釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

あらためて感じる地震大国

2012-07-31 19:20:15 | 文化
昨日の岩手県はこの夏最高の気温となったところが続出したようだ。県内36観測地点中6地点で7月の観測史上最高となった。江差が36度と最高で、他もみんな内陸部だ。さすがに昨日は釜石でも夜の気温の下がりが悪かった。今日の釜石の予想最高気温は29度となっているが、朝もいつも程は涼しくはなかった。少し外で動くと汗が流れて来た。今日は娘が大阪から戻って来るが、わずか1週間で暑くなっている釜石に驚くかも知れない。出勤時に甲子川沿いのいつもの道路を走っていると川の中の浅瀬を鹿たちが移動していた。小さい鹿も混じっていた。水の中を移動する鹿たちの姿を見ているだけで、涼しく感じた。今年は鹿もよく見かけるが、熊の方も例年になく出没している。先日遠野の方と話をしたが、その方によれば、遠野は熊の棲息密度が日本で一番高いそうで、やはり、今年は遠野でも熊が市街地にまで出て来ていて、頻繁に出没が報じられているそうだ。山の実りがよほど悪いのだろう。もっとも、岩手は他県と違って熊の狩猟期間が短いそうで、そのために熊の数も増えているのではないか、と言われていた。職場でも裏山に熊が出ているので注意するよう掲示がされている。昨日、政府の地震調査研究推進本部が地震調査研究の新たな基本方針案をまとめている。東日本大震災前は過去に記録がないM9クラスの超巨大地震は対象外だったと言う。今後は地殻構造などから発生する可能性がある「南海トラフ巨大地震」のような超巨大地震も長期評価の対象とすると言う。しかし、震災以前から、北海道大学や高知大学は沿岸部の地層を調べ、過去の巨大津波の痕跡を見出しており、文献でも貞観地震などは知られており、それらを単に軽視していただけである。地震の予測は確かに難しい面があるだろう。地震や原発の政府の評価機関はどうも偏りがあり、政府あるいは官僚の都合の良い形にまとめられている。結局は実態にそぐわない評価を出し、多額の無駄な費用を使っているように見える。独立行政法人防災科学研究所は全国に1000点ほどの高感度地震観測網を設けており、その観測結果を「Hi-net自動処理震源マップ」としてHP(ホームページ)上に公表している。震央の深さ別に色分けされた円で表し、地震の規模はその円の大きさで表している。7月1日から31日までのこの1ヶ月間を日本列島図に表示されたものが出ている。この図を見れば日本列島がいかに地震大国であるかが一目瞭然だ。特に北海道から関東までの太平洋側は地震の巣窟のようになっている。東北で気になるのが、三陸沖で周囲が地震の円で囲まれた空白域があることだ。琉球大学の木村政昭名誉教授の言う「地震の目」になっている。実際にはもっと長期のマップから判断するのだろうが、素人目にはこの空白域で今後地震が起きそうに思われる。ただ木村名誉教授が今年3月29日に公表されたものでは震源はHi-netの三陸沖の空白域よりさらに沖合で、日本海溝の東側になっている。いわゆるアウターライズ型を予想されているようで、発生時期も2020年プラス・マイナス3年となっている。マグニチュードは8だ。他に伊豆半島の沖合鳥島の南が2026年プラス・マイナス3年で、マグニチュード9。能登半島の西側が2029年プラス・マイナス3年でマグニチュード7.9だ。この3つが大規模な予想地震のようだ。噴火では富士山の他に朝鮮半島の白頭山の噴火も多くの研究者が警告している。噴火の規模によっては日本列島にもかなりの被害を与える可能性があるようだ。Hi-netやいつも見ている気象庁の地震図を見れば、とても日本列島に原発を建設することなど考えられない。冷却水の関係で海岸部に建設せざるを得ないようだが、地震や津波から無縁でいられる場所などどこにも見当たらない。日本で内陸に原発が建設されないのは冷却水を河川に頼るだけでなく、放射性廃液を流す関係で、河川だと希釈出来ないからだろう。裏を返せば、それだけ海が汚染されていると言うことだ。希釈してごまかしているだけで、汚染をただ広げているだけに過ぎない。
甲子川の浅瀬を行く7頭の鹿たち

