現在の戦争や政治とネットの仮想世界が絡み合った状況に対して、わたしの位置から最近思い考えていることを、 書いてみます。
まず、ネット世界、特にSNSを通して世界はより身近なものと意識するようになってきました。それ以前は、遠い世界のことは情報も現在の奔流のようには入って来なかったし、遠く離れた地域では「お互いに知ったことじゃない」、というものだったと思います。その「お互いに知ったことじゃない」という存在感覚は、相手を突き放す意味ではなく、互いに相手の状況がわからないほど遠く離れすぎていること、こちらから手を差し伸べようもないこと、などから自然なものだったと思います。そういう状況が歴史の始まりからずっと続いてきています。それは現在でも本質的には変わらないとは思いますが、インターネットがもたらしたネット社会の介在によって少し状況の変位が起こっています。現在では、テレビやネットを通じて、遠く離れた地域の〈情報〉がわたしたちに迫るように次々に流れ込んできています。
例えばいろんな国から来た記者などが我が国にもいて、現在では遠く離れた地域の状況が格段によく伝わるようになっています。だから、大災害が起これば、お互いに国の支援以外でも募金を送ったりするようになっています。具体的に募金に応じるなどしなくても、現在の奔流のように押し寄せる情報によって知ってしまったということから、固い言葉で言えば吉本さんが語った「存在倫理」からの反応(支援や励ましなど)が、今まで以上に起動しやすくなったということはあるよなあと感じています。
ところで、わたしも、現在の国家や行政や政治に異論があったとしても、社会的な慣習や制度などの受け入れ(税金の支払いや諸手続を踏む等々)は人並みにやっています。そして、家族や知り合いなどの小さな水溜まりのような生活を中心に日々生きて活動しています。
民主国家の主権者という位置からは現在の政治に対して大きな薄い責任がひとりひとりにあると見なされているのかもしれませんが、古代辺りからこの国の政治上層と生活世界が大きく乖離してきた長い歴史と、そこから醸成された生活者の感覚や意識の遺伝子があるように思います。その感覚の自然さから見渡すと、地方や国の行政や政治のやることには本質的にはわたしは責任は持てないなと思っています。
吉本さんが言った「消費資本主義」がもたらした新たな状況と「革命」ということが決定的に不能化した世界状況と、ひるがえってそれと呼応するようにわが国の従来的な社会運動なども退潮してきたように感じています。そうした状況下で、普通に生きる人々は、現在の国家や行政や政治や職場や学校に異論があっても、主要に内心でつぶやいたりぼやいたりするほかありませんでした。現在の状況が昔と違ってきたのは、その内心でつぶやいたりぼやいたりするほかなかったことを、インターネットのSNSが仮想の井戸端に引き出し、井戸端会議を可能にしたことだと思います。つまり、わたしたちひとりひとりの内心の思いを外に取り出し、互いに交流し連結する可能性を生み出した点にあります。2010年から2012年にかけてアラブ世界において起こった民主化を求める大規模反政府デモは、「アラブの春」と呼ばれ、SNSが大きな働きをしたと耳にした記憶がありますが、その後は紆余曲折がありいろんな問題を残したと言われています。人々はより良い世界を目指していたのでしょうが、どういう改革ができるか、どこまでやれるか、どうなるか、などは組織を壊し、新たな組織を作る主体の人間本質の有り様と歴史的な段階が左右するものかもしれません。
現在の政治や政治家や企業やマスコミなどは、このSNSを通して現れる「民意」を無視できない状況にあるように見えます。わたしたち主権者の側からは、感じ考えたことを割と自由につぶやき可視化できるようになりました。現在の社会運動家に新たな課題があるとすれば、その「民意」をどういう開かれた回路で組織化するかにあるように思います。そのひとつと見なせるものに、「みんなで社会を動かす仕組み」を目標としたオンライン署名サイトの「change.org」などがあります。
ところで、SNSの仮想世界もそんなに楽観できるものではないです。SNS世界は、平気でウソついたり一部を切り取って針小棒大に表現したり、相手をののしったり、作為や扇動にも満ちています。SNS世界の暗黒面に堕ちた世界です。現在の兵庫県知事の問題を巡っても、SNSが作為や扇動に貢献してきました。何というものを発明してしまったのだと暗澹たる気分にもなりますが、人間本質の有り様から明と暗が存在するのは避けられません。そこを潜り抜けてより良いものにしていくしか道がありません。
ベルリンの壁やソ連の崩壊後の世界は、今までより気ままに自由で、もう少しましな世界になっていくと思っていたら、ロシアのウクライナ侵略とイスラエルによるガザ壊滅、なんという悪夢。
ロシア革命に始まり、血塗られた紆余曲折を経てソ連崩壊へ。ほんとはここで国家悪というものを防ぐ装置(吉本さんが語った、民衆が政府をリコールする)を打ち出すべきだったと思いますが、そんな内省の道はたどらなかった。依然としてアジア的な古代性の遺伝子を持って強権的・独裁的なプーチン体制という体たらくが続いています。もちろん、ひるがえって、我が国の敗戦後の状況を見れば、ソ連崩壊後の状況に無い物ねだりをしていることになるかもしれません。
特にロシアやイスラエルの国家悪、それ以外にもアフリカなど各地で紛争が続いているようですが、こんな状況が訪れるとは思っても見ませんでした。戦争は人倫の死ですから、双方が何でもありの状況になるようです。次々に人が傷つけられたり殺されたりしています。人間ですから、「知ったことじゃない」という気持ちと同時にどうしようもない痛ましさに佇むばかりです。
わたしたち、普通に日々暮らしている者にとって、日々の小さな水溜まりがほんとの居場所ですが、そこにできるだけ自足しながら、押し寄せるもの(情報)に流されないよう踏ん張って現在(未来)を考え続けたいと思っています。
付記
詩『言葉の街から』 対話シリーズ の7052から7064(まだ続くかもしれません)は、 上の文章と同じモチーフで書いています。