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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

わたしの位置から現在を見渡す 2025.2.22

2025年02月22日 | 批評
 わたしの位置から現在を見渡す 2025.2.22
 
 
 現在の戦争や政治とネットの仮想世界が絡み合った状況に対して、わたしの位置から最近思い考えていることを、 書いてみます。
 
 まず、ネット世界、特にSNSを通して世界はより身近なものと意識するようになってきました。それ以前は、遠い世界のことは情報も現在の奔流のようには入って来なかったし、遠く離れた地域では「お互いに知ったことじゃない」、というものだったと思います。その「お互いに知ったことじゃない」という存在感覚は、相手を突き放す意味ではなく、互いに相手の状況がわからないほど遠く離れすぎていること、こちらから手を差し伸べようもないこと、などから自然なものだったと思います。そういう状況が歴史の始まりからずっと続いてきています。それは現在でも本質的には変わらないとは思いますが、インターネットがもたらしたネット社会の介在によって少し状況の変位が起こっています。現在では、テレビやネットを通じて、遠く離れた地域の〈情報〉がわたしたちに迫るように次々に流れ込んできています。
 例えばいろんな国から来た記者などが我が国にもいて、現在では遠く離れた地域の状況が格段によく伝わるようになっています。だから、大災害が起これば、お互いに国の支援以外でも募金を送ったりするようになっています。具体的に募金に応じるなどしなくても、現在の奔流のように押し寄せる情報によって知ってしまったということから、固い言葉で言えば吉本さんが語った「存在倫理」からの反応(支援や励ましなど)が、今まで以上に起動しやすくなったということはあるよなあと感じています。
 
 ところで、わたしも、現在の国家や行政や政治に異論があったとしても、社会的な慣習や制度などの受け入れ(税金の支払いや諸手続を踏む等々)は人並みにやっています。そして、家族や知り合いなどの小さな水溜まりのような生活を中心に日々生きて活動しています。
 民主国家の主権者という位置からは現在の政治に対して大きな薄い責任がひとりひとりにあると見なされているのかもしれませんが、古代辺りからこの国の政治上層と生活世界が大きく乖離してきた長い歴史と、そこから醸成された生活者の感覚や意識の遺伝子があるように思います。その感覚の自然さから見渡すと、地方や国の行政や政治のやることには本質的にはわたしは責任は持てないなと思っています。
 
 吉本さんが言った「消費資本主義」がもたらした新たな状況と「革命」ということが決定的に不能化した世界状況と、ひるがえってそれと呼応するようにわが国の従来的な社会運動なども退潮してきたように感じています。そうした状況下で、普通に生きる人々は、現在の国家や行政や政治や職場や学校に異論があっても、主要に内心でつぶやいたりぼやいたりするほかありませんでした。現在の状況が昔と違ってきたのは、その内心でつぶやいたりぼやいたりするほかなかったことを、インターネットのSNSが仮想の井戸端に引き出し、井戸端会議を可能にしたことだと思います。つまり、わたしたちひとりひとりの内心の思いを外に取り出し、互いに交流し連結する可能性を生み出した点にあります。2010年から2012年にかけてアラブ世界において起こった民主化を求める大規模反政府デモは、「アラブの春」と呼ばれ、SNSが大きな働きをしたと耳にした記憶がありますが、その後は紆余曲折がありいろんな問題を残したと言われています。人々はより良い世界を目指していたのでしょうが、どういう改革ができるか、どこまでやれるか、どうなるか、などは組織を壊し、新たな組織を作る主体の人間本質の有り様と歴史的な段階が左右するものかもしれません。
 
 現在の政治や政治家や企業やマスコミなどは、このSNSを通して現れる「民意」を無視できない状況にあるように見えます。わたしたち主権者の側からは、感じ考えたことを割と自由につぶやき可視化できるようになりました。現在の社会運動家に新たな課題があるとすれば、その「民意」をどういう開かれた回路で組織化するかにあるように思います。そのひとつと見なせるものに、「みんなで社会を動かす仕組み」を目標としたオンライン署名サイトの「change.org」などがあります。
 
 ところで、SNSの仮想世界もそんなに楽観できるものではないです。SNS世界は、平気でウソついたり一部を切り取って針小棒大に表現したり、相手をののしったり、作為や扇動にも満ちています。SNS世界の暗黒面に堕ちた世界です。現在の兵庫県知事の問題を巡っても、SNSが作為や扇動に貢献してきました。何というものを発明してしまったのだと暗澹たる気分にもなりますが、人間本質の有り様から明と暗が存在するのは避けられません。そこを潜り抜けてより良いものにしていくしか道がありません。
 
 ベルリンの壁やソ連の崩壊後の世界は、今までより気ままに自由で、もう少しましな世界になっていくと思っていたら、ロシアのウクライナ侵略とイスラエルによるガザ壊滅、なんという悪夢。
 ロシア革命に始まり、血塗られた紆余曲折を経てソ連崩壊へ。ほんとはここで国家悪というものを防ぐ装置(吉本さんが語った、民衆が政府をリコールする)を打ち出すべきだったと思いますが、そんな内省の道はたどらなかった。依然としてアジア的な古代性の遺伝子を持って強権的・独裁的なプーチン体制という体たらくが続いています。もちろん、ひるがえって、我が国の敗戦後の状況を見れば、ソ連崩壊後の状況に無い物ねだりをしていることになるかもしれません。
 
 特にロシアやイスラエルの国家悪、それ以外にもアフリカなど各地で紛争が続いているようですが、こんな状況が訪れるとは思っても見ませんでした。戦争は人倫の死ですから、双方が何でもありの状況になるようです。次々に人が傷つけられたり殺されたりしています。人間ですから、「知ったことじゃない」という気持ちと同時にどうしようもない痛ましさに佇むばかりです。
 
 わたしたち、普通に日々暮らしている者にとって、日々の小さな水溜まりがほんとの居場所ですが、そこにできるだけ自足しながら、押し寄せるもの(情報)に流されないよう踏ん張って現在(未来)を考え続けたいと思っています。


 付記
 詩『言葉の街から』 対話シリーズ の7052から7064(まだ続くかもしれません)は、 上の文章と同じモチーフで書いています。



うまく解きほぐせない疑問

2024年06月30日 | 批評
 うまく解きほぐせない疑問


 うまく解きほぐせない疑問がある。
 ドラマを見ていて、あの俳優は嫌だなと思うことがある。そのドラマの物語の世界内での悪役人物だからとかいうのではない。

 わかりやすく例を上げてみる。今時代劇専門チャンネルでみている、徳川吉宗を題材とした『暴れん坊将軍』は、もうシーズン10(このシーズンの初回は、2000年の放送。)になる。この『暴れん坊将軍』に、微妙な印象を持ってしまう俳優たちが出てきたし、出ている。
 俳優としての三原じゅん子は数回出て来た。
 また、ドラマ上の八代将軍吉宗が、貧乏旗本の三男坊徳田新之助を名乗って居候として立ち寄る火消しのめ組、そのめ組の頭は辰五郎(北島三郎)だったが、シーズン8からは代替わりして、頭は長次郎(山本譲二)になり、魚屋をやっていたおぶん(生稲晃子)が長次郎の嫁になる。シーズン10でも長次郎とおぶんは登場している。

