大倉草紙

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【東京・千代田区】 三谷長三郎胸像

2010年06月11日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
5月31日(月)


(千代田区外神田2-16・宮本公園内)

「千代田区指定有形文化財(歴史資料)
 三谷長三郎胸像 一点
   平成十四年四月指定
 この胸像は、背面や台座部分などにみられる銘文によれば、昭和七年(一九三二)に逝去した三谷長三郎氏の三回忌にあたる昭和九年(一九三四)十二月二十五日に故三谷長三郎翁胸像建設会により三谷翁の功績を讃えるために建てられ、彫刻家北村北村西望氏に胸像の制作を依頼し、昭和九年六月に作品は完成しています。
 三谷長三郎氏は、神田在住の実業家です。明治二年(一八六九)二月一日に神田塗師町に生まれ、幼名は銀二郎といいます。三谷家は、紀伊国屋の屋号を持ち、万治三年(一六六〇)の創業以来銅・真鍮を商っていた商家です。長三郎氏は、明治一九年(一八八六)に十代目を襲名してから大いに経営手腕を発揮し、財をなしたといわれています。
 三谷氏は、財団法人三谷報恩会を結成して、神田区の学校教育のために多大な貢献をしています。例えば、列車を仕立てて毎年、春には鎌倉・由比ヵ浜へ遠足を、夏には箱根で林間学校を開催するほか、神田区内の学校に映写機・ピアノなどを寄贈しています。今川小学校には市内では初めてとなるプールを建設しました。また、進学優良児童には奨学金を贈っています。
 像の作成者である北村西望氏(明治十七年・一八八四~昭和六十二年・一九八七)は、長崎の平和祈念像の作者として著名です。
 この胸像は、当初は隣接する神田神社の裏側、東北隅にあった大銀杏のそばにありましたが、神社境内の整備のため、昭和三十六年(一九六一)に現在の宮本公園へと移設されています。
 この胸像は教育に関する人物を顕彰したものであり、千代田区の教育史を考えるうえで欠くことのできない資料です。
  平成十五年三月  千代田区教育委員会

銘文
『三谷長三郎翁』(三段目台座正面)
『三谷長三郎翁ハ東京市神田区ノ人ナリ資性温厚篤実ニシテ敬神崇祖ノ志深ク博愛仁慈ノ行極テ多シ能ク家業ニ精励シ常ニ冗費ヲ省キテ私財ヲ公益ノ為ニ投ジ最モ力ヲ小学児童ノ保育ニ盡サレタリ翁ノ如キハ誠ニ一世ノ楷範ニシテ我ガ教育界ノ恩人と謂フベシ
昭和九年十二月二十五日
故三谷長次郎翁胸像建設會
発起 東京市神田区會 神田区斈務委員會 神田区教育會 神田区小学校児童保護者會 神田小斈校教員會』
(三段目台座裏面上部)
『この三谷長三郎翁の胸像は当初神田神社裏に建立されたが同翁の功績を永久に讃えるにふさわしい景勝の地区立宮本公園を選び移転したものである。
昭和三十六年十月三十日 東京都千代田区長遠山景光』
(三段目台座裏面上部)
『昭和九年六月 西望作』(像の背面)」(案内板より)