南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

アームチェア・ツーリング 住用半島 拾壱

2005年12月31日 13時50分37秒 | 南方単車旅案内
住用半島 拾より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

無数のコーナーをトレースするようにゆっくりと走る。
急ぐのは無用だが、じっさい、それほどスピードを上げられる道ではない。



ほどなく、住用中央林道東線の終点に至る。
ここで行政区分が住用村(H.18.3.21から奄美市)から瀬戸内町に替わるのだ。



同じ柱の反対側は、林道 嘉徳・青久線の終点になっている。



これよりしばらく急な下り坂になる。
なんという川なのか、小さな川が造る谷をわたり、ふたたび坂を駆け上がる。



上がりきったところでふり返る。

つづく

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アームチェア・ツーリング 住用半島 拾

2005年12月27日 00時01分05秒 | 南方単車旅案内
住用半島 九より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

青久を後にして、再び住用中央林道東線に戻る。
見晴らしのいいところに出ると、車両同士の擦れ違いのため、申し訳程度に拡げられた待避所がある。
そのひとつには、展望所として考えたのだろう、半ば雑草に埋もれてベンチがある。



ベンチの傍らに立つと、青久(あおく)が眼下遥かに見下ろせる。



そしてまたゆっくりと、緑のトンネルへと向かう。

つづく

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リバーリバイバルin嘉徳川 Ⅲ

2005年12月26日 00時00分25秒 | リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい
本日はさほど遅れず、0時のニュースをお伝えします。
今回もまた婆ぁリバイバル研究会in嘉徳川の続報です。
婆ぁリバイバルとは・・・。
えー・・・(がさごそ)。
失礼しました。誤った原稿が紛れ込んでいた模様です。
先日行われましたリバーリバイバル研究会in嘉徳川の続報です。







前回の《リバーリバイバルin嘉徳川 Ⅱ》で、「もう一歩、左に寄るように」とのご指摘を受けましたので、今回はいろいろアングルを変えて迫ってみました。
またそのうち、続報をお届けする予定です。
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リバーリバイバルin嘉徳川Ⅱ

2005年12月24日 00時59分37秒 | リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい
職場の忘年会のため、かなり遅れましたが、0時のニュースをお伝えします。
先日行われました婆ぁリバイバル研究会in嘉徳川の続報です。
婆ぁリバイバルとは・・・。
えー・・・(がさごそ)。
失礼しました。誤った原稿が紛れ込んでいた模様です。
先日行われましたリバーリバイバル研究会in嘉徳川の続報です。



気持ちいいほどに晴れ上がった冬空の下、リバーリバイバル研究所奄美支部ならびに(お)ヤジの会の皆様が作り上げたリュウキュウアユの産卵床は、今日も美しい幾何学模様を描いております。
またそのうち、続報をお届けする予定です。
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アマミオオシマ周辺は、暴風域です

2005年12月22日 00時24分19秒 | 南方単車日乗
気象情報をお伝えします。
大陸の非常に勢力の強い高気圧と寒気団のため、日本列島は全国的に大雪となっている模様ですが、アマミオオシマ周辺は最大瞬間風速が20mを越す暴風に見舞われています。
南方単車亭主のオフロードバイクも強風に煽られて、駐車状態でコケてしまいました。
これは、風向きにもよりますが、30m近い暴風に襲われた時にのみ見られる現象です。
強風は22日いっぱい続く見込みで、空と海の交通が途絶するおそれもありますので、アマミオオシマ住民の皆様はご注意ください。
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予告編☆アマミオオシマはなぜ寒いのか

2005年12月20日 20時43分58秒 | 我思フ
ただいま、このテーマで超大作を製作中です。
さて、いつ出来上がることやら。
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アームチェア・ツーリング 住用半島 九

2005年12月17日 00時01分45秒 | 南方単車旅案内
住用半島 八より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

市(いち)集落から5kmほど(正確な数字ではない、念の為)緩やかな登り坂を走りつづけると、青久(あおく)への分岐に差し掛かる。



奄美大島には実久(さねく:瀬戸内町加計呂麻島)、嘉徳(かどく:瀬戸内町)、芦徳(あしとく:龍郷町)といった《く》で終わる地名が各地にあり、なかには金久(かねく)という複数の集落に共通する地名まである。
先人の研究によれば、《く》で終わる地名は、砂浜を表す《でく》という言葉から来たものだという。
すなわち、実久(さねく)はサデクであり、嘉徳(かどく)はカデクであり、芦徳(あしとく)はアシデク(=アシデゥク)が古地名なのだそうだ。
そう考えれば青久(あおく)はアデゥクであった可能性がありそうだが、どうもここばかりは例外と思ったほうがいいようだ。