 この時代劇の俳優にもなった三原じゅん子と生稲晃子は、現在は特にあまりいい印象の持てない自民党の国会議員である。俳優としてドラマの世界に立った場合と国会議員として立った場合とは別である、ということはわかるが、実感としてはすっきりと両者を分離できないのである。また、俳優時代と国会議員の現在と時代がズレてもいる。さらに、国会議員としてどんな仕事をしているかは知らない。しかし、総合性としての人間という観点からは、現在は自民党の国会議員であるということがドラマを見るわたしにどうしても悪印象を加えてしまう。つまり、ドラマの中の登場人物として自然に受けとめることができないのである。

 最近、「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」(宮沢りえ×糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞)を読んだ。その中で、俳優としての宮沢りえが、俳優である自分について、その外側にいるわたしたちには興味深いと思えることを語っていた。その前に、まず糸井重里の言葉。


糸井
職業が「役者さん」でいるだけで、
買い物していても何をしていても
「役者である」ということからは
逃げられないですもんね。
役者さんに限らず、どんな職であっても。
 (第9回 ここにいながら、何だってできる。 2024-06-14)



 わたしたちは誰もが、ある家族の一人であり、ある会社の社員であり、また地域の町会のメンバーであり、ある親類関係のなかのひとりであり、等々、この世界を多重に、多層的に、しかもそれを割とシームレスに行き来して生きている。そして、家族の中の父と職場の中の一人のようにそのひとつひとつの関係の有り様は、相対的に独立している。しかし、逆に、ひとりの人間は、ふだんはそんなことはあんまり意識しないが、その多重な関係のひとつひとつにある意味つながれた存在でもある。そして、ひとりの人間が結ぶ一つ一つの関係が互いに影響し合ったり、干渉することがあり得る。糸井重里の発言は、そのことに触れている。
 
 次の、第4回 「 楽屋にいるときのわたしと、舞台にいるときのわたしは。」では、俳優としての宮沢りえが、自分の体験をもとに、ドラマの世界で自分が演じることをどう考えるようになってきたか、ドラマの世界で演じるときの自分の位置と自分の意味に触れて語っている。第4回の長めの引用である。


宮沢
ああ、たしかに、
演じているときが一番自由な気がします。
でも一方で、演じることって、
自覚的に自分を錯覚させるようなことでも
あるんです。

糸井
自分を錯覚させる。

宮沢
「わたしはこの役の人物だ」と自分に思い込ませる、
という感じでしょうか。
だから、演じているあいだずうっと
「いまのはちょっと泣きすぎなんじゃない?」とか、
「ちょっと媚びた芝居だったね」とか、
客観的に見ている自分がいるんです。
だけど‥‥そうやって錯覚を重ねているうちに、
一瞬、ほんとうになる時間があるんです。
スイッチを切るようにコントロールして
その時間に入れるわけではなく、
自分を錯覚させていった先で、
ふと「あれ? いま、わたし、誰だ?」と思って
「あ、あれが来たなぁ」とわかるような。

糸井
‥‥かっこいいなぁ。

宮沢
ほとんどの時間は、
ずっと客観的な自分が見えているんですけどね。
でも、錯覚させていた自分が錯覚を超えて、
そのとき演じている人物が生きている
「ほんとうのところ」に行けたときは、
とっても自由な気持ちになれるんです。

糸井
聞いているだけで羨ましいよ、それ。

宮沢
うふふ。
自分の人生はどうなっていくかわからないから、
不安もあるし、楽しみもあります。
だけど、脚本はスタートから最後までが
決まっているからこそ、
安心して道を踏み外すこともできるんです。

糸井
あ、そうか。

宮沢
だから、とても自由だなと思う。

糸井
そのあたりのことに、いますごく興味があるんです。
演じたり、ストーリーを表現したりすることって、
言ってしまえば全部自分じゃなくて、
他人を「借りる」わけですよね。

宮沢
うん、うん。

糸井
不自由といえば、
こんなに不自由なことはないわけです。
自分自身がどこにもいないと言えば、
いないんですよね。
なのに、そこにちょっと自分が入る気がしません?

宮沢
ああー、はい。

糸井
自分がほんとうにすこしも入らなかったら、
ロボットに演技させるようなことに
なってしまいますもんね。
その、ちょっとだけ入る「自分」の部分というのが、
みんな大好きで。

宮沢
うんうん。

糸井
その「りえちゃんの役のなかのりえちゃん」を
見つけたときに
「今回のりえちゃんの舞台、見た?
すごかったんだよ」みたいな感想が
出てくるわけですね。

宮沢
はい。

糸井
他人を演じるということも、言い方によっては
一種の「諦め」だと思うんですよ。
だって、自分じゃないんだもの。

宮沢
そうか、そうですね。

糸井
広告の言葉を書くときも、
「これをわかってほしい」とか「伝えたい」とか
「好きになってほしい」ということを、
広告らしい言葉で書いてはいても、
うそはつけないんです。
実際より魅力的に見せたら
たくさん売れるということは
あるかもしれないけれど、
それでもうそはつかない。
で、「うそだけはつけない」と決めていると
自分の本心が入るから、
どこかに自分が入るんですよ。

宮沢
あーー、はい。
わかります。

糸井
道具としての言葉を上手に使って、
自分とは全然違う境遇の人の話を書いたとしても、
どこかで自分が入るんです。
この「ほとんど諦めたところに、おれがいた」
「あの人自身がいた」という感触を、
みんなが楽しんでるんだと思う。
ほんとに、ちょびっとなんだけどね。

宮沢
そうですね。
わたし、以前は、役として
「自分じゃない時間」を過ごしていることが
もったいないと思っていたときがあったんです。

糸井
ほうほう。

宮沢
毎日、舞台の幕が開いたら
「自分じゃない時間」を過ごして、
楽屋に戻ってきてやっと自分に戻るという生活って、
なんか違うんじゃないかなぁ、
自分自身の人生の時間を
捨てているんじゃないかなと
もやもやしていたんです。
でもあるとき、小さな「自分の欠片」は、
例えば戦争に生きている女性、イギリスの王妃、
ロシアの女性‥‥
結局、どんな役のなかにもあるんだと気づいて。
「わたしが演じるときにしていることは、
その小さな自分の要素に水をやって、
肥料をやって、膨らませるということなんだ」
とわかったんです。
ロシアの子もわたし、王妃もわたし、
戦時中の女性もわたしというふうに考えたら、
とっても楽になりました。
豊かになったというか、
空っぽだと感じていた部分がなくなったというか。
それまでは、
他人を演じているときの自分は空っぽな容器で、
演じ終えたら自分が戻ってくる
という感じでしたけれど、
そうじゃなくなったんです。
楽屋にいるときのわたしと
舞台にいるときのわたしは同じ人間で、
その同じ人間のなかで、
境遇や国境を全部飛び越えて、飛躍して、
自分のなかにあるものを役に乗せているんだと
思って演じるようになりました。

