南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

10月のフツーの海 iv

2009年10月30日 00時36分08秒 | 奄美のフツーの海
お久しぶりの《フツーの海》です。
10月の更新は、おそらくコレが最後になるはず、つーこともありまして、ちょいと多目の古い写真を並べてみました。


2006年10月21日 龍郷町安木屋場。


2006年10月21日 龍郷町屋入(やにゅう)。


2006年10月21日 奄美市佐大熊。


2006年10月22日 宇検村田検。


2006年10月22日 宇検村生勝。


2006年10月28日 笠利町用(笠利崎灯台)。


2006年10月28日 笠利町用(笠利崎灯台)。


2006年10月28日 笠利町喜瀬(打田原)。


2006年10月28日 笠利町喜瀬(打田原)。


2006年10月28日 笠利町喜瀬(打田原)。


2006年10月28日 笠利町喜瀬(打田原)。


2006年10月28日 笠利町喜瀬(打田原)。

はい。
ではまた来月。

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踊りの季節・拾参 笠利町喜瀬2008

2009年10月29日 00時31分40秒 | デキゴト
「まだ続くのか」と呆れておられる方も随分と居らっしゃるかとも思いますが、《踊りの季節》、今回の[笠利町喜瀬2008]でひと段落です。
いやー、長かった。
とはいえ、今週末には以前に掲載した赤木名と今回の喜瀬を含む笠利のいくつかの集落、そして龍郷町の大半の集落の『種下し』・『豊年祭』が予定されております。
オレも、2日間で3箇所を巡るという正気を疑われるような計画を立てておりますので、早ければ来週にも《踊りの季節 XX町XX2009》が出てきてしまう可能性もあります。ドーナルコトヤラ。



けっこー早い時間に喜瀬に着きまして、それがまたアダになったというかyama42にアシスタントとして現地調達されちゃいました。



これは、ほぼどの集落でも共通している現象ですが、『打ち出し』と呼ばれる八月踊りの唄をリードする方が高齢化して、踊りの輪の中に入れない。
ということで、喜瀬集落では『打ち出し』の方には輪の外で唄ってもらい、その唄声をマイクを使って踊り手に届けようという試みで、そのアシスタントに使われちゃうことになったオレです。
「うん、えーよ」とふたつ返事で引き受けたオレですが、yama42の『自前ポータブルPAセット』を見た瞬間、血の気が引きました。
ケーブル・コードの類がデキの悪い鳥の巣真っ青の状態でごしゃごしゃぐじゃぐじゃ。
「こ、こいつを先ずなんとかしたいっ!」
整理整頓という言葉に1Å(オングストローム)ほどの接点も持たないオレですが、こーゆーのだけはダメ・ゼッタイ
1982年頃という太古の時代のハナシですが、この類の件で殴られた後輩もいるので、皆様、ご注意ください。
「ケーブル、整理していい?」
「あ、もうはじまるから駄目」
仰るとおり。





恙無く踊り行事は進み、六調です。
道の島太鼓メンバーというオジョーサンが打つんですが、いやはやお見事。



鹿児島から赴任してきた音楽の先生も挑戦します。
おぉ、けっこーツボを掴んでますね。



3軒くらい(スンマセン細かい事は忘れました)廻った後で、フィナーレは例年通り公民館前で。





好評(?)の《きゅらむん(美人さん)を探せ!》
オレは、常に将来を見据えています。



将来、というよりは遥か彼方。あ、いやいや、ヒトリゴトです。



ダイビング・ショップで働いてるとか言ってた二人。
この年、諸般の事情により(いや、知らんケド)、喜瀬の踊り行事は他の集落よりも遅い時季の開催となりました。
噂を聞きつけてやってきたのでしょう。



向こうから声を掛けられて、しばらく判らなかった山下聖子。
あ、今は中尾聖子か。
ママになったのもあってか、柔かく落ち着いた雰囲気の女性になっててびっくりしました。
口の悪い人に言わせると、「聖子は、唄に幸せオーラが出てきてしまった。イカン」て言うんですが、オレ的には若い頃より可愛くなっていいんじゃないかと思うんですけど。
あ、ゴメン。まだじゅうぶん若いんだった(本人がコレ読むとは思わんケド)。



