釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

東北の枝垂れ桜

2009-03-31 07:02:59 | 自然
四国ではほとんどの桜が染井吉野で関東以西で江戸彼岸桜に属する枝垂れ桜が比較的多く見られるのは京都位ではないだろうか。北海道は山桜が多かった。岩手に来てから驚いたのは東北には枝垂れ桜が非常に多いことだ。日本三大桜と言うのがある。最古の桜とされるのが樹齢1800年の山梨県武川村の山高神代桜で、次いで継体天皇(507~531年)の手植えとされる樹齢1500年の岐阜県本巣市の根尾谷淡墨桜になる。いずれも品種的には江戸彼岸桜である。三番目は樹齢1000年を超す福島県三春町の三春滝桜だ。唯一の枝垂れ桜なのだ。しかもこの三春町には他にも樹齢数百年になる枝垂れ桜が何か所かにある。日本の桜の原種の一つが江戸彼岸桜だが、枝垂れ桜や紅枝垂れ桜はその突然変異から生まれたもので江戸彼岸桜の亜種に属するそうだ。長野県にも枝垂れ桜は比較的多いそうで、長野県、東北に枝垂れ桜が多いというのも何か古の歴史的な背景が伺えるような気がする。秋田県の角館の武家屋敷の通りには圧倒的に枝垂れ桜が見られることから最初は江戸時代から東北に広がったものかと単純に考えていたがどうもそれよりはるか以前から枝垂れ桜が東北で見られたもののようだ。角館の枝垂れ桜はしかし京都に起源があるという。このあたりは歴史的に明確なものがないので今ひとつ定かではない。ともかく岩手でこれまで訪れた寺社の半数以上は間違いなく枝垂れ桜が植えられており、農家をはじめ通常の民家でも関東以西に比べずっと多くの枝垂れ桜が見られる。以前いた愛知県などではほんとうに特定の場所でしか枝垂れ桜を見ることができなかった。それだけ京都の枝垂れ桜の印象が強かったものだが、岩手に来てみるとあちこちで枝垂を見られることに驚いたものだった。染井吉野の並木の美しさも好きだが紅枝垂の青空に映える姿も何とも言えないものだ。


蕾がのぞく吉里吉里の吉祥寺の枝垂れ桜

住田の梅はまだ咲き始めだった

2009-03-30 06:56:09 | 文化
昨日は家人が匠の方の奥さんと大槌へ藍染めの展示会へ行くと言うので運転手をして二人を送り、吉里吉里の吉祥寺へ向かった。吉祥寺門前には白梅が花開いていたが境内には梅の木が植えられていなかった。椿の花を見て見事な百日紅と枝垂れ桜を後の楽しみとした。三人で昼は山田町の釜揚げうどんを食べに出かけた。残念ながら四国の本場のうどんを食べて育った舌には麺が落第点だった。特に釜揚げとなると麺が絶対なのだが、この麺は手打ちだというだけで麺に味がない。最後まで食べきることができなかった。たぶん釜揚げは二度とここでは食べないだろう。家人が食べたモツ煮込みカレーは美味しかったようだ。山田を出た後は釜石経由で釜石自動車道へ入り、滝観洞ICで降りて住田町へ向かう。浄福寺の大きい銀杏の並木を潜り、車を止めて掘り割りのある石段を上る。満作はもうピークを過ぎて来ていたが山茱萸 (さんしゅゆ)はこれからという感じだった。白梅もせいぜい2分咲きといったところか。次に満蔵寺へ向かう。こちらの白梅も5分咲きといったところだった。気仙大工の作になる山門はいつ見ても感心させられる立派な彫刻が施されている。帰路にめがね橋で白石の河原へ降りると周囲の葉の落ちた木々で夏場より広さを感じた。水量が少ないためか糸状の滝に勢いがなかった。ここもしかしいつ来てもすばらしい場所だ。匠の方の奥さんをお送りし、一端家に帰った後、また匠の方のところへおじゃまして夜遅くまで貴重な話を聞かせていただいた。巨匠はおられなかったが味の匠の方御夫婦と若手の匠の方など7人で現代の教育事情が語られた。釜石のように小さな市であっても三大都市あたりともう教育環境が変わらないことに驚かされた。今の子供たちの未来が危惧されてならない。