糸井
はあーー。
それは、ぼくが最近気になっている
「自分の気持ち」というものに
すごく近い話かもしれないです。
例えば「ありがとう」という一言でも、
サービス業として最高の「ありがとう」が
言えたとしても、
自分の気持ちが入っている「ありがとう」とは
違います。
あるいは、
ふたりの人が恋人同士になりかけているときに
「明日、あいてる?」って言うとしますよ。
そうすると、その「明日あいてる?」というのは、
ただあいてるかどうかを確認したいんじゃなくて、
「明日あいていたら、どうしたいのか」が
入っています。

宮沢
はい、はい、はい。

糸井
その「気持ち」を人のなかに見つけたり、
自分のなかにも見つけたりするということが、
もしかしたら人間にとって一番おもしろいことで、
いままで人間みんなで続けてきたことなのかなと
思ってるんです。

宮沢
いやぁ、ほんとにそうかもしれませんね。
 (第4回  楽屋にいるときのわたしと、舞台にいるときのわたしは。 2024-06-09)



 ドラマの俳優の内側からの貴重な具体的な体験の言葉である。
 宮沢りえの俳優体験によれば、以前は「他人を演じているときの自分は空っぽな容器で、演じ終えたら自分が戻ってくる」と思っていたが、「楽屋にいるときのわたしと舞台にいるときのわたしは同じ人間で、その同じ人間のなかで、境遇や国境を全部飛び越えて、飛躍して、自分のなかにあるものを役に乗せているんだと思って演じるようになりました。」と変化してきたと語っている。

 つまり、俳優は単に仕事としてドラマの世界の登場人物に機械的に同一化するということではなく、自分を白熱化させて登場人物に同一化する(古い言い方では、登場人物に乗り移る)ということなのだろう。例えていえば、巫女やシャーマンの儀式的な振る舞いに似ているのかもしれない。ただし、巫女やシャーマンの場合は、「自分」が共同世界に溶けて埋没してしまっている。

 それで思いついたが、時代劇で、藤沢周平著の『用心棒日月抄シリーズ』のドラマは、藩内の抗争に巻き込まれて脱藩し江戸に逃れてきて用心棒稼業をする青江又八郎という浪人者が主人公であるが、これは主人公を演じる俳優が三人ほど入れ替わった作品が作られている。わたしは村上弘明が演じる青江又八郎を気に入っていたが、それぞれの俳優によってまた違った雰囲気やイメージの「青江又八郎」になっていたように思う。俳優のそれぞれの「自分」が出ているからだろう。

 その「自分のなかにあるものを役に乗せている」という宮沢りえの言葉に呼応する、末尾に近い糸井重里の言葉、「サービス業として最高の『ありがとう』が言えたとしても、自分の気持ちが入っている『ありがとう』とは
違います。」は、自分を入れるということが、俳優に限らずこの社会のいろんな仕事においても同じであると言われている。

 ところで、この社会の内でのわたしたちの生存の有り様は多重であるから、俳優に限らず、父であるとか会社員であるとか町内会やPTAの一員であるとかそのそれぞれの場面で、「自分」というものが出ているはずである。そうして、例えば会社員の場面で、ある社員が町内であるトラブルを起こしているということを他人が知ったとして、その他人はある社員に良くない印象を付加されて持ってしまうかもしれない。このようなことは、わたしたちの日常にはありふれたことのような気がする。人は、この社会に総合性として生きており、また、そのように見なされているから、ある人の別の場面のことがある人の印象として加わってしまうのである。
 俳優でも、その「自分」というものが自然と入り込んでしまうものだから、わたしが、例えば『暴れん坊将軍』に登場するおぶん(生稲晃子)に対して、その入り込んだ「自分」に反応してしまうのは避けがたい。閉じたドラマの世界の破れ目のように、観客のわたしたちはある俳優について付け加わる悪印象(あるいは、好印象)などを持ってしまうのを避けられないような気がする。もちろん、そんなことはドラマの世界の表現とはほとんど関係のないことではある。しかし、人間的には、そのような感受はある普遍性を持っているような気がする。 


表現の現在―ささいに見える問題から 29 (追 記 2021.11.18)

2021年11月19日 | 批評

 表現の現在―ささいに見える問題から 29
    ―『吹上奇譚 第二話どんぶり』(吉本ばなな 2019年1月)を読み始めて

※ これは、2019年3月の文章です。

  末尾に、追記あり。

 ケーブルテレビの番組で、アメリカのテレビドラマを観ている。今は「HAWAII FIVE-0」(ハワイ・ファイブ・オー )のシーズン8と割と荒唐無稽なストーリーの「ARROW」(アロー)シーズン6の二つを観ている。他に「Mr Robot」のシーズン3と「THE BLACKLIST」(ブラックリスト)のシーズン6が始まるのを待っている。

 「シーズン8」というのは、八年目ということになる。一時期観た韓国ドラマも長かったが、アメリカのTVドラマは長い。何年も観ていて物語世界になじんでもいるが、もうこれは、いつ終わっても文句ないなあと思う時がある。一方、制作側は、経済性などいろんな作品制作の動機と作品自体のモチーフがあり、次から次にいろんな展開をくり広げている。わたしの「もうこれは、いつ終わっても文句ないなあと思う」のは、もう物語の起伏(筋)のおもしろさはわかったよ、もうそれはいいよ、そうして、それとは別の、物語を底流する登場人物たちの心のやりとりや親和の形が自分には見えてきたし感じ取れたから、もういつ物語が終わっても構わないな、という思いである。

 今観ている二作ともだいたい一話完結で、一年に一シーズンの放送だが、各シーズンゆるやかに話がつながっている構成になっている。また、それらの娯楽映画でも、よく起こり得る人間関係のトラブルや親和や機微はきちんと描き込まれている。

 読者であるわたしたちが、登場人物たちの過去をよく覚えていないとしても、脚本の作者やドラマ化の監督たちは、当然のこととして、登場人物たちの性格や彼らの様々な過去に通じているはずである。

 吉本ばななの『吹上奇譚 第二話どんぶり』(2019年1月)を読み始めて、ふとそんなことを思った。前作『吹上奇譚 第一話ミミとこだち』(2017年10月)との間に、1年ちょっとの時間が流れている。わたしたち読者は、前作第一話の話の流れや登場人物のことなど薄れてきている。普通は、何度もくり返して読むということはしないし、この1年位の間作品の物語の森から遠離っていたからである。一方、作者は、この作品にかかりっきりではないはずだ。それでも、その1年位の間に少しずつ準備や書き込みをしていただろう。そういうわけで、作者には物語の森や街、そこに登場する人物たちによく慣れ親しんでいたということになる。