中間区長の挨拶で2008年の喜瀬の種下しは終わります。

踊りの季節・拾参 笠利町喜瀬2008 おわり


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踊りの季節・拾弐 笠利町喜瀬2004-2006

2009年10月28日 01時18分30秒 | デキゴト
今年に入って、ついに12回目の《踊りの季節》です。
似たような写真ばかり並べて辟易した人も多いのか、gooのブログサービスが教えてくれる[訪問者数・閲覧者数]も、徐々に減りはじめております。
まぁ、元来が閑古鳥の鳴き声ばかりが響き渡るようなBLOGですから、委細構わず親知らず、2004年から2006年の3年間の笠利町喜瀬での『種下し行事』の写真を並べてみましょう。
なお、最近は寝不足が続いているので、本文は手抜き省略簡潔に参りたいと存じます。


2004年10月23日


2004年10月23日


2004年10月23日


2004年10月23日


2004年10月23日

2004年は、仕事を終えて到着した時刻も遅く、公民館だけの観覧となりました。


2005年10月21日


2005年10月21日


2005年10月21日


2005年10月21日


2005年10月21日

2005年は、かき氷屋HotPepperの主人・中間くんの区長デビューの年でありました。
はな(寄付金)の披露や挨拶も初々しく、
「ちょっと鍛えてやろうか」
なんぞと思ったりもしたオレ(元舞台演出家)ですが、「言葉は人なり、この朴訥さが彼らしくて良い」という結論に達しました。
途中から、東京暮らしを終えてUターンした唄者・まつもとりょうさくと、彼を訪ねてやって来たオレの三味線教室仲間に会いに、喜瀬2区へと移動。
りょうさくの婆ちゃんの唄に、たいへん豊かな心持ちとなりました。


2006年11月4日


2006年11月4日


2006年11月4日


2006年11月4日


2006年11月4日

2006年も、1区と2区を掛け持ち。
いやぁ、あの頃はまだ体力があったなぁ、とへんな感想しか浮かばない、記憶力皆無のオレです。

2007年はデジカメ故障のため、次回は2008年の喜瀬の踊りです。

笠利町喜瀬2004-2006 おわり


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踊りの季節・拾壱 笠利町赤木名2008 後編

2009年10月27日 01時07分50秒 | デキゴト
踊りの季節・拾 笠利町赤木名2008 中編よりつづく。

オレにとっては3軒目、赤木名集落里地区のみなさんにとっては4軒目の踊りも無事に終り、
「たくさん撮れたし、えがったんでねーの?」と偽者臭い東北弁で感想を語ろうとしたオレの耳に、予想もしなかった声が聞こえてきた。
「えー次はぁ、XXのOO宅でぇす」
一瞬、言葉を失い、『鹿児島県奄美市笠利町大字赤木名字里のみなさんにとって《予定》とはなんなんだろう』とか思うが、すぐに無駄な思考であると悟る。
『楽しい方への予定変更ならいいじゃん』



里のみなさんにくっついて行った先は、軽トラ1台がようやく通るって程の細い路地。
道幅いっぱいに、密集して踊る。





ちいさな《きゅらむん(美人さん)》も踊る。



なんとか全貌を把握しようと、端っこへ行って頭上高くカメラを構えるものの、フツーに構えたってヘタクソが、そんな横着してマトモに撮れるワケがない。
「アイヤァ困ッタアルネ」と安っぽい謎の中国人の振りをしていたら、
《赤木名のたけちゃんマン》ことたけちゃん(ってそのまんまやん)が疾風(はやて)のように現れて「おらおら踊れ踊れぇ」と、踊りの輪の中に連行される。
あんまり密集したところでオレに躍らせるのは、周囲にとって危険だと思うんだけどなぁ。



そうして4軒目が終わった後も、まだ踊りに憑かれた集団は解散しない。
踊りの〆は、例年必ず区長さんの家の前だそうな。



パフォーマーの一団も現れた。



最後の六調は、延々と続く。
さらに天草(あまくさ)、なはっくゎと続いて。
最後の1枚の時刻は、ここも23時30分。



アナタも堪能していただけましたか?



