釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

産直めぐり

2014-05-31 19:40:00 | 文化
今日も朝から汗をかく散歩であった。日中は26度まで気温が上がり、夏を思わせた。気象庁のHPを見ると、全国的に高気圧で、群馬県高崎市や大分県日田市では34度を超え、30度以上の真夏日となったのは、東京都心も含めて午後2時で290地点に上っている。岩手県でも内陸ではやはり30度を超えるところが出ており、この暑さは来週初めまで続くようだ。岩手では今年の夏は冷夏が予想されているようで、すでに野菜や山菜の出来も悪いと聞いた。今日は休日なので、5、6月の楽しみである山野草を求めて、また産直めぐりをした。北上市の遠野よりのはずれに口内地区があり、ここは戦国時代に館があったようだ。そこにも産直がある。北上市へ行く時には必ず立寄っている。野菜の苗も並べられているのがどこの産直も同じだ。外来の花が多い中で、それでも山野草がいくつか並べられている。安いもので100円くらいからあり、高くても2000円どまりのものがほとんどだ。遠野の風の丘もいつものように駐車場はほぼ満杯で、今日もバイクのツーリングの人たちもたくさん来ていた。ここは産直の中でも規模が一番大きく、野菜の苗を含めて、置かれている植物の数も釜石に近いところでは一番多い。農家の方が育てたものがたくさん並べられている。ただ一部は業者のものも置かれている。夏場は釜石より遠野の方が暑くなるが、今日は不思議なことに釜石の方が遠野より気温が高い。ただ、釜石も木陰だと涼しい風が吹き、やはり東北であることを感じさせる。遠野では今田植えが盛んに行なわれている。周囲の山々も緑が綺麗で、青空と相まって初夏の趣がある。上郷の夢産直では暑い日差しを受けても風が気持ちよく吹いていた。こちらも客が入れ替わりたくさん来ている。今日は住田町の山野草専門店へは立寄らず、釜石自動車道で釜石へ引き返し、震災後、復興に協力している産直釜石ミッキーファームへ向かった。以前にも立寄ったことがあるが、普段はあまり来ていなかった。しかし、ここには山野草がほとんど置かれていなかった。今は野菜や外来の花が中心のようだ。東北は春から初夏にかけての花が素晴らしいが、この時期の緑もとても綺麗だ。特に、透過光で見る青葉は清々しい。今朝もウグイスが鳴いていたが、夕方はイソヒヨドリが可愛い声で鳴いていた。朝晩は甲子川のカジカガエルの声が聴こえて来る。そんな声を聴いていると、まるで避暑地にでもいるような錯覚を覚えることもある。そして、この自然の溢れる釜石の生活を考えると、これこそが人の本来の住む環境ではないかと思ってしまう。今日は確かに暑くなったが、それでも関東以南ほどではない。日陰に入れば、暑さは感じない。釜石の冬も東北の一般のイメージとは異なり、雪はほとんど積もらない。ほんとうに釜石は同じ東北の中でもさらに素晴らしいところだと思う。
登り藤

芍薬(しゃくやく)

八重の撫子(なでしこ)

すみれ

柑橘類の花か

筋肉の退化と引き換えに脳が発達した

2014-05-30 19:21:20 | 社会
今朝も散歩から帰ると、汗がびっしょり流れて来た。昨日は内陸で30度を超えた所が出たが、今日はさらに気温が上がり、内陸の広い範囲でやはり30度を超えたようだ。幸い、沿岸部はそこまで上がらず、26度程度で収まってくれた。しかし、それでも海岸近くの職場と自宅のある内陸方向とでは差があり、職場近辺の方が涼しい風が吹いていた。内陸はまだ数日30度近くの日が続くようだ。昨日の内陸の31度は5月としては最も高い気温であったようだ。海が近い釜石は日中は暑くなっても夜には気温が下がってくれて、過ごしやすくなる。夕方には、この時期には珍しい、雷を伴った夕立が叩き付けるように降って来て、散歩帰りに、びしょ濡れになってしまった。 三陸の地、釜石に来てみると、自然の豊かさを感じるとともに、その自然の中で生活する人を考えていると、あらためて、人は動物なのだと言うことを思い出させられる。毎日、朝夕の散歩や先日の気仙沼の徳仙丈山(とくせんじょうざん)での登山で身体を動かすことの大切さを噛み締めた。現代はむしろ身体を休めさせてくれものに溢れ、食物も過剰な栄養に満ちている。動物の身体は使われなければ、退化する。従って、現代は意識して身体を使う必要があるのだろう。しかし、このほど米国公共科学図書館(PLOS)の発行する科学誌PLoS Biologyに載せられた論文によれば、人の筋肉は脳の増大によって、退化したと言うのだ。600万年前までは人類の祖先はチンパンジーなどの類人猿と同じような筋力を有していた。その後、脳が増大するとともに筋肉は退化の道を歩み始めたと言うのだ。人類は600万年かけて、身体の残りの部分が変化するより8倍も速いペースで筋肉を退化させている。人類の祖先は1億3000万年前に同じ哺乳類であるマウスと別の道を歩み始めたが、それからのマウスより、600万年前からの人類の筋肉の変化の方がはるかに大きい。現代の人の脳は体全体のエネルギーの20%も消費する。従って、人の身体では筋肉と脳がエネルギーを分け合っているのだと言う。腸の代謝が急激に進化したおかげで脳の発達を促したという説が有力であったようだが、類人猿と比べて大きく退化した筋肉と数百万年間に4倍にも進化した脳を考えると、脳の発達が筋肉の退化を代償としたと考えられるようだ。研究チームは、研究結果を裏付けるため、人間とチンパンジー、さらにマカク属のサルの力を比較している。ハンドルを引いて重量物を持ち上げるという実験で、訓練を受けていないチンパンジーやマカクが、大学レベルのバスケットボール選手やプロの登山家に勝っていた。人間の力はほかの種の半分程度にしか及ばなかった。600万年前には同じ筋力を有していたのだ。米国ではソファー(カウチ)に座り込んだり、寝そべったまま動かずに、主にテレビを見てだらだらと長時間を過ごす人を、「ソファーの上に転がっているジャガイモ」にたとえてカウチポテトcouch potato族と呼ぶそうだ。チームはマカク属のサルを2ヶ月間この「カウチポテト族」にして過ごさせた。体を動かす必要がなく、ストレスに満ち、質の悪い食事を続けるという、典型的な米国の現代人のライフスタイルだ。 2ヶ月後にサルの筋力を測定したところ、筋力の低下はほとんど見られなかった。チームはこの結果から、人間の「だらけた」暮らしは、サルとの筋力の差の3%にしか影響していないと推測している。現代人の筋力低下はどうやら運動不足の不健康な現代の生活から来るより、進化による影響の方がずっと大きいようだ。SF映画では思考で周囲の機器を操作する場面があった。未来はそうやってますます人は身体を使わないようになり、脳が一層エネルギーを消費し、筋力の退化が進んで行くのだろうか。
鉄線