 割と長い時間のかかる絵画や美術作品の場合も、この小説を作り上げていく事情と同じようなものではないかと思う。毎日か飛び飛びかは分からないが、ひとたび制作中の作品と向かい合えば、前回の作品創作の流れに接続できるのだろうと思われる。

 このことは、誰もが日々の生活の中でおこなっていることと同じことではないだろうか。毎日、自宅と職場や学校などを行き来しながら、昨日の仕事や勉強と同じように、一般にはそれらにスムーズに接続していく。

 そういうことを作品製作の日々でくり返していて、今日は前回とは違うイメージや道が見えてくるということがあるかもしれない。吉本ばななの『吹上奇譚 第二話どんぶり』の次のような、登場人物の語る言葉が文字として見える人には見えるという着想は、そうやって日々掘り進んでいて、ふうっと湧いてきたイメージのように思える。それは、童話あるいはファンタジーのようではある。つまり、荒唐無稽ではある。


 墓守くんのテントの中からは、前髪が顔の前でぼさぼさで幽霊のようになっている、異様に白くて少女のように細い女性が這い出してきた。
「あなたとは会ってもよいと、さっきから話を聞いていて思った。」
 とその人は言った。
 しかし、それは厳密に表現するなら「言った」のではなかった。
 私は目の錯覚かと思って、ベタな動きとして目をごしごしこすってみた。人間って信じられないものを見るとほんとうに目をこするんだなと思いながら。
 でも目の錯覚ではなかった。
 彼女の言葉は、ちょうどこんぺいとうくらいの大きさの小さな丸っこい文字として、口からぽろぽろこぼれてくるのだ。そして雪の結晶のようにふわっと消える。実際に声は出ていない。そしてなんの音もしない。アニメだったらきっとチョロン、ポロロン、みたいな音が出るのだろうに。
 ライターのバイトを長年していた私は、
「良いは漢字ではなくてひらがなに開くのか」と彼女の胸元に消えていく字を見ながら思った。
 それどころではないのはわかっていたのだが、私の心臓が逃避したかったのだろう。
「様子を見て驚いているんだけど、君には見えるの?彼女の言葉が。ほんとうに?」
 墓守くんは目と口を大きく開けて私を見た。
 (『吹上奇譚 第二話どんぶり』P33-P34)



 〈私〉(引用者註.語り手でもあるコダマミミ)と墓守くんには、墓守くんの恋人の言う言葉が文字になって見えるという。そして、彼女の言葉は、また言葉というものは本来、次のようなものだと語り手の〈私〉は思うのであるが、これはこの作品に込めた作者の大切だと見なしている考えでもあるはずである。


 彼女も黙って春の華やかな景色を眺めていた。そして言った。
「しょうちゃん、お茶ある?」
 そういえば、墓守くんの本名は正一というのだった。新鮮な感じがしたしこそばゆかった。ミーハーな気持ちでこの面白いカップルのことをずっと見ていたかった。ここのうちの子どもに産まれたら一生退屈しないだろうとうらやましく思った。
 しょうちゃんという言葉も、お茶という言葉も、そうして文字になるととてもきれいなものに思えた。そして淡く光って消えていく。全てがほんとうはそうなのだ。私たちが言葉をただたれ流すようになってしまっただけで、ほんとうはみんなきっとこんなふうなんだ。
 言葉って、歌だし、すぐ消えていく夢なんだ。
 なんていいことを知ったんだろうと私はうっとりした。
「ああ、常温のならそこにあるよ。」
 墓守くんは水の中で冷ましていたガラスポットを指差した。
 (『同上』P39)



 初めに観ているテレビドラマについて「もうこれは、いつ終わっても文句ないなあと思う時がある」と書いた。この『吹上奇譚』にも荒唐無稽さを装ってはいるが、物語の起伏(筋)がある。しかし作者は、物語の起伏(筋)のおもしろさよりも、別のことに力こぶを入れているようなのだ。先に述べた「物語を底流する登場人物たちの心のやりとりや親和の形」のようなものに作者は力を注いでいるらしいのである。そして、それを読者の方にそっと差し出している。


 地上を生きること、肉体を持っていること、どれも厳しく苦しい要素の大きなことばかり。だから人はそれぞれの夢を見る。そしてことさらに夢が必要な不器用な人たちがいる。その夢が人生を片すみに追いやるのではなく、人生にとっての魔法の杖となるような。
 そんな夢を見るための力を、このおかしな人たちがみなさんに与えてくれますように、つらい夜にそっと寄り添ってくれますように。
 そんな人に「いいから寝ろよ」とミミちゃん(引用者註.作品中の主人公とおぼしき〈私〉)が男らしく言ってくれますように。
 (『同上』「あとがき」P185-P186)



 物語の起伏(筋)は、物語世界内の語り手の働きにより作者の作品に込めるモチーフに仕えながらも、語り手の導きによって登場人物たちに〈心〉を消費させる。そのことが、読者にわくわく感などの心の緊張を与え、読者がその物語の流れをたどっていく過程で、読者に心の充実した消費を提供することになる。一方、物語の底流には作者のモチーフが潜在していて、物語の起伏(筋)とともに流れて行く。この両者は、深く関わり合っているが、分離して取り出してみることができそうである。読者を楽しませる物語の起伏(筋)と潜在する作者のモチーフである。

 ここで、吉本ばななはこの作品に潜在する作者のモチーフこそがとっても大切で微妙なものだと語っている。それは、引用部の微妙な描写、藪をかき分けて小さな道筋をたどっていくような描写として実現されようとしている。


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 (追 記 2021.11.18)
 
 「登場人物の語る言葉が文字として見える人には見えるという着想は」、荒唐無稽である、と述べたことは訂正しなくてはならない。『カエルの声はなぜ青いのか?―共感覚が教えてくれること』を読んでいたら、以下のような記述に出会ったからである。これは一度出会ったことがあるぞと思って、すぐに吉本ばななの『吹上奇譚』の登場人物を思い浮かべた。しかも、一度触れていた。
 
 
 際立った共感覚者で知人のスザンヌの場合、誰かが話しているのを見ると、それが文字になって文字通り、口から出てくるらしい!ちょうど、(海外)漫画の吹き出しのように、口から吐き出された言葉はまさに、左から右へ、そして下へ向かって零れ落ちていくのだ。
 (ジェイミー・ウォード『カエルの声はなぜ青いのか?―共感覚が教えてくれること』P174 青土社 2012年1月)





時代劇と宮沢賢治の「猫の事務所」

2021年06月27日 | 批評
 時代劇と宮沢賢治の「猫の事務所」


 しばらく前からテレビでやっている『暴れん坊将軍』や『長七郎天下ご免!』を観はじめて、だいぶんそれらの時代劇に慣れ親しんだ。もちろん、観ているわたしの深みには批評的な視線や感受を持っているのだが、それは置いても観る者を楽しませる作りになっているなと感心する。観ていると次第にドラマの世界や登場人物たちになじんでいく。

