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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

吾もまたボランティアなるものするなり

2011年11月18日 02時04分35秒 | 南方単車日乗
11月2日、奄美大島を、またも記録的な豪雨が襲いました。
5人もの人命を奪いった2010年10月20日の豪雨、復旧中の各地に打撃を与えた他、またしても尊い犠牲を出し、ついでにオレまでプチ難民にした2011年9月26日の豪雨、そして三度目がこの11月2日でした。
島の南部の瀬戸内町では、気象庁の『歴代全国ランキング』の時間当たりの降水量で9位にランクインする(2011年11月現在)1時間143.5mmの壮絶な雨に、各所で生活インフラが崩壊してしまいました。

床上浸水などの状況については、地元新聞の報道をご参照ください。
とりあえず幹線道路が復旧した11月6日、「どうせ野次馬」と謗られることも覚悟の上で、瀬戸内町社会福祉協議会(以下、社協)が募った災害ボランティアに参加してきました。
朝8時半に瀬戸内町役場隣の社協の建物に、お弁当を持って集合、ということでなんとか送れず到着したものの、ボランティア登録を済ませて、「しばらくお待ちください」で1時間ほど経過。
社協の人たちがばたばたしてるな、と思ったら、2台用意したボランティア搬送バスのうち、一台がパンクして動けなくなったんだと。
また日曜日というのが災いして、小さな町の自動車修理工場はどこに電話しても連絡が取れず、替わりのバスも手配できない、という八方塞がり状態。
オレも若い頃から変なことばかりしてきたから「これ以上悪くならないだろうという以上に悪化することを想定しないとダメ」なんてヘーキで説教してたけど、これは確かにアタマを抱えるわなぁ。
ようやく回送されて来たバスに乗って蘇刈集落へ。



バスの中でいろいろ説明してくれたタモツさん



て、昨日の商店街祭りで歌ってた人



によく似てますね。
ご兄弟でしょうか。

蘇刈集落に至る県道が、崩れた土砂で埋もれています。
本来の舗装道路は、この仮の道路のおよそ5m下に埋もれています。



作業中に地元のお婆さんから聞いた話では、遥か山の上から崩れた土砂が小さな川を堰き止めて、集落を泥水で覆ったのだそうです。



朝からぐずついた天気でしたが、作業に掛かる頃から晴れてきました。
古仁屋の最高気温は28.3度という強烈な暑さ。
作業しながら、何リットルの水を飲んだだろう。
お昼は海岸で、各自で用意したお弁当を食べました。



ピクニックみたいって言ったら「不謹慎!」て怒られそうだけど。

ボランティアの作業は午後3時半で終了。
いちおう各家庭からゴミを出し、泥をかき出し、粗大ゴミを分別して・・・の途中まではできたので、まぁいくらか力にはなれたんじゃない?と自己満足。
まだまだ作業はたくさんありそうで、ちょっとだけ後ろ髪引かれる思いで社協の車に乗って古仁屋へ戻ります。



手足を消毒して、豚汁をいただいて帰りました。
かなり汗をかいていたので、しょっぱい味が嬉しかった。




追記:
瀬戸内町では11月2日に発生した豪雨災害の義援金を募っております。
振込口座についてはこちらをご参照ください。
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S1グランプリ&地ビール祭り in 名瀬商店街

2011年11月10日 22時36分24秒 | 南方単車日乗
実をいうとなんだかよくわかってないんだけど、S1グランプリというイベントが土曜日に商店街で行われるっていうんで行ってきました。
ただしくは、商店街祭りの中のイベントとして、「S1グランプリ」という、B級グルメの奄美代表を決めるイベントらしいんだけど、代表を決めてからどうすんのかとかよく判んない。
まぁ賑やかにお祭りがあって、何かうまいモノを食えるんならそれでいいか、と1000円の投票券つき前売り券てのを前日に買ったわけです。

翌、日曜日は朝から瀬戸内に行くつもりなのでその日は朝から洗濯して、ようやく出掛けたのは午後3時過ぎ。
んで行ってみたら、いくつか売り切れてる食べ物もある。
でもすべて無くなってるわけじゃない。
ひとりでぜんぶ食べられるわけじゃなし。