苧環(おだまき)

昼咲月見草

昼咲月見草のそばの電線でシジュウカラがさえずっていた

八幡神社の駐車場に3頭の鹿がいた

曖昧さが法を空文化させている

2014-05-29 19:26:04 | 社会
今日も昨日に引き続き、朝から快晴となった。朝、甲子川沿いの土手を歩いていると、日射しで暑くなって来た。川の流れの音とカワウガエルの鳴き声がそれを少しは和らげてくれた。職場の裏山では、今は桐の花と山裾の著莪(しゃが)の花くらいしか見られなくなった。昼休みに裏山の旧道へ入って行ったが、ニセアカシアが満開で、緑がますます濃くなり、ウグイス初め小鳥たちの声がとても気持ちよく聞こえて来た。旧道の湧き水の出るところでは、復興工事関係の人たちが何人か木陰で、身体を横にして休んでいた。木陰では涼しい風が吹いていて、20度を超えて来た暑さを避けるにはちょうどいいのだろう。午後には24度まで上がっていた。 昨日、名古屋高裁(石山容示裁判長)は1961年に三重県名張市で女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」の第8次再審請求を棄却した。体調を崩して八王子医療刑務所に入所中の殺人罪などで死刑が確定している奥西勝死刑囚(88) の再審請求であった。一審の津地裁は「自白には疑問が残る」と無罪としたが、以後、上級審は今回の8度目の再審請求まですべて棄却した。事実認定を一切行なわず、手続きを問題にして棄却している。検察側は多くの証拠を持っており、弁護側が4月にそれらの証拠開示を求めていた。今年3月に再審が決定された袴田事件では、検察の証拠開示によって、冤罪の可能性が高いことが明らかになっている。犯行に使われた毒物に疑義があるにも関わらず、その確認を十分行なわない極めて不当な棄却である。日本の裁判では裁判所が常に検察の主張を重んじて来た。これは以前にも書いたように、戦前からの裁判所の体質がそのまま受け継がれているせいでもある。国際的にも問題になっている逮捕後の日本の長期の拘留や弁護士との接見の困難さが、自白に偏る結果となってもいる。開かれた裁判所のイメージを作り出すために、裁判員制度が導入されたが、検察の持つ証拠が開示されなければ、その制度自体が意味をなさない。意味をなさないだけでなく、かえって、旧来の体質を隠蔽することに一役買ってしまっているとも言えるだろう。疑問点を明らかにせず曖昧さを残しながら、検察の主張を入れるやり方は、現在の「集団的自衛権」の問題でも見られる。憲法は国家の権力機構に対して、国民の人権や平和を保障している。しかし、日本ではその憲法が保障する内容を国家権力である政府や裁判所、検察が「曖昧な解釈」を入れることで、なし崩し的に否定する結果を招いている。昨日の衆議院予算委員会でも首相は「集団的自衛権」の範囲をさらに拡大して、同盟国以外でも行使しし得るとした。国連憲章第51条では「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」として、確かに、加盟国の「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を認めているが、各国の憲法が優先される。法を遵守する限り、日本の憲法がいかなる武力をも認めていないのは明らかである。名称は「自衛隊」であっても、すでに強大な軍事力を有しており、明らかな武力である。戦後、曖昧なまま自衛隊は軍事力を増大させて来た。そして、首相は今再び法を曖昧にしたまま「解釈」によりその軍事力の行使の拡大に踏み切ろうとしている。法を法として重視する立憲主義の国であるのならば、自衛隊を認め、集団的自衛権を行使ししようとするのであれば、憲法をどうどうと改めるべきである。そこをくぐり抜けることが困難と見込まれが故に、またもや曖昧な「解釈」により、強引な拡大を行なおうといているのだ。「名張毒ぶどう酒事件」に対する名古屋高裁についても、やはり、犯行に使われた毒物への疑義を明らかにせず、曖昧なままに検察の主張を入れている。日本人は「和」を尊ぶ国民性があるとして、人間関係を保つために「曖昧さ」は必要悪のように扱われることがある。しかし、それはあくまで現実の社会生活の中での人間関係の場合だ。法と言う条文の世界では曖昧さがあってはならないだろう。それは明らかに権力を有する者を利する結果をもたらすからだ。
紫蘭

