大倉草紙

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【オランダ】 サッカーW杯オランダ戦の日に食べるヒュッツポット

2010年06月20日 21時00分00秒 | 
6月19日(土)



ヒュッツポットは、ジャガイモ、人参、玉ねぎを茹でて、牛乳、塩、胡椒を加えて潰したもの。
人参がたくさん入ったマッシュポテトといったところか?
オランダ料理を食べたことがないので、本当はこんなのじゃないかも知れない。


2人分で作ったのだけれど、かなりの量。
これを主食するんだろうな、たぶん。
だけど、昨日はお昼ごはんを沢山食べたせいか夜になってもお腹があまり空いていなかったので、牛肉の煮込みにほんの少しヒュッツポットを添えてみた。

7時のニュースで、試合観戦をする人たちの国立競技場に集まっている姿が映った。
問い合わせてみるとチケットはまだあるというので、食後に行ってみることにした。
観戦の様子はこちら

残念だったなあ。
カメルーン-デンマークが気になって、夜中の3時半に起きてうとうとしながらテレビを観た。
なので、今日はとても眠たい。
昨日のカメルーンはえらく強かったけれど、そのカメルーンに逆転勝ちしてしまうデンマーク、恐るべし。
次のデンマーク戦が待ち遠しい。
がんばれ~!

【東京・千代田区】 八羽

2010年06月18日 21時00分00秒 | 

神保町の「八羽」で、鴨すき。
いつだったのか忘れてしまったが、寒い頃だから、去年の暮あたりかなあ。
大阪から引越してきた後に友だちと。

こちらのお店は、鶏魚料理専門。
鴨すきの他に、焼き鳥や竜田揚げや手羽先なども注文したが、どれも美味しい。

鴨は大好き。でも、我が家では鴨を食することは滅多にない。
夫が鴨を食べるのを好まないのだ。
味が嫌いなわけではなく、可哀想なのだという。
ニワトリは食べるのに、どういうことだろう???
そういう理由もあって、鴨すきを食べることができて大満足。

【広島】 八天堂のくりーむパン

2010年06月16日 21時00分00秒 | 

昨日、東京駅で八天堂のくりーむパンを購入。
これ、一度食べてみたかったので。


生くりーむ


小倉くりーむとカスタードくりーむ

「くりーむパン」とはいうけれど、「パン」とは違う感じ。
要冷蔵だし。
生地はしっとーり。
甘さを控えたクリームがたっぷり入っている。

これは美味しいね。
また買っちゃうかも。

【カメルーン】 サッカーW杯カメルーン戦の日に食べるクスクス

2010年06月15日 21時00分00秒 | 
6月14日(月)



カメルーン料理のレシピを検索したら、「オクラソースとクスクス」というのが見つかった。
それをもとにアレンジしてみたら、クスクスのラタトゥイーユ添えみたいなものになってしまった。
まあいいか。

入れたものは、鱈、オクラ、茄子、玉ねぎ、トマト、パプリカ(赤・黄・橙)。
それにタンドリーチキン。


クスクスは初めて買った。
500グラム入りのこの袋で198円。
手間がかかるのかと思ったら、塩を入れたお湯にクスクスを入れて5~7分置いて膨らませ、仕上げにバターを加えるだけ。

日本は1-0でカメルーンに勝利!

【東京】 侍と私 ― ポートレイトが語る初期写真 ― (東京都写真美術館)

2010年06月12日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
5月30日(日)



「侍と私」というタイトルにひかれて、行ってみる。
幕末・明治期の肖像写真は観ていておもしろい。
こんな顔をしてたのか……と思いながら展示会場を歩く。

市井の人々を写したものも多い。
それから、西欧の写真も多い。
展覧会のコンセプトを知らずに訪れたのだが、日本と西欧の初期写真の変容や発展についてポートレイトを通して考察できるような展示になっているらしい。

長い間、西欧において、肖像画の被写体は王侯貴族であったが、廉価な切り絵の流行や、写真技術の向上でコストダウンを図ることでポートレイトが市井の人々の手に入りやすいものとなっていったのに対し、日本におけるポートレイト写真は、市井の侍から天皇へ、つまり「私(プライベート)から公(パブリック)へ引き上げられるように広がっていった」(作品リスト解説より)ということが興味深い。

【東京・千代田区】 三谷長三郎胸像

2010年06月11日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
5月31日(月)


(千代田区外神田2-16・宮本公園内)

「千代田区指定有形文化財(歴史資料)
 三谷長三郎胸像 一点
   平成十四年四月指定
 この胸像は、背面や台座部分などにみられる銘文によれば、昭和七年(一九三二)に逝去した三谷長三郎氏の三回忌にあたる昭和九年(一九三四)十二月二十五日に故三谷長三郎翁胸像建設会により三谷翁の功績を讃えるために建てられ、彫刻家北村北村西望氏に胸像の制作を依頼し、昭和九年六月に作品は完成しています。
 三谷長三郎氏は、神田在住の実業家です。明治二年(一八六九)二月一日に神田塗師町に生まれ、幼名は銀二郎といいます。三谷家は、紀伊国屋の屋号を持ち、万治三年(一六六〇)の創業以来銅・真鍮を商っていた商家です。長三郎氏は、明治一九年(一八八六)に十代目を襲名してから大いに経営手腕を発揮し、財をなしたといわれています。
 三谷氏は、財団法人三谷報恩会を結成して、神田区の学校教育のために多大な貢献をしています。例えば、列車を仕立てて毎年、春には鎌倉・由比ヵ浜へ遠足を、夏には箱根で林間学校を開催するほか、神田区内の学校に映写機・ピアノなどを寄贈しています。今川小学校には市内では初めてとなるプールを建設しました。また、進学優良児童には奨学金を贈っています。
 像の作成者である北村西望氏(明治十七年・一八八四~昭和六十二年・一九八七)は、長崎の平和祈念像の作者として著名です。
 この胸像は、当初は隣接する神田神社の裏側、東北隅にあった大銀杏のそばにありましたが、神社境内の整備のため、昭和三十六年(一九六一)に現在の宮本公園へと移設されています。
 この胸像は教育に関する人物を顕彰したものであり、千代田区の教育史を考えるうえで欠くことのできない資料です。
  平成十五年三月  千代田区教育委員会

銘文
『三谷長三郎翁』(三段目台座正面)
『三谷長三郎翁ハ東京市神田区ノ人ナリ資性温厚篤実ニシテ敬神崇祖ノ志深ク博愛仁慈ノ行極テ多シ能ク家業ニ精励シ常ニ冗費ヲ省キテ私財ヲ公益ノ為ニ投ジ最モ力ヲ小学児童ノ保育ニ盡サレタリ翁ノ如キハ誠ニ一世ノ楷範ニシテ我ガ教育界ノ恩人と謂フベシ
昭和九年十二月二十五日
故三谷長次郎翁胸像建設會
発起 東京市神田区會 神田区斈務委員會 神田区教育會 神田区小学校児童保護者會 神田小斈校教員會』
(三段目台座裏面上部)
『この三谷長三郎翁の胸像は当初神田神社裏に建立されたが同翁の功績を永久に讃えるにふさわしい景勝の地区立宮本公園を選び移転したものである。
昭和三十六年十月三十日 東京都千代田区長遠山景光』
(三段目台座裏面上部)
『昭和九年六月 西望作』(像の背面)」(案内板より)