オフロードバイクでも、それほど快適とはいえない荒れた急な坂道を下る。
もし、荷物を積んで移動中ならば、ここは行かないほうがいいだろう。
オレも、登りと下りでそれぞれ一度ずつ切り返しを余儀なくされた難路である。
途中のゲートを御免なさいよと通り抜けて(必ず閉めておくこと)海岸に出てみると、奄美大島では数少ない砂利浜である。
小石の間を埋める砂にしても、珊瑚が砕けた白砂ではなく、灰色の石砂である。
あまり訪れる人もないせいか、海岸近くの地面はどこも柔らかく、スタンドを立てる場所に困った記憶がある。



そんな海岸の端に島唄《むちゃ加那節》の主人公、むちゃ加那を祀った石碑がある。
碑の建立じたいは最近のもので、さほど寂びた印象はないが、青久という土地そのものが隔絶され、もの寂びたところにある。
なお、あまり鮮明ではない碑文は、こちらにあるので、興味がある方はどうぞ。
そのうち差し替えようと思うが、なかなか難しいのが現状である。



なお、青久を訪れる際は、彼らに道を塞がれる可能性が高いので、時間には充分な余裕を持って行きたい。
この時は帰り道を塞がれ、5分ほど舞い飛ぶトンボを眺めて過ごしたオレである。

つづく

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リバーリバイバルin嘉徳川

2005年12月16日 00時12分54秒 | リュウキュウアユの塩焼きで一杯やりたい
すこし遅れましたが、0時のニュースをお伝えします。
昨日午後、瀬戸内町の嘉徳川に架かる嘉徳橋で、婆ぁリバイバル研究会in嘉徳川が開催されました。
婆ぁリバイバルとは・・・。
えー・・・(がさごそ)。
失礼しました。誤った原稿が紛れ込んでいた模様です。
昨日午後、瀬戸内町の嘉徳川に架かる嘉徳橋で、リバーリバイバル研究会in嘉徳川が開催されました。



リバーリバイバルとは、絶滅を危惧されている奄美大島および徳之島の固有種リュウキュウアユの産卵・孵化のため、川床を整備しようという運動の一環です。
することは簡単、鍬、ジョレン、スコップなどで川の石を動かして川の流れに緩急をつけてやり、リュキュウアユのメスが
「あ、アタシここで産卵したい!」と思えるような環境を整えてやる。
あとはリュウキュウアユの皆さん任せという、大雑把といえば大雑把な取り組みであります。
当日参加された春小紅さんによれば、「魚のお産婆さん」ということになるらしい。



長良川でアユの研究をしつつリュウキュウアユの研究と保護に取り組むニイムラさんという方が言い出しっぺとなり、加計呂麻の養護施設に勤めるmasaさん夫妻が音頭を取って15日に嘉徳川、16日に住用川にて実行ということになった。
なんだかよく判らないけど大のおとなが水遊びをしかめつらしく行うというのが気に入って、オレも15日に参加することにしたんだが、その時間が困った。
嘉徳川に13時集合というのだ。
12時に会社を出て、家で昼飯を食ったら嘉徳着はどう見ても14時前後だ。
オレなりに急いだものの、「気温14℃前後の中で、川で数時間じゃぶじゃぶ過ごす」という状況を考えて衣類を選んでいたら、やはり出発は押しに押してしまった。
おまけに、こういう時に限って「ゆっくり走れば安全運転!」という車が道を塞いでくれる。
一台なんか、右にウィンカーを出しながら左の路肩に停車するという高等技術を披露してくれて、ちょっと腹を立てたオレである。おばちゃん、危ないがね!
正確な時間は判らないが、到着は14時をすこし回っていたんではないか。



時すでにおそし。
4歳児と小学生ふたりという天の配剤みたいな援護もあって、今回の嘉徳川での川床整備事業は終了したところだった。
なんてこったい。



結局、なんにもしないでおやつのクッキーを貰って帰ったオレであった。

なお、頑張った人々は古仁屋だか清水だかで宴会をしたらしいので、来シーズンに向けてなんらかの計画が話し合われていることと思う。

そのうち、これをネタになんか書きます

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アームチェア・ツーリング 住用半島 八

2005年12月15日 00時45分38秒 | 南方単車旅案内
住用半島 七より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

