いま、ボブ・ディラン
2022年 9月 5日(月)
初めてディランを聞いたのは高校生、PPM(※)の"風に吹かれて"の元歌がディランと聞いて聴いたもの
私は3枚目のLP ”時代は変わる” が一番好きで、中でもB面 4曲目 ”ハッティ・キャロルの哀しい死”、をよく聴きます。この時代、アメリカってこうゆう国だったのかといつも思う。日本は???
1963年、ディラン22歳、僕は11歳の時(61年前)に作られた歌。まずは”中村とうよう”さんの解説を引用します
◇「ハッティ・キャロルの哀しい死(10月23日録音)」は、このアルバムで3つ目の、実際あった事件を歌った曲である。1963年春メリーランド州ボルティモアのエマースン・ホテルで、ウェイトレスのハッティ・キャロルという51歳になる黒人女性が、町の有力者のウィリアム・デブロー・ザンシンガーという24歳の青年になぐり殺された。それはパーティの席での出来事で、ザンシンガーは自分の注文した飲み物を持ってくるのが遅かったというのでキャロルの頭部をステッキで殴打し、ステッキが3つに折れるほどの強さだったが、パーティに集まった200人の紳士淑女たちの誰ひとりとしてこの暴行をおしとどめようとはしなかった。それどころか、裁判の結果ザンシンガーに下された刑はわずか6ヶ月の禁固刑で、しかも彼は600エイカー(80万坪)ものタバコ畑の刈り取りで多忙だからと特別に刑の執行をすべて免除されたのである。この男の父はメリーゴーランドの州評議員だった
次に歌詞(和訳)の写真に写っていない最後の部分を書きます(写真のはじめの部分は目を凝らして、” 涙で文字が滲まないよう ” 読んでください)
◇ 名誉ある法廷で、裁判は槌をならし すべては平等で法廷は公平であり
書類の糸をひいたり言いくるめたりすることはなく ひとたび警官におわれ捕えられたからには
高貴の身であろうと しかるべくあつかわれるし
法律のはしごには上も下もないことを示し ただそうしたかったからというだけで なんお警告もなく
なんの理由もなしに人を殺した者をにらみつけ 法衣の奥から いとも深く いともほまれたかく
つよく 罰とくいあらためをもとめ ウィリアム・ザンシンガーに六ヶ月のの刑を申し渡した。
おお、だが すべての恐怖を 理論化し はずかしめ 批判する
あなたがた
ふかく顔をハンカチにうめなさい いまこそ泣くときだ
◇ はじまりの部分
彼女は四十一歳は五十一歳の間違いです
☆ 今日の反省など
・なにが紳士淑女だ!!
・県立図書館に行って、ディランのCD探して聴いてみてください、ただCDには和訳が載っていないかも!!
・真剣にこの歌聴くと、涙がでてきます
※ PPM、3人組フォークグループ「ピーター・ポール&マリー」を略してこう呼んだ
”時代は変わる”のLPジャケットとサンスイアンプ、ヤマハスピーカー、プレイヤーは最近買ったもの
★お遊び
我が書斎の50ccバイク
同じくカワサキ、スズキのレース仕様のオートバイ2台
★ お誘い
私が所属する写真クラブの案内はがき。コロナ禍で当番は誰もいません
私は、9日金曜日15時から1時間ほどいる予定でしたが、コロナ禍の関係で欠席です
私の作品、左は飯盛山(久瀬)で撮ったヤマシャクヤクのアップ、右は花房山(藤橋)から撮った徳山ダムとバックは福井県境の山々。
半切サイズ全22枚、四つ切1枚、展示しています
を思い出しました。
現代においても、事件はなくなってないような。
この一年後ベトナム戦争突入。日本においても、反戦運動広まった時代ではないかと。
PPM もボブ・ディランも、私は全盛期から、ずっとたってから、知りました。
よい歌はいつの時代もよいなと思います。
砲弾が何回飛ばなければならないか
今の社会は、風に吹かれて で
歌われた頃とちっとも変わらない、
人は過ちを繰り返し
人を殺しても叱られない
それが戦争
ボブ・ディランやPPMの歌から私は
こんなことを思います。
写真展、コロナ禍で当番は置かないことに!!、つまらない写真展です(訪問者との会話が大事なのに!)