主食をどうするか、を真剣に考えるとき

2012-07-30 19:14:10 | 文化
今日も釜石は30度の気温が続いている。いつもより風も冷たくない。海水温が上がって来たのだろうか。釜石の水道水は都会よりも冷たいのでありがたい。都会だと夏場には水道水があたたくなり、飲む気がしなくなる。水道水で一番美味しいと感じたのは北海道東部の清里町の水だ。釜石の水道水は清里町ほどではないが、夏は冷たく比較的美味しい水だ。これだけ気温が上がって来ると休日には庭の花木へも水をやらなければならない。犬たちもできるだけ日陰を作ってやり、少しでも涼しくなるように周囲に水をかけてやる。犬は寒さより暑さに弱い。今朝は久しぶりに震度3の地震があったが、ちょうど犬たちに餌をやっている最中だった。突然の揺れに神経の細やかなベルギーシェパードは食べるのを止めて、囲いから飛び出した。ドイツシェパードの方は意に介せずそのまま食べ続けていた。賀茂川耕助の和名を持つ米国人ビル・トッテン氏は1969年に日本にやって来て、起業された経済学博士だ。日本の文化に傾倒し、2006年に日本に帰化された。賀茂川耕助の名はペン・ネームだと思うが、コンピュータソフト販売の会社を経営しながら、自ら京都で畑を作って、耕作にいそしんでおられる。米国の経済戦略を痛烈に批判し続けておられる。今月26日の日本海新聞の論説「温故知新」に「99%の日本国民苦しめる政策」と題する文を寄せている。現在の米国は「企業がアメリカを乗っ取り、99%のアメリカ人を強奪している」と見ている。「モンサント保護法」が承認されようとしており、「これは安全性が確認されていなくても遺伝子組み換え作物を作ってもよいというものだ。」。「日本がTPPに参加すれば、多国籍企業は日本でも同じように圧力をかけ、遺伝子組み換えや食品原産地のラベル表示義務を取り除くだろう。」「TPPは貿易協定などではなく、企業が国家を支配するためにその国の社会システムを変えさせることなのだ。」と述べられ、「原発の再稼働、消費税の増税、TPPにACTA(国際貿易協定)と、99%の日本国民を痛めつける政策を次々と打ち出してくる日本政府をみると、もはや日本がアメリカなみに1%に支配されているということだけは間違いない。」としている。昨日も遠野を車で走っていて、緑の広がる田園がいつまで維持されるだろうか、と考えていた。農村部を抱える地方は高齢化がますます進んで行く。炎天下であってもきつい労働を強いられる農業に就きたいと考える若者は少なくなっている。現在の日本の農業は補助金でかろうじて維持されている。元経済産業省官僚の古賀茂明氏はTPPを導入して農業を効率化する必要性を訴えておられるが、食料の問題は生活に密着しており、一般の商品とは同列に語れないものだ。食料は生活の基盤でもあり、それを安易に輸入品に頼る構造になりかねないTPPは日本の農業を壊滅させてしまう可能性すらある。食の安全は効率だけでは語れない。ましてモンサントやカーギルなどの多国籍企業が入れば、とても太刀打ち出来るものではない。モンサントは今や世界の90%の遺伝子組み換え種子を握っている。南米の大豆のほとんどが遺伝子組み換えに変えられ、家畜の飼料やバイオエネルギー源として使われており、同時に使われている農薬が現在南米で大きな被害をもたらしている。遺伝子組み換え種子と農薬の両方がモンサントの手に握られており、南米では遺伝子組み換え以外の種子を入手するのが困難になっている。日本の農業は効率では簡単に多国籍企業に負かされてしまうだろう。消費者も選択肢がなくなってしまう可能性が強い。良質な農産品を生産することで海外で利益を得られるなどと主張する人がいるが、日本人の主食である米をどうするのか、が最初に議論されなければならないだろう。米は確かに現状を維持するだけでも大変だ。であれば、TPP導入で日本の米は先ず潰されて行くだろう。
山間で見られる糊空木(のりうつぎ)

遠野郷

2012-07-29 19:40:20 | 文化
昨日に続いて今日も朝から気温が高い。釜石も遠野も今日は32度だった。群馬県では37度に達したところがある。東京や大阪も35度になったたころがある。30度を超えるとさすがに釜石も夏らしく感じる。今日は3年前に行った遠野の附馬牛(つくもうし)にある睡蓮を見に行くことにした。遠野で少し買いたいものがあるので、そのついでだ。カッパ淵のある土淵からふるさと村方向へ行く。遠野は各農家の庭先に花を植えている所が多い。沿道のそれらの花を楽しみながら車を走らせた。ふるさと村はこの暑さでも駐車場にはたくさんの車が止まっていた。火渡の石碑群のある小高い場所からは緑の田園が広がる様子がよく見える。近くの農家の牛たちが子連れでのんびりしていた。附馬牛桑原で右折して、小出方向へ進む。まもなく右手に4段に別れた水田に蓮が見えて来る。ここには蓮だけではなく睡蓮もある。しかし、睡蓮はもう終わっていた。3年前は7月初めに睡蓮を見ている。かわりに蓮が咲き始めていた。1段の水田には八重の蓮が咲いていた。白い八重の蓮などはまるでダリアのように見える。写真を撮っていると車がもう一台止まり、二人の男性がカメラを手にして車から降りて来た。そばの道路を6~7台のバイクが通り過ぎて行く。この水田からしばらく車を走らせると右手道路脇に神遣神社(かみわかれじんじゃ)がある。遠野三山の三女神の山が決められたと言う神社だ。『遠野物語』ではこの神遣神社ではなく、伊豆神社で決められたと言うことになっている。山間をさらに走っていると猿ヶ石川が道に沿って流れる。ところどころに釣り人も入っている。このあたりは水の流れがほんとうにきれいだ。小出からは重湍渓(ちょうたんけい) へ向かった。以前秋に一度行っている。途中に「熊に注意」の注意書きがある。着いてみると他に人は誰もいない。渓流の岩場に立つととても清々しい。ここは市街地の暑さとは無縁だ。水の流れがきれいで、その流れる音がまた涼しさを醸し出す。そこでしばらく暑さを忘れさせてくれる涼風に吹かれながら渓流を眺めていた。来た道を引き返し始めると右手に小さな鳥居がある。車を止めて行ってみると、山神が祀られていた。祠の後ろにはやはり巨石があった。車に戻ると重湍渓へ向かう2台の車とすれ違った。小出の集落を見ていると急に北海道を思い出した。どこか似ている所がある。かってはここも人が開拓で入って来たのだろう。人はほんとうに大したものだと思う。人里を離れて奥山に入り、そこを開墾して住んでしまうのだ。小出の集落を過ぎるともうすぐに早池峰神社(はやちねじんじゃ)に着いた。以前は妙泉寺と言う寺であったため、立派な山門がある。明治時代の神仏分離により、早池峰神社となったそうだ。山門には仁王ではなく、刀を腰に差した中世の武士の彫刻が置かれている。山門そばの神木の杉はさすがに大きい。開基は806年のようだが、いつ頃からの杉なのか相当の樹齢だろう。山門左手の道を上がると駒形神社と山神が祀られている。山神の近くには巨石が見当たらない。中程にあるもう一つの山門を潜ると右手に岩手県の天然記念物となっている夫婦一位の木(雌)が見える。夫婦一位の木(雄)はもう一段高いところにある本殿の横にある。本殿も山門も古くなり、修復が必要なようだ。神社境内は大木が茂るためもあって暑くない。風が吹くのでむしろ涼しい。神社の駐車場横には廃校になった小学校の建物と小さなグランドがある。遠野は三陸沿岸部とは違って、田園が溢れ、自然の豊かさとともに人の歴史も感じさせてくれる。ただその歴史が大同元年とか、坂上田村麻呂に何でも関連付けられるのはやや閉口するが。水田の畦でたき火をする農家の人の姿を見ているとかってと変わらぬ景色にまさに日本の原風景なのだと納得出来てしまう。
遠野はホップとタバコの葉の産地でもある 手前がタバコの葉、後ろの生け垣のように見えるのが
ホップ