撫子(なでしこ)

ニセアカシア

朴(ほう)の花がまだ咲いていた

青葉がとても清々しい

宮城県気仙沼市の徳仙丈山のツツジの群落

2014-05-28 19:22:07 | 自然
職場の気仙沼市出身の伝統の匠の方から気仙沼市の南西にある標高711mの徳仙丈山(とくせんじょうさん)の自生する50万本のツツジの群落をぜひ訪ねるように勧められていた。久しぶりに快晴となったので、急遽、思い立って、出かけることにした。釜石から気仙沼までは距離で70Kmある。一部が開通している三陸自動車道を利用して、1時間と少しかかる。釜石から宮城県の気仙沼までの間の沿岸部では、この自動車道を建設するためのダンプがたくさん走っている。沿岸沿いの山も各所で削られている。45号線を南下して、気仙沼に入ると、市街地を外れたまま、さらに南下すると、内陸方向へ向かう65号線と交差する。その65号線へ入り、しばらく行くと、徳仙丈山への登山道に出会う。そこを車でさらに進んでいると、道は未舗装になっている。ほこりが舞う山道を走っていると、北海道の知床を半島に向かって走り、カムイワッカの滝に向かう道を思い出した。駐車場にはたくさんの車がすでに止まっていた。車から降りて、登山杖を手にして、山に向かう人や、話をしながら下りて来た人たちで、賑やかだ。山頂に向かう登山道の両脇にもずっとツツジが咲いている。登りながら見てみると、おおよそ3種類のツツジが咲いていた。釜石近辺の山でもよく見かける、通常の山ツツジとオレンジのレンゲツツジ、そして、ピンクの山ツツジの女王と呼ばれるエリザベスだ。最初の展望台まででもかなりきつく感じたが、山頂はまだずっと上になることが分かると、やや後悔の念を覚えた。仕方がないので、奮起して、再び登りに入る。大勢の人が来ているが、互いにすれ違うと、「こんにちは!」と声をかけ合う。よく見ていると、70代の年齢の人たちが多いことに気付いた。きつい登山道をマイペースでゆっくりと登っている。服装もみんな山登りにはなれたリュックと靴を身に付けている。登山用の杖もほとんどが持っていた。喘ぎながらもなんとか山頂まで登り切った。眼下にツツジの群落が見えるが、気候のせいか本来の一面のツツジの群落にはなっていない感じに思われた。遠く、気仙沼湾が望まれ、一関市の標高760mの大森山も見え、その山頂にもやはりツツジの群落があるのが肉眼でも確認出来た。その大森山の東に五葉山がまるで富士のような形で見えたのには驚いた。こうした形で五葉山を見たのは初めてだ。気温も上がったせいで、汗びっしょりになり、涼しい風に吹かれながら、下りに入る。途中、上りでは余裕がなかったため、気付かなかったが、いくつかの山野草が伸びていた。ウグイスが鳴くとともに、エゾハルゼミも鳴いており、なお、暑く感じさせられてしまった。駐車場にたどり着いて、被災した露天商の方がやっている移動販売車でかき氷をやっているのを目にして、早速、食べることにした。木陰でツツジを見ながら、少し休んでいる時、ツツジの群落でこれだけ人がたくさん、きつい登山道も耐えて、集まって来るのであれば、釜石に花の園を作れば間違いなく人は集まって来るだろうと思った。帰りは気仙沼のホームセンターに立寄り、いくつかの園芸用品を買い、陸前高田市に向かった。前回陸前高田市を通った時は平地の土木工事が大規模に行なわれているのに気をとられて、気付かなかったが、今回、よく見ると、被災した平地に近い山の上に、こちらもかなり大規模な工事が行なわれていた。高地への集団移転工事なのだ。陸前高田市の道路には乗用車と同じくらいのダンプの数が見られる。相変わらず、「奇跡の一本松」を見るための観光バスがたくさん止まっていた。釜石へ着いてみると、気温は23度となっていた。
快晴の登りの登山道

