大島海峡東岸紀行 参拾八よりつづく。
深く小さな入り江に面した伊目(いめ or いむぇ)集落から、ふたたび登って下って久慈(くぢ)集落だ。

伊目と同じ久慈湾の、さらに入り江に面した集落だが、こちらは、入り江じたいが開けているせいで、ずいぶん明るく開放感を感じる。

大島海峡の周辺に限らず、奄美大島全体で内陸の交通が発達しはじめたのは、昭和30年代も後半に入ってからだが、久慈集落は、その影響を大きく受けた側ではないだろうか。
同じ大島海峡沿い、約10km北の西古見(にしこみ)集落はカツオ漁の基地として栄えていたのだが、
陸路を辿って西古見へ向かうには、久慈集落は避けて通ることはできない。
また、久慈からは険しい山越えのルートながら宇検村の名柄(ながら)集落と結ぶルートがある。

名柄は、焼内(やけうち)湾に面した集落で、宇検村でも比較的規模の大きな集落である。
80mほどの水深があるという焼内湾は、第二次大戦中の日本海軍の集結地のひとつとされていたという。
陸上交通が二次的なものでしかなかった時代から、久慈は大島海峡の両岸では主邑といえる古仁屋を含めた三方向のジャンクションなのだ。

神社はある。
しかし、今回は、神域には入らない。
遠目から眺めるだけだ。
鳥居の手前は雑草が生い茂っている。
そして・・・、

参道の入り口脇の歩道には、車に轢かれたヘビの死骸が落ちている。
この神社に関しては、また他日としよう。いつになるかは判らないが。




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深く小さな入り江に面した伊目(いめ or いむぇ)集落から、ふたたび登って下って久慈(くぢ)集落だ。

伊目と同じ久慈湾の、さらに入り江に面した集落だが、こちらは、入り江じたいが開けているせいで、ずいぶん明るく開放感を感じる。

大島海峡の周辺に限らず、奄美大島全体で内陸の交通が発達しはじめたのは、昭和30年代も後半に入ってからだが、久慈集落は、その影響を大きく受けた側ではないだろうか。
同じ大島海峡沿い、約10km北の西古見(にしこみ)集落はカツオ漁の基地として栄えていたのだが、
陸路を辿って西古見へ向かうには、久慈集落は避けて通ることはできない。
また、久慈からは険しい山越えのルートながら宇検村の名柄(ながら)集落と結ぶルートがある。

名柄は、焼内(やけうち)湾に面した集落で、宇検村でも比較的規模の大きな集落である。
80mほどの水深があるという焼内湾は、第二次大戦中の日本海軍の集結地のひとつとされていたという。
陸上交通が二次的なものでしかなかった時代から、久慈は大島海峡の両岸では主邑といえる古仁屋を含めた三方向のジャンクションなのだ。

神社はある。
しかし、今回は、神域には入らない。
遠目から眺めるだけだ。
鳥居の手前は雑草が生い茂っている。
そして・・・、

参道の入り口脇の歩道には、車に轢かれたヘビの死骸が落ちている。
この神社に関しては、また他日としよう。いつになるかは判らないが。
つづく




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