奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

門入の話 No330

2022-08-25 05:11:49 | 奥揖斐の歴史など

門入(岐阜県揖斐郡徳山村)の話(泉さんに聞く)

2022年 8月25日(木)

 この話は、平成28(2016)年5 月1 日(土)~2 日(日)Y氏(Iデン勤務)と私で門入のテンポナシの小屋を訪問した時のものです

 

◇ 図は、門入の家の主な間取り(Iさん作図)  

 

・ゆるべ(囲炉裏のこと)北が、鍋屋(ナベヤ)でお袋の座、西が横座(ヨコザ)で主人の座、寄付(ヨリツケ)長男の座、下ジロ(長女~三女の座)が末席。掃きだめがあったりした

・客が来ると泉さん(当時長男)はヨコ座と鍋屋の間(主人の北)に移動。客は自然と寄付に座った。「出」の部屋は板張りで、鍋屋~ヨコ座、寄付、下ジロに4枚筵が敷いてあった

・客は、ゆるせよ~、と言って家に入ってきた。帰るときは、すまなんだよ~、と言って帰っていった

 

 

・門入のお宮には、300 ~ 400 年生の杉の大木が2本並んで伸びていた。子供の頃、幹間に入って上まで登って行き、ケヤキの木の枝を伝って降りて(ケヤキの木はたわんでも折れない)、よく遊んだ

 

ネソ(まんさくの木)で縛ったバイタやシバ 15:06

この(写真の)縛った薪を“ネソのネジバイ”という(ネソで縛った薪という意味)

 

~ゆるべ(いろり)で使う薪の呼び方~

・ホタ(たきぎの大きさが、大):大きい薪の呼称、径 10 ~ 20 ㎝以上。それより太いのは割って使う

・ゆるべの角 いろりの真四角(□)に対し、ホタを×の字にくべた

・バイタ(たきぎの大きさ、中):中くらいの薪の呼称、径 10 ㎝程度

・シバ(たきぎの焚きつけ):細い火付け程度の木の呼称、径 3 ㎝未満

・大中小の薪を 20 ~ 30 ㎏の束にして親指程度のツル(ネジバイ→真藤、クド藤、シナ)で縛った。一番いいのはネソ

 

~お宮の世話人~

・世話人は、おみくじで決める

・和紙に名前を書いて団子状に丸めて、三方(白木製の台)に入れる。祈禱すると和紙が珠々に吸い付く。いくつかくっついたもののうち、1つになるまで払って一人を選ぶ。1回目に選ばれた者は、禰宜を四年間務める

・2回目のおみくじで、責任役員を選ぶ。 → 氏子総代

・宮の行事などがあると一週間前から嫁と寝床を別にする

・肉は食べてはいけない。ただし、うさぎ(小動物)、雉(鳥類)は肉と考えず、食べても良かった

 

~寺の世話人~

・老人か無職の人

・奉仕で務める。米、豆類など村人達が寄付(お礼)する

・世話人は、朝夕時を告げる太鼓を打ち鳴らす

・世話人は葬式も務める

 福井鯖江から年に四回僧侶が訪れたとき(カラトボライ)に位牌で葬式を行う

 

・棺桶は栗の木で作るので、どの家でも常時栗の木の板を持っていた

・通夜の時に棺桶を作った

 和紙で木の表面が見えなくなるくらいに飾りつけた

・冬期は、村(集落)が見える辺りで命を落としているのが見つかることが多かった。気の緩みからか、眠くなるからか

 

・雪降ろしに行った帰りに心臓麻痺で命を失った者があった

・法事(初七日、二七 日、三七日、四七日、五七日)は野菜の煮物とご飯一杯だけ

 魚や肉は使わない。法事は夜に行った

・五七日は、猫脚の膳を使ったご馳走で香典返し(おみやげなどなし)

 

~料 理~

17:53撮影 写真上:ワラビのおひたし 泉さんの奥さん作成のちまき。中左:ウド、右:トウキチロウ(シズク菜)のおひたし。下は、白菜の漬け物と沢庵

 

2016.6.13撮影 泉さん奥さん作成のちまき

 

・五月の節句の笹巻(ちまき)は、ホウ葉を芯に使った

・ホウ葉一枚で捲いたあと、笹四枚で仕上げる。全部で葉は5枚

 五月の節句だから5枚捲く。不器用な人は藁で捲いた

 

