釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

山の片栗の花

2012-04-22 19:17:18 | 文化
今朝起きるともう子供たち二人は出かけていた。息子の参加しているボランティア団体の方が気仙沼キャンプから同じ宮城県の登米キャンプへ移動するのを手伝うためにかなり朝早く出かけて行ったようだ。昨晩も遅くまで起きていたので、ほとんど二人とも寝ていないのではないかと思う。運転が心配だ。朝から今日も曇天で、日中は気温が10度ほどだった。娘と息子の二人がいないので、気になっていた片栗の花を見に行くことにした。釜石の八雲神社がある大天場山の斜面に群生地がある。行ってみるとちょうどいい時期で、一面に片栗の花が咲いている。他に人は誰もいない。愛知県に住んでいた頃は岡崎市から豊田市の足助町にある香嵐渓にまで出かけて片栗の群生を見に行った。足助川と巴川の合流点に近いところに群生している。しかし、ここでは大勢の人が群落を見にやって来る。釜石だとわざわざ片栗の花を見に来る人もいないようだ。独りでたっぷりと片栗の花を見て回った。よく見ると2~3カ所で延齢草も自生していた。白い花が咲き始めている。片栗の薄紫の花弁もきれいだが、中心部の独特の濃紫色の文様もきれいだ。斜面を這うようにして片栗の花を見ているうちに、いつのまにかどこかでポケットに入れていた車のキーを落としてしまった。自分が移動した場所を最初から歩き直してやっと見つけることが出来た。見つからなければ大変な距離を歩くことになっていた。タンポポや早咲きの桜も近くに咲いていた。これほどすばらしいところでも人が来ないというのが釜石らしいのかも知れない。ついでだからと、橋野の産直に行くことにした。両石地区も鵜住居地区も変わらず、誰も住んでいない。ただ家の土台だけが見える範囲にたくさん残っているだけだ。笛吹峠に向かって走っていると熊の剥製が二つ道路そばに置かれているのに気が付いた。釜石近辺には猟銃会の人たちがたくさんいて、中には自分でしとめた動物を剥製にする腕まで持っている人たちがいる。残念ながら橋野の産直にはあまり物が置かれていなかった。来た道を引き返して、鵜住居へ戻り、常楽寺へよってみた。以前ここでも片栗の花をみたことがあったので、どうなっているかみたくなった。常楽寺は津波で跡形もなく消えていた。ただ仮の鐘楼だけが再建されて、鐘がつり下げられていた。山の斜面をみるとまばらに片栗の花が咲いているのが目に入って来た。よくよくやや上の方まで眺めてみると、それなりの群落がある。やはり津波のとどかなったところは以前と同じくたくさん咲いている。少し道にそって残っている墓の方へ歩いて行こうとするとすぐそばから、突然、雌のキジか山鳥が翔るように飛び立って行った。また車で山田町方向へ走り始めると、45号線沿いで津波の記念碑が目に入った。車を止めて、近くで見ると、昭和8年の津波の記念碑だった。隣には小さな山神の石碑があり、反対隣には江戸時代と思われる国土安穏を祈願した石碑が並んでいた。少し離れたところには急傾斜の階段と赤い鳥居があり、津波避難場所と書かれてある。神社名が見渡しても見当たらない。このあたり一帯は今回も津波で大きな被害が出たのだ。結局山田町の産直でも山野草などはまだ出ていなかった。今日は片栗の花をたっぷりと味わえた一日だった。
大天場山の片栗の群生の一部

毎年この片栗の花には惹かれてしまう