何十年も変わらない風景

暑さの中で横になる牛の親子

昔から変わらない田舎の商店

4段ある蓮の水田の一つ

ダリアのような八重の白い蓮の花

小出に向かう山間の道には白い糊空木の花がよく見られる

涼しい重湍渓の水の流れ

ウグイスとヒグラシが鳴く早池峰神社境内で見つけた赤トンボ



風と花の三陸

2012-07-28 19:16:07 | 歴史
毎年夏になると大船渡市の小石浜の2000年前の蓮を甦らせた大賀蓮を見に行くことにしていた。昨年は震災のせいか蓮の育ちが良くなかった。今年はどうだろうと、行って見ることにした。昨日より暑くなるとは予想していたが、午前中ですでに32度になっていた。夏に入って一番の暑さだ。午後には予想通り34度になっていた。いつもと違って遠野より2度高い。それでも風が気持ちよく、汗は出ているが、あえて、クーラーを入れず、車の窓を開けて、気持ちのいい風を受けた。震災後はバイクに乗っていないが、ちょうどバイクで風を受けているような気分だ。45号線を南下して、越喜来(おきらい)で海岸に沿った脇道へ入る。越喜来もかなり被災しており、仮設の商店は建っていたが、1年前とほとんど変わらず、被災した小学校の公舎もそのまま打ち捨てられていた。壊れた家が取り除かれただけで、そのまま空き地が広がっている。泊の小さな漁港も防波堤が破壊されて、本格的な復興の気配はない。甫嶺地区では小さな仮設住宅が建っていた。三陸鉄道付近にあった瓦礫はさすがにもう片付けられていた。小石浜の蓮と一緒にいつも見ていた山百合の自生地ではちょうど山百合が咲き始めた状態だった。残念ながら農家の休耕田にある大賀蓮は今年も育ちが良くなく、蓮の葉もまだ小さい。数も以前よりずっと少なくなってしまっている。小石浜の集落はもともと高い所に建てられており、あまり被害はなさそうだ。ただ急な傾斜地に建っている家が多い。小さな漁港からは傾斜があるため、民家への津波被害は避けられたのだろう。漁港はかなり被害がある。山百合の自生地付近の竹薮で、地元の神社の祭礼用の竹を何人かが取っていた。暑い中、小枝をその場で切り取っている。帰りはのんびりと車を走らせ、道沿いに見ることが出来る山間に咲く山百合や糊空木(のりうづき)、薮萱草の花を楽しんだ。ウグイスはどこでも鳴いており、エゾゼミの音も常に響いて来る。海岸のそばの山道なので風もよく吹いてくれる。甫嶺小学校そばの道で糊空木を写真に収めていると、娘からの携帯電話が入った。大阪は猛暑で、早く岩手に戻りたい、と言っていた。目の前に小川が流れていて、そのせせらぎの音を聞きながらかけていることを伝えると羨ましがっていた。再び越喜来から45号線に出て、釜石に向かって北上して行く。吉浜で海岸へ向かう。吉浜は明治、昭和の二度の三陸津波後、高台移転を完全に終えていたため、今回の震災では犠牲者は全く出ていない。こうした地域を是非見習ってもらいたい。吉浜は穏やかな傾斜を伴った平地が広がっているが、そのすべてが住居としては利用されていない。田畑として使われていた。一見するとその平地がもったいないように思われるが、いざ、津波となると、その利用法が功を奏するのだ。この浜には白砂青松という言葉通りの見事な砂浜があった。石川啄木も盛岡中学時代に教師に引率されて級友たちとともにここを訪れており、それを記念した歌碑が建っている。そのそばには明治、昭和の津波記念碑も建つ。今回の津波はここにも押し寄せたはずだ。記念碑のある道を高校生らしき男子生徒3人が自転車に乗って浜の方へ向かっていた。浜の臨時の堤防のそばで自転車を止め、水着姿になり、堤防を越えて浜に下りて行った。こちらも車を走らせて臨時堤防のそばに車を止め、堤防を越えて砂浜に下りた。生徒たちは海に流れ込む川の河口部にいた。別に女生徒一人もやって来て、水着になると同じく河口部へ行き、そこで水に浸っていた。今日はほんとうにこちらも海に入りたくなる暑さだ。ただここも本来は遊泳禁止になっているはずだ。壊れた堤防の断片が海面から突き出ている。また車を走らせて、釜石では最南端にあたる荒川漁港へ向かった。この漁港の海岸部の岩場には以前浜百合が結構咲いていた。今はどうなっているか。昨年は津波のせいで見ることができなかった。いつもよく咲いていた海の中の小さな岩場に少しだけ浜百合が咲いていた。放置状態の漁港の端から対岸を望遠レンズで見てみると対岸にも岩場には浜百合が咲いていた。ここも堤防は破壊されている。残った民家も少ないようだ。三陸は山が海に迫っている所が多く、この時期は暑いが、その暑さの中でこうして海岸や山で自生する花たちを見ることが出来る。暑さを忘れさせてくれるいい風も吹く。
甫嶺地区の小さな仮設住宅 右手に海が見える