来た道をすこし戻ると、《青久 嘉徳 古仁屋 →》という案内板が2箇所にある。
どちらを行っても判りやすい道とはいえないが、それほど長時間、迷うこともない筈である。



迷ったつもりであちこち回ってみるのもいいかもしれない。
果樹園を守るためであろう防風林の中に、赤く輝くものを見つける。



帰って調べたところ、ハイビスカスのようだ。
開花直前なのか、それとも、花弁が開かない種類なのか。
たっぷりと彷徨したので、先へ進むことにしよう。



青久、嘉徳を経て古仁屋へと向かう道は、林道住用中央東線と呼ばれる。
およそ10年前、この道をはじめて通った頃は、未舗装だったと記憶している。
それほど荒れていた印象は残っていないので、そこそこ使われている道なのだろう。
市(いち)集落を出てすぐにいくつかの脇道があり、中にはチェーンで塞がれているところもある。
小さな採石場(稼動していないと思う)があるのではないかと思うが、確かめていない。



ほぼ緑のトンネルの中を走るが、伐採された個所があったので、振り向いてカメラに収める。
眼下には市集落の一部が見える。

つづく

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ニイムラさんへ

2005年12月12日 19時31分19秒 | Weblog
嘉徳海岸の写真、UPしました。
インターネットディスクは、パスワードが必要なので、使用しませんでした。

追記
すべて、11月5日にあります。
カレンダーで移動してください。
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《12月9(金)、10(土)は、築地俊造&RIKKI》の結果は二日酔い

2005年12月11日 21時01分42秒 | デキゴト
かなり重症です。
それはともかく、二日間とも、たいへん素晴らしいライブでした。
詳細はいずれ、本宅の「やつあたり雑記帳」というコーナーで取り上げるつもりです。
ネタ満載で、忘れたら困るな。
軽く箇条書き。
金曜日
・築地俊造による[屋仁川の起源]。
・島口は、大人の会話用。
・歌詞を忘れたらチューニング。
・あたら俊造ば道に立たせ。
・やはりやってた身長較べ。
・六調太鼓は、太鼓持ちが五割。
土曜日
・雨女記録更新?
・サモガリ最強の敵。
・花染め節ポップスへ。
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アームチェア・ツーリング 住用半島 七

2005年12月10日 00時59分40秒 | 南方単車旅案内
住用半島 六より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

市(いち)集落のもっとも奥まったところに、住用村立市小中学校がある。
小ぶりで瀟洒な校舎に、地域の人々の子供たちに対する気持ちが滲み出ている。
そのグラウンドを取りまく道を進んでみた。
こちらの目算はすぐに外れて、グラウンドの裏側で行き止まりになった。
やれやれ、とメットを外すと、
べぇぇぇぇという、奇妙な音が後ろから聞こえる。
ふり向けば、こいつらがいた。



番山羊、ということではないと思うが、こちらを見てしきりと呼びかけてくる。
近づけばトタン板の陰に隠れる、離れれば気配を察したか、顔を出す。
遊んでいるつもりか。
二、三度、シャッターを押して、「バイバイ」と手を振った。



単車に戻りかけて、この水槽に気付いた。
すぐ横のプールへの給排水用だろうか(プールの給水に地下水を使うのはよくあるが、そのままでは温度が低すぎる。また、ある程度の消毒が義務付けられたプールの水をそのまま排水するのは、環境上、好ましいとは言えない筈)。



覗き込むと小さな巻貝。
水中には、それこそうじゃうじゃと。種類は不明。
飼っているのか、どこからか紛れ込んだか。



バイクに戻ると、グローブに止まったお客さん。
帰ってから知人に問い合わせたところ、オオシマキボシカミキリといって、キボシカミキリの亜種だという。
こんどこそ山羊たちに手を振って、走り出す。

つづく

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アームチェア・ツーリング 住用半島 六

2005年12月09日 00時03分41秒 | 南方単車旅案内
住用半島 伍より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

