時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(44)

2005年10月27日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 


カイガラムシの生息状態

ラ・トゥールのパレット:コチニールの謎(2)

謎の正体
  謎に包まれていたコチニール(鮮紅色)の原料は、実はカイガラムシDactylopius cocousの一種であった。南アメリカ、メキシコなどでサボテンの一種にに生息する。正確にはカイガラムシの雌であり、当初は体長5ミリくらいでサボテンの樹液で生きている。受精後、体長は大きくなり、蝋状の白い液を体表面に付着する。そのため、大きなサボテンに白い粉を散布したように見える。
  体内にはカーマイン酸の濃い紫色の液が蓄えられている。 カーマイン酸からはクリムソン(濃赤色、深紅色)の染料が抽出できる。コチニールはこのカイガラムシを採取して、加工することで作られる。コチニールはこのカイガラムシにちなんで名づけられた。

染料の生産工程 
  メキシコなどのコチニールの生産者は、通常生まれて90日後くらいでカイガラムシをきわめて労働集約的方法で採集する。採集された虫体は普通はローカルな加工業者へ売られる。虫体は熱湯に漬けられ、その後天日や蒸気などで乾燥される。その後、カーマインを分離するために粉末にされた虫体は、アンモニアかソーダー灰(ソディウム・カーボネート)液で煮沸される。
  不溶解部分をフィルターし、赤いアルミニウム塩を沈殿させるため明礬が加えられる。製法によって色調が異なるが、通常濃赤色のクリムソン染料が抽出される。スカーレットからオレンジなど色調も幅広い。しかし、1キログラムのコチニールを作るためには約155,000の虫体が必要とされる。 このため、後年、自然環境保護主義者の反対の標的ともなった。

長い歴史を持つ染料
  コチニール染料はアズテックおよびマヤで使われた。モンテズマによって15世紀に征服された11の都市は、毎年2000枚の装飾された木綿のブランケットと40袋のコチニール染料を献上させられたといわれる。植民時代、メキシコはコチニール染料を輸出用に生産する唯一の国であった。

  17世紀メキシコに来たスペイン人征服者は、コチニール染料の鮮明な赤に魅惑された。それは旧世界のどの色より鮮やかだった。金、銀に次ぐ貴重な品となり、スペインはこの染料を独占し、宿敵のイングランドへは貿易でも譲らなかった。 コチニールは重要輸出品としてメキシコからヴェラクルスを経て、スペインを経由、ヨーロッパへ輸送された。その後、各国に再輸出され、ロシア、そしてペルシャにまで送られた。18世紀においては、染料産業は経済的にも重要な地位を占めた。ヨーロッパ市場がこの染料の品質に気づくや、コチニールの需要は劇的に増加した。

  メキシコのワハルーカとその後背地は、17-18世紀の繁栄をコチニール貿易によって享受した。その後、コチニールはペルーやカナリー諸島でも生産された。

  コチニールから作られた真紅のカーマインは、マッダールート、ケルメス、ブラジル蘇芳などのヨーロッパの顔料との競争になった。カーマインは王や貴族、聖職者などの衣装の染色に使われた。工芸品やタペストリーなどにも使われた。コチニールで染めた羊毛や木綿は、とりわけ原産地メキシコ人の芸術には欠かせないものであった。

 今年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品ではないかとうわさになったあの聖ヒエロニムスの赤い衣も、コチニール・カーマインで描かれたのではないだろうか。

人気の絵具
  ヨーロッパ絵画の世界では、中世を通して、初期の画家および錬金術師のハンドブックにカーマインの使用法が記されている。カーマイン・レークは、ヨーロッパの油彩でミケランジェロからフランソワ・ブーシェ、デュフィ、セザンヌ、ブラックなど多くの画家の間で使われている。

  ラ・トゥールの工房でもカーマイン・レークが使われていたことは、ほぼ確かだろう。フランスは最大の消費国であり、高価ではあったが品質が安定しており、画家の間でも人気があった。水溶性でもあり、使いやすかったことも理由のひとつだろう。

  伝統的にコチニールは繊維染料に使われてきた。植民時代、南アメリカへの羊の導入で、コチニールの使用は増加した。この染料は最も鮮明な色であり、羊毛(ウール)染色に大変適していた。時代が下がって、今日でもイギリス陸軍の赤いコートやロイヤル・カナディアン・騎馬ポリスのコートはコチニール赤で染められている。

コチニールの時代の終焉
  1810-21年のメキシコ独立戦争の後、コチニールの生産地としてのメキシコの独占は終わりを告げた。コチニールへの需要も19世紀スウェーデンヨーロッパで発明されたアリザリン・クリムソンその他人工染料の登場によって減少した。
  微妙な手作業を必要とするカイガラムシの養殖は、近代的産業には太刀打ちできなかったし、コストも高かった。 20世紀になると、コチニール・カーマインの使用もほとんどなくなった。その後、コチニールの養殖は需要に見合うためというよりは伝統を維持するために継続された。しかし、近年、商業的にも再び見直されるようになる。その主たる理由は非有害、発ガン物質ではないことによる。今では繊維、化粧品、天然食品、油絵具、ピグメント、水彩絵具などに使われている。

  コチニールはその後も商業生産されており、ペルーは年間200トン。カナリー諸島は20トンくらいを生産する。最近ではチリーとメキシコが再び生産者として参加している。フランスは世界最大のコチニール輸入国と考えられてきた。しかし、日本とイタリアも直接輸入している。こうした輸入品は加工の上、かなりの部分が再輸出されている。2005年時で、コチニールの価格はキログラムあたりUSドル50-80.他方、合成の食品用染料はキログラムあたりドル10-20ドルくらいである。
  コチニールの謎は解けた。再び、謎の画家ラ・トゥールの世界に戻るとしよう。


Reference
Victoria Finlay. Colour, London: Sceptre, 2002
  

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