さて、ナニから食べよっかな~。
お、《徳之島ギニアカレー》というのがある。



300円て書いてあるのに、なぜか「400円分のチケット頂戴しま~す」とか言われて、釈然としないながら丼を受け取る。
なかなか旨いではないか。
日本人が食べる枠を超えることなく、それでもちょっとだけ異国情緒な味わいもある。

お次は《かた焼き油そーめん》400円也。
あんかけのかた焼きそばのかた焼きそばを油で揚げたそうめんにしているのだ。



ん。これも旨い。

この2品で1000円分の前売り券のうち800円が飛んだことになる。
残った200円分の食券だけでは発泡酒しか買えない。
追加の食券が買えるか商店街の法被を着た人にきいたら、一人は「ダメなのよぉ」と言い、別な人は「何枚? 2枚ね、200円」というので追加購入できた。

さて、合わせて400円分の食券で購入したのは、郷土料理の有名店『鳥しん』が出品した《奄美黒豚パパイヤ丼》。



これは旨い!
出不精なオレがこれ食べに鳥しんに行こうかと思うほど。

さて、もう胃袋も限界だ。
この3品の中から一つを選んで投票しなくてはならない。
黒豚パパイヤ丼がいちばん旨かったが、ここはあえて《徳之島ギニアカレー》にしよう。
パパイヤ丼は醤油味で、これは日本全国区で勝負できる味だと思うけど、ギニアカレーはもっと広い、欧米以外の世界の全域に受け入れられそうな気がするのだ。
それに、きっと大勢が黒豚パパイヤ丼に投票するだろうからね。
投票して、丼に盛られたカレーの写真を撮り忘れたので、一枚撮らせてもらおうとギニアカレーのコーナーに行ったら、
「ご飯きらしちゃって」いま炊いてるところだから、とズンドウの中を撮ることになった。

さて、S1グランプリを後にして、お次は地ビール祭りだ。



500円のチケットを購入して、まずは『島根びあへるん』の黒ビール。
ひさしぶりだなー、黒ビール。
旨い!

旨いもの食べて旨いビールを飲んで、遅ればせながらお祭り気分になってきた。
いい調子なのでもう一杯。
今度は箕面ビールのミノオ・ブルームというやつ。
独特なホップが特別な味だという。



むむ?
なんですかこれは?
にがみ、というよか「えぐい」と言いたくなる味。
もちろんモノの味の好き嫌いは十人十色、この「にがさ」が好きになる人もいるだろう。
「生まれて初めて、これがビールだ、と感動した」人も居るかもしれない。
オレ的にはこれはないな。地ビールは2杯で帰るつもりでいたけど、口の中を洗ってからにしよう。
つまりもう一杯。
でもオレの胃は、3品の食べモノと2杯のビールでいっぱいだ。
しばらく歩きまわって腹をこなすことにしよう。

へんな格好の子どもがたくさんいるな、と思ったらハロウィーンの仮装だったのね。
さっそうと商店街を行く魔女



仲良しトリオとお姉ちゃん



S1グランプリの会場では、秋季キャンプにやってきた横浜ベイスターズのマスコットが歩き回り、バナナマフィンのDJが炸裂している。



すこしこなれたかな、と最後の一杯を飲みに地ビール祭りへ。
今度は箕面ビールのピルスナーを呑もう。



なんだか早くもS1グランプリと地ビール祭りの再開催が噂されているらしい。
ぜひそれはお願いしたいものだ。
みなさんにもミノオ・ブルームを味わっていただきたいのだ。
きっと好きになる人がいるはず。
ただし、はじめて飲む人は、その日3杯飲むつもりなら2杯目、5杯飲むつもりなら4杯目がいいですぞ。

いやしかし、400円の丼を2つと揚げそーめんを1皿というのはなかなかなボリュームで、家に帰ってひと眠りした後もしばらく胃腸には強烈な存在感が漂っておりました。
次回があるなら、出店の皆さまにはすこしばかり減量と単価の切り下げをお願いしたいものです。
あと、残したくないのかもしれないとは思うけど、早めの売り切れはガッカリ感が強いよね。
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プチ避難民の記録

