不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

門入への思いその2 他 No207 0524

2021-05-24 18:47:17 | 奥揖斐の歴史など

門入への思い その2 、山梨の皮、ほか

2021年 5月24日(月)

☆ 5月21日、門入への思い、という記事を書くと、私ブログ中最大、いいね、続き希望、コメントと沢山の反応を頂いた。といって明確な回答が書けないのが残念、文章の行間を読んでご理解ください

☆ 本題に入る前に、昨年7月31日に書いた(ホハレ峠3-2)の一節を再度掲載します

 今日は、Iさんが書かれた、門入おこし協力隊メモの「はじめに」を紹介します
 Iさんの門入への想いが、皆さんに伝わるハズです

 徳山(岐阜県揖斐郡徳山村)には八つの(※1)があり、西谷の奥の奥、門入村(昔の門入)は他のとはほとんど交流はなかった。坂内村や木之本方面との交流が多く、門入からホハレ峠越えの道が唯一生活歩道であった



門入集落(1955年~昭和30年代)



 1963年(昭和38年)八幡神社竣工式での餅まき風景、落ちてくる餅が流れて写っている

 日本一素晴らしい徳山ダムができて、きれいな水を流し続けてくれる門入の自然とホハレ歩道は先祖代々からの見事な形見で何時来ても幾回来ても変わった喜びと夢を与えてくれる
 行き来する度びホハレお地蔵様に野花一輪をお供えしお参りする。力と勇気を与えてもらい、下り坂を一足一足昔を忍びながら進むが寂しさも苦も感じない
 時々立ち止まり、周囲を眺めたり昔を振り返ったり、足元の山菜を摘んだりして、ポツンとした小屋に到着する。小屋の内外から周囲を一眺めして一段落し、感謝の気持ちで一杯です。道中摘み取った山菜の夕食が楽しみ。一人で食べるのがもったいない気がする



 黒谷を下り西谷川合流点手前、引隠(0609千回沢山参照)から見た牛尾山(1001牛尾参照)

 昔はこのちっぽけな門入の伝統文化と自然を振り返ってくれる人はいなかったと思われる。日本一の徳山ダムとセットしてもらい、多くの方が年々門入に行きたいとの声が頻繁に聞こえてきます。嬉しいです
 門入の自然は皆んなの共有です。きっと大切にしてくれると思います。協力隊に御苦労かけますが何時までも徳山ダム、門入の自然の道標であってほしいと思います

 この文は「門入起こし協力隊メモ」を作成するにあたり、2017(平成29)年2月門入出身のIさんに書いていただいたものです

※1 徳山村には、揖斐川左岸下流から、本郷(徳山)、櫨原、塚、右岸下流から下開田、上開田、山手、揖斐川支流西谷川を上って、戸入、門入という8つの集落がありました

 

☆ 本日、門入への思い、で書いた「無断立ち入りを固くお断りします」の看板について、Iさんと話してきました。Iさんは冒頭で紹介したように門入を愛されております

Iさん曰く、

1 門入の自然(景色、川の水、山菜etc)は皆のもの、ただ(地に生えた)山菜は地権者のもの、(自分が楽しむ以上の)山菜を採るのはよくないと思う。(そこのところを理解して)” 私は自然を見に来たのだ、と云えばよい ” と言ってIさん私に笑ってありました

2 また、岐阜県に話してこの看板を立てたかどうかがわからない

[門入の山の80パーセントは共有地含めて(ダムで買収された水没地、道路用地etc以外の土地は)公有地化で岐阜県が買っている。] とも

3 土地には「赤道(※2)」というものがある。赤道は誰のものではない、私(奧揖斐山荘オーナー)は公図でホハレ歩道に沿って赤道があることを確認していないが、Iさんはホハレ歩道には赤道が沿っているのでそこを歩けと言いたかったのか?

