本敏防衛相は繰り返しこの事件を「事故」と表現しており、「オスプレイ事故」と同じ認識に立っているようだ。こうした政府首脳の認識自体がいつまでも沖縄で同じような米軍兵による犯罪を許す結果となっている。恐らく、東京で同じような犯罪が行われていればメディアももっと頻繁にこの犯罪を取り上げていただろう。沖縄にはすばらしい浜辺と珊瑚礁があるようだが、それらを楽しむために出かける気にはなれないところがある。ミス・コンテストについては男性の視点からのものだとして、反発する向きもあるが、そのへんのことはひとまずおいて、これまで、日本人の体型では世界的なミス・コンテストの受賞は日本人には困難だと言われて来ていた。今回の受賞はそうした常識を覆した。これまでの受賞者はほとんど身長が180cm前後の人ばかりであったが、今回の日本人の受賞者は171cmだと言う。身長だけではまだまだ日本人は世界に及ばないので、日本人受賞者はスピーチに力点を置いたそうだ。戦後、日本人の身長は伸び続けて来た。男女30歳の身長はそれぞれ、戦後は160cmと149cmから出発し、近年では171cmと158cmまで約10cmほど伸びている。ついでにさらに過去の身長を見てみると、縄文中期以前と江戸から明治を除くと意外にも日本人の身長は思ったほどは低くない。縄文後期から平安時代までは男性は160cm以上あったようだ。仏教の影響が強く出始めた鎌倉時代から動物性蛋白質の摂取量が減少して来たために身長が減って来た。江戸時代から明治にかけては155cmほどになってしまっている。要するに、体型は食物を含めた環境で変わって来ると言うことだ。環境と言えば、福島第一原発事故以来、釜石の放射線量も常時測定されているが、事故後はずっと事故以前に比べて2倍以上の放射線量が続いている。雨や風では容易に取り去られることはないようだ。長期的には人を含めた動植物への影響は避けられないだろう。昨日ニューヨークの国連総会第1委員会(軍縮)では国連加盟30カ国以上によって、各国に核兵器の非合法化に向けた努力を求めた共同声明が発表されたが、日本はそれに加わっていない。米軍の核の日本への持ち込みを容認しており、原発の核兵器への転用の道を残しておきたい政府の思惑から考えれば、不参加は容易に想定出来るが。しかし、それだけに国民としてはこれからも核による被害は覚悟しておかなければならないだろう。新しく出来た原子力規制委員会の試算ですら、東京電力福島第1原発と同様の事故が起きた場合、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)や関西電力大飯原発(福井県)など4原発では、半径30Kmを超える地点でも事故後1週間の積算被曝線量が100mSvに達する、と発表されている。事故前は「年間」1mSvが一般人の被曝基準となっていた。
支柱に止まって休むトンボ



情報コミュニケーション技術「発展途上国」、日本

2012-10-22 19:14:38 | 社会
ようやく風が落ち着いて、今日は穏やかな秋日和の日になった。職場の裏山にはシジュウカラやヤマガラがやって来ていた。強い風が収まったので、小鳥たちもあちこち飛び交っているのだろう。岩手県には竜巻警報も出ていたようだ。昨日は風が強くて外へ出る気がしなかったが、街では釜石まつりが催されていた。強い風の吹く中で、花巻からの鹿踊や鬼剣舞も舞われたようだ。八戸市からも釜石とはまた趣を異にした虎舞に参加いただいたようだ。 しばらく前から報道されていたコンピュータの遠隔操作による犯罪予告の件が気になっていた。最初は今年6月29日に横浜市の小学校へ襲撃予告があった。その後も大阪市や首相官邸、日本航空、伊勢神宮、任天堂など合わせて13件の犯罪予告がパソコンを通してなされた。警察は吹田市、津市、福岡市、杉並区の各男性を犯人としてそれぞれ逮捕した。中には否認していたが執拗な追及に精神的に耐えられず、罪を認めた男性もいた。結局はすべて誤認逮捕であったことが判明する。コンピューターウィルスを使った遠隔操作によるものであったことが分かったのだ。警察はIPアドレスというネット上で個別のパソコンの、言ってみれば、住所にあたるものを単純に調べただけで逮捕に踏み切った。それぞれの男性が所有していたパソコンそのものを十分調べなかった。パソコンを調べれば、簡単に侵入していたウィルスが発見されていただろう。ウィルスを他人のパソコンに感染させて、真犯人が遠隔操作した犯罪であった。ウィルスを作ったソフトも知識があれば比較的簡単に入手出来るソフトであった。今日の時事通信によれば犯行声明とみられるメールがヨーロッパなど複数の国の中継サーバーを経由しているため、警視庁や大阪府警などの合同捜査本部は捜査員をそれらの国に派遣すると言う。「筑波大学発ベンチャー企業」ソフトイーサは今日から「パケット警察 for Windows」というソフトの無料配布を開始した。パソコンの通信記録やソフトウェアの起動記録を見張り、自動的にハードディスク上に蓄積することで、ウイルスの起動記録や犯人の通信記録がすべてログに残る仕掛けになっている。冤罪に巻き込まれないためにはWindowsパソコンを使っている人は利用しておくといいかも知れない。米国であれば警察は今回のような失敗はしなかっただろう。警察に限らず、日本ではコンピューターのセキュリティに対して非常に甘く、企業や公的機関が個人情報を漏洩させる事件が後を絶たない。米国は世界中からコンピューターに侵入するハッカーの脅威に晒されている。そのためもあって、セキュリティに関してはノウハウもかなり蓄積している。日本では公的機関や企業がそうしたセキュリティを強化するためには投資が必要になる。しかし、その権限を持つトップがコンピューターへの理解を持っていないことがほとんどだ。2009年度のOECD生徒の学習到達度調査によれば15歳の生徒のコンピュータや情報通信ネットワークなどを使った情報コミュニケーション技術は、日本は先進国の中でも極めて低い。韓国などは欧米の水準に達している。コンピュータスキルについても世界45カ国中最低となっている。44位のタイと比べても水を空けられている。上位ではヨーロッパ、特に意外なのは東欧圏が頑張っている。情報コミュニケーション技術とコンピュータスキルは相関しており、現在の若者のコンピューターをめぐる環境を考えれば、この分野での日本の将来はあまり明るいとは言えないだろう。世界的に日本が立ち後れているが、その傾向はさらに強まって行く可能性が高い。韓国は人口4,800万人で日本の半分以下だが、若者のコンピュータ利用は日本より高く、英語を話す能力も日本より高い。一般的な学力も相当の高さを維持している。ただ韓国の場合は創造性に課題はあるようだが。その点では日本も実質的に大差はないだろうと思う。もっとも、韓国も社会の現役世代はまだまだコンピュータセキュリティへの理解は低いようで、38人もの議員事務所へのハッキングにより、韓国国会の軍事や外交機密情報が流出していたことを今日の産經新聞が伝えている。

近所の家の門口に咲いていた季節外れのツツジ