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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

大島海峡東岸紀行 弐拾四

2006年08月21日 07時54分36秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 弐拾参よりつづく。

深い緑の中に半ば埋もれた神社を後にして、小名瀬(こなぜ)・阿室釜(あむろがま)間の道を進む。
比較的、細かなアップダウンが続いていたここまでと異なり、山腹を斜めに横切る急坂をひたすら登り、ひたすら下る。
道路は新しく、道幅は広い。
道路脇の斜面には、野生の花が咲き乱れている。



ノボタンは、梅雨と梅雨明けの花。





シバハギか?
本州では盛夏の花だが、梅雨の晴れ間に咲いているとは、さすが南の島である。





ゴンズイの赤い実は、入梅頃から目立ちはじめ、夏の盛りにも山のあちこちに見られる。
郊外に出たら、この赤い実を目にしないでいる方が難しいほどあちこちで見かけるのだが、じつのところ邪魔者扱いされることが多いようだ。
オレ自身、鳥類に詳しいとはいえない方なのだが、この実を鳥がついばんでいるのは見たことがない。
わずかに葉が豚やヤギの飼料になる以外には、熟した実を鑑賞するしかないこの木の用途について、何か思い付いた方はコメント欄にご一報ください。

つづく


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大島海峡東岸紀行 弐拾参

2006年08月19日 00時25分51秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 弐拾弐よりつづく。

小名瀬(こなぜ)から阿室釜(あむろがま)方面に少し行くと、木立の奥に滝が垣間見える。
この付近は路幅は広く地形も平坦で快適なので、つい見落としがちなのだが、注意して通行するといいだろう。
ほどなく道は急角度の上り坂となる。



その途中に、小さな脇道を見つけた。



巨大なクワズイモの葉。
地面からの高さは3mほどか。
中心部には白い新芽がでて、おびただしい数の小さな虫を集めていた。



セスジツユムシか?
どこからともなく葉の上にやってきた。



そしてキノボリトカゲを発見。



脇道の奥には、鳥居と参道が。
亜熱帯の強い風雨に晒されてか、黒ずんだ鳥居の額にはただ「奉納」とのみある。
雑草に覆われた参道を登るべきか。
しばし悩んだあげく、やはりハブの恐怖には勝てず、バイクで先へ進むことにした。

つづく


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大島海峡東岸紀行 弐拾弐

2006年08月17日 00時49分09秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 弐拾壱よりつづく。

阿鉄(あてつ)から小名瀬(こなぜ or くなしぇ)へは、海岸沿いの細かいカーブの続く狭い道を行く。
道が下り坂になって広くなったら、静かな入り江の向こうが小名瀬だ。
県道と集落が隣接していたり、あるいは県道を包むように拡がる他の集落とは一味違い、小名瀬は県道と集落の間に小さな川が造る干潟を挟んでいる。



県道から集落に至るには、この小さなマングローブが育つ干潟に造られた道を通って行くのだ。
もちろん、集落ができたのは県道が造られるよりも遥かに昔の事である。
しかし、この小さな距離が、小名瀬集落に不思議な彩りを添えていることも確かなのだ。





マングローブ(メヒルギ)。花は6月頃から咲くそうだが、梅雨明け(6月末~七月初)以降が見頃だろう。



干潟に住むのは、飛び出た目玉が特徴のハゼとカニ。



小名瀬の集落は、全部で30世帯ほどか。
静かな入り江に、腰ほどの高さの防波堤が築かれ、軽トラックがやっと通るほどの道路を隔てて家がある。
堤防が切り開けられた箇所には漁船が舫われ、干潟の奥の平地に作られたパッションフルーツの果樹園や林業が主な産業らしい。

県道から入れば数軒の家を過ぎたところに、土俵と〔公民館兼林業研修所〕があるばかりで、
他に目立つ物といえば崩落防止の大規模な法面(のりめん)工事くらいなものだ。
小さな集落の平和な暮らしの中に、いたずらにバイクの排気音ばかり響かせるのもためらわれる。
早々に、次なる集落、阿室釜(あむろがま)へと向かうことにする。