「徳仙丈山の神」の標識があり、左手に石碑が建っていた

途中の展望台からの眺め

山頂にもツツジが咲いていた

徳仙丈山の山頂

山頂からの展望 左手前方に気仙沼湾が見える

左の山が一関市の大森山、右手は五葉山

陸前高田市の高地集団移動地の工事が行なわれていた

海岸に向かって。平野部はすべて津波に飲まれた

量子技術の発展

2014-05-27 19:17:15 | 社会
今朝もやはり山背が出ていたが、今日は昼前後に少し青空が覗いた。しかし、午後はやはり雲が多く流れていた。しばらく前から来月末放送予定のNHKスペシャルの番組作りに職場が協力している。東日本大震災の被害を受けた職場の状況を映し出そうとしているようだ。インタビューを含めて、もうNHKとは6~7回応対しているが、自分を含めて職場ではメディアへの不信感がある。震災時の報道がこちらの趣旨通りには報じられなかったためだ。そのため、震災後はある時点から、職場としてはメディアの取材を断って来た。今回は方針が変わったのか、協力することになった。しかし、現場を含めて、ほんとうにこちらの趣旨が上手く報じられるのか、不安が残る。 地球上で我々が目にする人体を含めたすべてのものは原子から出来ている。その原子はさらに原子核と電子から構成され、原子核はまた陽子と中性子から構成されている。さらには陽子はクォークと呼ばれる小単位で構成される。こうした原子を含めたそれらの構成要素を量子と呼ぶ。原子はその電子の数で性質が変わる。電子が1個だと水素だ。電子が2個でヘリウム、3個でリチウムなどなど。ところで、原子の内部では旧来の物理法則は通用しない。原子内部の量子の法則をまとめたのが量子力学と呼ばれる。水道や川を流れているのは水だ。水は物だが、その水が流れて波を作れば、この波は物ではなく、ある「状態」を表す。電子もやはり物ではなく「状態」である。電子が物であれば、同じ物を数を変えてそろえただけで、性質の異なる物に変化は出来ない。量子力学は「状態」に見られる法則を扱う。この量子力学を応用して、量子コンピューターや量子ビームを使った物質の検査器や癌治療器、宇宙誕生の謎を解くための加速器などがすでに使われている。いずれもまだまだ高額の費用がかかるものだが。最高レベルの科学技術はしばしば軍事技術から生まれている。我々の車のナビや携帯ではあたりまえのようになっているGPSも軍事技術から生まれた。インターネットも同じだ。GPSはしかし、水中では使えない。そこで、イギリス国防省の防衛科学技術研究所(DSTL)は水中でも位置が確認可能な量子コンパス(Quantum Compass)を開発中だと言う。地球の磁場や重力場の情報を取得して位置を特定できるのだと言う。すでに軍事用のテストモデルは完成しており、さらに兵士が利用出来るよう、小型化に取り組んでいるようだ。日本経済新聞は情報通信研究機構が原理的に盗聴が不可能とされる「量子暗号」を使い、個人情報を強力に保護するコンピューターシステムを開発したことを伝えている。利用者がスマートフォンに入れた暗号を解く鍵がないと内容がわからず、のぞき見や個人情報の流出をほぼ防げると言う。医療機関の電子カルテなどで、5年後の実用化を目指す。ところが、この暗号を含めて、既存の量子暗号方式は全て、盗聴者が盗み見ると変化する通信路の雑音量を監視することで、不確定性原理を介して盗聴された情報量を見積るという仕組みになっている。東京大学大学院工学系研究科附属光量子科学研究センターの小芦雅斗教授と佐々木寿彦特任研究員、国立情報学研究所の山本喜久教授らは通信路の雑音量を監視せずにセキュリティを確保できるまったく新しい量子暗号方式を考え出した。これまでの「読まれたら気づく」方式から、「そもそも読まれない」方式への大きな転換なのだと言う。本質的に新しい量子効果の利用法を提唱するもので、暗号にとどまらず、広範囲な発展が期待出来るそうだ。科学の発展の成果は人がそれをどう利用するかで、平和にも戦争にも利用し得る。そして、戦争に利用された場合は現代ではより多くの殺傷能力をもたらすことに繋がる。それを防ぐには、軍事力の増強を国民が抑えるしかないだろう。
高嶺千鳥(たかねちどり)

岩髭(いわひげ)

丁字草(ちょうじそう)

九輪草

鈴虫草 花が鈴虫の羽根に似ているところから

釣鐘草(つりがねそう)

熊谷草(くまがいそう)