満蔵寺山門の梅

岩手の三陸南部で

2009-03-29 08:34:34 | 自然
昨日は大船渡と陸前高田の梅を見に出かけたがまたまた空振りだった。いずれも海岸から離れた山間にあるためか開花が市街地よりも遅い。大船渡では一時的だが雪まで降って来て、視界が悪くなったりした。やはり岩手の春は一筋縄ではやって来ないようだ。陸前高田では普門寺の境内で大陸へ帰る前の真鶸(まひわ)が群れをなして餌を啄んでいた。雄は頭の上が黒っぽい。カワラヒワの方は留鳥でスズメと同じ位よく見かけるがマヒワは越冬のために日本へやって来た時にしか見られない。釜石近辺で気付いたがやはり小鳥はやや山間に入ったところの方が多く見られる。都会地だと都市公園に小鳥が集まって来てくれるのでかえって楽なのだが。しかし群れでいるマヒワはスズメと変わらなく見える。よく見るとスズメと違って全体に薄緑色をしているがぱっと見ただけだと黒い筋模様がスズメのように見えてしまう。毎年この3月は渡り鳥たちの移動の季節で大抵は群れをなしている。先日家の庭に舞い込んだキレンジャクのように単体でいるのは珍しい。普門寺の前には林檎畑があってその周囲に白梅が植えられている。こちらの木はちょうど7分咲きで青空に映えて花自体が非常にきれいだった。花はやはり満開時より7~8分位の時の方が勢いがあって新鮮な気がする。高田松原にある道の駅へよって家人お気に入りの店で海鮮ちらしやジャコ天を食べた。ここへ寄るといつも必ずジャコ天を頼む。郷里の愛媛のジャコ天の方が好きなのだがそれでも食べられだけうれしい。隣の産直で買い物をした後釜石へ引き返したが自動車道が陸前高田まで伸びていたことを忘れて旧道に入ってから気が付いた。往きにはちゃんと通っている道なのだが。


真鶸(まひわ)の群れ


真鶸(まひわ)の雌

遺跡発掘が制限されることに納得がいかない

2009-03-28 08:35:25 | 歴史
全国の遺跡の発掘により次々に縄文や弥生、古墳時代の新しい姿が描き出されて来ている。縄文時代は狩猟生活と移動生活が基本だと考えられていたがむしろ定着した集落で生活が営まれ、集団をまとめるリーダーの存在も明らかになり、奴隷と考えられる身分もあったと考えられるようになっている。集落も考えられていた以上の規模であったことが分かって来た。弥生時代も文字が使われていた可能性が出て来ており、権力基盤もかなりの規模で確率されていたようだ。ただ権力者とともに巫女の存在もあって宗教の利用がはじまっていた。しかし、考古学が発掘された事実を事実としてすでに歴史的に確立されたものと照らし合わせて新たな歴史的解釈に至ることを拒否しているように思える。邪馬台国など遺跡の状態を考えれば近畿説などとても考えられないにもかかわらず未だに学会では定まっていない。北部九州から出土される遺物を正視しようとしないからだ。中国の歴史書に書かれていることを素直に認めない。そして何より納得できないのは天皇陵の発掘が認められないことだ。考古学者による科学的な検証もなく日本の歴史にとってもっとも重要な古墳の解明が拒まれていることだ。神武天皇陵と称されている古墳などその歴史的経緯をみれば科学的根拠等全く無視して時代を追うごとにどんどん肥大化して来ている。江戸期に出された三案の一つがただ一人歩きしただけである。人文・社会科学である歴史学や考古学が科学である限りはその検証を持たなければ科学ではなく単なる歴史思想にすぎない。全国で遺跡発掘が科学の名で行われるのであれば日本の歴史の重要な事実を知るためにも是非天皇陵も発掘が許可されるべきだろう。