2011年11月05日 22時13分08秒 | 南方単車日乗
昨日(11月2日)の豪雨で思い出した、
9月の豪雨についてちょろっと記しときます。

9月24日、ちょっと遅めの夏休みを過ごしに、奄美のとなりの小さな島・加計呂麻島の実久集落へ、単車にテントを載せて行ってきました。

到着し、テントを拡げて詰め込んだ荷物を取り出して落ち着くと、勢い込んで釣り場へ。
今晩のおかずを釣るのだ。

ほどなく25cmサイズのブダイ(方言名エラブチ)を釣り上げてテン場(テントを張った場所)へと戻る。
ビールを買って来て、うぐうぐと呑み欲し、さぁ魚を捌きに掛かるか、と思ったら・・・ない!
フライパンがない!忘れたんだ orz
日が暮れる中、途方に暮れていると島唄の名人・徳島勝郎兄が帰ってきた。
オレが島の三味線を習いはじめた頃(2001年)、彼もまだ習い始めで、かなり怪しい手つきでぽつぽつ弾いていたのだ。
それが今じゃあ・・・やめとこ。
馬鹿話をして帰宅する勝郎兄を見送って、さぁ、ラーメンでも作るか、と思ったら・・・ない!
ラーメンも忘れたんだ orz
慌てて雑貨屋でサバ缶を買って来て、大急ぎで飯を炊く。

空腹に耐えきれず、洗米した後に時間を置かなかったのと炊きあがった後に蒸らす時間が少なかったのとで自分野外飯史上もっとも不味いご飯になってしまったが、サバ缶と生卵で掻き込んだ。

さて、飯を済ませても時刻は未だ8時前。
夜釣りにでも行くか、去年は夜釣りでこんなのを3尾

こんなのも釣ったのだ。

桟橋までは単車で3分、ぱらぱらっと撒き餌を巻いて釣りはじめると、遠くからごーーーーーっという音が聞こえる。
雨だっ!
光速に匹敵するスピードで片付けて単車に飛び乗るが、すでに大粒の雨が叩きつけて来る。

たった3分で全身ずぶ濡れ。

いちおう県道のすぐ脇のテン場でパンツ1枚でお着替えだ。
暗くてよかった。

酒呑んでふて寝をしてもまだ10時。

翌朝、もうこれ以上寝られない、と思って起きたのが6時過ぎ。
雨は上がっているがまだ薄暗い。
テントのすぐ脇で見つけたのは

たぶんクワガタムシの雌。

さぁて、雨はあがったし、朝釣りと洒落込むか。
結果については多くを語るまい。


さて、事前に用意してあった菓子パンで朝飯をすませて、すこしはツーリングらしい真似をしてみようと、まずは阿多地集落へ。
有名な縁結びの木

根元の穴の部分を二人で通り抜けると結ばれる、というのと、子供が授かる、というのと、他にも諸説あるらしい。

さらに阿多地集落内を歩くと、小高い所に神社を発見。
細い細いけもの道みたいな参道を上がっていくと、

こんな由来が碑になっています。
花を活けるために用意されているのは、

30年くらい前のプラスチックボトル。

さて、あちこちうろついてテン場に戻ったら昼飯の支度。
フライパンがないので、昨日釣ったエラブチはホイル焼きに。

エラブチって魚じたいが決して旨い魚ではないから味はそれなり。
むしろ玉ねぎが美味くて、人参も入れればよかったと反省するなり。
食後はだらだらと過ごして、いささか釣りを楽しんで、買い物をして、ビールを呑んで。
夕方になって少し雨が降り出したところに勝郎兄が帰って来て、実久の盆踊りの話やら加計呂麻の小中学校の統廃合の話やら聞かせてもらう。
こういう時間がいちばんいい。

勝郎兄が帰って、炊いたご飯をちらしずしにして、おかずはなんだったっけ?
雨は降ったりやんだり。
twitterで「皆の衆は如何?」と見てみたら、奄美大島の北部は雷と雨でたいへんらしい。
mixiでも【帰宅難民】になったヤツらが呑んでるらしい。
NHKで落語の番組でも聞けたらいいな、と思って持ってきたラジオを取り出してスイッチを入れる。
加計呂麻でも77.7MHzで奄美FMが、雑音の間に聴けるのだ。

