暇な月日をだらだらと・・・・・爺々放談   Since 2009.01.01

  日々の生活の一部、散歩などをコラム風に
       ~ my winding road ~

悲観する事はありません

2012年02月20日 00時17分04秒 | 報道・出来事・天文・感想
私のよく見るブログ(2月18日の記事)にこんな事が書いてあった
ツーリズム(観光)はツーリズムを破壊する

この意見を読んで・・・徒然なるままに・・・感想を書いてみた、彼の想いとは別物かもしれないけれど

ツーリズム・・・日本では「観光」と云う名で位置づけされています
「観光」= 他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。 
 
東京スカイツリー等建物を見るツアーや自然を鑑賞するツアー、食べる事・買う事を主に置いたツアーなどが商品化されています。

一見繋がっていないように見えるこれ等の観光物件も意外と密接に繋がっています。
たとえば、建物に使うセメント、これは石灰岩の山を切り崩して作られています。

関東では「武甲山」 が石灰岩の山で、関東近辺のビル・橋などの建物に多く利用されています。
パッと見れば自然を愛する人達にとって痛々しい風景も、地元の人には仕事や収入をもたらしてくれています。

中部地方では、「伊吹山 、「藤原岳」 がやはり山腹・その周辺を削られています。
数百年後、伊吹山が低くなり、無くなれば風の流れが変わり、名古屋圏の気象状況も変わります。
しかし、その頃の人達は「その現状が自然」なのです
人間という種族が生きている限り、モノを壊すのです。そして新しいモノを創り出すのです。

私達の言う「自然」自体も刻々変化している・・・自然に・・・時の流れに身を任せて
私が初めて観た上高地の「大正池」、水面には百本前後の立ち枯れた木々かあり、その間を縫って貸ボートを漕いでいたのだが
現在は殆んどが朽ち果て、数えるほどしか立ち枯れの木はない・・・
田代池も水がなくなっており、湿地と名を変えてしまうかも・・・
自然に任せておけば大正池は無くなり、梓川に戻っているはずなのだが、人間の欲が
一時的に素晴らしく変貌した景観が戻らないように梓川をせき止め、山々より流れ下る土砂を浚渫し、大正池を作っている。
そう、「観光資源確保のため」

悲観する事はありません

ツーリズム(観光)はツーリズムを壊わすかもしれない、しかし新たなツーリズムを創るのです。 
現状の自然を後世に残す事は難しいかもしれませんが、破壊スピードは遅らせる事はできます。
今の自然が好きな人達は・・・今の自然を見せたい、残したいと思う人達は
自分が携わっている範囲で「自然を壊す行為を最小限にとどめる、とどめさせる」ように勤めればよいのではないでしょうか

たとえば登山、
たとえばストックの使い方、平坦な登山道の地面やその脇の地層にもボコボコと使用跡が付き、登山道が深く広くなってきています。
「何でそんな所にストックで突っついた跡が?」
それは登山者が植物を踏む以上に植物に試練を与えているのかもしれません、植物にとって栄養源の地層がなくなるのが最悪なんです。
認識不足・教育不足がそうさせているのです。不要な場所では「仕舞う」・「キャップを着ける」などの躾・・・
一人では時間のかかる収納作業も、二人以上なら「相手の持ち物をザックに仕舞ってあげる」、コミニュケーションの構築も可能なのです
ほんの些細な事で、破壊を少しだけ遅らせる事が出来るのです。

なんて書いているけど、実は私はストックは数本持っているもののほとんど使った事がない、登山暦40数年もほぼ未体験者。 
嫌いなんです、持っている人がいると・・・傍に近付かない・・・怖いんです、当るのが、刺されるのが・・・
万が一の《添え木》用に持ち歩いているだけで ・・・
私を見てか、母ちゃんもあまり使わない。
岡崎市の「里山の会」はストック持参を義務付けており、母ちゃんは・・・嫌がってあまり参加しません。

冒頭のブログ・・・底辺には震災・その他諸々の想いも重なっているような感。
数年前、還暦が理由の《小学校の同窓会》に参加する為に八幡に帰った。
その時一番最初に行った場所、「皿倉山」 (622m)

小学校3年生のとき、初めて一人で登った山だ、片道約10kmの行程。 
その頃の皿倉山は、砕石を積んだトラックが頂上まで登ってきていた。通信施設を建てていて、ほぼ砂利山《禿山》状態
それは高校卒業時でも、さほど変わらなかった。
久しぶりに登って感じ・驚いた事、頂上から見た町並みは大きく変貌していたが、山も大きく変貌していた。 「山が生き生きとしていた」のだ
登山道脇の植樹されたばかりの杉・桧も高く育っていた。
公園として整備されたとはいえ、隣の権現山と変わりないほどの自然が戻っていた。(その日はもちろん、テント泊)

自然は復元する、自発的に・・・少し手を加えるだけでいい。

人間の生活・・・「復興」・「援助」・「絆」などの言葉・・・あまり好きではない。普通に東北地方の産物を購入すれば問題ないのだが
色々な条件を付けて買い控えをしているのが現状、これでは決して現状は打開できない。
去年のお歳暮で東北地方からインターネットで購入したのはリンゴなど・・・2万円弱
私は、東北の生産品を購入する事が東北の活性化に直接繋がると考えている。

足元(場所)さえしっかり確保してあげれば生きる為に頑張るのが人間。
若い人の流出が加速する前に地方の自治体が国の方針を強烈に催促しなければ過疎化が進む。「阪神淡路大震災」とはだいぶ状況が異なるのだから

コメント
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