時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

仕事ってなんだろう:L.S.ラウリーの世界(15)

2014年11月08日 | L.S. ラウリーの作品とその時代

Man Lying on a Wall, 1957
『壁の上に寝ている男』


 この絵を描いてから2年後、ラウリーは「これとまったく同じような服を着た人がこうしていたんだよ。ハスリングデン(ランカシャー地方の地名)で、バスの上から見たんだ。傘がちょうどこのように立てかけられていたので、目についたのさ。
でも誰も信じてくれなかった」と話した。画家は傍らのブリーフケースに自分のイニシャルを
描き込んだ。そして言った。「引退するときの私だよ。」 
ラウリーが引退するとは、絵筆をお(擱)くことを意味していた。
しかし、それはどういうわけか彼にはできなかった。
(Rhode, 211) 

 

  L.S.ラウリーは、ポウル・モル不動産会社に地代、家賃の集金掛として42年間勤めて働いていた。65歳になった時、いつものように会社の事務所へやって来たラウリーは、「明日は来ないよ」と淡々と言った。そして翌日から事務所へ来なかった。

  しかし、ラウリーは「仕事」をやめたわけではなかった。6、7歳の頃から始めた絵をその後も描き続けていた。88歳で世を去るまで絵筆を握っていた。ラウリーの作品は誰もが欲しがった。この画家はいとも簡単に作品を人にあげてしまうのだった。それを見ていて、画商などはかなりはらはらしたらしい。作品にはオークションなどで驚くほど高い値がついた。彼の作品はこれまでの伝統的な「アート」(美術)という枠には入らないところがあったが、人間としても枠にとらわれないところが多かった。生活はまったく困らないのに、欲がない人だった。マンチェスターで普通の家に質素に住んでいた。


 社会的栄誉の機会も次々とやってきた。しかし、ラウリーはすべて断っていた。イギリスでは最高の栄誉と思われているナイト(騎士)の称号贈呈のオッファーも断ってしまった。まったく関心がなかったのだ。「もう十分に感謝されましたよ。」「人が作品を買ってくれるだけで十分」と答えていた。

 人々が彼のことを「サー・ラウリー」Sir Lowry と呼ぶようになるのもいやだったのだろう。確かに・・・・・・。

 

続く

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