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南方単車亭日乗

奄美大島にIターンした中年単車乗りが、てげてげに綴ります。
はじめての方は、最初に《ごあいさつ》をお読みください。

あらたふと

2011年04月13日 00時50分56秒 | 本日の名セリフ
幸せの秘訣はやりたいことをするのではなく、やらなければならないことを好きになることである。

ジェームス・マシュー・バリー  『ピーター・パン』の作者




春の野に 霞たなびき 咲く花の かくなるまでに 逢はぬ君かも

作者不詳




鹿を逐う(おう)者、山を見ず

中国の諺




山吹の 咲きたる野辺の つほすみれ この春の雨に 盛りなりけり

高田女王




真実をいえ、そして逃げろ。

ユーゴスラビアの諺




我がやどに 蒔きしなでしこ いつしかも 花に咲きなむ なそへつつ見む

大伴家持




権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。

トーマス・エジソン




桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ

作者不詳




人ひとりを殺すに値する思想などはない。

ミシェル・ド・モンテーニュ




浅緑 染め懸けたりと 見るまでに 春の柳は 萌えにけるかも

作者不詳




最も偉大なこと、それは、計画をたてることだ。

フリードリヒ・ニーチェ




あらたふと青葉若葉の日の光

松尾芭蕉




両人対酌すれば 山花開く/一杯一杯 復一杯

李白

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健康と陽気さ

2011年04月09日 22時43分48秒 | 本日の名セリフ
健康と陽気さは互いを生む。

ジョゼフ・アディソン




冬こもり 春咲く花を 手折り持ち 千たびの限り 恋ひわたるかも

柿本人麻呂




俺たちの人生を台無しにするのは運なんてもんじゃない。人間だ。

ガルシン




春の雨に ありけるものを 立ち隠り 妹が家道に この日暮らしつ

作者不詳




世界史は東から西へと至る。
それゆえヨーロッパは端的に世界史の終わりであり、アジアはその始まりである。

ヘーゲル




春霞 たなびく山の へなれれば 妹に逢はずて 月ぞ経にける

大伴家持




自分自身を愛することを忘れないでください。

セーレン・キェルケゴール




峰の上に 降り置ける雪し 風の共 ここに散るらし 春にはあれども

作者不詳




初めて焼いたケーキは塊になる。

ロシアの諺




雪見れば いまだ冬なり しかすがに 春霞立ち 梅は散りつつ。

作者不詳




私は多くの人がこれを役のない仕事と呼ぶのを知っている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ




この花の 一節のうちに 百種の 言ぞ隠れる おほろかにすな

藤原広嗣


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時は今は 春になりぬと

2011年04月04日 23時23分21秒 | 本日の名セリフ
時は今は 春になりぬと み雪降る 遠山の辺に 霞たなびく

中臣武良自




あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ

春日王




我が背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば

山部赤人



風交り 雪は降るとも 実にならぬ 我家の梅を 花に散らすな

坂上郎女




沫雪(あはゆき)か はだれに降ると 見るまでに 流らへ散るは 何の花ぞも

駿河釆女




明日よりは 春菜摘まむと 標めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ

山部赤人




霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに 春日の里に 梅の花見つ

大伴三林




いにしへの 人の植ゑけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬらし

柿本人麻呂




冬こもり 春さり来れば あしひきの 山にも野にも 鴬鳴くも

作者不詳




梅の花 咲ける岡辺に 家居れば 乏しくもあらず 鴬の声

作者不詳




石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

志貴皇子




鴬の 木伝ふ梅の うつろへば 桜の花の 時かたまけぬ

作者不詳
万葉集より





自分自身を愛することを忘れないでください。

セーレン・キェルケゴール


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縄が木を断ち

2011年03月26日 22時45分39秒 | 本日の名セリフ
縄が木を断ち、水滴が石を穿つ。

中国の諺




勇気をもて、おまえ自身の知性を役に立てろ。

イマヌエル・カント




政治家の△△は、あまりに嘘をついているので、他の政治家がそれに気がつきはじめている。

出典不明




あなたが愛された分だけ愛することができなかったのは、あなたにとって至福な事ではありませんか?