ところで、撮れ撮れ、と言われて撮ったけど、このオネーチャンだぁれ?

踊りの季節・拾壱 笠利町赤木名2008 おわり


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踊りの季節・拾 笠利町赤木名2008 中編

2009年10月26日 01時05分47秒 | デキゴト
踊りの季節・九 笠利町赤木名2008 前編よりつづく。

予定の3軒目の踊りが終わって「あーあ、帰ろうか」と思ったオレだったのだが、なぜか人々は一団となったまま、ぞろぞろと歩いて行く。



急遽、4軒目が追加されたらしい。
どの程度『急遽』なのかは不明なんだけど。
というのは、八月踊り行事は『前年の踊りの後から今までに建てられた新築の家では必ず踊る』という決まり事があるんだそうで。



オレの三味線の元師匠テルちゃんによれば、八月踊りで使う鼓(ちぢん)を叩き鳴らす音には《邪を祓う》効能があるという。
テルちゃんが川崎から新宿に引っ越して、最初の晩にしたのが鼓(ちぢん)をオゴソカに叩き鳴らすことだったのを未だに憶えてる。



大笠利のノゴロウジさんによれば、家の前で踊りをして貰うことで、やはりお祓いのような気持ちになるらしい。
新築の家にはその家を護り続けた『気』みたいなものが不足していると考えられているのだろう。



2軒目は新築とは思えなかったが、3軒目は明らかに新築で、こちらも新築のお宅。
ナルホドねぇ、と今さらになって思い出した。





こうして追加の踊りは終わったんだけど・・・というところで次回へ続く。

<蛇足>さっき気付いたんだけど《踊りの季節・八》が抜けてるんですよ。
BLOGのUPを忘れたんじゃなくて、たんに順番の付け間違いで。
いちいち付け直すのも面倒なんで、《踊りの季節・八》は欠番にします。

笠利町赤木名2008 つづく


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踊りの季節・九 笠利町赤木名2008 前編

2009年10月25日 01時33分18秒 | デキゴト
2008年10月25日、遂に赤木名の八月踊りの現地観測に成功しました。



いやー長い道程でした。
思い起こせばいつだっけ?
とにかく、何度目かに行った奄美祭りの八月踊りで、ミョーに賑やかな団体がいくつかある。
もちろんいずこも賑々しく楽しげに踊ってるんだけど、そのなかでもひときわ目立つ郷友会があるのだ。
順不同に並べると、大笠利、浦上、古仁屋、そしてこの赤木名郷友会だ。



そらまぁ確かに名瀬から離れたところで人口が集中している集落なのだから、名瀬で行われる奄美祭りに大勢の応援が来るのは判るのだけど、それだけではない《ナニか》があるような気がしたのだな。
大笠利には既に行ったことがあるし、浦上は近いからそのうち行けるだろうと軽く考え(たのがいけなかったかまだ現地では見てない)、古仁屋は、行ったら酒呑みの方が忙しいのでドウナルコトヤラ。
そんな哲学的な思索をしつつも、なかなか赤木名の日程が判らない。
判った時は別な予定が入ってる。
数年間のカラ振りが続いて、ようやっと2008年に現地に到達しました。



赤木名在住の本田えーゆーシェンシェィ(琉球民謡の師範なので)から
「今日は3軒だけだよ」との情報を得たものの、やはり遠い遠い赤木名。
着いた時には既に2軒目の民家の、ちょっと奥まった前庭と道路で踊りがはじまっていました。



