人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

3月11日

2013-03-11 11:29:45 | 日記
 震災から2年…。あれから2年も経ったんだな、と思います。
 
 当時は、あれだけの震災にあっても、日本は一度決めたことは変えられない、それも、予算と決算を合わせないといけないとか、取引先との関係がどうかとか、極めて事務的な理由によって変えられない国なんだなあ、と思ったものです。目の前のお仕事を終わらせることが何よりも大事。太平洋戦争を始めた時も、悲壮な覚悟で突っ込んでいったとかではなくて、ここの予算もう計上しちゃったんだから今更もうやめられないとか、そんな感じだったのかも。

 当時は(平和な)名古屋にいましたが、東日本と西日本の温度差をすごく感じたので、日本が未だに日本であることに驚くと同時に、いやもう日本ではないのかも、と思ったりもします。

 私が住んだことがあるのは東京までで、一番北に行ったのが仙台、当時闘病中だった父が大学の同窓会に行くというのについて行った、たった一度きりです。北関東あたりから雑木林の植生も変わって、違う世界なんだと感じました。すうっと縦に伸びる、高い木が多い。東北の人はあったかかったけど、西の人とは完全に気質が違うなあ。東北の人が色々世話を焼いてくれるのは、うかうかしてると死んでしまう土地柄だからかも。大事なものは守ってあげないと。特に、気候の温和な場所から来た人間は。あるいは、目の前にいる人間がいついなくなってしまうかも分からないから、優しくしてくれるのかもしれません。
 父が入院中にちらと言っていたことがあるのですが、学生時代に、同郷の人が山に入って出てこなくなったことがあったんだそうです。未だに行方不明。何だか恩田陸の世界…。父が若いころまではまだ、東北はそういう、うっかり神かくしにでも合いそうな場所だったんでしょうか?

 仙台市内の復興は進んでも、もともと過疎地域だったあたりは全然復興されていないようですね。もう切り捨てるつもりかもしれないと思います。被災地じゃなくても、この国家は、過疎地域を切り捨てるつもりなんだろうし。

 復興もまだまだのようですが、そういえば、私のキャリアもあれから止まったまま。ありがたいことにとりあえずお金を稼ぐことはできるようになったし、いくつかの研究業績は出したはずですが、大きなところには通っていないし、先の見通しは見えないままです。今の仕事で一生食べていけるはずないし、今後のキャリア形成にも、関係のないお仕事だからね。
 あのとき私は仕事を辞める(というか、次の公募に応募しなかった)ことは決まっていましたが、まだ名古屋にはいるつもりでいたかな。学振のPDに応募したかったから。学振のPD、年齢制限はなくなったみたいですね、でも、私2009年の3月に博士号を取得したから、もう応募できないんですよね~(というかもともと年齢制限にはまだ引っかからない)。もう一回どこかで博士号取得すれば、応募できるのかしらん?
 ポスドクも完全に切り捨てるつもりだよね、この国家は。

 

最新の画像もっと見る