つづく


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大島海峡東岸紀行 弐拾壱

2006年08月15日 01時01分08秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 弐拾よりつづく。

阿鉄集落のすこし奥まったところに、尾根の端が平地に消えていくところがある。
残らず農地と宅地に色分けされた中に、あきらかに異質な部分である。
用水路に架かった小さな橋を渡って、その異質な部分に足を踏み入れてみよう。



すこし登ったところに頑丈そうなコンクリート製の鳥居が立っている。



御影石の額には〔厳島神社〕の四文字が力強く記されている。
鳥居をくぐって、参道を進んでみよう。



コンクリート製の階段が刻まれていたのは最初のうちだけ。
赤土の参道には、緑の苔がちりばめられている。
参道は尾根の稜線上を進み、両脇には老木とまでは呼べぬまでも幾多の歳月をたえたリュウキュウマツが立ち並ぶ。



参道の最後には、板状の石を地面と垂直に埋めて、段の部分が雨水に流されないように設えられた階段。
参道の向こうには小さいが堅牢なコンクリートの社殿が建てられている。
境内は、ザトウムシの運動場であった。
頭上には、鳴き騒ぐカラス。

社殿手前の石段といい、リュウキュウマツの参道といい、浅からぬ歴史のありそうな一画なのに、鳥居と社殿は、妙に新しく見える。
清水(せいすい)の厳島神社につづく二つ目の〔厳島神社〕は、なにやらひどくミステリアスだ。
参道を下って単車を停めたところに戻りながら、次の小名瀬(こなせ or くなしぇ)集落にはどんな神社があるのだろうかと考えている。

つづく


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大島海峡東岸紀行 弐拾

2006年08月13日 00時38分58秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾九よりつづく。

油井(ゆい)集落から油井隧道を抜けて阿鉄(あてつ)に至る。





集落の端で見つけたハナシュクシャ



集落の奥に石碑を見つけた。



過疎化による小中学校の休・廃校は、奄美群島の各地で今なお続いている。
昨年の春も歌手・元ちとせさんが卒業した嘉徳小学校が廃校となった。
また、元さんの先輩の歌手RIKKIさんも、父親の卒業した中学校が廃校の危機に瀕したということで、二年間を加計呂麻で過ごしたという。<こちらの中学校は、無事、存続している。
尋常小学校が(おそらく児童数が少なすぎることで)閉校し、隣の油井集落の学校との合併を強制されたのを、住民運動で分校として存続させたというのはイイ話ではないか。
《同盟休校一年》というのも想像を逞しくさせる話だ。



石碑と向かい合って立つアコウの木。
小学校が建設された最初の日も、最後の瓦礫が持ち去られた日も、きっと見ていたのだろう。

阿鉄の話、もう一回あります。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾九

2006年08月11日 00時35分37秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾八よりつづく。

前回でも触れたが、須佐礼集落と油井集落はひじょうに近い。
ここに住んでいる人なら両集落の違いを認識できるのだろうが、通りすがりの旅人の目にはひとつの集落にしか写らない。



油井といえば、平家の来島以来、800年の伝統をもつとも言われる《油井の豊年踊り》である。
まだオレが東京にいた頃、渋谷のNHKホールでも上演されたのだが、別な用事で見に行けなかった。
島に来てからも、問答無用の旧暦八月十五日開催では内心「これは無理かも」と思いはじめていたのだが、
幸運にも昨年、日曜日開催となった豊年祭を見に行くことができたのだった。
その時の模様(半分ほどだが)は本宅の生活報告帳 アーカイブに掲載しているので、興味のある方はご覧下さい。



油井集落と、隣の阿鉄集落を結ぶ油井隧道(275.3m)に代わるべく、新しい油井トンネルが工事中である。



こちらは阿鉄側から見た油井隧道。
向こう側の出口はすぐに右にカーブを描いているため、速度には注意されたい。
また、工事の関係か、阿鉄側は100mほどに渡って舗装が剥がされた状態になっている。
油井側から行けば、下り坂のカーブがジャリ道になっているので、こちらも速度には注意すべきである。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾八