なんだかよく判んないうちに終わってしまって、移動するみなさんにくっついて3軒目に。



「あらら、もう終りかヨ」
赤木名のみなさんは充実して楽しそうだけど、コッチはなにやら消化不良。



そうそう、スーパーガールも楽しげに踊っていました。
えっプリキュアなの?
判らんよ、オジサンには。

笠利町赤木名2008 つづく


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10月のフツーの海 iii

2009年10月24日 01時32分11秒 | 奄美のフツーの海
珍しく、現在ただ今の話。
奄美地方、今朝未明から雨が降っております。
鹿児島県があっちこっちに設置した観測ポイントでは、『降りはじめからの連続雨量』が150mmを超えたところもちらほらと。


2006年10月8日 笠利町宇宿。

ぢつはこの夏(7、8、9月の3ヶ月)の雨量の合計は、過去100年間で少ない方から数えて4番目という記録的な少雨でした。
ですから、先日の台風(18号だっけ?)と今日の雨は、まさに恵みの雨と呼んでいいでしょう、災害さえなければ。


2006年10月8日 笠利町宇宿。

というのは、あくまで公式見解。
個人的な見解といたしましては、
なんで土日に雨が降るんだ馬鹿野郎っ!
ったくもう、ブツブツブツブツ.....


2006年10月12日 奄美市おがみ山公園より。

とりあえず、大雨の峠は越したようですが、天気予報は明日も雨。


2006年10月13日 宇検村屋鈍。

で、この雨がどっから来てるかというと、衛星写真を見る限り、フィリピンの東で数日前から迷走していた台風20号から延々と伸びた雨雲がその根源らしい。


2006年10月13日 宇検村阿室。

台風20号は、来週いっぱいかけて徐々に勢力を弱めながら、島の東海上を北東の方向へ進むようです。


2006年10月13日 宇検村平田。

その速度は、およそ6km/h。
頑張って早歩きしてるというか、のんびりジョギングしてる程度というか。


2006年10月13日 宇検村平田。

これじゃ、しばらく海は荒れ続けるハズ。
呑み屋に行っても新鮮な刺身にありつける可能性は低くなります。
まぁ、そんなにお刺身に拘る方ではないオレなのだけど。


2006年10月13日 宇検村平田。

3日連チャンでの更新という離れ技(当社比)をやってのけたオレですが、この天気じゃあ週末はBLOG更新くらいしかすることなさそうだなぁ、と。
ここしばらく釣りばっかりしてたんで、久しぶりにバイク三昧の週末にしたかったんだけど


2006年10月9日 奄美市大熊。

楽天のノムさんじゃないけど、ボヤキばっかり並べた最後に、
夕暮れの山道を急いでなんとか間に合った夕陽で、今回はおしまい。

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踊りの季節・七 龍郷町嘉渡2008 後編

2009年10月23日 00時30分15秒 | デキゴト
踊りの季節・六 龍郷町嘉渡2008 前編よりつづく。

さて、びっくりしてる間に踊りは今夜の3場所目、公民館前です。
土俵の横という、奄美大島風味最高潮のロケーションでの踊りです。





ぼぉっぶ~~~、ぼぉっぶ~~~



法螺貝が吹き鳴らされて、ハナ(寄付金)のご披露です。
もちろん、オレとN君も小額ですが寄付させていただきました。



公民館での踊りは、集落の婦人部の皆さんが用意してくださった軽食でエネルギーを補給します。



昨日の美女たちと明日(明後日かな?)のきょらむん(美人さん)が一緒に踊ります。



この辺からオレも徐々に踊りの輪に加わって、というか連行されて。

この後、さらにもう一場所。
最後の写真の時刻データは23時28分でした。

龍郷町嘉渡2008 おわり


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踊りの季節・六 龍郷町嘉渡2008 前編

2009年10月22日 00時16分44秒 | デキゴト
えーと、ちょっとサボってる間に10月の第3週ですね。
マジメにやってるのかどうか、自分でもよく判らない『踊りの季節』再開です。



2008年10月19日、んーと、日曜日か。
当時朝仁に住んでたN君の誘いで、龍郷町嘉渡(かど)の踊りを見に行ってきました。
N君の嫁さんが島唄を習っている先生が嘉渡(かど)の在住だそうで。



ちょっと早めに家を出てしまったせいで、嘉渡に着いたのは、まだまだ人が集まりはじめる前の時間。
仕方がないので隣の円(えん)集落まで足を伸ばして。
もう忘れてしまったけど、撮影時刻から考えて、1枚目は円で撮ったものじゃないかな?