セーレン・キェルケゴール




音楽とリズムは魂のもっとも深いところに至る道を持っている。

プラトン




ちっぽけな確実さは大きな嘘に勝る。

レオナルド・ダ・ヴィンチ




目から遠くなると、心に近くなる。

ロシアの諺




笑いは人間の特質である。

フランソワ・ラブレー




ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。

寺田寅彦




私は幸福であろうと決意した。なぜなら健康によいからだ。

ヴォルテール




すべてのものが確かであるということは確実ではない。

ブレーズ・パスカル




神々さえも阿呆相手では戦いにならぬ。

フリードリヒ・シラー




人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。

芥川龍之介





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至人無己、神人無功、聖人無名

2011年03月21日 22時41分22秒 | 本日の名セリフ
至人無己、神人無功、聖人無名。
(至人は自分にこだわらない。神人は功績にとらわれない。聖人は名誉に関心を示さない。)

荘子




不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。

モハメド・アリ




一人の旧い友は二人の新しい友よりよい。

ロシアの諺




永遠は幾多の今から作られている。

エミリ・ディキンソン




天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない。

アイザック・ニュートン




爆撃された事に感謝しましょう。これでイーストエンドに顔向け出来ます。

エリザベス・バウエス=ライオン 現イギリス女王エリザベス2世の母
(第二次大戦中、ドイツ軍の爆撃でバッキンガム宮殿の壁の一部が崩れた直後にインタビューに答えて。
これで下町の人々と同じ境遇になれたという意味)




すべての生命は生命より。

ルイ・パスツール




生を尊重しないものはそれに値しない。

レオナルド・ダ・ヴィンチ




我々はどんどんまじめになってきている、
それで、言ってほしいのだが、
これは馬鹿になる一歩手前というものじゃないだろうか。

ジョゼフ・アディソン




世界は困難に満ちている。同時に困難を克服する事にも満ちている。

ヘレン・ケラー




弱いものは赦すことができません。赦しとは強いものの性質なのです。

ガンジー




私には少しで十分、ひとつで十分、なくても十分だ。

ルキウス・アンナエウス・セネカ




天道、是か非か。

司馬遷




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あけましておめでとうございます

2011年01月01日 00時23分37秒 | 本日の名セリフ
オレにとって2010年は、叔母と父を亡くした辛い年でした。
だから、というわけでもないのですが、やはり人並みに思うのです。
新しい年こそはいい年になりますように、と。

--「歳歳年年人同じからずってやつです」若い大学生はちょっと気取って答えた。「変わっていくから人間、おもしろいんじゃないですか」
志水 辰夫『カサブランカ物語』
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告別 ディック・フランシス

2010年02月17日 01時45分03秒 | 本日の名セリフ
「続いている間は、すばらしい日々でした」私が軽い口調でいった。「何事も、それでいいのです」
「お互いに、すばらしい喜びを味わったな。たとえようもない楽しさを何度も」

ディック・フランシス 「利腕」



現地時間2月14日、カリブ海の英領ケイマン諸島にある自宅で、作家のディック・フランシス氏が亡くなりました。
89歳でした。
フランシス氏の略歴、作品リストに関しては、Wikipediaの記事をご覧ください。
短編集『出走』に収められた13作と41の長編作品(未出版の作品が1つあるという嬉しい噂がBBCのサイトにあるとか!)の全てが何らかの形で馬と競馬に関連した内容の一人称で書かれ、いずれも質の高いミステリー作品です。

オレが、この作家の作品を最初に読んでから20年ほど経つでしょうか。
すでに20作以上が文庫化されていましたから、次から次へと読み進めていったことを思い出します。
実を言うと生まれてこの方、競馬場へ行ったこともなければ馬券を買ったこともありませんが、それでもこの作家の作品を読むのに不自由を感じたことはありません。
主たる訳者の菊池 光さんの名訳もあるのでしょうが、やはり原作の質の高さに拠るところが大きいのだとも思います。
実際の競馬の描写は「次のレースに出走し、勝った」「はるか彼方に引き離されて2着」などと簡潔にして明瞭。
ごく稀にスタートからゴールまで綿密な描写がありますが、作品の中において必要な位置に必要なだけの分量で描かれていますし、乗馬の経験のないオレにも臨場感を味わわせてくれます。
いっぽう、競馬厩舎の日常などは、淡々としていながら手に取るように判りやすく描写されています。

2000年に、共著者といってもよさそうな妻のメアリさんが亡くなり、一度は断筆宣言も出たこともあります。
なので2006年の『再起』以降は、ある種「貰えなかったはずの贈り物を戴いている」ような気持ちでおりましたので、今回の訃報も「来るべきものが来た」と落ち着いて受け止めているつもりです。