吉浜の生徒たち 海に壊れた堤防の断片がのぞいている

吉浜の反対方向は以前松林とすばらしい砂浜が広がっていた

小石浜の山道のそばで自生している山百合

荒川地区の漁港から見える海中の岩場に咲く浜百合


独走する官僚とひ弱な政治家

2012-07-27 19:18:46 | 文化
今日は曇天で湿度が高いのか少し外で動くと汗が出る。気温が30度近くに上がった。今日は東北の梅雨明けなので、そのせいなのか。日曜日からは30度を超える予想だ。釜石の一番暑い時期がやって来る。昨夜は久しぶりに星空が広がっていたので、庭に出て星を眺めていると、庭全体に大きく開いた山百合の香りが漂っていることに気が付いた。暗がりに見える白い山百合を見ていると、近くをほのかな光が舞っていた。どこからやって来たのか蛍が飛んでいた。近い川と言えば甲子川しかないが、甲子川のこのあたりでは蛍は見かけたことがない。もしかすると甲子川にも蛍がいて、川幅が広いので気付かないだけなのかも知れない。庭の蛍はしばらく飛んだ後どこかへ消えてしまった。まるで夢でも見ているような瞬間だった。原子力安全・保安院に替わってあらたな原子力規制組織として原子力規制委員会が設けられるが、その初代委員長に田中俊一前内閣府原子力委員会委員長代理が起用される案が国会に提示された。政府の福島第一原発事故後の何ら反省の見られない原発推進姿勢からは想像出来る人事ではあるが、それにしても、まがりなりにも原子力「規制」委員会と「規制」の名が付く委員会の長にこれまで原子力を推進して来た人を就けるのには呆れてしまう。今の政権は前政権以上に前政権らしいと揶揄されている。特に、現在の首相になってからはそれが加速されている。昨年9月まで経済産業省の現役官僚であった古賀茂明氏が書かれた『官僚の責任』を読むと、よく世間で言われている「国益よりも省益優先の官僚」の実態が書かれている。縦割り行政がそうせしめていることにも触れている。ひ弱な政治家ばかりで、短命な首相が続けば、日本の舵取りは実質的には官僚が行っており、しかも、国全体を考える官僚はおらず、省益だけを優先して突っ走る。これまで原発を推進して来た経済産業省は、あくまで推進を続ける。そこでは国民の意志などはまったく顧みられることはない。国内で財政の危機を声高く叫ぶ官僚たちは国外には大盤振る舞いをして、貴重な国費を散在している。24日の参議院予算委員会では森ゆう子参議院議員がその点を指摘している。現首相になってから海外へ供与が約束された資金は16兆8,133億円に達し、さらに為替介入を通じた米国への資金供与が昨年1年間で14兆2,970億円あり、合わせて31兆1,103億もが海外へ供与されている。アジア諸国への相変わらずのODAなどが含まれ、外務官僚の独走が許されている。海外への散在の一方で国内では「陰の総理」の異名をとる財務官僚が政治家たちを懐柔し、消費税の増税を国民に課しておきながら、自分自身は庶民ではとても手の届かない億ションに新居を移している。増税が実現すれば公共事業の大盤振る舞いもすでに盛り込まれている。従来通りの官・政・財の既得権益の維持しか考えていない。国のシステムがすっかり変わった明治維新直後や敗戦直後などは有為の政治家も輩出され、政治主導が機能するが、少し安定して来ると政治家は不勉強となり、2、3世議員や「なんとか塾」出身者のようなあんちょこな政治家ばかりになってしまう。当然、省益しか考えない秀才官僚には太刀打ち出来ない。官僚の言うがままである。まさしく官僚のやりたい放題である。現在の日本はリーダー不在の国家である。今後も国難は確実に続いて行く。海外への散在ぶりを見ていると、ほんとうに財政危機はあるのか、と疑いたくなるが、膨大な借金があることは間違いない。産業もアジア勢に追いつかれて来ており、少子高齢化がますます進んで行けば国力の低下は避けられない。自然災害は再び必ずやって来る。福島のような人災の訪れることも現状では十分あり得る。こうした予想される国難を乗り越えられる展望を示すリーダーは見当たらない。自分たちの生活は自分たちで守るしかないだろう。生活スタイル自体を変えて行く必要もあるだろう。やはり日本が再生するには地方がどれだけ元気であるかにかかっているように思う。特に、東北が再生できるかどうかは重要だと思う。豊かな自然を活かした自立が東北の、日本の再生に繋がって行くだろうと思う。もっともそれも国力の落ち込みが極端でない限りではあるが。
あぜ道に咲く薮萱草(やぶかんぞう) 周辺ではウグイスとヒグラシが鳴く