休日の一日

2014-05-26 19:13:55 | 文化
今朝は曇天で、海寄りの山を見ると、山背が流れていた。日中には小雨も降り、最高気温は14度までしか上がらない。どうも今年は野菜をはじめ農作物の出来が良くないようだ。匠の方にお聞きすると、熊の民家周辺への出没が異常に多いそうで、山の山菜の育ちも良くないのだと言う。鹿も山菜を食べるので、なお、山菜は良くないのだそうだ。鹿は木も荒らしてしまうので、見かける小鳥たちまでが例年より少ないのだと言う。この冬は山も雪が多く、気温も低かった。それがどうも大きく影響しているようだ。人でもここ何日かの山背や低気圧のせいで、気温が低く、大船渡市ではインフルエンザまで出たと言う。北海道の「リラ冷え」は東北にもあるようだ。 昨日は予定通り住田町赤羽根峠の産直で行なわれている「かっこ祭り」へ行った。かっこうの鳴く頃に咲く花、敦盛草(あつもりそう)に付けられた住田町の呼び名だ。かっこ花。すでに敦盛草の愛好者が集まっていて、役場を退職してかっこ花の育成に努力されて来た橋本勝美氏が講習を始めていた。教材は陸前高田市の仮説住宅に住む方の持ち込んだ敦盛草の植え替えだ。震災前には自宅で何十本も敦盛草を育てておられたそうだ。その自宅が被災して、今は仮設住宅でまた敦盛草を育てている。その一部の敦盛草の生育が良くないので、それを持ち込まれたのだ。土から取り出された根の状態が悪い。橋本氏は消毒液に根を浸した後、杉の木の皮から作られたクリプトモスで根を包み込み、鉢にもやはりクリプトモスを敷きつめて、そこに根を固定させていた。クリプトモスは水はけがいいので、土壌に植えたものより水やりを頻回にしなければならないそうだ。橋本氏は自宅にもたくさんの敦盛草を栽培しておられる。この講習の行なわれているそばには氏を含めた愛好者の方が育てた敦盛草が販売されている。一輪咲きが2500円で、敦盛草としては破格の安い値段が付いていた。しかし、葉は少し小振りのようだ。葉が大きく伸びた二輪咲きのものは6000円となっている。少し前までは4000円くらいだった。やはり、少し、値段が上がって来ているようだ。それでもネットでの価格を考えればまだ安い。さほど大きくはないが礼文敦盛草も置かれていた。クリーム色と純白の両方の花がある。こちらは9000円の値札になっている。我が家のクリーム色の礼文の方がずっと大きい。しかし、礼文で9000円と言うのもやはり、大きさを考えてもかなり安い。敦盛草は育成が他の山野草と比べても難しい。岩手に来て、敦盛草を知り、早速、その魅力に惹かれ、購入したが、何度か失敗をしている。ようやく、昨年あたりから上手く咲いてくれるようになって来た。赤羽根産直の後、遠野の風の丘へ行った。この時期はツーリングのバイクや県外車が多い。風の丘には洋花も多く置いてあり、花の置き場が広く確保されている。ゆっくり時間をかけて一つ一つを見て回った。少しだけ山野草を買って、また引き返し、上郷の夢産直へも行ってみた。こちらも風の丘と同じく、店の前に野菜の苗と並んでいくつかの花苗が置かれている。規模は風の丘より小さいが客はここもひっきりなしにやって来る。ここではめぼしい山野草はいつも店内に置かれているので、外の山野草を見た後、店内へ入った。やはり初めての山野草が2~3置かれていた。それを早速購入すると、レジに立たれた方が、その山野草を育てた方だった。おまけの山野草を付けてくれた上、山野草を育てる上でのコツまで教えていただいた。特に山野草は直射を嫌うと言う話を聞き、夏の直射を避けるための遮光を考えるように注意を受けた。言われてみると住田町の橋本氏も遮光ネットの下で敦盛草を育てている。山野草は山の木々に囲まれた中で育つので、考えてみれば直射を常に受けていない。今後は遮光に気を付けるようにしたい。釜石へ戻ってから、職場の匠のお一人から誘われていた個人の小コンサートへ30分遅れで出かけた。この方の叔父が自作の歌を歌われる。小川の仮設住宅のそばにある小川集会所で行なわれていた。体育館に車を止め、そこから会場までわずかな距離だが小川沿いに歩いていると、近くでウグイスが鳴いていた。同じ道を帰る時にはカジカガエルが鳴いていた。小さな会場ではすでにコンサートが始まっていた。団塊世代より少し下の方のようだ。世界平和や平和憲法の維持を訴える社会派的な歌詞が並ぶ。原発への反意も明らかだ。「偶然」にしか過ぎない「生まれ」でその後の生活環境が大きく変わることへの不本意さも強く訴える歌になっていた。最後の方の語りで、釜石の「復興」への疑問も語られた。もともと何もない釜石で、いまさら何が復興なのだ、と言う基本的な問いかけのように思われた。歌が訴えかけるものには共感出来るものが多く感じられた。釜石のような地方の小さな街にこうした人がいることに驚いた。若い頃には釜石にもあったライブを聴かせる店でも歌っておられたようだ。
橋本氏の講習