N君から「着いたよー」と連絡を受けて、嘉渡に移動。
車を置いてからちょっと道に迷いましたが、無事に最初の踊りの場所に到着。
暗くてイマイチ判らなかったけど、ここはサーファーに人気のペンション《キョラムーン》ではなかったかな?



場所が変わってひとしきり踊って、
「兄さん、油そ-めんを食べんね」
もちろん、イタダキマス



嘉渡に泊まっていくというN君はイイ気分で呑んでます。
オレは運転して帰るので、指をくわえてカメラをかまえて・・・。



これまでに行った八月踊りはすべて、休憩を入れながら数曲踊って、寄付(ハナと呼ばれます)の披露があり、それなりに盛り上がったところで六調になるのですが、
嘉渡では、場所を移ってだいたい人が揃ったところでいきなり六調のリズムが鳴り出します。
これは嘉渡だけのことなのか、それとも龍郷町一般のことなのか。
今年は、龍郷町の別な踊りを見に行くつもりなので、ソコらへんのことも少しは判るかもしれません。

次回も龍郷町嘉渡の踊りです。

つづく


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9月の釣果 前編

2009年10月17日 00時43分59秒 | 日々是精進

9月9日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

リュウキュウヤライイシモチだと思います。
静かな港に釣り糸を垂らすと、まさに雲霞の如く現れて鋭い牙で釣り餌を食い千切って行く、沿岸のギャングです。
コイツは小さいけど、ほぼオトナ。
オレは、《奄美のピラニア》と呼んでいます。


9月10日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

通称ダツ。
正式和名はオキザヨリ
手許にキビナゴがあって、コイツらが泳いでさえいれば必ず釣れる、といっていいくらいのヤツですが、いざ狙うとなると近づいてもくれない。
はい、今回は狙って釣りました。
8月に釣ったのは、なかなかの大物でしたが、コイツはちょっと小ぶり。
アタマとハラワタを落として、某呑み屋さんに持って行きました。


9月11日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

たぶん、フエフキダイの仲間の子供、でしょう。


9月12日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

親切な方に調べていただいて、メギスではなかろうか、と。
なんやねん、メギスって


9月13日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

ハナフエフキの子供。
まぁ、これも親切な方に教えていただいたんですが。


9月13日 奄美市名瀬知名瀬の漁港の防波堤にて。

3つ上の魚と同じ種類でしょうね。
あっちが幼児だったら、こちらは中学生くらいですか。

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10月のフツーの海 ii

2009年10月16日 01時27分02秒 | 奄美のフツーの海
ここ数日で、奄美大島もだいぶ涼しくなってきました。
『一日の平均気温』も、この2週間で5度も下がりました。
このまま冬になるんでしょうか。
このまま2週間で5度ずつ下がっていけば、年が変わる頃には氷点下まで下がることになるなぁ、なんて無駄な心配をしてみたり。

さて、10月ともなれば島中、あちこちで行事が行われます。
運動会あり、文化行事あり、伝統行事あり。

毎年、旧暦九月九日に行われる《諸鈍シバヤ》は、この年は10月11日に行われた・・・ハズです。
いつもの通りに単車でふらふらしてたオレは、瀬戸内町篠川で突然の雨に降られて慌てて小名瀬のバス停に逃げ込み、カッパを着込みながら
「そういえば今日は《諸鈍シバヤ》ではないか、加計呂麻に行ってみようか、もう遅いな、無理だな。それにどーせ雨だしな」
なんて思いながら、古仁屋を目指しました。