津波に弱い河口部や埋め立て地に展開する大都市

2012-07-26 19:32:15 | 文化
今朝の釜石ではとても面白い現象が起きていた。住んでいる家のあたりは海岸から8Kmほど内陸よりにあたるが、日射しが強く、青空も見えていた。出勤時、職場のある海岸方向へ進んでいると、ちょうど中程にあたる小川あたりから空は雲が覆い、周辺の山には霧雲がかかって来た。海岸にほど近い職場の近辺になると霧模様はさらに強まって、薬師公園にも霧が流れていた。同じ釜石でありながら、空模様がこれほど違っているのは釜石へ来て初めてのことだ。山田町から来られている方の話では海岸伝いの45号線は霧で進むのが大変だったそうだ。山背は海から霧を運んで来る。同じ釜石であっても海岸付近と内陸寄りで違いが顕著だが、さらに内陸である遠野と比べても予想最高気温は釜石が24度であるのに対して、遠野は28度で、4度もの差がある。娘たちがいる大阪は34度だ。親に似て暑がりの娘は大変だろう。昼前から職場のあたりも夏の痛い日射しが射して来て、青空も広がって来た。それでも風は気持ちよく、クーラーなど入れなくとも窓を開ければいい風が入って来る。いつも職場への往復は車の窓を開けて、クーラーを使わないでいる。どうも今年は気温の上がりが悪いらしく、野菜のできも悪いと聞いた。山の実りも良くないのか、熊も例年より多く出没しているようだ。先日も職場に近い所で熊が出たと聞いた。庭の杏の実も確実に去年より少ない。今年気温が上がりにくいのはエルニーニュ現象の影響によるものなのだろうか。日本列島の市街地は航空写真を見るまでもなく、河川が創り出して来たことは明らかだ。大部分の市街地は河口付近の扇型に形成された砂州をもとにしている。北上川のような内陸を長く走る川も、流れを変えることで広がった砂州に市街地が形成されている。釜石の場合は甲子川が南北ですぐに山に挟まれているため、広い砂州は形成されず、河口付近も他所に比べてずっと狭い。そのおかげで昨年の震災では同じ三陸でも砂州の広がった山田町や大槌町、大船渡市、陸前高田市などより被害の受け方は少なくて済んだ。現在釜石市内には54カ所に仮設住宅が建てられており、規模は大小様々だ。16000人ほどがそこへ入居している。うち700世帯は他市町村の方を受け入れている。人口が4万人ほどの市なのでその4割が仮設住宅の住人だ。先日娘に教えられて行った尾崎半島の佐須地区にも小さな仮設住宅が建っていた。もともと佐須地区自体が小さな海辺の集落であった。そこへ津波が押し寄せ、家を流された人たちが狭い地形の中で何とか見出した場所に仮設住宅を建て、できるだけ元の生活が維持しやすいようにしたのだろう。市街地に建てられた仮設住宅はいいが、山間部や海岸の半島部の佐須地区のような市街地から距離のあるところに建てられた仮設住宅が多い。陸前高田市は河口部に広い砂州が形成された街で、傾斜もあまりないため広範に被害を受け、仮設住宅を建てる場所もあまり残されていなかった。大槌町なども同じような状況だ。そうした街に比較して被害範囲が少なかった釜石はそれらの市町からも仮設住宅の入居者を受け入れている。仮設住宅は原則2年間のみ認められているので、その後がまた問題になって来るだろう。四国へ帰省する際は、関西の伊丹空港で乗り換えるが、空港に着陸する前に大阪湾から神戸にかけてがよく見える。現在も瀬戸内海の埋め立てが大規模に行われているのが見える。大都市では河口部だけではなく、こうした埋め立て地も大きく広がっている。陸前高田市や大槌町を見ていると、あらためて東京や大阪と言った広大な河口部に展開された大都市の津波に対する脆弱性に不安になる。河川も津波の遡上を簡単に許す。地震よりも津波の方が直接の被害はずっと大きくなる。
桔梗(ききょう) 平安時代には阿利乃比布岐(ありのひふき=「蟻の火吹き」)と言われた
蟻酸で花が赤く変わり、蟻が火を吹いたように見えるという観察から付けられたそうだ

