釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

古代から続く隠蔽の体質

2013-11-30 19:22:44 | 社会
今日は雲が比較的多かった。昼頃から少し日が射すようになり、午後は一時青空も広がってくれた。その青空の出ている時に、職場によるついでに、八幡神社のモミジのところへも立寄った。風がいつもより少し強めで冷たかった。それでもそこの山道を健康のために歩いている人たちを何人か見かけた。風でやはりモミジの枝先はかなり散って来ていた。しかし、日が強く射して来ると、透けて見える紅葉はさすがに素晴らしい。一人で見ているのがもったいなく感じた。 釜石の街の中を見ていると、何事もないように日常が流れて行く。しかし、日本全体を考えた時、社会全体が着実に変化している。自然と同じく、留まることがない。釜石へ来て、何もないと地元の人が嘆く、その釜石にこれほど豊かな自然があることに驚いた。東北の自然はとても豊かだ。しかし、その自然の豊かな東北は社会的にも歴史的にも少し軽視されて来た。近代以後はともかく、それ以前は社会的な差はそれほど他の地域と比べてなかったはずだ。しかし、歴史では、あくまでかっては蝦夷の住む未開の地のように描かれて来た。釜石という東北の地にいると、そこに疑問が湧いて来る。東北の歴史を調べていて、最初は奥州藤原氏や安倍氏の事蹟に触れたが、そのうち例の『東日流外三郡誌』に出会い、さらに古田武彦氏を知るに及んで、日本の歴史そのものに隠されていた部分があることを知った。柿本人麻呂のような秀でた万葉歌人の素性が曖昧であることに以前から疑問は感じていたが、ただそれは記録が消失したためだと単純に考えていた。記録は確かに消失した。「禁書」の令により、重要な大和王朝以前の記録がことごとく抹殺されていた。中国の史書にも「阿蘇山」の見えるところに王朝があったことがしっかり記されている。大和王朝以前に九州には九州王朝があり、白村江の戦いを戦ったのは九州王朝であった。文献だけでなく、考古学的な九州の遺跡も天孫降臨の地が九州であったことを示している。宮内庁が何故天皇陵を発掘させないのか。発掘すれば、天皇陵とされたものが違っていたことが分かってしまうからだ。日本と言う国は歴史を偽り、史実が秘匿され、今なお、多くの秘密に包まれて国政が行なわれている。今後もますますその秘密のベールを広げようとしている。隣国の秘密国家とどこが違うのだろう。敗戦以来、大国に従属し、「改革」と称してこの国を売り渡して来た。TPPで、それをさらに上塗りしようとしている。明治維新は列強に食いつぶされないよう、独立を堅持するために「富国」を目指して教育や研究者の育成に力を入れた。しかし、今やそれら教育、研究は財政難を理由に削られる一方だ。製造業の熟練労働者により成し遂げられた経済成長も、その熟練労働者を次々に切り捨てることで、傾いてしまった。ただ国費の浪費でしかない軍備をいまさら増大させて一体何をしようと言うのだろう。経済大国かつ軍事大国が大国の証しとでも考えているのであろうか。足下が崩れ始めているにもかかわらず、一層、重い荷を背負い込もうとしているようにしか見えない。先日、広島高裁岡山支部は7月に行なわれた参議院選挙は「違憲」であり、「無効」だとの判決を下した。常識的にとても分かりやすい判決であった。この参議院選挙では有権者のわずか35%の得票で与党は過半数の議席を獲得している。こうした茶番が最高裁段階で維持されてしまうのだ。調査報道をせず、広告費のために企業にすり寄り、官僚からのおこぼれ情報にすがることを覚えたメディアは「社会監視」という本来の機能を失ってしまった。「民主主義」のシステム自体がもはや崩壊しているのが今の日本だ。
見頃を迎えた11月最後の日の八幡神社のモミジ