とはいえ、フランシス氏に関しては折に触れ、何度も読み返した作品ばかりですから、簡単に纏めようとするほど「あのことも、このことも」記したくなります。

雨の休日だとか、予定が流れてしまった日だとか、電車で長い距離を移動するとか、半日以上なにもすることがない日に、書店や図書館で見掛けたら読んでみてください。
お酒が好きな人なら『証拠』がいいでしょう。
カメラ(フィルム)が好きな人なら『反射』がいいでしょう。
飛行機(プロペラ)が好きな人なら『混戦』『烈風』がいいでしょう。
電車に乗るときは『横断』がいいでしょう。
映画が好きなら『煙幕』『告解』がいいでしょう。
絵が好きなら『追込』『不屈』がいいでしょう。

オレは文庫でしか読まないので、まだ3作(4作?)が残されています(『祝宴』をまだ買ってない)。
次の土曜日には、家にあるどれかひとつかふたつを選んで楽しむことにします。
フランシスさん、ありがとう。

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暫定税率復活

2008年04月30日 23時57分40秒 | 本日の名セリフ
ちぇっ、政府のやりそうなこったぜ。
もし俺がバァまで行き着けなかったら、最後まで頑張ったとお袋に伝えてくれ。

ギャビン・ライアル 「本番台本」



ガソリン税の暫定税率が復活したそうですね。
先週のニュースにカンボーチョーカンとかいう肩書きの人が
「税率が戻っても、ゴールデンウィーク中に適用することはないと思う」
なんて言ってたのを覚えてる人はいますか?

アホなオレは、すっかりそんな「オモイツキ発言」を信じ込んで、
「ガソリン入れるのは週末くらいでイイヤ」なんて思っていたのだ。
それが昨夜ふと、「セージ家の言うこと信じて損するのは庶民の役目だぜ」と思い起こし、残り少ない蓄えの一部をクルマとバイクのガソリンに使うことを決めたのです。


しかし、暫定税率ってなんですか?
なんでも昭和49年に「2年間の暫定」で可決され、期限切れが迫る度に延長延長で33年以上も続いてきたそうで。
モノゴト、たいていなんでも10年も続ければ立派に「固定化」されるもんなんですが、それをここまで引っ張っておいて、未だに「暫定」というのは、
「そのうち止めますよ」という気持ちが僅かなりともあるんでしょうか?
もちろん、この「暫定」の税収が消え去るのは国や自治体の収支という点から見れば大問題だというのは判るんですけど、昨今の物価の値上がりが原油価格の上昇に原因の一端があることは誰でも知ってるハナシでしょ。
消費と景気の冷え込みからなんとかすべきだと思うけどね、オレは。
「暫定税率の復活で道路工事が再開され、景気と雇用に好影響が出る」なんて本気で言ってる馬鹿は置いといて。

実例もいろいろ挙げてモンク言おうかと思ったけど、もうエエわ、疲れるし。
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奄美ラジオ《ディ!ウェイヴ》が開局したそうな

2007年05月03日 20時08分58秒 | 本日の名セリフ
あかん。ラジオ、がぴーばっかしや。ちっとも鳴らへん。

北村 想戯曲「寿歌」(ほぎうた)より



一昨日、奄美大島は奄美市にてローカルFMラジオ局《ディ!ウェイヴ》が開局した模様です。
電波管理行政においては「コミュニティFM」という位置付けになるそうで、市町村単位を聴取可能エリアとして運営されるんだとのこと。

なんでこんなに伝聞めいた記述になるかというと、まだホトンド聞いてない。いや、聴けないのである。
送信アンテナが建っているという名瀬クリーンセンターと我が棲家の間には名もない・低い・でも動かしようもない山がしっかりあるせいか、Panasonic製の小型ラジカセはまったく電波を捕えきれないのだ。
開局3日目を迎えた今日の時点において、オレの聴取時間の合計はおよそ2分間。
商店街で流れていたのを歩きながら聞いたのが全てだったりする。