個別の質問にも応じていただける

販売されていた敦盛草

同じく礼文敦盛草

遠野風の丘の山野草コーナー

真田丸さんのコンサート

戦場のジャーナリスト

2014-05-24 19:21:52 | 社会
今日は朝から晴れてくれた。曇天や雨が続いたので、やはり、晴れると気持ちがいい。庭の山野草たちも次々に咲いて来る。それを見ているだけで楽しくなって来る。今日は仕事の関係で制約があるため出かけることは出来なかったが、明日には住田町の例年行なわれている敦盛草(あつもりそう)の「かっこう祭」に行ってみたい。職場の近くの駐車場をよく見てみると、意外に県外ナンバーの多いのに気付いた。支援者だけでなく、被災した親たちの面倒を見るために釜石へ戻った人たちも多いのではないのだろうか。あるいは、土日を利用した一時帰省なのかも知れないが。 写真を撮ることを趣味にしていると、必ず、どこかでロバート・キャパ Robert Capa の名を目にする。1954年5月25日、北ベトナムにいたフランス軍に従軍して戦場の地雷によって、40歳で命を落とした「戦場カメラマン」だ。常にドイツのカメラ「ライカ」を持ち歩いていた。前月の4月には日本へも立寄っていた。ユダヤ系のハンガリー人で、第二次大戦中の1939年に米国へ移っている。ヘミングウェイ、スタインベック、そしてピカソなど多くの作家や芸術家とも親交があった。日本人では明治の元勲後藤象二郎の孫の川添浩史が留学中のパリでキャパと親交を持ち、川添を通じてピアニストの原智恵子や小説家のきだみのる、建築家の坂倉準三らとも親交を持っている。キャパは1937年7月12日号の『LIFE』誌に載せられたスペイン内戦の「死の瞬間の人民戦線兵士」、いわゆる「崩れ落ちる兵士」の写真で一躍有名になったが、実際は、戦場で撮られたものではなかったことが後に明らかとなった。しかし、むしろ、そのことがキャパにとって負い目となり、戦場に立ち続けることになった。彼はスペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争の5つもの戦場を撮った。そして、彼の撮るフィルム写真は常に戦場で犠牲になる人間の悲惨な姿を描き出した。科学や文化が高度になっても地球上では戦争が絶えない。いや、むしろ科学技術が高度になればなるほど無差別の大量殺戮が行なわれるようになった。インターネットを初め、軍事技術の開発には途方もない巨額の開発費が注ぎ込まれている。そして、戦争が続く限り、キャパに続く多くのジャーナリストが戦場へ向かう。しかし、そのジャーナリストたちのまた多くがキャパと同じく戦場で命を落としている。米国のジャーナリスト保護委員会(CPJ)によれば昨年1年間で取材活動や戦闘で命を落としたジャーナリストは、少なくとも70人いると言う。他にも拉致されたりして行方不明の者もいる。2,011年から内線が続いているシリアが最も多く、29人で、イラク10人、エジプト6人と続いている。2007年9月にミャンマーで反政府デモを取材中に銃撃されて死亡した長井健司さんは私の父と高校が同窓になる。他にも日本人ジャーナリストも犠牲になっている。2004年イラクで橋田信介さんと小川功太郎が、2010年タイで村本博之さんが、昨年はシリアで山本美香さんがそれぞれ亡くなっている。他にも負傷した日本人ジャーナリストもいる。彼ら戦場のジャーナリストたちの所得は決して多くはない。年収で500~700万くらいで命をかけているのだ。日本人の場合は特にフリーのジャーナリストが多く、生活のために戦場のジャーナリストをやるという以上のものがなければ続かないだろう。1992年以降に戦場で命を失ったジャーナリストは1000人に上る。特に2006年、2007年はイラク戦争で200人以上が亡くなっている。しかも、無事に戦場での取材を終えたジャーナリストも3分の1はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っている。さらに、各メディアの経営が厳しさを増したため、こうしたジャーナリストたちも派遣労働者並みの扱いを受けるようになっている。そのため、戦場経験の浅いジャーナリストが安い報酬で参入し、犠牲者の増加をもたらしていることにも繋がっている。戦場で何が起きているのか、それを知らせることは大切だが、シリアの内戦でも明らかになったように、あえて、ジャーナリストが標的とされる傾向が出て来ている。「真実」を報道されたくないのだ。こうしたジャーナリストや市民の犠牲をなくすためにも戦争の契機をなくす努力の出来る政治家を選んで行かなければならないだろう。現在の日本はまさにその逆を行こうとしている。
桜草

駒草

梅花空木(ばいかうつぎ)

岩千鳥

淡いクリーム色の礼文敦盛草(左)と敦盛草(右)