ところが奄美FMは、よほどオレと相性が悪いのか、ノー天気なじぇーぽっぷを流すばかり。
NHKに切り替えても、加計呂麻からでは沖縄局しか入らないから「星空がきれいです」とか言ってる。

ワインを呑み終え、焼酎に切り替える頃になってようやく奄美FMが「大雨に関する情報です」とはじめた。
うーん、やはり北大島の雨は、去年の10月の豪雨に匹敵するほどのものらしい。

傾けたり持ち上げたり、なんとか雑音の少ない所を探して奄美FMを聴き続けたが、ついにオレも悟った。
寝るべし。

テントに入ろうとすると、なんだか湿っている。
テントを雨から守るフライシートの設営がぞんざいだったから、わずかな隙間から雨水が浸入したらしい。
タオルで出来るだけ拭き取り、それでも湿っている箇所に濡れても平気な荷物を移して、なんとか体を伸ばせる隙間を確保して、次の瞬間には熟睡だ。








顔が冷たい。
ちがう、顔に冷たいモノが当たってる。
ちがう、顔に冷たい水が落ちてきている。
どこから? テントの天井から。
やれやれ、雨漏りでございますよ、このテント高かったのに。まぁ12年くらい使ったが。
強い雨がテントを叩いている。
時刻は午前4時。
テントの中は床上浸水状態だ。
水溜りの中で寝てたんか、オレ。
ともかくテントから抜け出なくては。
しかし、やみくもにテントを出て行くわけにはいかない。
昨日からの雨で持ってきた衣類は残り少ないし、寝る前の水漏れで湿っていないタオルはあと1枚だ。
あれこれ考えて、まだ濡れていないわずかな衣類を袋に詰め、まずそれを持ってテントから県道と生垣で隔てられたバス停に避難することにした。
テントの入り口を開けると、雨はすこし弱くなっている。
濡れた衣類をもう一度着るよりも、このまま移動してしまえ。


乾いた衣類を入れたビニール袋を右手に、懐中電灯を左手にパンツ1枚でテントを飛び出す。
八つ墓村みたいだ、と思ったとたんにはげしく後悔した。
寒い!
生垣を迂回して小高くなったバス停の屋根の下まで30m、よたよたと走る速度は時速10kmもないはずだけど、なにか得体の知れない寒さが体を包む。
バス停の屋根の下に入った時には、がちがちと歯を鳴らしながら震えていた。
あわててたった一枚残った虎の子のタオルで身体を拭く。
乾いた衣類に着替えるまでの時間が長く感じられたこと。

それから夜明けまで2時間、ただただ明るくなるのを待つ、この状態をなんと表現すればいいのか。
避難民。
きっと3月の津波に、それでも助かった人たちの感じた心細さは、こんなものではなかっただろうなぁ。
明るくなった後も雨の勢いは弱まらず、勝郎兄から
「午後から崖崩れ警報が出るみたいよ」と言われ、仕方なしに雨中の撤退作戦を敢行しました。
カッパを着込んであれこれするんで、9月の奄美ではありえないほど低い気温がむしろありがたかった。
帰り途は、心配したほどのこともなく、名瀬の自宅に着く頃には風向きが変わったのか暑いくらい。
オレは、ながい長い夢を見ていたのだろうか?

たいした経験ではない、と人は言うだろうが、オレにとってはある意味貴重なプチ避難民体験でありました。

11月2日に、またしても奄美大島を『観測史上X番目』の雨が見舞いました。
去年の10月とこの9月の雨が島の北部を重点的に濡らしたのに対して、11月の豪雨は南部の雨量がたいへんだったらしい。
加計呂麻では一時、県道が7箇所にわたって通行不能になっていたとか(11月5日の時点では大型車両規制)。
とりあえず明日は、瀬戸内町の社会福祉協議会が募集しているボランティア作業に参加してみようと思います。
起きれたら、だけど。
明後日はそうすると、筋肉痛か?
いやそれ以前に、オジサンは生き抜いていられるだろうかっちゅう心配 orz
あら、また雨だ。
古仁屋まで行き着けるのかが問題になりそう。
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