※2 赤道とは、公図上で地番が記載されていない土地(無籍地)の一つで、道路であった土地をいう。公図にある赤い色の線がそれ。幅は3尺(約90㎝、肩幅+α)が一般的と私は思っている

 

☆ 結論

・看板に無断・・と書いてあるので、私はこの1年、しばし静観しようと思っています。この看板を見て登山者含む一般の人たちがどのような行動をとるのか、が今後の共有地権者との解決の糸口と思います → 誰も見ていない、は絶体禁物、門入には冬場以外人がいます

・Iさんみたい(見出しの文章でわかるように)に、門入の自然を見に来てほしい人もいます。どうしても入山されるなら、絶対に釣り竿は持たず、門入の自然を見ることのみにしてほしいものです

 以上は私の結論、Iさん、管理会長さんと相談したものではありません

 

☆ その他

・コメントで道路工事で入山禁止という意の表現がありましたが、工事は現在実施していません

・最近(この2~3年)、何時、どこで、誰が山に入って魚を釣ったか、私は10人位知っています。釣った人(根洞谷へ)、釣ってその魚を食べた人(不動山登山でテント泊)らが自慢したりするからです。もう魚釣りはやめましょうね

・徳山ダムが建設される平成11年ころ、トラスト運動と言って徳山村徳山(本郷)の共有の権利(1筆の一部)を100人位が買い、その100人が反対運動をしていた時期がありました。門入黒谷で山菜採りをしていた人にIさんが話しかけると、私はここの共有地権者だと言ったそう。いくら愛知県〇〇市の人でも自分が買った土地、本郷と門入を間違う訳ないよね(笑い)→ 嘘はいけないと注意したそう   

 

☆ 山梨の皮

 Iさん、山梨の木そのものが門入にはなかなかない。姫りんごの大きさくらいの実がなって、霜が何回か下りないと酸っぱくて食べれない。木(材質)は重たく餅つきの杵に最高と親父が言っていた、と。金箔細工にどう使うかについては、わからないというでした

 

木に登る熊

昨日(5/23)、13:20頃撮影

 揖斐川町鶴見(藤橋城がある周辺)、花房山へ行く揖斐川を渡るどんどん橋の手前で熊を見ました。カメラを取りに行く間、一旦見失いましたが、すぐ横の木の枝が揺れているので、よく見ると、熊が5メートルほど登っていました。望遠レンズ(1000mm相当)で撮影。2歳くらいの熊ですか!、花房山へ行くとき、単独行動はやめましょう


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 門入への思い No206 0521 | トップ | 小秀山 No208 0525 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
門入への古老の思い (城台山日記)
2021-05-24 19:40:47
古老(単なる年寄りでなく、ものごとの道理を熟知している人に対する私なりの敬称です)Iさんの語る門入への愛に感動しました。人間は失わないとその価値が分からないダメな存在です。ただし、門入は人間の生活の営みは失われてしまった(これは近代化によって各地で起こったことと同じです)けれど、かつての生活の痕跡と豊かな自然は残っています。この遺産を是非後世の人に残して欲しいというIさんの痛いほどの気持ちが表れています。
自戒しなければいけないのはやはりマナーです。クマイガイソウのところで書いたようにマナーを知らないものが後世に伝えるべき遺産を食いつぶしています。
私が望むのは入山禁止の看板ではなく、入山にあたってルールやマナーを守るという看板にして欲しいということです。もちろんこう書いたからと言って
入山者が守るという保証はありません。看板を立てからと言って、不法な入山が減らないかもしれない。むしろ、良心的な入山者をこの看板によって追い払ってしまっては、Iさんの気持ちに背くことになります。
今できることは当面事態を静観し、事態が改善されることを祈ることのみです。
返信する
Unknown (むら)
2021-05-25 20:23:18
工事云々の件ですが、私が会長と話したところによると、工事によって落石が発生、工事は今後も続く、という内容でした。
一番問題にしているのは釣り、その次が山菜、ほかに落石による責任という感じでした。
恐らくIさんも管理会の一員でしょうから会長がだれかは聞かれたと思いますので確認されるのも一つの方法かと思います。
返信する
Unknown (奧揖斐山荘)
2021-05-26 02:37:16
むら様、この件に限らず何か疑問がありましたら尋ねてください。できる限り調べてお答えします
 taketo.hunter-cub-ct110@docomo.ne.jp
(手数ですがアドレスをコピーしてメールお願いします)
返信する

コメントを投稿

奥揖斐の歴史など」カテゴリの最新記事