2006年08月09日 00時53分05秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾七よりつづく。

久根津(くねづ)からさらに大島海峡沿いに進むと、須佐礼(すされ)集落に至る。
ここは、鹿児島県指定の無形民俗文化財《油井の豊年踊り》で有名な油井(ゆい)集落の隣である。
油井集落があまりに有名なことと、住所区分に須佐礼という地名がない(瀬戸内町油井613番地以降が須佐礼に当たる模様)ため、外来者にとっては目立たない地名である。
例によって二つの集落の間には衝立(ついたて)のような尾根筋が横たわっているのだが、
ここに限ってはそれがひじょうに低く狭いため、二つの集落は一つの入り江に面した状態となっている。
また、この付近の県道79号線が改修された際に、二つの集落を隔てる地形的な特徴を消し去ったのではないかということもある。





集落としては目立たない須佐礼だが、そのせいかゆったり構えているように見える。
小川、小舟、アコウの木、というセットは通り過ぎる人の記憶にも残るはずだ。



とはいえ、《南方単車旅案内》的には、もう少しカラフルな画像があれば、なおありがたい。
そこで、須佐礼と油井の間にある油井岳(大島海峡東岸紀行 拾四拾伍 参照)へ向かう林道(全線舗装)の入口の脇に細い道を見つけたので、
神社でもないかと〔ハブ用心棒〕を掴んで登ってみることにした。



用心棒で両脇の草を叩きながら登る。
かなりビビっている。



登ってみれば、なんてことはない。
防災無線のアンテナとスピーカー、それに祝日に国旗を掲揚するための旗竿が立っているだけだ。
少なからず気を落としながら、次の油井集落に向かうことにした。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾七

2006年08月07日 00時45分55秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾六よりつづく。

不思議な鳥居(?)を見つけた手安(てあん)を後にして、次に向かうのは久根津(くねづ)である。
手安からしばらくは、狭い、見通しの悪い区間が続く。
道の両脇はリュウキュウマツが主役の赤茶色で、丈の低い木やツタ植物の緑が鮮やかだ。
タイトターンのひとつを抜けたところで視界が開ける。
今度は低木や草本類の緑が主役となり、晩春から初夏はゴンズイの赤、初夏から夏にかけてはノボタンの紫色がアクセントとなる。
快適なワインディングロードを適度な速度で楽しむ。



このあたり、野良ヤギの目撃率が非常に高い。



古仁屋(こにや)方面から久根津へは、海に張り出して架けられた橋を渡っていく。
浅瀬の上を通っているので、干潮時には完全な陸橋になる。
高知山展望所から見下ろすと、大島海峡は箱庭のようだ。



橋の上から久根津の入り江を眺める。



久根津集落内から橋をふり返る。



久根津では、大正期には捕鯨基地があり、主としてザトウクジラを獲っていたという。
橋の飾りにクジラが使われているが、《横転しているのがミソ》ということか。
ところで「これってシロナガスクジラじゃないの?」というツッコミは、現地で実物を見ながらしてください。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾六

2006年08月04日 01時50分24秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾伍よりつづく。

油井岳から古仁屋(こにやorくにや)の戻り、ふたたび大島海峡沿いを進む。
手安(てあん)集落は、旧・日本軍が建造した弾薬庫で有名な集落である。
沖縄に次ぐ本土防衛の拠点として考えられていた奄美大島南部には、大島海峡の両岸に特攻兵器・震洋(しんよう)の基地が置かれ、大島海峡の北端の西古見(にしこみ)集落には砲台が築かれていた。
もちろん、現在では火薬はおろか可燃物もほとんど取り除かれ、観光客も案内無しで自由に見学できるようになっている。←もちろん、最低限の規制はある。
そうした《暗い》、《狭い》場所に一人で入っても面白くも何ともないと考えるオレは、
弾薬庫が自動車学校の向かいにあることを確認したら、すぐに「ナニか別なオモシロイ物を」と探しはじめる。



