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詩を読むのは難しい

2016年02月26日 | 批評

次の詩は、ツイッターで出会った詩である。
 
 
ライフ
 
 
私たちは
しんだひとに
つめたい。(A1)
 
それは
しんだひとが
先に
つめたくなった
からだ。(A2)
 
「あたためますか」
「はい」と
コンビニで
生まれて。B1(A3)
 
お箸も
つけてもらう。B2(A4)
 
(宮尾節子 #宮尾の短詩生活)
 
 
 この詩の各連を順に、A1、A2、B1(A3)、B2(A4)と呼べば、わたしは初め、次のようなAとBの関連不明の詩行として読んだ。もちろん、詩題(テーマ)との結びつきもわからなかった。つまり、ひとつひとつの言葉は大体わかっても、この詩がよくわからなかった。詩題(テーマ)とA群とB群とがわたしの中では分裂していた。わたし自身も詩を書いているけれど、自身を平均的な普通人以下に鈍い方だと見なしているせいもあり、他人の作品を読み取るのは苦手で苦労する方である。もちろん、一般性としては、固有の地での固有の関わり合いから生まれ育ってきた他人の言葉を読み取るのは難しいということはある。

A1→A2 
    B1→B2

 何度かくり返し読む内に、B1→B2の詩行の流線、特に「お箸も/つけてもらう。」が、A1→A2の詩行の流れを絞り決めていると思うようになった。つまり、この場面のスポットライトは、コンビニの弁当に当たっている。「しんだひと」というひらがな表記は、「死んだ人」を直接指示していない。ユーモラスに「死んだ人」のイメージも織り込みながら、「しんだひと」は、コンビニの「冷えた弁当」を中心的には指示している。そこで、わたしの中で、まだ少し不明な部分を残しつつも、やっと次のようなスムーズな言葉の流線を描くことになる。

A1→A2→A3→A4

 この詩は、わたしたち(わたしはスーパー中心でほとんどコンビニは利用しないけど)が、コンビニで弁当を買い、冷えているのは嫌だから暖めてもらって食べるという日常生活のひとこまをユーモラスに表現した作品だと思う。


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