 ケーブルテレビを契約していて時代劇専門チャンネルを観ることができるので、最近では、そのチャンネルの時代劇もいくつか選んで観ている。そうではない作品もあるが、貴人や権力を持っている者が社会に横行する悪行を成敗するという物語の構成が目立つ。これは、わが国の大衆の政治意識や社会意識の有り様と対応する物語の構成や表現である。

 例えば、『水戸黄門』も『暴れん坊将軍』も、将軍や将軍に近い存在が、幕府の政治・行政機構とは直接関わりなく、私的に巷の悪行を裁くという物語になっている。はっきりと善と悪に分離された物語世界で、こういう貴人(ヒーロー)が悪をやっつけるということに民衆が声援を送ったり拍手喝采するのはわかるような気がする。また、藤田まことが演じる「必殺仕事人」シリーズも昔観たことがある。これは、この社会で悲劇に死んだ者の代わりにお金をもらって悪行を成した者を暗殺するという裏稼業の話であった。藤田まことが演じる中村主水の表稼業は少しいい加減な同心であり、家庭では婿養子で嫁や姑に軽くあしらわれている。この表と裏の二重性を生きていることは誰しもそんな面があるかなと思わせるものがある。

 わたしたちの生活世界では、家族や人間関係や仕事やあるいは上層から下りてくる政治などで問題がすっきりと解決するということはほとんどない。だからこそ、貴人や裏家業の者たちが問題をすっきりと解決するということはカタルシスになるのだろう。裏を返せば、物語はこの社会の生き難さを浮上させている。

 そんな善悪二元のドラマばかりではない。最近NHKBSのBS時代劇としてやっていた『小吉の女房2』はいい感じの作りだったと思う。勝海舟の父親小吉(古田新太)とその妻(沢口靖子)と小吉の知り合いたちが醸し出すドラマの世界のふんい気が何とも言えず良かった。これには、俳優たちの個性の影響も大きいなと思えた。

 ところで、宮沢賢治に「猫の事務所」という短い童話がある。その猫の第六事務所は猫の歴史と地理をしらべるところで、例えば旅をするため訪れてきた猫には案内をする。猫の事務所には、すべて猫ではあるが事務長と四人の書記がいる。物語の内容は、書記の一人の竈猫(かまねこ)が病気をして休んだ後に事務所に出たら他の書記たちから無視されたりいじめられたりするという話である。

 この童話の末尾は、次のようになっている。


 そしておひるになりました。かま猫は、持つて来た弁当も喰べず、じつと膝に手を置いてうつむいて居りました。
 たうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
 それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしてゐました。
 その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向ふにいかめしい獅子の金いろの頭が見えました。
 獅子は不審さうに、しばらく中を見てゐましたが、いきなり戸口を叩(たた)いてはひつて来ました。猫どもの愕(おど)ろきやうといつたらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまはるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まつすぐに立ちました。
 獅子が大きなしつかりした声で云ひました。
「お前たちは何をしてゐるか。そんなことで地理も歴史も要(い)つたはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる」
 かうして事務所は廃止になりました。
 ぼくは半分獅子に同感です。
 (「猫の事務所……ある小さな官衙に関する幻想……」宮沢賢治 青空文庫)



 ここでは、唐突に獅子が登場して、おそらく事務所内のいじめ問題への対処として「猫の事務所」を解散させる。これ以前に獅子は登場していないし、獅子についての説明もない。しかし、この獅子は上の時代劇の話で言えば貴人に相当する。同じ動物といっても、獅子(ライオン)は「百獣の王」と呼ばれもする。そんな動物界で頂点に立つものとして獅子は見なされている。事務所の猫たちは獅子の登場を驚き恐れているように描写されていることからもそれは明らかだろう。だから、獅子は「猫の事務所」を解散させることができたのである。この獅子の取った行動は、上の時代劇の話の貴人たちによる社会の問題の解決に対応している。
 
 最後に、語り手が読者に語りかけるように感想を付け加えているが、これは作者の思いでもあると見なしてよいと思う。この部分は、「猫の事務所〔初期形〕」(『新修 宮沢賢治全集 第十三巻』筑摩書房)では次のようになっている。 まず、話の流れの中で、


みなさん私は釜猫に同情します。

みなさん。私は釜猫に同情します。

けれども釜猫は全く可哀さうです。



が三箇所に挿入されている。そして、話の末尾では、「猫の事務所」の「ぼくは半分獅子に同感です。」という一文とは違って、次のようになっている。


 釜猫はほんたうにかあいさうです。
 それから三毛猫もほんたうにかあいさうです。
 虎猫も実に気の毒です。
 白猫も大へんあはれです。
 事務長の黒猫もほんたうにかあいさうです。
 立派な頭を有(も)った獅子も実に気の毒です。
 みんなみんなあはれです。かあいさうです。
 かあいさう、かあいさう。



 語り手が聴衆(読者)に語りかけるのは、たぶんわが国の語りの伝統の流れからきていると思われる。そして、この場合の語り手の感想は、作者の感想と同じと見なせると思う。「猫の事務所」と「猫の事務所〔初期形〕」では、その点では同じである。しかし、前者は、このいじめ問題は猫の事務所内ではどうしようもなく解決しがたいから獅子の判断と行動はやむを得ないが、現場は猫の事務所であり、当事者は猫たちであるから、本来的には猫たち自身で解決すべきことである、という作者の思いから「半分」獅子に同感ですとなったのだろう。後者の「猫の事務所〔初期形〕」は、「かあいさう」や「あはれ」がくり返されていて冗長な印象を与える。そういうことから、推敲された「猫の事務所」では、最後にひと言「ぼくは半分獅子に同感です。」になったものと思う。

 しかし、「猫の事務所〔初期形〕」と「猫の事務所」の作者(語り手)の感想の違いは、それだけではなさそうだ。「猫の事務所〔初期形〕」の方は、センチメンタルな装いをはぎ取ればお経のようにも感じられる。いわば、人間界を超出した仏教的な世界から作者は物語世界を眺めているように見える。一方、「猫の事務所」の方では作者はいじめや争いが絶えないこの人間世界内から物語世界を眺めているように見える。ただ、物語世界内でなんとかいじめの問題の解を与えたいというモチーフだけは両者で同一だと思われる。


スイーツの話

2020年11月07日 | 批評
 スイーツの話 



 スイーツという言葉と食べ物がある。今では社会に定着した言葉や食べ物となっている。この言葉が生まれ風俗として浸透しはじめたのは近年だという印象がある。調べてみると、


1.「スイーツ番長」より
「キャリアとケッコンだけじゃ、いや。」という大胆キャッチコピーで、昭和63年に世に出た女性向けの雑誌は「Hanako族」という社会現象を生み、翌年の平成元年の流行語大賞に「Hanako、Hanako族」が選ばれるほどでした。ケーキ、チョコ、アイス、デザートなど全てを「スイーツ」と最初に称したのが「Hnako」。まさに平成はスイーツと共に始まったのです。


2.「ヤフー知恵袋」より
スイーツって、誰が最初に言い出したんですか?