魚たちの異常行動

2014-05-23 19:15:05 | 自然
今朝は10度で、雨は降っていないが、雲が空を覆い、寒さを感じる朝だった。日中も13度までしか上がらず、やはり薄いコートでも来たくなる感じだった。昼休みに所用で職場の近所を歩いたが、被災した旧商店街の空き地になったところには赤と白の詰め草がたくさん咲いていた。歩道には黄菖蒲も咲き始めている。偶然通りかかった個人宅の庭先にも白い大きな牡丹の花が咲いている。この家も被災したが、建物が新しいせいか、壊れることなく、いち早く、住める状態になり、現在はそのまま住み続けているようだ。しかし、明らかに津波が来れば、危ない場所にある。そうした家で住み続けている人たちが他にもいるようだ。 東日本大震災の地震の2ヶ月前に三陸の沿岸で魚がたくさん獲れた。岩手県の三陸地方では、イワシがよく捕れる時には大地震があるという言い伝えがある。昔から漁師の間ではそうした突然の大漁は海の異変の兆しだと言われて来た。今年に入り、主に日本海側で異例の深海魚の捕獲が続いた。新潟県佐渡市や富山県氷見市、石川県七尾市、鳥取県岩美町、島根県松江市などで、世界最大級の無脊椎動物だと言われるダイオウイカが発見され、秋田県男鹿市、山口県長門市、福岡県北九州市、佐賀県唐津市、長崎県平戸市などでは、硬骨魚類の中では世界最長級と言われる「リュウグウノツカイ」が、また、福井県小浜市、山口県萩市、新潟県長岡市などでは「サケガシラ」が発見されている。いずれも大量に捕獲されることは珍しいと言う。太平洋側でも駿河湾で水深500~1000mに棲息する「生きた化石」と言われる極めて珍しい「ラブカ」が、高知県室戸岬沖では大量の「ホテイエソ」が、また深海魚ではないが茨城県大洗町で、大量のボラが見られている。深海魚に詳しい尼岡邦夫北海道大学名誉教授によれば、日本海の海水温の変化が関係しているのではないか、と言うことだ。下層の15度以下の水温域が上昇して、20度域で棲息していた深海魚が浅海に出て来たのではないか、と言うのだ。一方で、地震研究者の島村秀紀武蔵野学院大学特任教授は、動物は動く際に微量の電流を出し、その電流をキャッチするセンサーも持っていると言う。深海魚は太陽光が届かないため目が退化し、そうした電流のセンサーで周囲の状況を掴んでいるのではないか、と言われる。仮説の範囲だが、プレート境界でズレが起きると、電流が発生するとも言われるので、深海魚がそうした電流を察知したとも考えられると言う。「南海トラフでは巨大地震を繰り返してきたが、近年では静岡の駿河湾沖から高知の室戸岬沖にかけ、目立った地震がほとんどない。プレート同士がかみ合った『固着状態』で、小さな地震も起こさずエネルギーを蓄積している。深海魚は微弱な電流などにも反応するため、地中の異変を察知している可能性はある」と語る。山でも火災などの異変があれば、動物たちは普段とは違った行動をとる。海の魚たちの異常な行動は、海のそれなりの変化があるはずだ。ただ、それが、断層のズレが起きているためなのか、水温などの変化によるものなのか、簡単には結論付け出来ないが、地震と動物たちの関係も今後詳しく研究されてもいいのではないかと思う。一見、非科学的に見えるが、動物や植物は環境変化に適応するように自ら変化する。庭や職場の裏山をいつも見ていると、隣り合った木や花はお互いに枝を干渉し合わないように伸ばしているのが分かる。何を指標にしてそうなれるのか不思議だ。植物にも電流やセンサーがあるのだろうか。いずれにしても、そうして、動植物は環境に対応しようとする。地震の原因である断層のズレも海の中では、必ず、そこに棲息する魚たちに察知されるはずだ。それをいかに解明して行くのか。地震学者と水産学者が共同で研究してみると、面白い結果が得られたりするのではないだろうか。
白い牡丹(ぼたん)の花

石南花(しゃくなげ)

黄菖蒲(きしょうぶ)

赤と白の詰草(つめくさ)

紅白の源平のツツジ

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め判決

2014-05-22 19:14:58 | 社会
昨日からの雨が今日も続いていた。時々雨が止んだりしたが、日はまったく射して来なかった。たくさん雨が降らないためか、職場の裏山にはシジュウカラが何羽かでやって来ていた。昼休みにまた旧道を通って、裏山に入ったが、ニセアカシアが咲いて来ていた。旧道の坂道にある空き家へも寄ってみたが、まだ石南花(しゃくなげ)や牡丹の花が咲いていた。ほんとうに釜石は花が咲いている期間が長いと今日も感じた。今朝、雨の中で庭の山野草を見ていても、やはり同じように感じていた。これだけ花に適した釜石に花の名所がないのが残念だ。 昨日、福井県の関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め判決が福井地裁で下された。大飯原発は地震の際の冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥があり、原発の運転で人格権が侵害される危険がある、と判断された。憲法が保障する人格権を正面から取り上げた、ある意味で画期的な判決である。これまでも下級裁判所ではしばしば、憲法の人権を取り上げ、住民の訴えを保障した判決は下されて来たが、いずれも多くは上級審で覆されて来た。原発などに関しても以前には二つの住民勝訴の判決が出ているが、いずれも上級審で覆されている。1985年9月に福井県住民によって、「もんじゅ」の建設と運転の差し止めを求めた民事訴訟と「もんじゅ」の設置許可を出した国を相手にその無効を求めた行政訴訟が同時に福井地裁に提起されたが、1999年4月に住民側が敗訴し、控訴した住民側が2003年1月には名古屋高裁金沢支部で原発関連では初めて勝訴を得た。しかし、これも2005年5月に最高裁では住民側の訴えが完全に退けられた。名古屋高裁金沢支部で住民側の勝訴判決を下した川崎和夫裁判長は2005年3月1日付けで依頼退官されている。2006年3月24日には北陸電力の志賀原発2号機の運転差し止めを求めた住民側の訴えに対して、金沢地裁の井戸謙一裁判長は「北陸電力の想定を超えた地震で原発に事故が起こり、原告らが被ばくする具体的可能性がある」として、住民側勝訴の判決を下したが、これもやはり、2010年最高裁で棄却された。この時の井戸謙一裁判長も同じく2011年3月31日付けで東日本大震災での原発事故を契機に依頼退官されている。退官後、現在弁護士をしている井戸謙一氏は日本の司法の問題として、戦前、治安維持法に基づいて平和主義者を勾留し、有罪判決を下して来た裁判官が戦争責任を問われず、戦後もそのまま裁判官として残ったことを指摘されている。それでも1970年くらいまでは、新しい憲法を学んだ若い裁判官が増えて、「裁判所の中は非常に自由闊達で、非常にリベラルな判決もどんどん出た」が、政府がそのことに危機感を感じ、裁判所に圧力をかけるようになったと言う。そして、当時の最高裁首脳は「政府に干渉させないために、自主的に、言わば跳ねっかえりの裁判官たちを絞め上げた」。要するに最高裁はいわゆる自主規制をしたわけである。その結果は政府や大企業を利する判決を出すようになってしまった。「良識派」と言われた最高裁元判事の園部逸夫立命館大学客員教授は「最高裁には、行政庁の言うことは基本的に正しいという感覚があるのです。それを理屈立てするために「行政庁の自由裁量」という逃げ道が用意されています。」と述べている。その裁量には二つあると言う。「専門技術裁量」と「政治的裁量」だ。前者は「安全性について「看過しがたい過誤・欠落」がない限り、高度の専門知識を備えた行政庁の判断を尊重する」と言うもので、後者は「例えば、「経済活動に原発は必要」といった行政の政治的判断にゆだねる」と言うもので、「特に最高裁は、地裁・高裁よりも国策的な問題について軽々に判断しにくい」と述べている。つまりは、日本の三権分立、司法の独立はないことを最高裁判事経験者が自ら認めている。今回の福井地裁での住民側勝訴もいずれ上級審で覆されるだろう。そして判決を下した樋口英明裁判長もいずれ「依頼退官」することになるのだろう。国民を守るべき司法が責任を放棄しているのが日本と言う国なのだ。
雨に濡れた石南花( しゃくなげ)