田園地帯を楽しんだ一日

2012-07-25 21:12:45 | 文化
今朝は雨が降っていたが次第に小降りなってやがて降り止んだ。今日は娘が1週間ほど大阪へ行くので、紫波町の五郎沼の古代蓮を見るついでに花巻空港まで送って行くことにした。釜石ー花巻空港間を車で往復すると言うので、2台の車で出かけることにして、道を確認する意味で娘に先導させた。一度弟を花巻空港まで送って行っているので、だいたいは覚えているようだ。少し余裕を持って空港に着いたので、レストランで一緒に昼食をした後、別れて紫波町に向かった。花巻空港には1979年に松任谷由実が発表した「緑の町に舞い降りて」が流れている。その頃松任谷由実が花巻空港に降り立った時の印象を歌ったものらしい。空港のイメージソングになったようだ。レストランの窓から外を見ると緑の田園が広がる。そんな中を飛行機が着陸して来る。爽やかさが印象に残ったのだろう。花巻から南部杜氏(なんぶとうじ)の里である石鳥谷の町を4号線に沿って抜けるとすぐ紫波町に入る。紫波町に入ってからは5分もかからないで、4号線沿いにある五郎沼の土手が見えてくる。さすがに平日だけあって人はまばらだった。五郎沼一帯はかっては奥州藤原氏初代の藤原清衡の孫である樋爪太郎俊衡の樋爪館が広がっていた。現在「樋爪」は日詰として地名が残されている。当時五郎沼に蓮の花が咲き、その蓮の種が中尊寺金色堂に収められた第4代奥州藤原氏頭首藤原泰衡の首桶に入れられた。昭和25年にその種が発見され、古代蓮で著名な大賀一郎博士によって800年の時を超えて現代に甦らせられた。甦った蓮は中尊寺におかれたが、五郎沼に由来するところから、その後五郎沼にも株分けされ、里帰りしたものが見られるようになった。開いた蓮の花を見ていると、かって東北にあった京にもせまるほどの都のすばらしい文化が武人によって消し去られてしまったことをあらためて残念に思えて来た。あたりには立派な館があり、北上川を利した水路まで備わっていた。小雨も降って気温が26度となっていたため、近辺を歩くと汗が流れて来た。帰りは4号線を少し逆戻りして石鳥谷で102号線に入り、お気に入りの田園風景を楽しみながらゆっくりと396号線に向かった。稗貫川に沿って走っていると水田にカルガモが何十羽も群れていた。これほどたくさんのカルガモが夏場に群れるのは初めて見た。山間部を走る沿道には山百合がたくさん自生している。白く大きな花が目立つ。紫陽花に似た白い糊空木の花も咲いている。萎んだ月見草もあちこちで見かける。ウグイスの声もヒグラシやエゾゼミの音とともに聞こえて来る。つくづく岩手の自然はすばらしいと思う。遠野ではついでだからといつもの荒神神社へ回った。小さな祠の周囲に薮萱草が咲いていた。荒神神社から笛吹峠へ向かう途中にある上郷の伊勢両宮神社の紫陽花を見に行った。ここにはまさに紫陽花神社と言っていいほどの紫陽花が植えられている。すばらしい紫陽花だ。都会であればここも人で一杯になるところだが、後から老夫婦がやって来ただけだった。のんびりと紫陽花を楽しむことが出来た。
紫波町の五郎沼

