時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

子供の貧困: 写真がつなぐ昔と今

2016年02月25日 | 仕事の情景

Newsboy, St.Louis, Missouri, 1910
(Source:R.Freedman)  拡大は画面クリック

  

 一枚の写真や絵画が時にさまざまなことを思い出させる。「断捨離の時代」の流れに身を任せたわけでもないのだが、なお捨てがたく残っていた書籍資料の整理をしていると、ある写真に目が止まった。ブログにも何度か記したことのあるアメリカの写真家ルイス・ハインの写真を題材とした児童労働についての小冊である。その中の一枚が上掲の写真である。これまで折に触れ何回か見てきた写真集なのだが、あまり気にとめることのなかった光景であった。ルイス・ハインが残した写真はあまりにも多いので、その映像群の中に埋没していた。写真家が被写体として焦点を当てたのは、20世紀初め、ペーパーボーイ paperboy(or newsboy) と呼ばれた新聞の売り子である(数は少ないが、ぺーパーガール papergirl もいた: 最下段写真)。

ペーパーボーイの原風景
新聞の各家庭への配達が一般化している日本では、人々が町中で新聞を買うのはスポーツ紙などが中心で、それも駅などの売店である。最近では、紙の新聞ではなく、ディジタル版を読む人も増えているようだ。かつて滞在したアメリカやヨーロッパの国々などでも、ほとんどの家庭は新聞は購読していないか、必要な時だけ買い物の途上でスーパー・マーケットや雑貨ストアなどで買っている人が多かった。家庭への配送は新聞代金に配送料が加算された。

新聞産業が盛期にあった頃は、アメリカやイギリスでも、 paperboy(papergirl)が自転車、時にはモーターサイクルで、各家に新聞を配送していた。しかし、新聞産業が急速に衰退するとともに、こうした配達方式は急速に衰えた。この写真は、その配達システムが未だ普及していなかったころ、いわばpaperboyの初期の姿をとどめた貴重な画像といえる。

ペーパーボーイの職場
 20世紀前半の頃、アメリカでは新聞はしばしば街頭などで、paperboyから出勤途上などに買い求めることが多かった。新聞を売るのは主として幼い子供たちで、小脇にその日売れるくらいの数の新聞を抱え込み、通りがかりの客に売っていた。1日に売れる紙数は知れたものだったが、子供たちは親方から買った新聞を売って、わずかな金を得ていた。貧しい家計の足しにもなっていた。いつも同じ所に立って、新聞を売っていると、なじみの客も出来て、時にはわずかな釣り銭などをチップにくれることもあった。

大体、6,7歳から仕事を始め、真夜中に近く、新聞が印刷される時間に印刷工場へ行き、自分で売れると思う部数の金を支払い、小さな腕に抱え込んで、駅や街頭へ走って行った。彼(女)らが立って新聞を売る場所は、年齢や力関係で決まっていた。仲間の間で縄張りがあり、しばしば喧嘩騒ぎが起きた。日給とか週給など、決まった支払いなどなく、売れなかった分は少年の損失になった。売れ残った新聞を身体の下に敷いて、階段で眠り込んでいる少年の写真も残っている。彼らは、孤児か、きわめて貧しい家庭の子供たちであり、ホームレス状態も珍しくなかった。ニューヨーク市の場合は、Children's Aid Society と呼ばれる慈善団体が雨露をしのぎ、貧しいながらも食事を安価で提供する場所を運営しており、そうしたところに寝泊まりする子供もいた。

ペーパーボーイと小さな貴婦人
 さて、この上掲の写真、改めて気がついたのは、写真家が画面の左側に含めた若い少女の姿である。明らかに豊かな家の少女であることがわかる。大人たちは今日はニュースがないと思うのか、ペーパーボーイを無視して、通り過ぎてゆく。新聞が売れず、うらめしそうな顔をしているペーパーボーイの存在など目に入らないようだ。他方 、少女は少年と年齢的にはほぼ同世代だろうか。雨模様の日なのだろう。きちんとレインコートを着て、傘を小脇に抱え、髪が乱れないように美しい帽子まで被って、小さなレディ(貴婦人)が颯爽と通り過ぎてゆく。

  ここで注目したいのは、今日世界的に注目を集めている児童の貧困、そして彼らの間に存在する貧富の格差が、すでにこの時代にさまざまな形で露呈していることだ。ルイス・ハインは繊維工場や炭坑、農場で働く子供たちの姿ばかりでなく、「ストリート・キッズ」 Street kids と呼ばれた都市で働く子供たちの画像も多数残している。彼らは新聞売り、靴磨き、荷物運び、薪、石炭、氷などの搬送など、「苦汗労働」 sweatshops といわれた、ありとあらゆる厳しい仕事の分野で働き、日々を過ごしていた。これらの子供たちの中には、花、靴紐、リボン、キャンディなどを売ったりして、家計の足しにしていた者もいた。今でも、開発途上国でしばしば見かける光景でもある。

今も昔も
 最近日本では高齢者の貧富の格差がしばしば議論に上がっている。他方、子供の間にも貧富の格差があり、明らかに拡大していることが判明している。「貧困」の定義はいくつかある。国民の平均的な所得の半分を「貧困ライン」と呼ぶが、その基準に満たない所得の低い世帯の子供たちが、2012年の統計でみると、6人にひとりは該当し貧困状態にあるといわれている。貧困をもたらす背景はさまざまだが、とりわけ深刻なのは、母子家庭など「ひとり親世帯」の子供で、貧困率は54.6%、実に2人に1人を超えている。子どもの貧困は、次の世代を生きる人たちのありかたに深くかかわっている。高齢者の貧困より見えにくい子どもの貧困は、この国の来るべき姿、社会のありさまを定める。アジアの周辺諸国などからみると、うらやましい国に見える面もあるが、貧困は絶えることなく深く日本の社会に根をおろしているのだ。

 現代の人は見たことがない、あるいは見ても見過ごしてしまうような一枚の写真だが、国の違いを超えて100年前の世界と今をしっかりとつないでいる。

「断捨離」の仕事はまったく進まない。
  

 


paperboy

papergirls



Reference
Russell Freedman, KIDS AT WORK: LEWIS HINE AND THE CRUSADE AGAINST CHILD LABOR, New York: Clarion Books 1994

 ルイス・ハインの残した写真はきわめて多いので、それらを編集した出版物もかなりの数にのぼる。日本では労働や仕事の世界を記録に残した写真は少ない。写真家を志すみなさんの中で、後世のために、歴史を変えた一枚の写真」を試みる方はおられないだろうか。


 「児童労働」とは、法律で定められた就業最低年齢を下回る年齢の児童(就業最低年齢は原則15歳、健康・安全・道徳を損なう恐れのある労働については18歳)によって行われる労働。児童労働は、子どもに身体的、精神的、社会的または道徳的な悪影響を及ぼし、教育の機会を阻害します。 
ILOが定める就業最低年齢の国際基準については、ILO第138号条約。
出所:ILO駐日事務所HP 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 終わりの始まり: EU難民問題... | トップ | 終わりの始まり:EU難民問題の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仕事の情景」カテゴリの最新記事