奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

門入への思い3、コウモリ穴 No211 0602

2021-06-03 18:22:16 | 奥揖斐の歴史など

門入への思い、コウモリ穴 

2021年 6月 1日~2日(火~水)

 

☆ 門入への思いその3

 1日から2日、門入に行ってきました。鋤簾とツルハシ、鋸と鎌を持ち、ホハレ峠から黒谷沿いの歩道の整備の真似事です。「無断立ち入りを固くお断りします」の看板がありますが、前I管理会会長の許し?を得て行きました。泊りはもちろんIさん宅です

 1日は門入で(夏場に住んである)Hさんと話し、2日はもう一人の(同)Hさんと話しました。1日の夫婦は看板に気にせずいつでも遊びに来い、2日の人は「おー、久しぶり」だけの会話でした

 気になったのは、1日Hさんが言ったこと。看板は昔から何度も立てられた。だがその都度看板は(谷へ)捨てられた(今回は脚がコンクリート固めて捨てられない)、と言われた。返す言葉はなかった

 このブログを読んだ人、看板に書いてあることを承知で入山されるのなら、決して釣り竿は持たず(県条例違反です)、山菜は採っても自分が食べるだけ(※)にしてください(山は個人の権利が残っています)

※ 門入の人は気がデカいです、山菜は天が恵む物、小さなことはいいません

 

 

☆ コウモリ穴(門入の歴史好きの人だけ、読んでください)

 以前、ホハレ3-2、ホハレ3-3で、Iさんらと結成した門入おこし協力隊のメモで門入のことを紹介しました。今回も、門入にある、コウモリ穴、弘法穴、カワウソ穴の中から、コウモリ穴を見に行った時のメモを紹介しまっす

 

Iさんに聞く(3)蝙蝠穴を訪ねる

平成28(2016)年5 月21 日(土)~ 22 日(日)

・前泊組:門入のIさん山荘に3人

・当日組:私含め5人

行程 

21 日6:00 揖斐川図書館前出発~ 7:10 ホハレ峠出発~ 9:00 山荘着(前日組と合流)~9:40 山荘発~途中解説~コウモリ穴~山荘着15:10 ~懇談16:20 ~、21 日は10:30 まで前日から付近で泊まっていた関西の4人組がIさんの話を聞きたく途中まで同行した

22 日8:00 ~ブナ林を見るため、三角点「牛尾(標高690.8m)」に4人で登り、10:10 頃ホハレ峠へ当日組5人で帰り、13:00 頃ホハレ峠着

 

21日

7:57 ホハレ峠から黒谷を下る

 

9:40 ~門入ヘリポート手前~、西谷へ行く入谷の橋付近

・シンデ(新田)ここには4町歩の田があった。門入で一番まとまった水田で、10軒位のお大尽(富裕世帯)しかここの田は持っていなかった。ここの田は、入谷左岸に用水路を設け、この橋から約150 m上流にドンドン(取水堰)を作り水を引いていた。ドンドンは木で作った

・1m位は木を積み、その上に布(菰・筵)を被せ、洪水があるとその上に泥が貯まり、また木を載せ布を被せ、洪水を待つ。堰(ドンドン)の高さは数段つくり3m位。ドンドン=水がどんどん落ちるからドンドン

・ドンドンは門入に3つあった。①シンデ、②ジンジャク(甚酌)、③(水機構建屋の対岸の)アラタニの3ヶ所。ドンドン造りは労力のかかる仕事であったが、10 年~ 20 年くらいは持った

徳山村史p599  甚酌用水取水口の写真

 

・堰堤は木製で、2 ~ 2.5 m高さ10 m幅。木の又を利用して交互に組合せて作り、上に石を置く。2~3回洪水を経ると、その度に泥がたまって完成、何十年と使用できる。コンクリート製に変わったのは、Iさんが成人したころ(約60 年前)

・飲料水は清水であり、井戸は門入に2ヶ所あった(深さは70 ~ 80 ㎝)。上寄りの井戸の方が澄んでいて、良いお茶など飲むときなどは上寄りの井戸水を使った。上寄の水は夏飲んでも当たらなかった(腹痛などなかった)

・ドンドンには出水(大水)が来たとき用水路を守るため、水はかりといって用水を大水から守るための工夫(洪水吐きのようなもの)をした。水はかり=大水を用水へではなく、安全に川に戻すような工夫

 

10:00 フルイエ(古家)の主、山口家、台風が来て屋根が飛び、門入に移住した。古家には多いときには40 軒の家があった。7~ 8 軒は上開田、戸入に移った

・門入の山は99 %が共有地。ただし、ここから奥には個人地があるがごく一部である。共有地の権利を持つ代わりに税金はその個人が払った

・昔は税金を段木(ダンボク)で払っていた

段木=薪(主にブナ) 村の大分部分が山林という地域において、領主が求めたのは穀物ではなく林産物であった。徳山村史 p347

 

10:05 三軒の田の跡

10:05

・僕んち(I家)、山口家、もう一軒の田がこの付近にあった(写真10:05 参照)

 

~水機構設置の甚酌湿地帯付近にて~

・徳山ダムが関連事業で湿地を作り、アオガエルは増えたが、カエルが増えても耕作地がないからか餌(バッタなど)がいなくなり、カエルも少なくなった

 

