人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

亜麻糸と髪の物語:佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』

2022-04-03 10:57:13 | 佐藤亜紀関連
また少し、実家に帰ってきています。1週間くらいわんわんずと戯れます。
新年度になったはずなんですが、特に新しいこともなく、相変わらず生活や将来が不安です。
4月からも、またKUNILABOの講座を続けます。どうぞよろしくお願いいたします。

 佐藤亜紀の新作『喜べ、幸いなる魂よ』(KADOKAWA、2022年)は、18世紀のフランドル地方を舞台とし、亜麻を扱う商家、ファン・デール家に引き取られたヤンを主な語り手とする。ファン・デール家には双子の姉ヤネケと弟テオがおり、ヤンはヤネケのことが好きで、ヤネケはヤンの子供を生むが、生涯単身を選んだ女性たちが入る半聖半俗の「ベギン会」に入ってしまい、ヤンに次々と妻を紹介する。ファン・デール氏が卒中で倒れ、跡を継いだテオも運河に「落ちて」亡くなると、ヤンが商売を引き継ぐ。ヤネケは恐ろしく頭がよく、最初はテオの名、テオが亡くなるとヤンの名前で研究を発表したり、紡績機械をつくったりする。

 女性だけで暮らすベギン会での生活はとても心地よさそうで、女性の名前では本が出せないから、名前を借りて本を出したり手紙を書いたりすることに関するヤネケの考え「知識なんて別に誰のものでもないんだし、正しい筋道は誰が言ったって正しい筋道」(208頁)と、姪っ子のピエトロネラの考え「伯母さんは名前なんか符牒だからどうでもいいって言うんだけど、ピエトロネラで遣り取りしたいよ、本当は。だって気が付いたのはあたしだもん」(253頁)の違いも面白い。

 兎や林檎も重要なモチーフだし、佐藤亜紀さんの作品の中で、これほど子供たちがたくさん、無事に生まれる小説があっただろうかとも思うけれど、私が一番注目したいのが、水のイメージとともに、髪の毛や亜麻糸、レース編みなどのモチーフが、巧みに結びついていることだ。そしてそれは、雲が湧き、雨が降り、運河が流れ、運河の水紋が部屋の天井に映るように、刈り取った亜麻をさらす水のイメージとともに描かれる。

 例えば、ヤネケの出産に関しては、

 全く、何の理由もなく、ああ、生まれるな、とヤンは感じる。雨雲がヘントまで、あの水車小屋の辺りまで行って、雨が屋根を叩いて音を立てて、ヤネケは切り揃えた短い髪の頭を枕に任せてその音を聞いている。お産がどんなものかは知らないけど、あの雲の切れ間が来る頃には、子供はきっと生まれている。(51頁)

と描かれ、出産で亡くなってしまったアマリアが「産気づいたのは真冬の、雲行きの怪しい日だった」(261頁)。

 ベギン会の女性たちは、パンを焼いたりレースを編んだりしてお金を稼ぐが、

レース作って、それで自分で生きていけるんだ(224頁)
自分の手で働いて祈って生きるって、本当に神様の手の中で生かされている感じがするものよ(225頁)


と思い、やがてベギンに入ることになるテレーズ(テオとカタリーナの娘)は、ベギンに入ることになっていた日、阻止しようとしたレオに髪を引っぱられている。結末部分でフランス共和国の代理としてやってきたレオがベギン会にやってきた場面でも、

それからヴェールをかなぐり捨て、ピンを外して額の髪押さえを外し、顎まで覆っていた頭巾を引き下げる。濃い蜂蜜色の短く刈り上げられた髪が頭蓋を覆っている。(中略)側頭部の微かに地肌の見えるところを示す。「兄さんに引き抜かれたここ、もう髪が生えない。でも私がベギンになることは止められなかった。だって私は自由だから。(略)」(292頁)

とあるように、その痕跡が示される。

 特に、ヤネケとテオの亜麻色の髪の毛は、亜麻糸の紡績と重ねて描かれる。

 ファン・デールの子供たちはどちらも色の薄い、未晒しの亜麻糸のような髪をしていた。姉のヤネケはそれをお下げにし、弟のテオは短く刈り上げていた――ある日いきなり、一人で剃刀を使って剃り上げてしまってからは。(中略)
 (中略)何年も、何十年も、老人になった後も、テオのことを思い出すとき浮かぶのは、まだ頼りない首筋の上のきれいに刈り上げた頭で、その度に、何かあったっけ、と考えた。(9~10頁)


とはじまり、結末近くでヤネケの髪は、「純白の亜麻糸の束」のような白髪となっている。

殆ど白くなった、僅かに癖のある切り揃えた髪が、驚いて首を竦めたヤネケの顔の周りで、純白の亜麻糸の束のように揺れる。(301頁)

 フランス革命の余波で、フランス軍によって修道院もベギン会も解散させられるという騒ぎの中、フランス兵がヤネケの帽子(ベギンは髪の毛をすべて帽子の中に隠す)をひったくった場面である。ヤンのほうは髪の毛がなくなっており、ラストで倒れて眠っていたヤンの頭をヤネケはつつく。

 ヤンは、どんどん年を取る自分に比べてヤネケが年を取らない、と考えるが

カタリーナはどんどん太るのに、ヤネケは太りも瘦せもしない。相変わらず小娘みたいな顔をしている。ヤネケの髪の色は今どんなだろう、と思う。白髪さえないんじゃないか。永遠に若いままなんじゃないか。自分は普段は頭に小洒落た布を巻いて被っている。市庁舎に出る時仮髪を被る為に刈り上げたからだが、実は少し薄くなり始めている。(192頁)

あれから40年経って、週に一度か二度顔を見て時々は話し込むだけに慣れて、すっかり老いて、ただ、ヤネケは少しも変らないように見える。(297頁) 

帽子を取ったヤネケの様子は、年相応に老けていた。

顎のあたりで切り揃えた白髪が顔を縁取る。ヤネケは確かに年相応に老けていて、ただそれがとても愛しい。一緒に歳を取ったんだ、と思う。

 寝っ転がったヤンとヤネケが天井を見ると、運河の水紋が映る。
 だから、『喜べ、幸いなる魂よ』は、亜麻色の髪の毛が、亜麻を刈り取って水に晒し、繊維から純白の糸を紡ぐように、白くなるまでの物語だ。
 




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