春黄金花(はるこがねばな)とも呼ばれる山茱萸 (さんしゅゆ)の花

岩手の空

2009-03-27 06:49:52 | 文化
今週に入りどうやら冬に逆戻りしたようで気温が下がり寒い毎日になった。昨日も晴れにはなったが風も強く冷たかった。職場の方の話ではこの時期の釜石は例年こうした強い風が吹くそうだ。空を流れる雲も流れが速い。職場の周囲の山を見ていると一部の高さの木々だけが激しく揺れていて奇妙な感じを受けた。それでも雲の切れた空は真っ青でその青空を見上げていると吸い込まれるような気分になる。寒くはあったがせっかく晴れたので職場の昼休みに職場近辺の花を見に出かけた。釜石もよく見ると個人の家で沢山の花を植えている。先ず見つけたのがいつもよく花を見るお年寄りの方の家で梅と三つ又の花だ。この方の庭には白と赤みのある二種類の梅が咲いている。梅の木の奥に黄色の三つ又が咲いている。少し離れたところへ移るとやはり梅が8分咲きで咲いており梅としては新鮮な花弁がついてちょうどいい見頃になっていた。家が建ち並ぶ裏通りへ入ると独特のいい香りが漂って来てすぐに沈丁花と分かった。近づくと赤い方の沈丁花だった。結構強烈な香りなので人によっては嫌いな人もいるかも知れない。狭い裏通りを職場に引き返しながらふと空を見上げた瞬間、何を思ったか急にこの空をミサイルが飛ぶかも知れないのだ、と言うことを思い出した。4月4~8日に北朝鮮が長距離弾道ミサイルを人工衛星の名目で発射するという。海上自衛隊は海上配備型迎撃ミサイル搭載のイージス艦2隻を日本海に、航空自衛隊はPAC3と呼ばれる地上配備型迎撃ミサイルを秋田県と岩手県に配備するらしい。故障したミサイルの部品やロケットブースターなどが日本領土・領海に落ちるおそれもあるためだそうだ。迎撃したミサイル自体の破片は大丈夫なのだろうか、と穿って考えてしまったりした。


八重の梅


黄色の三つ又

北へ帰る白鳥の休息

2009-03-26 07:11:30 | 寺社
昨日は午後から早春の雪になり、夕方には一面が真っ白になった。家人と遠野の白鳥に会いに出かけた。職場の方から先日はまだ白鳥がいたという話を聞いていた。早瀬川と猿ヶ石川の合流点に砂州がありその付近でいつも白鳥を見かける。9羽の白鳥が北帰行を前にゆっくりと川水の中を移動していた。近くにはマガモとオナガガモのそれぞれ番いがいた。白鳥の1羽の首には明らかに何かで首を締め付けられたような痕がついていた。無事にそれがはずれたようで特に体に不具合が残る様子もなかった。外気はおそらく-2~3度と思われしばらくいると身体が冷えて来た。遠野の市街地の中には南部藩時代の名残を思わせる町並みが残っておりそれをゆっくり眺めながら次の目的地へ向かった。樹齢が何百年にもなる桜の巨木が残されている賀茂神社にほどなく到着し神社前に書かれた賀茂神社の由来を読んだ。12~13世紀の創建らしいが昔は鬱蒼とした杜が広がり神社内には京都の上賀茂神社にならった競馬も行われた馬場があったという。現在は神社として荒廃気味でちょっと寂しさを感じる。ただ桜の巨木には圧倒されるばかりでこの桜がかっての由緒を唯一示していた。それとその桜の巨木のそばに小さな祠と石碑があり、石碑には水神と大書されていた。賀茂神社の祭神は上賀茂神社など全国の賀茂神社同様別雷神(わけいかづちのかみ)で山城国風土記にみる賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀ったもののようだ。雷は「神鳴り」のことを指すそうで治水神だという。古事記にも山城国風土記の賀茂別雷命の説話と同様のものがあるそうだが例によってというか登場する人物名が違っている。記紀には各地の伝承説話を拝借したものが使われている可能性が強いようだ。


