大倉草紙

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【東京・千代田区】 天野屋

2010年06月08日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
5月31日(月)


神田明神の鳥居脇にある「あま酒茶屋」の天野屋。
弘化3年(1846)創業の老舗だ。

この建物は千代田区指定有形文化財。
地下6メートルに創業時より使われ続けている糀室があるのだそうだ。

「天野屋の糀室(こうじむろ)は、明治37年(1904)に建築されたもので、現在でも天野屋で製造・販売する甘酒や味噌などの糀製造に使用しています。この室は、関東ローム層を地下6メートルまで掘り、天井をアーチ型に形成した地下室で、壁・天井には煉瓦が張られています。
 天野屋の創業は、弘化3年(1846)と伝えられ、明治37年糀室之図(千代田区所有・天野博光氏寄贈)によれば、かつては竪坑から複数の室が放射状にのびていたことがわかります。またこの図面には、天野屋の創業以前に成立していたと伝えられる室や、明治期に増設された室が描かれており、天野屋では、長い年月の間に室の改築を繰り返しながら使用してきたことを示しています。しかし放射状に配置されていた室は、平成3年(1991)に『床場(とこば)』(糀菌をつけた米を熟成させるための室)などの一部分を除いて取り壊されました。
 現存する糀室は、震災・戦災をくぐり抜けて建築当時の構造を残しており、100年以上もの間、糀製造のために使用され続けているという点では、区内で唯一、都内でも数少ない存在といえます。そして、糀製造施設の価値のみならず、江戸時代から引き継がれる糀製造や商いの変遷などを示す文化財としても希少な物件のため、千代田区指定有形文化財(建造物)に指定しました。
 なお、糀室は実用しているため一般公開はしていません。」(案内板より)


『糀室之図』(案内板より)


糀室内部(床場)(案内板より)


地下室(むろ)で戦火を逃れた昭和13年につくられた信楽焼の狸


店先には、都電停留所の標識が飾られている。
かつては、天野屋の前の旧中山道を都電が走っていたそうだ。