たった2分で感想を言うのも変だが、なんとなく「よきアマチュア」という新鮮な感じがあってヨロシイのではないかと思う。
これまで、こちらで聞けるラジオというのは全国共通・NHK、鹿児島民放、沖縄民放の三者(局の数は当然、もっと多い)であって、要するに「他所のコトバ」が聞こえていたわけだ。
殊に鹿児島・沖縄の民放は他所から来たオレが言うのもなんだが、当地においては完全なる『他所の言葉』であり、ある程度以上の時間を聞き続けるには少なからぬ体力が必要で、そのおかげで我が家の目覚まし時計役を果たし続けている部分がなくもない。
現在、ジョン・ル・カレの小説ばかり読み返しているので、文章が妙に煩雑になっているかと思います。
他所から来たニンゲンにとって耳慣れぬ(NHKの無国籍日本語は、TV等によって慣らされている部分がある)コトバが、当地で生まれ育った人々にとっても幾許かの違和感を持って受け取られているであろうことは、新しいラジオの話題が出たら、既に聞いた者・早く聞いてみたいと思う者の会話に不思議な明るさが宿ることからも容易に察することができる。
「よきアマチュア」が、今後、どのような道を辿るのか、できるだけ期待しながら見ていこうと思う。

さて冒頭のセリフだが、実を言うと、本は実家に置きっぱなしなので、正確なセリフかどうか判りません。
ニュアンス的にはこんなモンだと思う。
少なくとも50回は繰り返し読んだ戯曲で、加藤健一の舞台を少なくとも2回、その他を(たぶん)2回くらいは観てるんで、あんまり外れてはないでしょう。

「寿歌」(ほぎうた)は、1980年に北村 想が主宰する名古屋の《TPO師★団》によって発表された舞台劇で、たぶん、その頃から関東のアングラ演劇の世界でも
「名古屋に北村 想あり」
とか言われてたんじゃないかと。
現代の如きインターネットなんぞという伝達手段もなく、大方は口コミと呼ばれる原始的な方法で噂は伝わっていたようで、関東の端っこのガッコーに通っていたオレがはじめて北村 想が書いた舞台(どこぞの大学の学内公演だったな)を観に行ったのが81年の秋であったことは三人くらいが知っている事実だったりします。

舞台の話や出ていた役者さんの話、当時のオレ自身の話なんぞに興味のある方がいるとは思えないので、今日はここまでとしましょう。
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カタリうるもの

2006年11月29日 21時19分58秒 | 本日の名セリフ
語りえぬものについては、沈黙しなくてはならない

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン



ここ数週間、学校でのいじめについて語ることが流行っている。
TVのニュースやワイドショー番組では深刻ぶったTV局員やタレントの類、インターネットにおいては《識者》と呼ばれるカタガキ付きの輩から、有象無象の一般大衆に至るまでが、ここぞとばかりに語っている。あるいは騙っている
幾つか例を挙げてその無知さ加減を断罪してやろうかとも思ったが、ひとつふたつ眺めただけで怒るよりも哀しくなってしまった。
彼(あるいは彼女)らは、問題の根源を理解していない。考えようとしていない。根源があるとも思っていない。
ただただ、流行っているから自分もひとくち乗っておこうという浅ましい根性だけでかたっているのだ。

やれやれ、だ。

もういい加減にしてもらえませんか? と思う。
カタガキ付きはカタガキ付きなりに、有象無象は有象無象なりに、自分本来の問題に取り組んでもらえませんか、と思う。
文部科学省の統計がどう算出されようと、イワユル学校でのいじめは、最近現れたものでもなけりゃ増えたものでもない。
流行の踊りを踊りたいんなら、別の、もうちょっと悲惨じゃない踊りを選んだらどうですか、と思う。
例えば、談合問題とかね。
あれだったら、政治家や官僚を馬鹿呼ばわりできますよ、と。そういうの、大好きでしょ。

冒頭のヴィトゲンシュタインの言葉は、『論理哲学論考』の最後の一節(要するに、結論か)であるが、実は、オレはそんな大それたものは読んでいない。
永井 均の『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房[ちくま新書], 1995年)からの引用である。
もしオレがウィトゲンシュタインの著作をナマで(むろん日本語訳で)読むような人間だったら、おそらく、とっくに自殺していたはずで、
いーかげんなヤツでヨカッタなぁと、今夜は祝杯をあげることにしよう。

あ、最後にヒトコトだけ。
いじめっていう言葉は、かるーいニュアンスにすることで問題をゴマ化そうとしているような気がするんで、オレのアタマの中では、集団によるシステム的虐待と変換するようになっています。
その事については、ちゃんと語れるオレなんで。
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ひさしぶりに、コケた