川水の中で憩う白鳥たち


桜の巨木と祠と水神と刻された石碑

ゆっくりと浸透しはじめた経済危機

2009-03-25 08:45:03 | 経済
米国では政府がAIGなどの金融機関に巨額の資金融資をしているにもかかわらず金融危機がさらに悪化し、失業者も増え続けかっての世界恐慌を上回る状態になってきており、米国政府は連邦銀行にドルを増刷させた上で国債を買い取らせて財政のやりくりをしているが州レベルでは増税の動きも出てきている。一方日本では2008年12月の失業者は270万人で、本年に入っても増え続けている。企業の倒産件数も2009年2月は1131件で9カ月連続前年同月比の増加をみている。負債総額は1兆1978億500万円となり前月比38.6%増となっている。大手メーカーの減産により製造、卸売業の倒産が大幅に増加している。中小・零細企業では特に現在も資金繰り難が続いており、今後も倒産件数、負債総額は増え続けるだろう。昨日の共同通信によると自動車主要8社の本年2月の国内自動車生産台数はトヨタ、日産、三菱、マツダが6割を超える減産となっており、三菱などは76.8%もの減産である。これは企業にとって凄まじい数字だ。正社員の採用予定もわずか11.2%であり、雇用環境の悪化は避けられないだろう。2003年4月の失業者が385万人いたことを考えると今回の経済危機では明らかにいずれこの数字を上回って行くだろう。減産、雇用削減、消費減退の下向きの螺旋サイクルに入って来ているようだ。信頼を損なう検察の動きに政治は麻痺しており、とても経済対策を腰を据えて立てられる状況ではない。政治が余程大きく変革されない限り日本のこれからの本格的な経済危機は乗り越えることが困難だろう。政治の質の低下が官僚行政の質の低下とセットになっているのだろう。官僚も地に落ちてしまっている。


道ばたに一輪だけ咲いていたタンポポ

野鳥写真を撮るための新たな機材

2009-03-24 06:51:30 | 文化
釜石へやって来るまでは結構野鳥の観察に出かけていた。インターネットでの野鳥情報もあり、比較的早く情報が伝わり、野鳥の見られるところでは多くの人が集まって来ることが多かった。しかし釜石では身近なところで野鳥が見られはするが都市型の公園のようなものがなくかえって野鳥が分散しているため観察の効率は良くない。野鳥の情報も以前のようにインターネットでは得られない。野鳥の分布地の情報が入って来ない。今のところ自分の目で直接確かめる意外はない。それでどうしても以前程は観察できていない。しかし今年は自然公園のようなところを幾つか当たってみようと考えている。野鳥の写真撮影用にも新しい装置を導入しようとしている。これまでは望遠レンズにテレコンという倍率を上げるパーツを利用した撮り方か、デジタルスコーピングというまさに望遠鏡にコンパクトデジカメを接続したもので撮っていたが、野鳥写真の愛好者の間で最近天体望遠鏡に一眼デジタルカメラを接続する方法が注目されるようになってきているので、これを計画している。想像以上に解像度が高く、非常に鮮明な鳥の写真が撮れているようなのだ。ただ利用されている天体望遠鏡のメーカーが一気に注文が殺到したため生産が追いつかなくなっており、夏まで注文できなくなってしまった。代替えの天体望遠鏡を検討しているが天体望遠鏡とカメラの接続部品がメーカー毎の規格があるため簡単ではない。これをどう解決するか考えることも一つの楽しみになって来ている。岩手の豊富な野鳥を是非写真に収めて行きたい。


