釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

稲作

2016-10-15 19:14:58 | 歴史
現在、世界最古の稲作は中国長江中流域の玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき)で発見された7粒の稲もみにより、1万4000年前にこの地で始まったと考えられている。中国では稲作はその後の発掘で、次第に長江の下流域へも伝播し、7000年前の河姆渡遺跡(かぼといせき)では大規模な稲作が行われるようになっていた。日本での最古の稲作は今のところ岡山県の彦崎貝塚で、6000年前のものになる。同じ岡山県の6400年前とされる朝寝鼻貝塚でも稲作の痕跡が見出されている。しかし、中国の河姆渡遺跡とは異なり、水田稲作ではなく、焼畑のような形の畑作であった。縄文時代草創期にあたる1万2000年前から5,000年前まで居住された福井県の鳥浜貝塚や5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡である青森県の三内丸山遺跡からの出土物が中国の河姆渡遺跡から出土された物と酷似しており、明らかに中国長江流域の文化が日本へ伝播されている。にもかかわらず、稲作が水田ではない。この時期の日本列島では稲以外の食料が豊かであったために、稲も本格的に栽培されるのではなく、食料の一部として考えられていたのかも知れない。鳥浜貝塚では2艘の丸木舟も発見されている。6000年前にはすでにこうした丸木舟のようなもので大陸と交易が始まっていたものと思われる。おそらく大陸から日本列島に渡って、住み着いた人々もいただろう。この時期に東北に定住していた人たちは、従って、水田稲作についてもすでに知っていたはずである。日本では紀元前930年頃とされる佐賀県の菜畑遺跡が最古の水田稲作とされている。東北では紀元前500年頃の青森県の砂沢遺跡が最古になるが、九州北部から次第に東に伝播されて、最後に東北に至ったものではなく、関東を飛ばして、独自に関東よりも早く伝播されている。紀元前500年頃から紀元後初頭にかけては日本列島は寒冷期に入っている。従って、それまで東北では稲に頼らなくても豊かな自然の実りが食を満たしてくれていたと考えられる。しかし、寒冷化は植生を大きく変えたに違いない。そのため、食料の確保の必要性が生まれ、計画的な水田稲作を取り入れたのだろう。ちょうどその頃、中国の晋では内乱があり、それを逃れて、津軽へやって来た人々によって水田稲作が伝えられた、と和田家文書にはある。東北への水田稲作の伝播は北部九州への伝播とは明らかに異なっている。
一部で紅葉を見かけるようになった