日本で使われるようになったのは1990年代からですね。 2005年には女性週刊誌を中心に頻繁に使われるようになって、市民権を得た感じですね。 本来はイギリス英語での甘いお菓子を意味しています。 昔からあった語彙です。 有名なとあるパティシエが子供のケーキと差別化して大人の雰囲気を演出するために使い始めたそうです。 色々なお菓子に使われるようになって、いつの間にかスイーツというカテゴリーが出来た感じですね。 もし見れたらこれも参照してください。
http://zokugo-dict.com/13su/sweets.htm 日本語俗語辞書

 日本語俗語辞書より
『スイーツ』の解説

スイーツとはケーキやプリンなど甘いお菓子のことで、英語(イギリス圏)で甘いデザート・お菓子を意味する"sweet(米語ではdessert)"からきたカタカナ英語である。
日本でのスイーツは当初、有名店のパティシエによる高級洋菓子など子供のお菓子と区別し、大人が味わって食べるお菓子という意味で使われていた。2005年に入ると女性雑誌を中心にスイーツがブームとなる。 このブームによりスイーツという言葉が普及していく中で、国内の菓子メーカーもスイーツ・ブームに参入。「お手軽スイーツ」や「和風スイーツ」といった形でスイーツは甘いお菓子全般を意味する言葉となる。



 ある物を発明した人は誰かとかいうこと違って、流行語の始まりと同じようにものごとの発生点を突きとめようとするとあいまいさが伴う場合がある。雑誌の命名が先か店での命名と製造が先か二つの引用からははっきりしないところがある。それはともかく、「スイーツ」は1990年代頃から始まったもので、言葉やイメージとして英語起源ということになる。そうして、そのスイーツの波はどんどん進んで例えば「和風スイーツ」というように、従来のものをそのままの形としてではなく新たな形やイメージとして「スイーツ」に取り込んできているようだ。「スイーツ」の定着と深まりである。

 わが国の社会にはスイーツ以前にも同様な甘い菓子類はあった。スイーツ以前には、大きなくくり方で言えば、和菓子と洋菓子、その下の饅頭やケーキなど具体的な名前と食べ物があった。それなのになぜ、「スイーツ」という新しい名前を必要としたのだろうか。

 吉本さんは、いろいろ分析・検討した結果この社会の最大の転換点を一九七三年から、七四年、七五年の三年間に見定め(1990年9月14日の講演「日本の現在・世界の動き」、 『吉本隆明資料集174』 猫々堂 2018.4.15)、そこから一九八〇年代に天然水が初めて商品として売り出されるようになったことに象徴される社会を「消費資本主義」 (註.1) と呼び、この社会が新たな段階に入り込んだと分析した。それに関わることでいえば、


吉本 僕は、日本が六十年代から八十年代までの、どっか中間のある所で、かなり急速に西欧型先進資本主義社会に転換していったということは、重くみる方ですけどね。〈アジア的〉な農耕社会の残存物というものは、専ら我々の意識構造、特に意識の共同性の面において、現在でもかなり残存していると思います。そして、僕は、〈アジア的〉ということについては、西欧的な先進性が入ってしまった日本とは、楕円の軸のように二つに重ならない軸をもって、その両方で回っていて、どっかで重なる部分があって、そして重ならない部分もあるというような、そういうモデルが一番いいと思ってますがね。
 (「万博マス・イメージ論」P61 『筑波學生新聞』1986.1.10、 『吉本隆明資料集174』 猫々堂 2018.4.15)



 このことは、わが国が欧米の先進諸国同様に第一次、第二次産業中心からサービス産業が経済社会の主流となり、消費中心の「消費資本主義」の段階に入り込んでいることと関わっている。そうしてそれは、わたしたちの意識、社会性において、〈アジア的〉な農耕社会の残存物がより薄れ、西欧的なものがより深まってきた事態にあることを示しているように思われる。

 吉本さん自身も上の「日本の現在・世界の動き」で語っているが、こうした大規模な社会の転換の徴候はいろんな所に現れるはずである。「スイーツ」の出現もそのひとつではないだろうか。

 「スイーツ」の出現は、吉本さんがこの社会の最大の転換点とした一九七〇年代前半よりだいぶん遅れているが、社会の変貌は一気にではなく徐々に波及・浸透していくものだろう。この「スイーツ」も消費中心の「消費資本主義」の段階に入り込んだという社会の転換の徴候を示していると思われる。

 慌ただしい日々の中のくつろぎや知り合いや恋人とのかたらいの場で、「スイーツ」を仲立ちとして人々は楽しみやくつろぎのイメージに彩られてあるのだろう。

 また、ペットボトルのお茶の出現と普及も近年だったような気がする。わたしもそうしたペットボトルの濃い味のお茶をよく飲んでいる。テレビの場面や現実の話し合いの場で見かけたことがあるが、昔なら主に女性のお茶の係の人がひとりひとりに注いで回らなければならなかったことが、ちいさなペットボトルのお茶の出現によって、そうしたことが無用になっている。しかも、ペットボトルのお茶は、各社の競争もあって、消費者の欲求に応えるように日々研究開発に力を入れられているように思う。こうした、小さな新たな事態の総和が、現在の消費中心の「消費資本主義」の段階を構成しているが、それぞれが従来の社会の有り様に変革を自然な形で加えているように見える。

 このようにわたしたちは、社会の大きな転換の中、そこから生まれ波及してくるものは、例えば産業的時間の速度や密度の増大とともにうつ病の増大が出てきているなど良いことばかりではないが、良いと感じ思えるものは「スイーツ」やペットボトルの飲料のように、わたしたちは享受しているのである。初めは、好奇心やはやる心があったかもしれないが、次第に自然なものと受けとめられるようになり社会内に定着していく。


(註.1)
「消費資本主義」について

ぼくなどは、「消費資本主義」ということばで呼んでいますが、その消費資本主義というのは産業経済学からみた産業とか生産とかの段階の概念です。資本主義の産業経済的な最高の段階、あるいは産業が爛熟し老境に入った段階といいましょうか、そういう社会を指して、消費資本主義社会というふうに呼んできました。そして現在、消費過剰の資本主義段階に突入してしまっている地域は、第一にアメリカであり、第二にECの先進国がそうであり、そして第三に日本の社会だというふうに認識できます。
 消費資本主義の概念は、どういうことで定義したらいちばん考えやすいか、ひとつは個人所得を例にとってみます。それは平均の働く者の所得のうち半分以上が消費に使われている社会のことです。もうひとつは、消費支出のうちまた半分以上が選んで使える消費になっていることです。つまり、個人支出でいえば、個人がそれぞれ自分の自由に選んで使える消費が半分以上になっているような社会です。この二つの条件を満たす社会を消費資本主義社会と呼ぶとすれば、そういう段階に、現在、日本なんかは入ってしまっています。
       (J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』-あるいは消費社会の行方について より P47 1995年6月)