2005年10月11日 瀬戸内町町須手。

で、須手の灯台から加計呂麻を眺めると、加計呂麻の南半分は素晴らしい晴天。


2005年10月11日 瀬戸内町町須手。

北半分は、どうやら土砂降りの雨。
両方をなんとか収められる角度で1枚撮ってはみたのですが、たまたまその時だけ、カメラが拗ねてやがりましたので、その写真は割愛


2005年10月20日 瀬戸内町町西古見。

上と、下3枚は、この時に撮った写真でボツになったのを再利用。


2005年10月20日 瀬戸内町町西古見。


2005年10月20日 瀬戸内町町西古見。


2005年10月20日 瀬戸内町町西古見。

帰りはたしか、クシャミしながら帰ったような気もする。
10月の海、まだまだたくさんあります。

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十五夜唄あしび

2009年10月11日 00時49分33秒 | デキゴト
実はコレ、『踊りの季節・伍 笠利町大笠利2009』の前日だったことは先にちょろっと白状しといた方がいいかな?
まぁ、このBLOGが時系列的になってると思う人は既にどこにも居ないとは思うのだけど。

今回の『十五夜唄あしび』、サブタイトルは《永伯アニを送る唄あしび》となっています(ポスターの画像はこちらでドウゾ)。
この永伯(ながのり)アニというのは児玉 永伯さんという方のことで、先ごろ他界されました。
本人に言わせれば『オレはただの唄好きだよぉ』とのことですが、古老の話や文献を丹念に辿った彼の研究は、ベテラン・大御所と呼ばれる唄者ですら、
『判らんコトは児玉に聞け』と無類の評価を得ていた方です。



この『十五夜唄あしび』というイベント自体もだいぶ会を重ねて来たんですが、もともとは児玉さんが近隣の唄者を招いて《唄掛け》を聴かせてもらう、という会をしていたのを
『近ごろは唄掛けをする場が減って、その楽しさを知る人も減ってきた。ぜひ、公開の場で大勢の人に唄掛けを聴いてもらいたい』
という声があってはじめられたといいます。
ていう話は、この翌日、博物館の高梨センセーに教えてもらいました。



この夜も、築地さんが開口一番、
「今夜は児玉を送る会だから、彼が大好きだった唄掛けを最初にやります。『朝花節』をここに並んだ4人で回して、30分から40分、皆さんが飽きるまでたっぷり聴いてもらいます」
そうしてはじまった『朝花節』は、最初のうちはお行儀よく、しま唄の教科書に載ってるような歌詞から唄い繋げられていきますが、15分弱ほど経過した辺りで築地さんが、
『シマでイチバン(の美人)と呼ばれて貰ったお嫁さんだけど、母が気に入らないというのでは、到底シマでイチバンとは呼べないよなぁ』という意味のよく唄われる歌詞で唄うと、すかさず前山真吾が
『ああ、ボクもシマでイチバンと呼ばれるような彼女が欲しい』と切実(?)に返したところで、唄による乱闘(?)がはじまります。
森山ユリ子さんが
『あら、アナタは若くて素敵だから、きっとシマでイチバンの彼女ができるわよ』と慰め、いっぽう西 和美は
『アタシなんかどう? ほら、結構いいオンナよぉ』と迫る。
オレなんかはアタマの中で方言の単語の意味を追うのが精一杯で、上の経過説明も
「たしか、こんなんだったよなぁ」程度のええ加減なものですが、
オレの周囲に陣取った50代60代の《唄ふりむん》(島唄キチガイ)たちは大爆笑です。
さすがに25分を経過した辺りから客席がダレはじめたのを察知して『朝花節』は30分に少し足りないくらいで終わりましたが、いやぁ、堪能しました。
これで字幕スーパーがあったら、えーと、アトは酒とツマミがあれば最高
あ、焼酎は「児玉が好きだったから」てことで配られたんですが、残念ながら単車だったので、お土産になりました。