そして見つけたのが、これ。
異論はあるかもしれないが、形状から判断するに《鳥居》として建てられたものであろう。
正直いってハブが怖いのだが、雑草に覆われた参道(?)を上ってみよう。

上りやすいようにとコンクリートで覆った部分はすぐに尽きて、ビニールパイプを器用に組み合わせた手摺もなんだかふらふらと危なっかしくて、
それでもたまには人が通るらしく、長めの歩幅の間隔で抉られた坂道をハブに脅えながら上る。
一列になって歩くとき、ハブは3人目を襲うのだ、とは島に来てからさんざん聞かされた話。
だから3人目は杖をつけ、並んで歩け、という。
一人の方が危なくないのかと聞けば、行きはよいよい帰りは怖い、と話す者もいる。
「好奇心が猫を殺す」とはイギリスの諺だが、なんでわざわざ自分から、と腹立たしくも思いながら上り詰めたところで道が尽きた。
頭上では、カラスがさかんに鳴き騒いでいる。
来てはいけない所にオレは来てしまったのではないか。



木の根元に石が組んである。
これは、いわゆる神社神道の定義にあたる神社、あるいはその神域ではない。
もっと原始的な民間信仰の祭祀のための場ではないのか。
どうやら、琉球文化の御嶽(うたき)にあたる場所のようだ。
だとすれば、ここにはノロ、ユタの人以外には来る者は少ないはずだ。荒れ果てているのも当然か。
いや、それ以前に〔できるかぎり自然のまま、手を加えず〕という意識があるのかもしれない。
模造品のような鳥居や粗い造りの参道は、宗教法人法の規定する神域の体裁を整えることが目的ではないのか。



手安集落に関しては、もはやじゅうぶんに堪能したような気もするが、とりあえずいちばん奥まで行ってみることにした。
どこへ通じているのか林道の入り口がある。
鬱蒼と繁る緑は危険な匂いに満ちている。
「冬にまた来るぞ」
県道に戻り、久根津(くねぃづ)集落へ進む。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾伍

2006年08月02日 01時16分49秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾四よりつづく。

〔高知山展望所〕から〔油井岳園地〕へは、尾根筋に沿って一度下り、もう一度上る。
距離は1kmあるかないかだ。



途中に一、二箇所、歩道が設けられ、椅子状の石が置かれている。
そのうちのひとつで停めて、大島海峡を見下ろす。



なお、〔油井岳園地〕からは大島海峡の眺めはよくない。
どの角度からどう眺めても、電柱と電線が視界に入るのだ。



園内にはシャリンバイ、ヤエノオオシマザクラ等が植えられ、3月下旬から4月中旬が見頃である。



大島海峡方面の視界はよくないが、東の阿木名(あぎな)方面はよく見える。
中央に阿木名川が見える。
河口で釣りをしている奄美カンポンLIFEが見えるだろうか?
もし見えたら、眼科医に行くことをお奨めする。



〔高知山展望所〕を眺める。
右側は鹿児島のTV局のアンテナで、左側はNTT-docomoのアンテナ。

〔油井岳園地〕には、コンクリート製の頑丈そうな〔休憩所兼トイレ〕があり、
また〔高知山展望所〕にもあずまや風の休憩所があって、どちらもテントを持たない《野宿キャンプ愛好者》には好適に見える。
ただ、どちらも設置されている水道の蛇口に「飲用ではありません」の注意書きがある。
やはりこの辺りではヤドリ浜キャンプ場がもっとも使い勝手がいいようである。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾四

2006年07月31日 00時14分40秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾参よりつづく。