誰かがやっている・続

2019年12月20日 | 批評
 誰かがやっている・続


 初めてこの長編詩『記号の森の伝説歌』に出会った時には、ほとんどこの詩の世界に入り込めなかった。すなわち、わけがわからなかったが、何度か読むうちに少しは入口が見えてきたような気がする。

 長編詩『記号の森の伝説歌』を何度か読んだ上で、目次を眺めている。この長編詩は、「舟歌」「戯歌」「唱歌」「俚歌」「叙景歌」「比喩歌」「演歌」のパートからなっている。おそらく、作者は、深い歴史の流れの中の現在(現代)を生きてきた〈わたし〉に、それらの多様な歌を通してこの世界の有り様に立ち会わせている。詩句にもあるが、「概念がエロスだった」というように、言葉が行使されている。あるいは、言葉が流露している。ちなみに、長編詩『記号の森の伝説歌』のもとになった連作詩篇を『遠い自註(連作詩篇)』(猫々堂)に編集した松岡祥男さんの「編集ノート」によると、『記号の森の伝説歌』について、作者は次のように語ったとのこと。


 私はそのモチーフについて質問したことがあります。吉本氏は「じぶんたちの世代は、歌といえば、唱歌か軍歌しかないから、歌を作りたいとおもっているんです」と語りました。


 現代詩は一般に、流行歌謡のようにやさしい言葉でなめらかにというわけにはいかない。長編詩『記号の森の伝説歌』では、十分に内容がたどれないとしても言葉のエロスが十分に放出・表現されている、その感触は、読者に伝わると思う。そうして、吉本さんは、『固有時との対話』以来、詩の批評性というものを意識的に携えて来ているように見える。批評性とは、思想性や内省ととってもよい。したがって、この詩集を十分により深く味わい尽くすには、吉本さんの全思想を踏まえることが大切だと思う。

 せっかくだから、長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」の部分とそのもとになった詩のひとつ、「連作詩篇」の「メッセージ」とを対照してみたい。


1.
 メッセージ

読者は森に集って
車輪で圧しつぶされた文字の
残骸を悼んでいる ちらばった
扁を指して嘆くのなら 文字の
起源について泣くべきだ

「妹」 その「声符(せいふ)は未(び)」
未だ愛恋を販らなかったのに
「姿」 その「声符は次(し)」
「それは『立ちしなふ』形であろう」
「立ち歎(なげ)く女の姿は 美しいものであった」

ひとりひとり
イメージの鳥になって
月の輪に影をついばんでいる やがて
うなだれた塑像みたいに
こわれたキイ・ワードを
組み立てはじめる

その一語のために色づいた
村の妹たちに触れてきた 乳房は
森のうしろ 双(ならび)が丘になった
風に揺られ 神話のなかでは
概念がエロスだった
永遠という旅の途次の字画よ

そのままで どうかそのままで
こわれた村の妹たちは 都会で
「新見附」という文字に抱かれている

いつか明け方
陸橋のしたの路を
森に入りそこねた活字を束ね
新聞配達が通りすぎる
 (『遠い自註(連作詩篇)』、『吉本隆明資料集57』所収 猫々堂)


2.
 長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」
 詩「メッセージ」との対照で言えば、L1の「集って」が「あつまって」に、L7の「未だ」が「まだ」に変更され、新たにルビが付けられている語がある。もとになる詩「メッセージ」全体が長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」の一部に取り込まれていて、以下のようになっている。両者の異同については、ルビを除く異同がある箇所はその行の最後に「★」記号で示す。


         *****
         * (引用者註.この記号は、「Ⅶ 演歌」の「6」の意味のようだ)

読者は森にあつまって ★
車輪で圧(お)しつぶされた文字の
残骸(ざんがい)を悼(いた)んでいる ちらばった
扁(へん)を指して嘆(なげ)くのなら 文字の
起源(きげん)について泣(な)くべきだ

「妹」 その「声符(せいふ)は未(び)」
まだ愛恋(あいれん)を販(う)らなかったのに ★
「姿(すがた)」 その「声符は次(し)」
「それは『立ちしなふ』形であろう」
「立ち歎(なげ)く女の姿は 美しいものであった」

ひと画ひと画が ★★
イメージの鳥になって
月の輪に影(かげ)をついばんでいる やがて
うなだれた塑像(そぞう)みたいに
こわれたキイ・ワードを
組み立てはじめる

つくられた一語に色づいた ★
村の妹たちに触れてきた 乳房(ちぶさ)は
森のうしろ 双(ならび)が丘(おか)になった
風に揺(ゆ)られた神話のなかでは ★
概念(がいねん)がエロスだった
永遠という旅の途次(とじ)の字画よ

そのままで どうかそのままで
こわれた村の妹たちは 都会にでて 夜ごと ★
「新見附(しんみつけ)」という文字に抱(だ)かれている

いつか明け方 窓(まど)から見おろすと ★
陸橋のしたの舗装路(ほそうろ)を ★★
森に帰りそこねた活字たちを束(たば)ね ★★
新聞配達が通りすぎる

         *****
         **

 (長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」P144-P147 角川書店 1986年12月)
 ※この長編詩の組み方は各行が上下しているが、「吉本隆明インタヴュー」(「而シテ」1989年)でそれは自分の意向ではないと吉本さんは語っている。読みづらいので各行頭揃えにしている。


 まず、もとになった連作詩篇「メッセージ」と長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」では、「連作」と「長編詩」というなんらかのモチーフを持つという点では共通していても、そのモチーフの固有性は違っていると思われる。もしモチーフが同じとするならば、あえて長編詩『記号の森の伝説歌』としてまとめ上げるのではなく、『遠い自註(連作詩篇)』という詩集としてまとめ上げればよかったはずである。この件についても、上記の松岡祥男さんの「編集ノート」によると、『吉本隆明全集撰』第一巻(1986年9月刊)の川上春雄氏の「解題」(1986年8月16日付け)にその事情が記されているという。これに当たったみた。


 近刊が予定される吉本隆明詩集『記号の森の伝説歌』の成立は、もともと角川書店『野性時代』に連載された作品を発端としている。すなわち、一九七六年五月号に発表された「雲へ約束した」を連作詩篇1,六月号に発表された「夢の手」を連作詩篇2というタイトルで以後断続的に六十五回ほど連載された詩と、その前年一九七五年の『野性時代』十月臨時増刊号に発表された詩「幻と鳥」とをあわせたものが詩集の本体と考えられる。
 本体とも原型ともいうべきこの作品群に加筆訂正のうえ、やがて『遠い自註』を詩集名として角川書店から刊行されると知らされていたが、今春になると、さらに連作詩篇から長詩へという発想に発展したことを著者から聞いたのであった。
 こんどの『全集撰』において「祖母」への愛惜、追想を含む「演歌」の部分が、著者の意志によって最後の総括部に収録されるのである。