途中、ゲストコーナーみたいな感じで、90歳の森チエさんが唄います。



文化センター屋上に設えられたステージ周辺の全体像はこんな感じ。



空には朧な満月。



最初と最後は浦上青年団による八月踊り。
最初のは入場して軽くひとつ唄い踊って、さらりと退場したのだけど、唄者の唄が終わったところで出てきた浦上青年団の唄い踊りはけっこう長く続く。
ナゼか他の地区の八月踊りよりもテンポが速く、踊りも激しい。
「お、そうか。たっぷり盛り上げたところで六調か」と思ったら
「トザイトーザーイ」の口上に続いてもうひとつ。
「あはは、一つじゃ足りんか。若さが有り余ってか」とオトナの余裕をかましつつ見ていたら、再び東西東西の口上が入ってまた速くて力の入った唄踊り。
「いーかげん執拗じゃないの?」と思いはじめる客もチラホラ居る様子。
ようやく口上、華(はな)の披露に続いて六調となったのだが、ここでようやくオレも腑に落ちた。
これが浦上なのだ。周りに呆れられるところまで突き進まないと納得できない若者たちが住む街なのだ。

翌日、博物館の高梨センセーと立ち話した時、当然のようにこの話が出た。
たまたま研究で来島していたR大のT先生が「児玉の追悼だったら、オレも行かないわけにはいかんだろう」と観覧していたのだが、この浦上青年団の八月踊りを見て
「いいものを見せてもらった。予定の調査は中止! この八月踊りについて考えなきゃ」
と大興奮だったそうだ。
T先生は「浦上の八月踊りは、沖縄のエイサーの発展過程を今、辿ってるんじゃないか?」と考えて居られるんだそうな。
あ、それはなんとなくオレみたいな脳足リンにも判るハナシ。
つまり、農村から都市部への人口移動が《新興住宅地》を形成して、そこで成長した若者層が《自分たちがアイデンティティーを持てる文化》を創造しようとしているってコトなんだろう。
浦上青年団の若者たちにとっては、笠利や龍郷の集落は『じいちゃんばあちゃんのシマ』であって『自分たちのシマではない』のだろう。
親の世代ですら、田舎の集落に住んでいたのは学校を出て自活するようになるまで、というのが多いんじゃないか?
もちろん、浦上は有盛神社もある歴史の長い集落で、そこには伝統的な八月踊りもあるはずだが、若い世代にとってはそこにも完全にアイデンティティーを同化させることが出来ないのかもしれない。
「人の移動がテーマ」というT先生(これだけは本人から直接、聞いた)ならずとも、いろいろ考えたくなる八月踊りだ。

話を戻そう。
六調がひと段落したところで、オレは2つの生理現象の解決のために帰ることにした。
一つ目は1階のトイレで解消したが、もうひとつは麦芽とホップを醸造して作った飲み物で解決したい。
そう考えながら歩くオレの背中には、まだまだ続く浦上青年団の唄声が響いてくる。

と、終わろうかと思ったが、ここで御叱言(おこごと)を2つ。
1.客席の上の方で撮影されておられましたスーパーアマチュア・カメラマンの皆さま。
いいアングルを探すことに乏しいノーミソが精一杯だというのは判らないではないですが、
照明機材の前をチョロチョロするんじゃねぇ!ボケっ!!
どうしても移動したいってぇんなら、せめて腰をかがめて自分の影がステージに落ちないように、用もないところで明暗を勝手に付けない程度の神経ぐらいは使え、馬鹿たれがっ!
2.ステージ前で撮影されておられましたスーパーアマチュア・カメラマンの皆さま。
「ステージ撮影のイロハ」なんてことを奄美市の写真講座で教えてくれるかどうか知りませんが、知らなかったら憶えておくように。
ステージ撮影では、フラッシュを使わないってのは常識です。
せめてそれくらいは弁えなさい、馬鹿たれがっ!