高千穂神社を後にして、さらに内陸へと向かおう。
目指すは、地頭峠。
地頭峠は、古仁屋(こにやorくにや)と阿木名(あぎな)集落を隔てる、高知山(たかちやま)山系の一部である。
平成7年に地蔵トンネル(1,065m)が開通するまでは、長らく交通のボトルネックとなっていた峠であった。
トンネルの50mほど手前の地元のコンビニ、アイ・ショップの横から旧道が分岐している。
旧道を上り詰める手前に、左へ脇道がある。
〔油井岳入口〕、〔油井岳展望台〕、〔古仁屋ゴルフ場〕といった案内で賑やかな交差点である。



脇道は、山腹を回り込みながら急角度の坂を駆け上がり、尾根伝いに延びていく。



原付や自転車ではかなり苦しいのではないか、と思われる急坂も交えながら2kmほども行くだろうか、高知山展望所への分岐に至る。



駐車場の向こうには芝生の広場がひろがり、春先はヒカンザクラが何本も咲き誇る。
展望所へは、写真の右に階段が見える遊歩道を行く。



遊歩道で見つけた虫。
ゴキブリではなかったのは間違いないが、アングルを凝りすぎたか、なんだかよく判らない写真になってしまった。



展望台には大型の固定式双眼鏡が備え付けられている。
デパートの屋上や、観光地の展望台なんかにある、30円とか50円とか入れると何分間か見られるアレである。
ちなみに、ここのは無料。
接眼部にデジカメをくっつけて加計呂麻島の瀬相港を撮ってみた。距離はおよそ12km。
カメラのほうのピントが合っていないのが苦しいところ。
春先には大島海峡にクジラが入ってくることもあるそうだから、天気のいい日にビールの2本も持って行って一日眺める、というのもいいかもしれない。



双眼鏡のない側から〔油井岳園地〕の方を眺める。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾参

2006年07月29日 00時02分07秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾弐よりつづく。

清水(せいすい)を後にして、向かうのは奄美大島南部の主邑・古仁屋である。
例によって集落を隔てる小さな尾根を越えると、道の右側に階段が設えられている。



バイクを路肩に寄せて停め、数歩登ったところで暑さと空腹に負けて足が止まる。
目を転じると朽ちかけた案内板がある。
それによれば、ここは遊歩道で、全長はおよそ1km。
往復2kmという数字に目の前が暗くなるのを覚える。
樹木の隙間を矢のように飛び去ったのはアカショウビンか、幻覚か。
「またという日がある」
ということで、古仁屋にて昼食を取る。
なお、古仁屋の昼食事情に関しては、オレの場合
 低←←優先度→→高
味・質   量   価格
となるので、あまり参考にしないほうがいい。
そこらへんの情報に関しては、あげーの島 奄美:島の食べる・飲むお店あたりがいちばん充実しているようだ。



古仁屋の街で胃の腑を宥めた(冷やし中華・700円)ところで、すこし内陸へと入ってみよう。
国道58号線を奄美市方面に向かうと、すぐに地頭峠への上り坂になる。
その上り坂のとっつきに、神社がある。
身を屈めないとくぐれないような、小さな鳥居ばかり眺めてきた(古仁屋は、今回の集落巡りでは最後の方になった)ので、ちょっと圧倒されるようなサイズの鳥居である。
この神社は、高千穂神社。古仁屋神社でも瀬戸内神社でもない。
〔高千穂〕といえば、宮崎県北西部である。
九州の背骨とも呼ばれる九州山地の、ほぼ真ん中にあたる。
阿蘇山に源を発した五ヶ瀬川のほとり、天皇家の祖である神武天皇が当初、根拠地としていた所である。
神武天皇については実在を疑われているが、日本神道において〔高千穂〕の地名はどう頑張っても無視できない存在である。
そんな地名を冠した神社が、どうして奄美大島にあるのか?