五郎沼のそばに咲く800年前の蓮の花

とても優雅な色合いの花だ

水田のあぜ道にたくさんのカルガモが休んでいた

山裾に自生する山百合

遠野の青笹にある荒神神社

遠野の紫陽花神社である両伊勢神社

周囲にも溢れんばかりの紫陽花が咲く



趣味

2012-07-24 19:20:30 | 文化
今日も予想最高気温は24度で、夏の日射しだが、涼しい風が吹き、高原の清々しさを味わうことの出来る一日だった。ただ午後には曇って来て、少し雨も降ったので、恐らく最高気温は24度には達していないのではないだろうか。昨日は気温が上がっていたので、夕方にはヒグラシが鳴き競っていた。気温が上がればそろそろ蛍も出ているのではないかと、暗くなってから娘を誘って、小川のワッカラ淵へ出かけた。川のそばに空き地があったところには仮設住宅が建てられていた。仮設住宅の中を通って、ワッカラ淵へ出ると、蛍の小さな光が見えて来た。今年は以前見たときよりも蛍の数が少ない。仮設住宅の光も淵の背面にある山の高い所に反射して以前より明るくなっている。しかし、蛍の飛ぶ高さは暗く、その幻想的な光景を十分楽しむことが出来た。娘はとても感激していた。ここは淵の周囲が比較的自然に任されていて、風景としても好きな場所だ。ただすぐそばに仮設住宅が出来ているのは意外だった。帰りかけると家族づれらしき人たちがやって来た。釜石はさすがで、こんなすばらしい場所にもほとんど人がいない。都会だと考えられない。娘はカメラを持って来なかったことを後悔していたが、蛍の撮影はちょっと難しい。基本的に写真は光がなければ撮れない。かと言って蛍に向けてフラッシュを使っては台無しになる。三脚を立てて、一定の時間シャッターを開けた状態にして、蛍の飛んだ軌跡を写し取るしかない。光に対する感度も上げるので、背景も実際よりは少し明るく写る傾向がある。そんな写真に労力を費やすより、じっくりと実物の蛍が飛ぶ光景を楽しむ方がよほどいい。写真が趣味になったのは実際とは違ったすばらしい写真の世界があることを知ったからだ。写真より実際の方がすばらしいのであれば、何も写真にわざわざ収める必要はないだろう。本末転倒だ。ただ趣味はあくまで自分が楽しむものだから、それでも苦労して写真を撮ること自体が楽しいというのであれば、それもいいと思うが。写真を趣味にするようになってから、これまで何度か写真展に出すことを勧められたことがあるが、基本的に写真展に出す気はない。写真はあくまで自分が楽しむためのもので、趣味である限り自己満足の範囲のものでしかない。人がきれいな写真だと言ってくれても自分でそうは思えなければ、自分にとっていい写真ではない。このブログを見ていただいている方の何人かからもきれいな写真だと言われたことがあるが、このブログでは自分が気に入った写真は原則的には使わないことにしている。そのあたりは少しこだわりがあるのかも知れない。写真を撮っていると道具にも興味が出て来る。写真の道具はカメラ本体とレンズが中心になる。コンパクトカメラに対してレンズ交換が出来るカメラは一眼レフと呼ばれるが、何年か前からこの一眼レフにもミラーレス一眼と言うのが登場した。レンズから入って来る光景をミラーを使って目視が可能となるようにファインダーと言う小さな窓に導くようになっているが、そのミラーがあるため、カメラ本体にどうしても一定の大きさが必要になる。ミラーレス一眼はその名の通り、ミラーを取り除いて、本体のサイズをコンパクトにしてしまった。一般のコンパクトカメラに近いサイズになった。ミラーがないためファインダーは基本的に付いていない。レンズから入る光景はコンパクトカメラ同様に裏面の液晶画面に映し出される。もっとも後付けのデジタルファインダーを出しているメーカーもある。ミラーレス一眼は最初にオリンパスが出し、現在5社が競っているが、9月にはニコンに続いていよいよキャノンも参入する。従来の一眼レフとほぼ同じような精度の外部からの光を受けるセンサーとそれを処理する画像エンジンと呼ばれる小さなコンピューターが使われている。コンパクトでいて画質もいいと言う一眼レフである。将来的に従来の一眼レフに取って代わるか、はメーカーの開発次第だろう。キャノンのミラーレスは従来のレンズもそのまま大半が使える。すでにオリンパスとパナソニックのミラーレスを持っているが、キャノンのミラーレスも欲しくなって来た。当分は様子を見て、実際の評価などを参考にしながら考えるつもりでいる。
一昨日、尾崎半島の佐須の近くで出会った若い鹿たち

「狂気」としか言いようがない

2012-07-23 19:20:53 | 文化
今日は朝から日射しが射して、予想通りいい天気になった。昼休みに外に出るとさすがに暑くなって来た。高原のようないい風が吹いていたが、日射しは夏の日射しで、少し歩くと汗ばんで来た。近くの山からはウグイスとヒグラシの両方が聞こえて来る。何とも奇妙な感覚だ。間もなく釜石の小中学生も夏休みに入るが、今、釜石近辺の海は遊泳禁止になっているところが多い。被災した小中学校などは仮設校舎にプールもないため、子供たちは禁止されている川で泳ぐものもいるらしい。水泳着も無くしたままの子供たちも多いと言う。子供たちの暑い夏を過ごす楽しみが奪われることになりそうだ。今日のニュースを見ると南海トラフに繋がる駿河湾の駿河トラフのプレート境界付近で地殻のひずみが蓄積されているのが分かったようだ。静岡市の清水港の南東10Kmの地点で、海底が一年に4cmの割合で西に動いており、この動きを元にプレート境界近くの海底下5Km以内の場所で、プレート同士がくっつき(固着)、ひずみがたまっていると結論づけられた。田所敬一名古屋大大学院准教授や東海大海洋研究所の調査で明らかとなった。これまでは、海底に近い浅い部分ではプレート同士は固着せず、ひずみは蓄積されないと考えられていたが、昨年3月の東日本大震災では、プレート境界のすぐ西側の浅い部分が震源となり、上部が盛り上がることで、巨大地震が発生した。浅い部分で蓄積されたひずみが動けば、プレートの先端までがはね返り、海水が押し上げられて津波が大きくなる。従って今回の調査結果から巨大津波が発生する可能性が強まって来た。駿河湾内にある駿河トラフから四国沖にある南海トラフにかけてのプレート境界では、過去100年から150年おきに岩盤がずれてM8クラスの巨大地震が繰り返し起きている。1944年にはM7.9の東南海地震が、続いて1946年にはM8.0の南海地震が起きており、南海トラフ沿いの岩盤はずれたが、駿河トラフ沿いの岩盤だけがずれずに残ってしまったままになっている。駿河トラフ周辺部分の岩盤は南海トラフと連動して起こった1854年が最後で、150年以上も動いていない。過去の繰り返しを考えるとここでの地震はいつ起きてもおかしくない段階にすでに達している。しかも、今回の調査結果によれば巨大津波を引き起こす可能性が出て来た。駿河湾開口部の西南部付近の御前崎市には浜岡原発がある。昨年の福島第一原発事故直後に当時の首相が真っ先に運転を停止させた原発だ。昨年7月には浜岡原発真下に室戸岬まで伸びる全長400Kmになる活断層の存在の可能性を鈴木康弘名古屋大教授らが指摘している。中部電力はそれらをやはり音波探査を根拠に否定し、想定する最長断層を34Kmの石花海(せのうみ)海盆西縁断層帯としており、断層の影響を極端に過小評価してしまっている。今年4月米紙THE WALL STREET JOURNAL紙のインタビューで川勝平太静岡県知事は浜岡原発の核燃料について懸念を表明している。先日このブログで青森県の六ヶ所村の再処理工場には使用済み核燃料が1500本以上、福島第一原発4号機プールには1337本と書いたが、4号機プールには1337本ではなく1535本現在あることが分かった。しかし、このインタビューによると浜岡原発は使用中・使用済み合わせて9000本もの核燃料が保管されていると言う。首相が真っ先に運転停止させたり、県知事が懸念を表明するのもまったく頷ける。とんでもない量の核燃料が存在する。しかも、巨大津波がいつ起きてもおかしくない状況の中でだ。どのメディアもこれらの事実をそれぞればらばらに報道し、関連づけて報道しないため、その脅威が正しく伝えられていない。浜岡原発で何か起きれば、日本が壊滅するだけでなく、核爆発に至れば世界も終わってしまう。福島第一原発事故は広島に落とされた原爆168発分の放射性物質を飛散させたと言われるが、4号機プールの核燃料は同じ原爆5000発分に相当する。浜岡原発にいたっては単純に見ても30,000発分にも当たることになる。これはもう「狂気」としか言いようがない。
娘に教えてもらった尾崎半島佐須の海辺の浜百合の群生