~縁かつぎ~

・初作業の日取り、御幣担ぎ、畑作開始、入山、田植え開始など、大安・友引を選んで開始する。木挽き職人は特に気にかけていた

・建設関係は、仏滅を気にした。先負は午後から(仕事を)開始する

・北東の神様の気が荒い。本鬼門

・南西は裏鬼門。ツル関係は植えるな。首をつる。南天を植える

・北西は米炊き。地鎮祭の三方を供える方角。北西にサカキを植える。(サカキが)成長する家は栄える

 

~正月~

・子供は、正月はお宮にお参りをしてから、村中を一軒一軒おばさん許してください、とあいさつして家に上がり、神棚に拝謁したあと、おじさん、おばさん、あけましておめでとうと丁寧にあいさつした。折り目正しい習慣があった

・年寄り達は早朝5時でも起きて待っていてくれた

 

群馬の地酒 泉末廣 2016.6.7 取寄せ 泉さんと同姓同名の銘柄は偶然!!

 

・年寄りは、子供を見てお金(大~小)をくれた。学用品もあった

・男子が先で女子は後から回った。4~6才くらいの子供は近所の先輩が手を引いて一緒に回ってあいさつの仕方を教えた

・門入は北陸の影響を強く受けている

・門入では、ボー(少年)は“われ”、ビー(娘)は“うら”という。戸入、上開田は、自分をイラ、相手をウヌという

・上開田、戸入は門入出身者が多い。上開田の7~8軒は門入古家地区の出身である

 

・15 日は左義長。空き(あき)の方向(たたりのない方向)に神様がが開いている。(気の荒い神様にいない方向、だから“空き”。方向はその年によって違う。→ 恵方巻きみたい)

・左義長は、 藁と生杉と熊笹で直径4m、高さ5mの輪状にしたものを作り、夕方=日暮れに火をつけて燃やした

・大人も子供たちも煙の立ち昇る勢いのある方向に向けて書き初めを放つと、坂内、広瀬まで飛んで行った

 

門入の左義長 写真は泉さん提供

 

・木挽職人は危険を伴う仕事なので、特に日柄を気にした。栃の木を6尺2寸に切り、土を掘って人の手で立てる。縁起を担ぎ大安、不浄日を調べて日を選んだ

・また、ジャッキも村に2~3丁あって、機械に頼ることもできたが、昔ながらの方法で人力で立てることが多かった

 

・ウグイはオスの腹の色が変わる魚。塩べ(塩漬け)して保存し、焼いて食べた。絹糸で投げ網をこさえ一度に 10 ~ 30 尾捕れた

・寒ウグイは清水の湧き出るところに集まる。小骨が多いけれども脂がのって美味しい

・漁のできない人(漁が下手な人)は「目流し」で捕る。山椒の皮の灰と灰汁を煮こんだものを藁で捲いて、上流からその藁を入れて足

で踏む。魚は死ぬが山椒、灰汁は毒ではないので人は食べられる。雨が降ると効果は少ない

 

・ゲンロクさん。武生の刃物、漆塗り器具の商人。義理と人情があり、“もちつ、もたれつ”の付き合いをした

・へしこ売りがへしこを作って売りに来たときは、まとめて買ってあげた。

 

・ある年は、2~3週間で熊を 20 ~ 30 匹捕まえた。その猟師から熊を 12 万円で買おうとしたら、連れが俺も乗ると言った

 翌日、その熊を2人で裁こうとしたとき、養老の肉屋が来て、ちょっと待て、20 万円と裁いた肉をそれぞれ1貫目(3.75 ㎏)を二人にやると持ちかけられた。結果、ふたりは一晩でそれぞれ肉1貫目と4万円儲かった。連れは半額の6万円を私に渡さないまま、4万円と肉が儲かった

 

☆ 今日の反省など

・どうです?、この話、徳山村史、村の書き物などにはない、貴重な話と私は思います

・冒頭の家の図、台所がないんですね、井戸も

・囲炉裏の横でキリバン※(切った野菜がのせれる大きままな板)で調理し、一汁一菜が毎日の食事だったんですかね。ご飯も囲炉裏で炊いたのですかね・・また、聞いときます

・泉さん、銀飯(米だけのご飯)を食べたのは盆と正月だけと言ってあった(他は稗、粟などと米を混ぜたご飯)

 

・泉末広さん。昭和10年生まれ、まだまだお元気です

☆ 2019.8.8 ブログ「I山荘に泊まる」なども見てください

 

8/25 日17:59追加

※ キリバン

藤橋民俗資料館にて2022年 8月25日撮影

 

材質は栃の木とか・・揖斐川町の生活用具~手造り民具が語るもの~平成22年 3月25日発行、揖斐川町教育委員会より


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