参道をゆっくり歩くこと5分で社殿に至る。
社殿の手前の鳥居に刻まれた文字は、右に「敬神崇拝」、左に「民心作興」とある。
左の「民心作興」の下には揮毫者として陸軍中将某氏の名前がある。
想像するに、これは戦前のものではあるが、「進め一億火の玉」時代にはまだ間がある頃ではないか。



鳥居をくぐって社殿に至る。
頑丈一点張りの造りだが、まさか建立当初からこの社殿だったわけでもあるまい。
他に、境内にはいくつか石碑が建てられていて、昭和2年の天皇行幸を記念している。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾弐

2006年07月27日 00時52分35秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾壱よりつづく。

清水(せいすい)は、大島海峡東岸の主邑である古仁屋(こにや)に近く、白く広い砂浜と静かな内湾を持つことから、海水浴場として地元でも人気がある。



季節は6月。
梅雨の晴れ間の太陽は強い日差しを降りそそぎ、小さな子どもとお母さんたちが波打ち際で遊んでいた。



そんな浜で、デイゴの写真ばっかり撮っているオレは、立派な奇人変人に見られているのではないかと心配しつつ。



「サネンバナの向こうにデイゴの花」という構図が欲しくて探してみたり。



あまり咲いていない木もある。

清水からは清水・阿木名(あぎな)林道がある。興味がある方は、昨年9月の記事をどうぞ。
もっと清水で見たいところもあるのだが、それはまたの事にして、古仁屋(こにやorくにや)へ向かおう。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾壱

2006年07月25日 02時07分52秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 拾よりつづく。

マネン崎から清水(せいすい)へと坂を下る。
道幅は狭く、木立の影となって昼なお薄暗い。



清水集落の直前に、神社を見つける。
頑丈なコンクリート製の鳥居が、やはり南の島だと思わせる。



短い参道を上がって行く。
社殿の扁額には墨痕くろぐろ『厳島神社』とある。
ナゼ、広島県廿日市にある、六世紀末に建立され、十二世紀の終わりに平清盛によって現在の社殿が建てられたことで有名な神社と同じ名称の神社がここにあるのだろうか。
いくらか調べた結果、おぼろげに考えもまとまりつつあるが、それについてはおいおい触れていこうと思う。



季節は6月。
他ではちょろちょろとしか見られないデイゴの花が、清水では数多く見られた。
樹の品種でも違うのか、謎である。



民家の庭先にパパイヤの木。
奄美では、果実をフルーツとしては扱わず、熟す手前の実を醤油漬けにして、薄切りにして食べる。
わずかに青臭い風味とこりこりとした歯応えが独特である。
お茶漬けにトッピングするとたいへんよろしい。

つづく


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大島海峡東岸紀行 拾

2006年07月23日 01時01分57秒 | 南方単車旅案内
大島海峡東岸紀行 九よりつづく。

古来、奄美では、人は入り江ごとに小さな集落を作って住んでいる。
島は、全体がそれほど高くない山に覆われている。
山は海の生み出す水蒸気を集めて雨を降らせ、雨は山を穿って谷を造り、谷は海に至って入り江となる。
谷は山の栄養を海に運び、人は海から糧を得る。
大きな循環の上を動く小さな物で、人は活かされている。
それを忘れさせまいとてか、山は、その尾根を海に落とし、入り江を隔てている。



嘉鉄(かてつorかてぃち)と清水(せいすい)を隔てる尾根の、少しだけ広がったところにマネン崎展望台と呼ばれる小公園がある。



県道を敷設する工事の際に、軽く整地されたのではないかと思われるが、その後、地元の有志の方々の手によって整備され、
今では観光客のみならず、地元の人々にとっても憩いの場になっている。



大島海峡を隔てて対岸の加計呂麻(かけろま)島の待網崎灯台が見える。
大島海峡の南の出口ということもあって、かなり潮流が激しいのか、海面にも潮の流れが造る筋が見える。



琉球松の向こうに見えるのは嘉鉄の集落。



突然、ヤギが3匹、散歩に現れた。
大きな白ヤギは膨れた乳房から、あきらかにメスだ。
2頭は、その子供か?
春先に生まれた当歳仔だろう。生後5ヶ月前後、といったところか。
驚かさないように、と慎重にカメラを向けていたが、不穏な気配を察したか、母親を先頭に急斜面へ消えていった。

つづく


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