時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「労働者の村」~クレスピ・ダッダの思い出~

2005年05月26日 | 仕事の情景
  かなり旧聞になるが、夜遅く帰宅し、偶然に見たテレビ番組であった。『世界遺産「クレスピ・ダッダ」』(TBS 11:30)は、私の脳裏からほとんど消え去ろうとしていた記憶を鮮明に呼び戻してくれた。といっても、ほとんどの人にはなんのことか分からないだろう。Crespi d'Addaは、イタリア語で「アッダ川のクレスピ」を意味する。北イタリアに現存する歴史的な企業町のことである。
  このサイトの始まりを語る一枚の画像*が、アメリカの繊維工場で働く少女をとらえた一瞬であるのと関連して、このクレスピ・ダッダもイタリア北部の木綿紡績の工場を中心とした企業町 (company town)である。1970年代中頃に、ミラノへの旅の途上で訪れたことがあった。実は、友人のイタリア人に「クレスピ・ダッダ」ヘ行きたいと話すと、そんなところへなぜ行くのか、なにがあるのかと逆に質問されて当惑した記憶が残っている。

労働者の村」の実現
  18世紀後半、イギリスから始まった産業革命は、世界各地へ波及し、資本家と労働者の激しい対立を生み出した。「持てる者」と「持たざる者」の格差は拡大し、深刻な社会・経済問題を生んでいた。とりわけ、労働者階級の状態は貧窮の方向へ進むばかりであった。そうした状況を深く憂慮し、自分の事業の範囲だけでも労資の対立のない平和な工業の町を創れないかと思った企業家がいた。クリストフォロ・クレスピというイタリアの豊かな資産家であった。一時は聖職を志したともいわれるが、クレスピは、1875年、ミラノに近いアッダ川に沿った土地に理想的な紡績工業の町を建設することを構想した。
  当時の一般の繊維工業は、過酷な労働条件で知られていた。時代の先端を行く技術を使い、清潔な職場環境で、労働者の生活環境を充実したものにすれば、企業の生産性も高まり、良質な製品が作り出せると考えたのである。そして、工場の近代化、安全衛生の改善に努めるだけでなく、住宅、教会、学校、病院など、労働者の人間的な生活にふさわしい理想郷ともいえる都市を創り上げた。そこでは、工業化に伴って世界的に激増した労働争議も50年間にわたって発生しなかった。

古き良き時代のカンパニー・タウン
  ミラノからイタリア人の友人に案内されて訪れたこのカンパニー・タウンは、すでにクレスピ家から人手にわたり、一部の設備を使って細々と生産を続けていたが、時代の荒波から取り残されたような静謐な、そしてどこかわびしげな町であった。しかし、壮大な水力発電設備、整然とした並木の残る町並みなど、あの時代に良くこれまでのことを実現したという印象が残っている。事業の最盛期であった20世紀初期には、おそらく労働者が生き生きとして働き、生活を楽しんだ理想郷であったのだろう。いわゆるアパートメントではない一戸建ての家々が立ち並び、それぞれに草花で飾られていた。会社から離れた後も、この地に住んでいる人々の思い出話は、かつての良き時代への追憶で溢れていた。そこには、資本家と労働者の間に一種の友愛と尊敬の念が生きていた。

消えてしまったユートピア
  しかし、資本主義社会のユートピアともいえるクレスピ・ダッダも、世界大恐慌の大波に巻き込まれてしまう。企業が生き残るには労働者の解雇しか手段がなかったが、同社は従業員を解雇せずに操業を続け、ついに倒産してしまった。その後、創業者の手を離れ、経営が続けられたが、繊維工場としての命脈は尽きた。ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でも「開明的」な産業資本家たちが、時には「ユートピア」実現の理想に燃えて生き生きと活動した時代があった。

  私が訪れたこうした企業町の中には、アメリカの繊維工業の中心であったニューイングランドのローウエル、ドイツ、ザールブリュッケン近傍の陶磁器の町メトラッハなど、今でも強く印象に残るものが多い。メトラッハでは、独特の可愛いデザインで知られる陶磁器やタイル・メーカーのVilleroy and Boch社 (1748 年設立)が今日でも経営を続けており、工場で働く人々のために保育園まであった。日独の大家の先生方とご一緒する機会があり、Villeroy and Boch社が所有する素晴らしい迎賓館で過ごした思い出も懐かしい([ラ・トゥールを追いかけて~2~])。

  これらのカンパニー・タウンを、たまたまその時代の開明的企業家のパターナリスティック(家父長主義的)な政策によるものにすぎないと片づけることは容易である。しかし、グローバル化が進み、環境破壊が世界的な課題となっている中で、労働条件そして労使関係も厳しさを増している状況で、人間らしい働き方、生活の環境、労使のあり方として、いかなる方向が選択されるべきか。これらの実験的な試みに学ぶところは少なくない。

  クレスピ・ダッダの町並みは、資本主義の牧歌的時代の面影を色濃く残し、創業者たちの意図した経営者と労働者の一体感を継承してきた。 1995年、Unesco世界遺産の審査委員会は、19世紀および20世紀にわたり、人間らしさを維持していたこの夢の「労働者の村」 (Workers' Village)をそのリストに加えた。


画像:現存する繊維工場の一部(窓はクレスピ家の紋章)
Courtesy of villaggiocrespi

* 2005年2月12日「窓外の世界:少女はなにを見ていたのか」(仕事の情景)

クレスピ・ダッダについて、さらに詳細を知りたい方は、次のHPを訪れてください。
http://www.villaggiocrespi.it/xUK_A1_HOME.htm

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