2006年07月19日 19時42分35秒 | 本日の名セリフ
「あなたが転倒するのを見たわ」
「おれではない。おれを乗せた馬が転んだんだ。おれは乗っていただけだ」

ディック・フランシス (作品名は失念)


乗ってたんだから責任はオマエだろう、とオッシャる向きもあるかもしれないが、一面の真実を突いた言葉である。

日曜日に、焼内(やけうち)湾方面に行った。
《南方単車旅案内》の次のシリーズ『焼内湾彷徨』の準備のためである。
屋鈍(やどん)のビーチで泳いでみてもいいかな、というのもあった。
で、その途中、突如として猛烈な便意が襲ってきたのだ。
慌ててトイレのありそうなところを思い浮かべようとするが、どこも遠い。
仕方なく、手近な集落に入り込んで、学校のトイレを借りようとしたのだが、日曜日のこととて誰もいない。
どうしたらいいんだ、とパニックを起こしかけた瞬間、小さな公園を見つけた。
「助かった!」
公園の中までバイクを進め、どこに停めようかと思ったところでぐらっと来て、地面が目の前に迫った。
公園の、ちょうどその部分だけ分厚く敷き詰められた砂に、リアタイヤが滑ったのだ。
転倒した瞬間、「うわ、ナカミが出ちまう!」 → どうやら無事。
トイレが先かバイクが先か、数秒迷って引き起こしにかかるときも
「どうかナカミが出ませんように」 → かなり危険だった。



今回の見っけモノ。
宇検中央林道2号線から分岐している〔平田林道〕の湧き水。
ウマかった。
平田林道は、ただいま開削中。完成は、来年の2月を予定しているそうだ。



たぶんジャコウアゲハ
〔平田林道〕の、平田集落側の入り口近くで撮影。



マガモ
名柄(ながら)集落にて。
なんかイメージ合わないんですけど。
やっぱ寒い地方の鳥って思うでしょ、カモって。

転倒の際、ステップでふくらはぎを強打したらしく、ちょっと歩行に困難を感じてます。
見た目はそんなに酷くはないんですが、かなり腫れあがってます。

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明日への一歩

2006年05月29日 21時15分53秒 | 本日の名セリフ
これはもしかしたら、人類にとってなんの価値もない出来事かもしれない。
しかし、私にとっては大きな一歩なのだ。

南方単車亭の主



大潮の昨日、いまいち信用できない天候に加計呂麻行きは諦め、まずは小湊の磯に行ってみた。
そして、海に片足を突っ込んだ瞬間に悟った。
「こりゃダメだ」
とにかくほじくり返せば何か出てくる砂地の潮干狩りとは違い、磯では知識と経験が必要なのだ。



そこで、釣竿を持って住用に行くことにした。
川内川の河口でオキアミを餌に、投げては巻き投げては巻きの二時間後、
フリーにしていたリールのラインが凄い勢いで持って行かれた。
「来た!」
ハンドル(って呼んでいいの?)を掴んで引こうとすると、
「あれ?」
まったくの無抵抗。手応えなし。
逃げられたのだ。
しかし、昨日まではそれすらなかったのだ。
「進歩、進歩」
気を取り直して、また投げては巻き投げては巻き。
雨が降り出すまで続けたのであった。



足元にいた、小さな蟹。
名前は、またそのうち調べますわ。
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おれは世界のからくりを知っている

2006年03月11日 12時59分35秒 | 本日の名セリフ
幸福度が八点になると、神様はかならず天罰をお下しになる。七点までなら、おとがめなし。ところが八点になると、赤ランプが点灯し、サイレンが鳴り、人々は窓越しに石を投げはじめる。

ウォーレン・マーフィー 「愚か者のララバイ」



ハヤカワ・ミステリ文庫から出ていた、保険調査員デブリン・トレーシーを主人公とする
「トレース・シリーズ」の一作である。
出ていた、と過去形なのは、早川書房のWEBハヤカワ・オンラインでは、どうも絶版になっている様子だからだ。勿体無い。ただし、アマゾンでは、入手できなくもないらしい。
ちなみに、トレースというのは、主人公の子供の頃からのアダ名であって、trace”追跡”という意味は副次的なものである。
内容はというと、フリーの調査員であるトレースに保険会社から調査が依頼され(但し、本作では、予防のためのボディ・ガード)、
綿密な調査というよりは、事態をより混乱させるようなドタバタを演じた挙句、父親である元ニューヨーク市警巡査部長の協力と、ガールフレンドのミチコ・マンジーニ(シチリアと日本のハーフ)の推理で解決する、というのが主な筋書きである。
ストーリーの合い間には、↑のような警句(?)や駄ジャレ、映画や小説の名セリフのパロディが連発され、・・・というよりは合い間にストーリーが展開される気味がある。
ちょっと長くなりますがこんなのも。

