奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

苅安 0817 No133

2020-08-18 04:48:48 | 山登り
苅安 1300.7m 1/2.5万地図[能郷白山(岐阜6-3)]3等三角点
2020年 8月17日(月)5人
行程:7:30 本巣織部の里→ 9:17 温見峠駐車地 9:25→ 12:57(山頂)13:32→ 駐車地 16:09

 苅安って、ご存知ですか?、本巣市の温見峠から南に登れば能郷白山、北に登れば刈安、峠からの標高差は約300m、何にもなければ片道1時間の山 → 山をなめたら、あかんぜよ
 私の記録で、苅安に登ったの2012年11月11日、単独登山で、ヤブはなく往復2時間で登っていた。今日の予定では遅くとも11時に山頂に着く予定だったが、、

 11:08 山のイチゴ見っけ


 11:37 道なし、藪、藪


 12:46 これ道?、もうすぐ山頂

 8年前(2012年)に登った時、藪はなし、紅葉抜群で、景色を楽しみながら登った記憶、繰り返すが、今日の予定は遅くても11時には山頂着だった
 写真のように、山はヤブだらけ、雑木の枝も邪魔(ノコギリで切る)、登りで道を見失う、山頂着は予定の2時間遅れの12時57分
 山頂では、三角点の周りの枝を切り、5人が座れる場所を作って早々に食事し、13:32に下山、登りも道を誤ったが、下りは都合10回ほど道を間違え、トラバースで元の道(尾根)へ
、ヤマップの力も借りて16:09に下山、歩いた時間は往復6時間弱

 13:24 山銘板がないので手書き


 13:32 下山開始


 13:54 藪の中

   1
 14:17 帰りの目線の目標は能郷白山

☆ 今日の反省など
・思った以上に藪が濃く、予定2時間の登りが3時間半かかった
・登山口でヤマップオン、家でキャッシュしたのに私のスマホ(ヤマップ)が作動せず
 → 山行くときは電波の届くところで事前にスイッチオン
・5人のうち2人がヤマップ入れていたが、使い方、2人とも50点?、もっと使い方、勉強しよう
・5人のもう1人(3人目)、スマホを省エネモード?に、現在地はわかっても、登ったコースが記録されておらず、下山時、あまり役にも立たず
・2人の一人、途中で携帯落とし、探すのに30分、スマホはチャック付きのポケットに入れるか、紐で首に下げて胸ポケットに入れるべし、これ絶対ですよ
・5人のうち4人目、スマホ無し(壊れている)、地図は持っていたが磁石なし、これでは登れても帰れない
・なんじゃ、かんじゃ言っても私が一番悪い、ヤマップ起動せず、赤布袋も忘れ、今日は戻ろうと一番に言ってしまった(最後まで登ると言ったのは女性のSさん)
・道を間違って、元の道に戻るのにトラバース、藪(主にネマガリダケ)で脛(スネ)を叩かれ、5人とも脛が痣だらけになった
・16時過ぎに駐車地着、予定のお風呂には入らず、集合地にて解散
 けど、下山でこれだけ間違ったのは初めて、藪が濃すぎて歩きやすい方へ降りてしまう ←いい訳

 

☆ 参考
・2005年発行の「奥美濃ヤブ山」では、刈安は10月に登り、往復4時間45分になっている
・美濃の山第二巻では、1993年9月19日に約20名で登っている。峠を8:00に出発、往復7時間
・今日の5人、往復約6時間(スマホ探す時間25分含む)、もう二度と行きたくない山です
 
☆ 余談
 昔(学生の時)に読んだ詩(作者不詳)
  俺の言葉に泣いた男が一人
  俺を恨んでいる男が一人
  それでも俺についてくる男が一人
  俺が死んだら、くちなしの花を飾ってくれる男が一人

 渡 哲也氏が亡くなったからこの詩を思い出した訳ではない
 若かったころ、俺の言葉に泣く女(※)はいても、俺の言葉で泣く男はいないと思っていた
 働き出して、泣いた男は少数いた。俺を恨んでいる者は10名程度、それでも俺についてくる男はいなかった。花を飾ってくれる人などいなくてもいい
 今年作った「奥揖斐登山部(ライングループ)」只今、部員7名、今月中に10名になるかも。みんなどこかの山岳会に所属している。それって、俺についてきてくれる人たち?
 ※ この詩の「男」を「」女と書いてみたかっただけです

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