ホント、高価いカメラを買う金はあっても常識ってものを小匙一杯すら持ってないのが多過ぎるんだよ、オマエらは。
N海新聞に投書してやろうかと思ったけど、あそこのカメラマンがいちばんタチが悪いからなぁ。

久し振りに長文記して、最後がこんな愚痴だと、かなり虚しい。
神様仏様お星様、これを読んで馬鹿を辞める人が一人でも居ますように

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踊りの季節・伍 笠利町大笠利2009

2009年10月06日 01時41分21秒 | デキゴト
現在、奄美大島には颱風が接近中。
予測されているもっとも西寄りの進路をとれば、気象庁に『猛烈な』と認定される、最大瞬間風速80mの威力をほぼ保ったまま島を直撃します。
今のところは、その颱風に刺激された前線が激しい雨を降らせています。
その雨が降り出した10月4日、今年も大笠利の八月踊りにお邪魔しました。



出発前に気象情報をチェックしたら、笠利は雨は弱いが風が強いらしい。
そんな情報にびびって着替えなんかを用意してたら遅くなってしまい、3箇所の踊りの会場のうち、2つ目が盛り上がっているところに到着しました。



通常、八月踊りは個人のお宅の前の道路もしくは宅地内の庭で踊ります。
この日も1箇所目は個人のお宅で踊ったのですが、雨足が強くなってきたため、急遽公民館へ移動したのだそうな。





毎度お馴染み《きょらむん(美人さん)》チェック。
六調を踊っておられるところです。
すぐにコケてしまいましたが。



公民館で踊っているうちに雨が弱くなってきたので、予定通りの場所(踊りの会場を『場所』と呼びます。お相撲みたいですね)へと移動。
しかし、移動しはじめた頃からまた雨が強くなってきます。



皆さん、あまり気にする素振りもなく踊りはじめます。
牛の革を張った鼓(ちぢん)は、あまり濡らしてはいけないのでビニール袋を被せます。



そのうち雨がまた弱まり、踊りはヒートアップしていきます。
ついにオレも捉まって、踊りの輪の中に加わります。
「手なんかいいから足を見なさい。右足から1,2,3,4。左から下がって、腕上げて・・・」
簡単な踊りもあり、難しい踊りもあり。



踊りと踊りの間には、『場所』になった家からのおもてなしがあります。
こちらの『場所』では、鶏飯(けいはん)も振る舞われました。
大人にはビール、焼酎も回ってきますが、今回は自分の運転で行ったので呑めません。
口惜しいなぁ



〆は六調。
「明日は最終日、ゼヒいらっしゃい」と言われましたが、翌日はいよいよ雨が激しくなったので、こうしてBLOG書きです。

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10月のフツーの海 i

2009年10月03日 02時20分58秒 | 奄美のフツーの海
どうやら週末はえらく忙しくなりそうなんで、しばらく更新できない可能性もあります。
まぁ、そんな事は誰も気にしないとは思いますが、いくらか最新のネタも溜まりはじめてるんで、軽ーく《フツーの海》でも出しておこうかと。


2004年10月13日 瀬戸内町生間。

この年の10月は、サヨコオトナラの奄美3公演(笠利・名瀬・加計呂麻)追っ掛け完全制覇という偉業を成し遂げて、最終公演の加計呂麻から朝の海上バスで帰るところです。
サヨコオトナラのライブはいずれも素晴らしいもので、ほぼ徹夜状態の帰り道も満足感の残り香が漂っていたんですが、その日の仕事は辛かったなぁ。
あれから5年、もうサヨコオトナラは奄美に来てくれないんだろうか。
笠利以外の会場の音響は、惨い、っていうレベルだったからなぁ・・・。


2005年10月3日 奄美市名瀬知名瀬。

最近、しょっちゅう釣りに行っている知名瀬漁港は、当時はまだ造成工事の途中でした。


2005年10月9日 龍郷町龍郷。


2005年10月9日 龍郷町龍郷。

上2つは、『平家漁法の復元』として地元龍郷町の文化財にしていされてたようなされてなかったような微妙な記憶。
正式には『垣漁』と呼び、奄美大島には他に数箇所で復元されている、というのは高梨センセのBLOG記事で知りました。
センセ、そのうちまたCD持って行くからね。


2005年10月9日 龍郷町嘉渡。

夕映えの嘉渡の海で、今回はおしまい。

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