市(いち)集落手前の下り坂に差し掛かると、トビラ岩が見えてくる。



集落に入ったところで出迎えてくれるのは、ガジュマルだ。



干潟には、マングローブがゆっくり着実に成長している。



先を急がず、市集落の中を見てみよう。

つづく

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12月9(金)、10(土)は、築地俊造&RIKKI

2005年12月08日 00時59分36秒 | Weblog
元祖・奄美の唄姫(もう人妻だけど)RIKKIこと中野律紀と、
笠利唄の帝王・築地俊造さんの2daysライブが、屋仁川のASIVIにて行われます。
二人とも、民謡日本一を獲得した実力者です。
RIKKIは、15歳で民謡日本一を獲得したのち、18歳でポップ・シンガーとしてプロデビューを果たし、
以来、久石譲の「千と千尋の神隠し イメージアルバム」参加や
Final Fantasy X 主題歌「素敵だね」など、様々なシーンで活躍中です。
奄美の島唄からポップ・シンガーへの転進といえば元ちとせさんが有名ですが、ちとせさんがインタビューで
「中学の先輩が日本一になって、オープンカーでパレードしたのを見て島唄を真剣に習おうと思った」と語っているのは、もちろんRIKKIさんのことです。
築地さんは、奄美からの最初の民謡日本一ですが、当時の審査員は、
「津軽と秋田の一騎打ちだと誰もが思っていた大会に、南からとんでもない唄い手が現れた」と語っていたといいます。

東京では、毎年、春と秋にこの二人による島唄ライブが行われ、小ぶりな会場ながら常に満員になります。
今回は、奄美スペシャルということで、9日(金)が島唄メイン、10日(土)がRIKKIと彼女のバンドがメイン(島唄のバンド・アレンジ)のステージとなる模様です。
ライブの詳細、ならびにチケットのご購入・ご予約は、安田商店へどうぞ。
当日、会場入り口でのチケット渡しにも対応してくれます。
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アームチェア・ツーリング 住用半島 伍

2005年12月07日 01時31分57秒 | 南方単車旅案内
住用半島 四より続く。

再々で申し訳ないが、ここから読みはじめる方のために。
住用(すみよう)半島などという地理上の名称は、地球上のどこにもない。
大島郡住用村東部の半島状の地域に対して、南方単車亭の主が便宜上、勝手に付けた名称である。

山間(やんま)の次の集落は、戸玉([とだま]、または[とぅだむ]と発音する)だが、この二つの集落の間には、戸玉採石場という難所がある。
難所というよりも、哀しい土地というべきか。
一口に《戸玉採石場》というが、二つの業者が経営する四箇所の採石場を一括してこのように呼んでいる。
歩道がなく、路側帯も充分とはいえない県道を、日中は間断なく大型ダンプが行き来し、削岩機や動力機械の音が裸にされた山肌にこだまする。
さいわい、その場に居合わせたことはないが、発破も行われているのだという。
オレが何度かこちら方面を訪ねた際も、授業を終えた小学生のすぐ脇を、土砂を積んだダンプが擦れ違っていた。
オレがこの子たちの親だったら、悲鳴をあげるところだ。
どの程度の安全措置を講じているのかは知らないが、長雨が続いたり台風が直撃したりなどすれば、採石場内で土砂崩れが起きるという。
何より恐ろしいのは、その採石場が、戸玉集落の人家の目と鼻の先にあるということだ。
2004年の奄美諸島は、記録的な台風ラッシュとなったが、その台風のたびに地元新聞には「戸玉集落は自主避難」、「戸玉集落の避難続く」という活字が記された。
採石場が地元の経済にどれほどの貢献をしているのか、
採取された土砂がどこでどのように使われているのか、
島外からの土砂運搬(地質的には、奄美諸島で建設用土砂が取れる場所は限られていると思われる)がどの程度のコスト増になるのか、
採石場の付近に生息する希少生物の生態への影響の度合いはどうかなど、
オレの知識では追いつかない話ばかりなので、この項ではここで口をつぐむことにする。



戸玉から市(いち)へと向かう県道から海を見下ろす。
山間から戸玉、戸玉から市を結ぶ県道は、ところどころ舗装が剥がされて工事中である。
工事といっても、二年近く(あるいはそれ以上)も進捗が見えないので、どういう意図で舗装を剥がしているのかは、まったく謎である。
かなり大きな凹凸もあるので、オンロードバイクでの通行は慎重を期すべきである。



最大干潮時刻を過ぎているが、普段は海中にある岩礁が白波を立てている。
巨大な怪物の顎のようだ。



戸玉、市、両集落には、小ぶりながら漁港がある。
自家消費が多いと思うが、充分な海の幸を得られるのだろう。

つづく

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