時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(58)

2006年02月04日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

宗教改革の流れに棹さす画家(3)
 
画像イメージの強い影響力
  デンマークのユランズ・ポステン紙が昨年9月30日に掲載したイスラム教の予言者マハンマドを風刺した漫画が、ヨーロッパの各国で転載され、イスラム世界の激しい反発を招いている。あたかも
キリスト教とイスラム教との間で、宗教的対立の様相を呈している。この状況を見ていると、図らずもプロテスタントが生まれた時代における状況を思い出した。当時、狼(オオカミ)やロバの顔をした反キリストのローマ法王が描かれたり、聖霊の象徴と考えられた鳩を伴ったルターが描かれたりしていた。昔も今も、画像イメージのもたらす衝撃はきわめて大きい。

  宗教改革が生まれた16世紀前半の頃から17世紀に入っても、彫刻、絵画などのイメージは宗派の別を問わず、布教の上でもかなり重要な位置を占めていた。特に、カトリック教会側は長らく文字印刷文書を布教手段とすることに消極的であったようだ。当時の識字率の問題もあったのだが、聖書などは教会聖職者が読み説くものと考えられてきた。教会、修道院には筆写を専門とする僧がいて重きをなしていた。
 
  プロテスタントからの宗教絵画に対する批判について、カトリック教会側はトレント会議を中心に、対応策を協議してきた。ラ・トゥールがどの程度までこうした宗派間の争いについて知っていたのかは分からない。しかし、今日に残る作品から判断するかぎり、この画家は問題の本質をきわめて鋭く見抜き、自らの制作活動に生かしていたと思われる。いくつかの気づいた点について、記してみよう。

教会の意図を読んでいた画家
  ラ・トゥールのテーマにはしばしば、使徒の悔悟の場面が取り上げられている。悔悟の行為は宗教改革側から厳しく非難されていた。しかし、この画家はこのテーマをむしろ積極的に描いている。マグダラのマリアの主題もそうであり、ジェローム(ヒエロニムス)の2枚、そして聖ペテロの涙もそれであった。現存する作品全体40余りの中で8枚という比率はかなり大きい。 ジェロームの場合も悔悟者として描かれているが、半裸の老人の肉体はきわめて髭や皮膚の皺まで克明に描かれ、ラ・トゥールの徹底したリアリズムへの傾注がうかがわれる。しかし、石やロープでわが身を打つ使徒には、苦痛の色がない。それでいて、この絵を見る人は、描かれた人物が聖ジェロームであることを直ちに読み取れる。

  聖ジェロームを描いた別の作品は、悔悟ではなく初期の教会への貢献を扱っている。聖人はめがねをかけて手紙を読んでいる。聖書を翻訳し、教会を設置した彼の知的な性格を強調している。 これは、カトリック教会側がトレント会議を通して意図した、教会初期の事績の再発見の方向にも沿っている。

   また、聖家族についても、プロテスタントはマリアが代表的な位置を占めることを否定していた。彼らはマリアに過度な重点が置かれれば、キリストを代替することになってしまうと信じていた。 こうした批判をラ・トゥールがどれだけ意識していたか否かは不明である。しかし、現存するラ・トゥールの作品では、マリアは一人では描かれていないし、中心的な人物としても描かれていない。「羊飼いの礼拝」、「降誕」などでも、マリアは二次的な人物として描かれている。 宗教改革派の台頭後、1世紀近くを経過した17世紀前半には、カトリック・プロテスタント間の対立の論点は、貴族など社会の上層部、知識階級の間ではかなり知られていたのかもしれない。

  「聖イレーヌに介護される聖セバスティアヌス」も、プロテスタントによって批判されたならわしを扱っている。ラ・トゥールは聖人の存在を正当化している。聖セバスティアヌスはロレーヌに悪疫が流行した当時、守護神としてあがめられていた。矢の傷跡が悪疫の苦しみにたとえられた。聖イレーヌの役割も、ラ・トゥールの作品では聖セバスティアヌスと同じくらい重要である。聖イレーヌはプロテスタントから批判された慈善の行為を象徴している。 しかし、これらの作品を見ても、それほど強い宗教画のイメージはない。しかし、穏やかなトーンで含意が伝わってくる。

生まれる個人的なつながり
  ラ・トゥールは、使徒・聖人は普通の人の中から生まれたように自然に描いている。それはトレント会議が目指した方向だった。普通の人のように描かれたある使徒・聖人と見る人の間に、個人的なつながりが生まれる。自分の守護神はこの使徒・聖人だという思いが強まるのだろう。

  同じ使徒を描いても、カラヴァッジョやヴァンダイクとは発想が反対である。 しかしながら、このような選択をしたラ・トゥールの絵画に教会がどのような受け取り方をしたかも明らかではない。

  ラ・トゥールは1610年のカラバッジョの死後しばらく活動した。カトリック教会がカラヴァッジョの対応に衝撃的を受けたことは事実だが、ラ・トゥールのアプローチについては、どうであったかは不明である。 「アルビの12使徒シリーズ」などを例外とすれば、この画家は教会や修道院などの以来を受けての仕事は、あまり引き受けなかったようだ。仕事の多くは個人的パトロンなどの依頼が主となっていたようである。
  
  ラ・トゥールはさらにカトリック教会初期当時からあまり描かれることのなかった聖アレクシスも描いている。カトリック宗教改革は中世にはよく知られていたこの主題への興味を新たにした。聖アレクシスの生涯はその貞節のゆえにカトリック宗教改革の時代においてジェスイットのドラマの主題となった。 ラ・トゥールはトレント会議の示した方向性を十分に理解し、作品に表現したのではないか。

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