クロッカス あやめ科の花で花サフランとも呼ばれる

岩手を味合う

2009-03-23 06:57:32 | 文化
昨日は家人が友人達と遠野へ縄文土器を作りに出かけるというので一人で大船渡へ花を見に出かけた。釜石はもう概ね梅が咲き誇る状態になっていて大船渡までの45号線の沿線も梅が咲いていた。目的の場所はまだ梅が桃色の蕾状態で大船渡は釜石より暖かいはずなのにちょっと遅い。しかし考えてみると同じ梅でも木が大きい程少し遅くなるのかも知れない。ついでに住田町まで足を伸ばしたが住田も梅は1分咲き程度でまだ早い感じだった。ひばりがさえずりのどかな田園風景に一時を過ごして来た道を引き返すことにした。平田の名物のラーメン屋さんへ午後の1時過ぎに着いたが残念ながらラーメンがちょうど売り切れたばかりだった。さすがに名物だけある。仕方がないので釜石市街地の巨匠に教わったチャーハンの美味しい店へ行ってみたがここも休みで結局あきらめて近くの尾崎神社の梅を見に行った。はじめて気付いたが尾崎神社には巨石の祠があり、道祖神と稲荷が祀られている。この巨石も縄文の臭いを感じた。ここの梅も1本は咲いていたがほとんどは1~2分程度。神社から帰りの坂の途中に鳥谷坂と言う昔の浜街道の坂の入り口と書かれた標識が建っているのに気付く。昔の浜街道も細い山道だったことを伺わせる。夕方には匠の方のお招きで家人ともども岩手ではシュウリ貝と呼ばれるムール貝の天然物を使ったスープのラーメンをいただいた。手造りの岩海苔も入りまるで海そのものを味合うものだった。職場の匠の方に以前御馳走になったラーメン同様スープが非常に美味しかった。他の匠の方が持って来てくれた鹿肉を使ったスープもいただきこれもとても鹿肉とは思えない美味なスープを味合わせていただいた。作るのに結構時間がかかると言うお話だったがそれだけの価値のある味合いだった。昨日も花と人の話と食べ物と岩手をたっぷり満喫させていただいた一日だった。


住田で見かけた満作(黄色)


住田の別のところで見かけた満作(橙色)

パーソナルコンピュータについて

2009-03-22 08:04:23 | 文化
個人が現在使っているパソコン、パーソナルコンピュータが普及する前は大型の汎用コンピュータしかなく、扱いもコマンドと言う一種の記号化された命令をキーボードから入力するしかなかった。パソコンの初期も同様でコマンド入力が必要だった。しかしアップル社がマッキントッシュというパソコンを作ってコマンドの代わりにアイコンと呼ばれる視覚的なマークとマウスを使った現在のパソコンの基礎を築いた。ウィンドウズ95はこれを真似て作られた。現在はウィンドウズもマッキントシュも見かけ上は変わらなくなったがパソコン作りの基本的な姿勢はやはりまったく異なっている。一般的にはウィンドウズは個人の好きなようにパソコンを扱わせるというより、ある決まったやり方に個人を従わせるというややお役所的な感じが強く基本は文書作りのパソコンと言える。一方マッキントシュは音楽や美術に関係した人がよく使うようにどちらかというと個人の自由な扱いにまかす部分が多く残されていて使っているうちに自分のパソコンという感覚が強くなるパソコンと言える。この違いはOS、オペレイティングシステムといわれる基本のソフトの設計の違いによる。機械的な部分ではいずれもCPU、メモリー、ハードディスクという3つの主要部品からなっており、現在のアップル社の製品は1台でマッキントシュ(マック)もウィンドウズも両方を使うことが出来るようになっている。デスクトップと呼ばれる画面上の作業は実際にはメモリー上で行われていてその作業を保存した時にハードディスク上に書き込まれ記録される。だから保存をしないで終了すると作業内容は記録されずに消えてしまう。この作業の速さがCPUという車で言えばエンジンに当たる部品の性能にかかっている。画像やムービー、音楽などの編集は容量が大きくなるため作業を円滑に進めようとすればメモリーの量を増やす必要がある。メモリーとハードディスクは素人でも説明書通りやれば簡単に交換出来ることが多い。CPUは非常に優れたものが出来たがソフトも多機能になったため実際の作業スピードはあまり改善したようには感じないのが実情のようだ。


山茱萸(さんしゅゆ)の花が柏館(かしわだて)遺跡の丘で咲き始めた