大倉草紙

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【東京・港区】 義士祭 (泉岳寺)

2009年12月14日 21時00分00秒 | 祭り・催し
赤穂浪士討ち入りの12月14日、泉岳寺では義士祭がとり行われる。

泉岳寺・山門
露店が並んでいる。


大石内蔵助良雄銅像


本堂前にも露店が出ていて、賑わっている。


主税の梅
三田松平隠岐守邸内にあったこの梅の下で、大石主税ほか9人が切腹したと伝えられる。


瑶池梅
義士の墓守りをした堀部妙海法尼が瑶泉院から賜った梅を移植したもの。


血染の石
田村右京大夫邸内にあった石で、浅野内匠頭が切腹した際にその血がかかったと伝えられる。


首洗井戸
吉良上野介の首級をこの井戸水で洗ったという。


四十七士墓所の門


墓所はお参りする人であふれている。
お線香の煙で前が見えないほど。


午前11時になると、浅野内匠頭の墓前で、供養の読経が始まる。


浅野内匠頭長矩朝臣の墓


大石内蔵助の墓


大石主税良金の墓


堀部安兵衛の墓


泉岳寺の御朱印

このあと義士行列を見ようと思っていたが、くたびれたので帰る。
以下の写真は、昨日午後から、思い立って四十七士ゆかりの地をまわったときのもの。

【浅野土佐守邸跡(赤坂氷川神社)】(東京都港区赤坂6-10-2)



「史蹟
 浅野土佐守邸趾
   赤坂氷川神社境内
浅野内匠頭夫人ノ幽居セル里方ニテ南部坂雪ノ別レトシテ喧傳セラレシ所ナリ
  昭和十八年三月   東京都」(案内板より) 


【南部坂】(東京都港区赤坂2丁目と六本木2丁目の間あたり)



「江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、『忠臣蔵』で有名である。後に、険しいために難歩坂とも書いた。」(案内板より)
しかし、実際はそうではなかったらしい。


【浅野内匠頭終焉之地】(東京都港区新橋4-31)

なんと、工事のために一時撤去中。
「史蹟
舊・田村右京太夫屋敷跡にして元禄十四年(辛巳三月十四日)に浅野内匠頭の自刃せし所なり
『浅野内匠頭終焉之地』の石碑は、環状第2号線の工事に伴い一時撤去しており、東京都第一建設事務所に保管されています。
  東京都
  田村新交町会」(案内板より)


浅野内匠頭終焉之地の石碑は、このようなものなのだそうだ。


【水野監物邸跡】(東京都港区芝5-20-20)

間十次郎ら9名が預けられていた水野堅物邸跡。
9名はここで切腹した。
「慶応仲通り」という商店街の中にある。


【大石主税ら切腹跡(現・イタリア大使館)】(東京都港区三田2-5-4)

大石主税ら10名は、四国伊予松山藩主松平隠岐守の中屋敷で切腹した。
現在はイタリア大使館となっている。


【曹渓寺/寺坂吉右衛門の墓】(東京都港区南麻布2-9-22)

赤穂義士のなかで唯一生き残った寺坂吉右衛門の墓がある(非公開)。
江戸時代の儒者・藤森天山の墓もあるそうだ。


【大石良雄外十六人忠烈の跡】(東京都港区高輪1-16-25)

赤穂事件で大石内蔵助良雄ら17人が預けられた肥後熊本藩(54万石)細川越中守下屋敷の一部。
ここで17人が切腹した。


門の隙間から、内側の様子が分かる。


【旧細川邸のシイ】(東京都港区高輪1-16-25・高輪支所内)


以前に訪れた赤穂義士ゆかりの地
息継ぎ井戸・花岳寺
大石神社・大石良雄宅跡の長屋門
赤穂城


松の大廊下跡(皇居東御苑)

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