暇な月日をだらだらと・・・・・爺々放談   Since 2009.01.01

  日々の生活の一部、散歩などをコラム風に
       ~ my winding road ~

母ちゃんが !

2015年07月10日 16時40分39秒 | 近くの名所・旧跡・催し
蓮の花を見てきた

母ちゃんが、『この前、伊賀八幡の 蓮の花 が綺麗に咲いてるってテレビで言ってたよ』と 暇な私に言った
暇な私は、直ぐにその話に飛びついて
『一緒に行くか?』、 『いいや、行かん』・・と相変わらずの少ない会話で・・ひとりで自転車で行ってきた

岡崎公園の横を流れる伊賀川を北上

岡崎集中豪雨で多くの家屋が流された場所だ まだ改修中だ

魔よけの朱塗りの神橋を渡ると


鳥居の向こうに「伊賀八幡宮」の境内が見える

家康公の遺言には、「亡骸は久能山に、葬儀は芝の増上寺で、位牌は大樹寺へ」と書かれていて
大樹寺と岡崎城の直線上の間の地に 1611年に伊賀八幡宮を建立、 北極星に人の運命は支配されるとする 北辰思想に由来するらしい

八幡宮の門

ここから振り返ると

橋の両側に蓮池が配置されている(通行禁止のこれも神橋か)
長方形の池なので、改修された時期は歴史的には古くないのかも・・・

この門をくぐると

そこは、玉砂利が敷き詰められた「伊賀八幡宮」の境内

40年近く前は、この中も自由に入れたのだが、玉砂利が敷かれたころに制限されたような気がする

明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」のとき
家康が三河に逃げ帰る いわゆる「伊賀越え」の際に 伊賀の衆に助けられたから その「伊賀だ」と聞いたことがある

東側の三重県鈴鹿市に、甲斐町と言う地名があるが、家康と甲州武田武将とのつながりで、その氏族を其処に置いたとも・・・定かではないが 
また、伊勢の廻船問屋が家康救出のために船を出した と言うことで 以後全国の港で廻船自由の特権を与えられたとか
結構 情けに厚かったようだ

歴史は・・・どうでもいい

今日は、蓮の花を見てきた

家康、生誕400年の ノボリは気にはなるが

花は見頃だった

晴天時の照り返しが無いのもいい

散った花もあったが

蕾も まだ有る

大仏さんは この上に乗ってたんだ・・・

時代劇では、祈祷師や尼さんに 白蓮 なんて名が出てくるが

蓮の花は・・ピンクが良く似合う

帰りしなに もう一枚


行き:15分
滞留:20分
帰り:20分 寄り道5分

蒸し暑かったはずなのに 汗が予想したほど出てない 水分の摂取量が少なかったからかな?

時間、あんまり潰れなかった 

コメント
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