大倉草紙

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【兵庫】 赤穂 ① 花岳寺など

2009年09月09日 21時00分00秒 | 旅 - 兵庫県
5月6日(水)
当日の行程:(車) → 【黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰之碑】 → 【平野國臣捕縛地】 → 【養父神社】 → 【大川藤蔵捕縛地】 → 【山口西念寺】 → 【山口護国神社】【生野銀山】【井筒屋】 → 【生野書院】 → 【延應寺】【息継ぎ井戸】 → 【花岳寺】【大石神社】 → 【大石良雄宅跡の長屋門】【赤穂城跡】 → 【赤穂市立歴史博物館】 

【息継ぎ井戸】

「元禄14年(1701年)3月14日に江戸城松之廊下で赤穂藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を切りつけるという刃傷事件が起こりました。早水藤左衛門と萱野三平がその大事件を知らせるため、江戸から早駕籠に乗り4日半かかって19日の早朝赤穂城下に到着しています。その時、この井戸で二人の使者が水を飲み一息継いで赤穂城へ向かったと伝えられています。」(案内板より)


【花岳寺】

花岳寺は、正保2年(1645)、浅野長直によって浅野家菩提寺として創建された。
山門は、赤穂城の西惣門を移築したもの。


二代目なごりの松
なごりの松は、大石良雄が、母の冥福を祈って植えた松だという。


初代なごりの松の幹


鳴らずの鐘
赤穂二代藩主浅野長友公が父長直公のために鋳造したもの。
赤穂浪士討入の翌年、切腹の報を受けた町民は、彼らの死を悼み、花岳寺に集まってこの鐘を撞いた。
「爾来音韻を失すること五十年」と寛政9年(1797)再改鋳の梵鐘に銘記されているように、あまりに撞きすぎたために、鳴らなくなってしまったと伝わる。


本堂


本堂の天井絵
安政元年(1854)、法橋義信が描いたもので、もとは五月の節句の幟だった。


義士墓所
中央に浅野内匠頭長矩公の墓、向かって右手には大石内蔵助良雄の墓、左手には大石主税良金の墓、壁に沿ってほかの義士らの墓が並ぶ。


浅野内匠頭長矩公の墓

  
左:大石主税良金の墓
右:大石内蔵助良雄の墓


義士の墓

 
左:義忠塚
右:三代目義忠桜


浅野公廟所


大石家先祖の墓所


初代藩主浅野長直公墓


二代藩主浅野長友公墓


三代藩主浅野長重公墓


森家墓所


花岳寺の御朱印