部屋の契約書はいったいどこあるの。
知るもんか。そんな細かいことまでいちいち覚えていられない。
すてきよ、トレース。あなたならアメリカの産業廃棄物問題を一挙に解決できる。
はあ?
あなたは政府の依頼を受けて、産業廃棄物を預かり、五分後に置いた場所を忘れる。二度と人目に触れることはない。それで問題はすべて解決する。


母さんがいつ夕食をとりにくるのかときいていたぞ。
今度、ハレーすい星がもどってきたとき
つたえておく。そういう特別な日なら、母さんの喜びもひとしおだろう。


こんな紹介だと、ミステリとしてはつまらないと思われるかもしれないので、このシリーズのうち「豚は太るか死ぬしかない」が
MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞を受賞していることを付け加えておく。
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屋久には美しい女が多いが

2006年02月21日 00時34分09秒 | 本日の名セリフ
屋久には美しい女が多いが、気性が激しい

吉村 昭 「島抜け」



先々週、祖母の一周忌のため田舎に帰ることになり、道中の無聊を紛らわすため、名瀬市内の古書店を巡って文庫本を何冊か買った。
その中の一冊が、吉村 昭の「島抜け」である。

江戸時代、天保の改革の頃、幕府の禁に触れた講談師が種子島に流刑にされ、数名の仲間と供に脱走(島抜け)する、という話である。

昔から、奄美大島への行ったり来たりに、このテの小説を読むのが大好きで、同じ著者の「漂流」など、十冊ほどを読んでいる。
とくに、フェリーに乗って、その揺れを感じながら読むと非常に楽しい。<単純なヤツだ

この本の舞台になった種子島には、不幸にして未だ足を踏み入れたことはないが、
屋久島には平成のはじめ頃、二度ほど行っている。
このセリフをよんで思い起こされたのは、小島(こしま)か、尾之間(おのあいだ)か忘れたが、酒屋の店番をしていた中学生くらいのお嬢さんである。
ビール券でビールを買ったオレに、お釣りを出そうとしたので、
「ビール券にはお釣りを払っちゃいけないよ」と、こちらが説明してしまった。
今ではきっと、いいお母さんになっているだろう。
本に話を戻そう。
吉村 昭の、斧か鉈で断ち割ったような文章で語られる講談師・瑞龍の描写がいい。
簡潔に状況だけを描いて、登場人物の内面は読者の想像に任せる、というのは、
慣れない人にはぶっきらぼう過ぎるのかもしれないが、
慣れてしまえば文章の乾き具合が心地よい。

今年は、暖かい季節になったら、またフェリーに乗るつもりなので、そのときはまたバッグに突っ込もう。
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風に乗りやすい

2005年11月20日 02時10分13秒 | 本日の名セリフ
今回は、ちょっと長くなりますが。

風ぐせと今言ったな。
はい。
女ぐせ、酒ぐせの他に風ぐせというのがあるのか。
はい。この書類にはあります。
ふうむ、風ぐせとはなんだろう。
(略)
風ぐせとは、あれですよ。
調べたことがあるのか?
(略)
これは、「風にさらわれやすい」かどうかの性質のことを言っているのであります。「風に吹かれて」という歌の文句にもありますように、風に乗る性質のことを言います。体が風に乗りやすいかどうか――。

唐 十郎 「唐版 風の叉三郎」



昨日、就職のための面接を受けまして、めでたく採用になったわけなんですが、
その面接中に、「なぜ、奄美大島にIターンしたのか?」という質問をいただきまして。
そりゃもちろん、採否を決する側にとっては応募者の人格を判断するための真剣な質問ですからギャグで誤魔化すわけにもいきません。
こちらも真剣に答えたんですけど、答えながらアタマの中ではこの一節がぐるぐると回っていたんですね。
もちろん、一字一句正確ではないんですけど。
ちなみにこれは、'74年に上演された舞台劇の台本で、とっくに絶版になってます。
唐 十郎十貫寺梅軒という配役で、主役は根津甚八と李 礼仙、敵役(?)は、小林 薫でした。
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