太平洋の水平線

浜百合は釜石市の「市の花」


暴走し続けるこの国のリーダーたち

2012-07-22 19:19:35 | 文化
山背は今日も続いている。午後になり少し日は射して来たが、予想最高気温は20度。しかし、明日からの1週間は晴れて25度前後に気温が上がり、夏日となるようだ。今年は茨城県の竜巻や先日の九州を中心とした記録的な大雨など異常気象が続いている。昨年の地震と津波と言い、まさに天変地異そのものと言えるだろう。『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)などの和田家文書によれば青森県の三内丸山遺跡に見られる縄文時代の人々、阿蘇部族や津保毛族はともに紋吾呂夷土の民であり、珍具須族と呼ばれ、天なる神であるイシカカムイ、地なる神であるホノリカムイ、水なる神であるカコカムイを祀っていた。「始祖人が神なる相とて崇拝せしものぞ、無限なる宇宙、天上界の日月星、億万物を生む地水の陸海山河こそ無窮なる生命実相の神なる祖とて、天に仰ぎ地に伏して崇拝せり。」とある。弥生時代になり「大挙して(津軽へ)移り来る耶馬台族」は先の二族をはじめ「西海に漂着せし支那及び韓の民族」をまとめて稲作により安住の地を定め、「神なる信仰ぞ混合にして、アラハバキと称せるイタコ、ゴミソ、オシラの祈祷師」が生まれる。「アラハバキとは天地創造の神」である。縄文や弥生を生きた人々は自然の中に神を見出し、それを敬って来た。雪の降る厳しい冬のある東北は、それ故に豊かな実りを生み出し、海や山の幸が溢れて来た。その自然の恵みに感謝し、時に襲って来る地震や噴火、津波に自然の恐ろしさを知り、自然を敬うことで自らを守って来た。しかし、経済大国を築き上げた現代の日本人はすっかりその自然を敬う姿勢を忘れて自然を無視し続けて来た。昨年の震災によって大きな被害を受けて、あらためて自然の脅威を思い出させられた。自然界に本来あってはならない人工的に創り出された放射性物質の存在をもあらためて知ることになった。放射性物質は人に被害を及ぼすだけではなく、自然界にも害を及ぼす。短時間でその影響が出るわけではないだけに尚やっかいな物質だ。気象庁地震火山部火山課や北海道大学地震火山研究観測センターなども火山の異変を警戒し、多くの地震研究者たちがこれから起きるであろう巨大地震に警告を発している。そうした地異が予想されているにもかかわらず、自然は言うに及ばず、人々の声さえ無視してあくまで人工的な放射性物質に依存し続けようとする国や業界のリーダーたち。『農業協同組合新聞』は17日の「コラム」で先日行われた東京の「さようなら原発10万人集会」を「60年の反安保の集会以来の大きな規模の抗議集会になった。実に、半世紀ぶりの大抗議集会である。」とし、「原発問題は、今後、長い間、重要な政治問題であり続けるだろう。大多数の国民は、福島の惨禍を決して忘れない。そして、忘れられないかぎり抗議運動が続くだろう。 このような国民的な抗議運動こそが、日本の政治を根底から揺さぶり続けるだろう。半世紀ぶりに、日本の政治に活力を与えるに違いない。」と書いている。元経済企画庁長官で、福山大学客員教授である田中秀征氏は「要するに、政治に任せておけば、間違った方向に誘導されるという強い不信感が根底にある。歴史が示すように、直接民主主義が発動されるのは、間接民主主義が機能不全に陥ったとき。」とDIAMOND on line記事で述べている。
庭で咲く菅の花