蓮の花を見てきた |
母ちゃんが、『この前、伊賀八幡の 蓮の花 が綺麗に咲いてるってテレビで言ってたよ』と 暇な私に言った
暇な私は、直ぐにその話に飛びついて
『一緒に行くか?』、 『いいや、行かん』・・と相変わらずの少ない会話で・・ひとりで自転車で行ってきた
岡崎公園の横を流れる伊賀川を北上
岡崎集中豪雨で多くの家屋が流された場所だ まだ改修中だ
魔よけの朱塗りの神橋を渡ると
鳥居の向こうに「伊賀八幡宮」の境内が見える
家康公の遺言には、「亡骸は久能山に、葬儀は芝の増上寺で、位牌は大樹寺へ」と書かれていて
大樹寺と岡崎城の直線上の間の地に 1611年に伊賀八幡宮を建立、 北極星に人の運命は支配されるとする 北辰思想に由来するらしい
八幡宮の門
ここから振り返ると
橋の両側に蓮池が配置されている(通行禁止のこれも神橋か)
長方形の池なので、改修された時期は歴史的には古くないのかも・・・
この門をくぐると
そこは、玉砂利が敷き詰められた「伊賀八幡宮」の境内
40年近く前は、この中も自由に入れたのだが、玉砂利が敷かれたころに制限されたような気がする
明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」のとき
家康が三河に逃げ帰る いわゆる「伊賀越え」の際に 伊賀の衆に助けられたから その「伊賀だ」と聞いたことがある
東側の三重県鈴鹿市に、甲斐町と言う地名があるが、家康と甲州武田武将とのつながりで、その氏族を其処に置いたとも・・・定かではないが
また、伊勢の廻船問屋が家康救出のために船を出した と言うことで 以後全国の港で廻船自由の特権を与えられたとか
結構 情けに厚かったようだ
歴史は・・・どうでもいい
今日は、蓮の花を見てきた
家康、生誕400年の ノボリは気にはなるが
花は見頃だった
晴天時の照り返しが無いのもいい
散った花もあったが
蕾も まだ有る
大仏さんは この上に乗ってたんだ・・・
時代劇では、祈祷師や尼さんに 白蓮 なんて名が出てくるが
蓮の花は・・ピンクが良く似合う
帰りしなに もう一枚
行き:15分
滞留:20分
帰り:20分 寄り道5分
蒸し暑かったはずなのに 汗が予想したほど出てない 水分の摂取量が少なかったからかな?
時間、あんまり潰れなかった