~ヤケオ付近~

・この谷、ヤケオの水は枯れない。年中水があった。この水を下の10:05 写真の田に使った

・水が足りないときは更に上流の水を水田に使った。当初の水道はこの水を使ったが、田の水が足りなくなるので青梨谷に取水口を作った

 

10:15 撮影

 

10:14 長八の田もここにあった

オハラ=竹藪(10:15 写真まん中付近)のところはIさんが知っている限り、田はつくっていなかった。(耕作したことはなかった)

 

~ドンベ谷~ドンベアラシ~

・ドンベアラシ(門入の人達が山畑耕作をしていた地の名)

門入から山を1~2時間登り畑を作った。丸太の小屋があり、稗、粟を作った。5軒で12~13町歩の面積があった。

谷は急だから、ヤブタニからうね(尾根)を登って行った。帰りは収穫した荷を担ぐので、1~2時間かけて家に帰った

 

10:33 ヤブタニの入口10:22 昭和30 年代に木のドンドンからこのコンクリートの堰になった

 

10:35

・アカガラ田は1000 ㎡くらいあった。共有地だったので、昭和になって共有管理会に年貢を払った

 

10:43 若森家が建てた慰霊塔

 

~サンマイ~

・古家の墓があった

10:40 川に両側に古家の集落があった。橋は高い位置にあり、流されたことはなかった。亡霊が出るというので、若森さんがお墓(10:43の写真右)をつくった。若森さんは、根尾村上大須の人。家族で採掘(銀)していた。40 ~ 50 年昔の話。墓には「古家平之霊」と書かれている

・古家では若森さんが7~8人集めて年に1回お祭りをしていたことがある。(Iさんは若森さんに呼んでもらえた)古家のこの墓がある近くには、田もあった

・昔の食事は貧しく、米1合に稗・粟が9合であった。炊いて食べた

栃ころ=米1升と栃の実3升を炊いたものをすりこぎでつく。美味しかった

 

・稗は50年経っても芽が出るので保存にはよかった。他の雑穀は1年で終わる

・寺屋敷門入には常緑の木はない。アセビもない(揖斐川本川左岸には沢山ある)

・唯一あるのがソヨゴ。この宮跡にある藪椿は門入全域に1本しかない。誰かが植えたのだろう

 

~不動の滝(雨乞いの滝)~

不動の滝 2006年7月撮影

 この滝は、落差約40mの3段の滝。国土地理院1/20万地図(岐阜)にも載っている名瀑です。門入からは入谷~蔵ヶ谷~不動谷に入り、魚止めの滝、清め滝を越えると出会えます。ホハレ峠から門入までが約1.5時間、門入から滝まで約4時間です

不動の滝 17mm広角レンズで再撮影 2016.9.4 

 

・山口家の人を連れて行かないと雨がもらえなかった(降らなかった)。山口家の人には日当を出した

・門入のお宮(八幡さん、南宮さん、鎌倉さん)が移転するとき、ご神体が12 ~ 13 体あった。門入は7つの集落が集まって門入ができた。(7~8代前→約240 年前)

・門入の多くの人々は浄土真宗の誠照寺(ジョウショウジ)。その隠居寺院が西福寺。門入36軒のうち2軒だけが禅宗(増徳寺)。古家から上開田と戸入に7~8軒移住したようだ

 

11:21 にドンベの谷

11:31 にミズヤノタニ通過

・入谷の鉱山は、昭和40 年頃から56 ~ 57 年頃まで採掘されていた

・昼食後、コウモリ穴に入った。石灰岩?の空洞が上下数段にわたって延びていた。また、コウモリ穴の下方には、秘密?の穴があるが、その存在は数名しか知られていなかった

13:16 コウモリ穴の入り口

 

13:06 コウモリ穴

・入口は滝の真下にあり、水をかぶって入ったが、脈状の鉱物を追いながら人の手で掘られたものように見えた

 

☆ 今日の反省など

・ 地図は立ち入り禁止看板の手前、省略します

・最後まで読んでいただき、感謝です

 

 

Iさんの小屋 6/2 9時15分ころ。小屋の名前はと聞いたら「テンポナシの小屋」だそう。そう、写真左にケンポナシの木があった(クロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉高木、小さな緑白色の花が初夏に!!別名テンポナシ、ケンポコナシ・・)

 

次回は、弘法穴を紹介します


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3 コメント

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ありがとうございました (ジオン)
2021-06-03 21:17:46
今年も楽しい2日間でした。m(_ _)m
Iさんと奥揖斐山荘さんには感謝です。m(_ _)m
登山道整備の真似事しながら、、歩くたびは楽しい。
Iさんの歓待を受けて、また行きたくなりました。
壁の写真 蝙蝠穴など、、めちゃくちゃ気になります。
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銀山について (土田)
2021-06-03 22:05:29
奥揖斐山荘さん 今日は、土田です。
昔、入谷にあった長慶寺の福井の移転先とコンタクトがとれ、資料をまとめ、パソコン起動したら「門入への想い3」が表れてビックリ、何故なら共に「銀山」に関することでした。資料は1598(慶長3)の不動山銀山、ブログはて、40 ~ 50 年前の根尾村人の話でやはりこの地は銀が取れたんですね。
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Unknown (奧揖斐山荘オーナー)
2021-06-04 05:20:38
読んでいただきありがとうございます。次回はここでも水銀が採れた?という西谷川支流茂津谷の弘法穴です、こうご期待
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