福寿草が咲いていた所に都忘れが咲いていた

牡丹の花もまだ咲いていた

山ではニセアカシアが咲き始めて来た

山藤もまだ咲いている

雨が降り、日が射さないと朴の花は開いて来ない

遠野の遺跡

2014-05-21 19:15:09 | 歴史
今朝は曇天で、海の方向を見ると、山背が出ているように見えた。散歩から帰って、庭の花たちを見ていると、雨が少し降り始めて来た。最高気温は16度までしか上がらず、植物には恵みの雨となった。雨が降ると小鳥たちもあまり姿を現さなくなる。青葉が茂り、雨を避けて、小鳥たちも葉影に入っているのかも知れない。ついこの前に5月に入ったと思っていたが、もう半ばを過ぎてしまって、あっという間に待ちに待っていた、住田町の「かっこう祭」が今週末に近づいて来た。土曜日は仕事で行くことが出来ないが、日曜には行ってみるつもりでいる。毎年、同じ行事があるが、毎回新鮮な知識を得ているように思う。 遠野には北上川の支流になる猿ヶ石川が流れている。その市街地の内陸側のはずれには桜並木がある。1Km以上に渡って並んでいる。その中程の猿ヶ石川の南側の丘陵地、標高270m の高さに綾織新田遺跡がある。6000年前の縄文時代前期前半の遺跡だ。ここは2002年に文部科学省によって国指定史跡に指定された貴重な遺跡だ。通常の縄文遺跡で発見されている住居の4~5倍の広さの大型住居が18棟も見出されている。広場があり、それを取り囲むように墓が作られ、さらにその周囲を囲むように住居や竪穴、土坑、があり、道路や溝も認められている。大型住居内には炉が複数あり、広場に向かう出入り口にはスロープが施され、階段状の施設も認められている。この遺跡の貴重さは多くの大型住居だけでなく、発掘された土器にも見られる。縄文期の東北では秋田から岩手県の盛岡、宮古を結ぶラインの南北で土器が違っている。北では「筒式土器」が見られ、南では「大木式土器」が見られている。この遺跡では類例の少ない大木2・3・4式土器がまとまって出土した。特に3式は極めて珍しい。さらに滑石製ケツ状耳飾りが50点も出土している。同じ遠野の附馬牛にある張山遺跡では青森県の三内丸山遺跡と同じ年代の縄文時代中期(5000年~4000年前)~後期の環状集落跡が見出されている。中央広場を囲んで墓が48基発掘され、それをまた囲むように竪穴住居跡が250棟も見つかっている。発掘された土器や石器の出土量はコンテナで200箱にも及んだと言う。そして墓からは新潟県の糸魚川あたりで産出されたヒスイや赤いベンガラ顔料が発見されており、交易が行われていたことが分かる。遠野には他にも縄文時代早期(9000~7000年前)の大洞遺跡や九重沢遺跡、権現前遺跡があり、さらには9万年前の国内で2番目に古い旧石器時代の金取遺跡がある。この遺跡は阿蘇山の火山灰層から発見されている。阿蘇山のカルデラは北海道の屈斜路カルデラに次ぐ国内2番目の大きさのカルデラで、30万年前から9万年前までの間に4回の超巨大噴火があった。その最後の噴火で北海道まで火山灰が降っている。この時の噴出物の量は富士山の大きさに匹敵すると言われる。火砕流は九州の半分も覆ったとされる。凄まじい天変地異が襲う日本列島で先人たちが生活を営んで来た。残念ながら、今のところ弥生期の遺跡は遠野では見出されていない。
カキツバタ

早池峰薄雪草(はやちねうすゆきそう)

延根千鳥(のびねちどり)

榎本千鳥(えのもとちどり)

八角蓮(はっかくれん)の花が咲き始めた