以上をまとめてみると、
1.「連作詩篇」の掲載は、『野性時代』1975年10月の臨時増刊号~1984年3月号まで。
2.「連作詩篇」に手を入れて、『遠い自註』を詩集名として角川書店から刊行予定と川上氏は聞いていた。
3.1986年の春に、連作詩篇から長詩へという発想に発展したことを川上氏は聞いた。
4.1986年9月刊の『吉本隆明全集撰』第一巻に長詩の「演歌」の部分が掲載された。
5.「解題」(1986年8月16日付けの時点で、「近刊が予定される吉本隆明詩集『記号の森の伝説歌』」とあり、それは1986年12月に刊行された。

 ということは、吉本さんは、連作詩篇を書き上げた頃から出版社との話がついてひとたびは連作詩篇を集めた詩集『遠い自註』を刊行する心づもりであったが、それらを総合した新しい詩的作品世界を長詩として構想したということだろう。4.5.を考慮すると、1986年の春に川上春雄氏が吉本さんから長詩の構想を聞かされた時には、すでにその長詩にとりかかっていたものと思われる。

 作者は、「演歌」のこのパートでは、ここではその詳細には触れないが前のパートのつながりから、連作詩篇の「メッセージ」を全部このパートに生かすことにした。連作詩篇と長編詩『記号の森の伝説歌』を少し対照させて調べた限りでは、連作詩篇の詩を一部取り入れた部分もあり、このようにほとんど全部取り入れた部分もある。連作詩篇から新たな固有のモチーフ(ここではそれにはあまり触れないが)の舟に乗り、言葉と言葉のぶつかり・連結などから、とてもいい感じの形に切り整えたり、変更したりしていく。上に印を付けた★はそうした軽い切り整えであり、★★は、固有のモチーフの流れからの変更であると思う。


 長編詩『記号の森の伝説歌』の固有のモチーフ関わることをこの場面について少し触れておく。詩「ある抒情」(1973年9月)と「五月の空に」(1974年8月)は、いずれも『吉本隆明新詩集』(1975年11月)に収められているわたしの好きな詩であるが、そのような「世界のない世界へ/微風のない微風へ/岸辺のない岸辺へ/知の岸辺へ」から言葉の森へ深く入り込んだ、あるいは迷い込んだ、「み籠よ 口ごもる」「恋うる生存」の〈わたし〉が、概念がそのままエロスのような世界の流露に出会っているように感じられる。遙か太古に始まる大きな人間の歴史の流れの中で、自らが生きてきた時代(歴史)の変貌は、概念(エロス)の変貌であり、同時にそれはその概念(エロス)を背負った具体性を持つ人や自然の変貌でもあった。その両者が、作品世界で二重に重ね合わされているように見える。だから、この作品の詩語は概念と同時にエロスを意識的に担わされている。これは詩語しても詩としても新たな詩の表現世界の開示ではないのか。



誰かがやっている

2019年12月17日 | 批評
 誰かがやっている


 吉本さんの長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」に、次のような詩語がある。


「妹」 その「声符(せいふ)は未(び)」
まだ愛恋(あいれん)を販(う)らなかったのに
「姿(すがた)」 その「声符は次(し)」
「それは『立ちしなふ』形であろう」
「立ち歎(なげ)く女の姿は 美しいものであった」



 ずいぶん前に『記号の森の伝説歌』を読んでいて、これは辞書からの引用のようだが、白川静からではないかと『字統』と『字訓』に当たってみたことがある。載っていなかった。たぶん、別の辞書だろうがわからないなということで終わった。

  上に引用した『記号の森の伝説歌』(1986年12月)の「演歌」の部分は、ほとんど同じ形で「メッセージ」という詩(『遠い自註(連作詩篇)』、『吉本隆明資料集57』所収 猫々堂)の中にある。『吉本隆明全集20』の解題によると、その「メッセージ」が『野性時代』に連作詩篇63として掲載されたのが1984年1月号。白川静の『字統』が1984年8月に刊行され、『字訓』が刊行されたのは1987年5月。以上のことを調べていたら、白川静の『字統』と『字訓』からの引用ではないなとわかるはずだったが、その論考をなそうという気持ちではなくただ読み味わうという軽い気持ちだったから、そこまで調べていなかった。『記号の森の伝説歌』の発行日から見ても、『字訓』の方は考えられないことになる。しかし、「メッセージ」という詩の掲載時期まではわからなかったかもしれない。また、上記の辞書でないとすれば、図書館にある辞書を当たるしかないけど、そこまでは考えの手を伸ばさなかった。ちなみに、今、わたしの住んでる市の市立図書館のネットによる図書検索システムで検索したら以下の辞書『漢字類編』はなかった。

 高知の松岡祥男さんが、長らく発行してきた『吉本隆明資料集』がとうとう終わった。一読者として、終わってしまったのか、とさびしい思いがした。毎月送られてくる『吉本隆明資料集』を少しずつ読みながら、あ、これは大事だなと思ったら『データベース ・吉本隆明を読む 』の項目作成にも活用させてもらった。今回、購読者に贈られた『吉本隆明さんの笑顔』(松岡祥男、吉本隆明資料集・別冊2 猫々堂)を読んでいたら、上の詩のことが書いてあった。上の詩の部分を引用した後、次のような吉本さんの言葉が紹介されている。なあんだ、そうだったのか、と不明が溶けて少しほっとした。


 誇らし気に言うと、この辞書(『漢字類編』―引用者註)から「姿」という字が、女性のしなう立ち姿からきたのだというヒントをもらって、なまめかしいイメージにショックをうけ、詩作のなかに使わせていただいたことがある。
 (吉本隆明「白川静伝説」)



 吉本さんが白川静について触れた文章は読んだ覚えがあるが、この「白川静伝説」(『白川静著作集』内容見本)は読んだ覚えがなかった。ネット検索していたら、『白川静読本』(2010年3月 平凡社)に収められていた。市の図書館にあったので借りて見たら1Pほどの文章だった。また、ネットに『隆明網(リュウメイ・ウェブ)』があり、その中の「猫々堂『吉本隆明資料集』“ファン”ページ」に、『吉本隆明資料集』の全号の書誌(目次)があるのを知っていたので、ひょっとしたらと思って、その全号の書誌を、愛用しているエディターソフトの「秀丸」にコピーして、「白川静伝説」で検索するとヒットした。『吉本隆明資料集 23』にあった。わたしはその頃はまだ『吉本隆明資料集』を購読していなかった。たぶん現在は、このような「検索」が自然なものになってきている。例えば、万葉集の中のある詩語を調べたいときは、検索ソフト付の万葉集で検索すればいいというふうになっている。ずいぶん手間は省けるようになっている。

 わたしたちは、このように「誰かがやっている」ことによって助かることがある。これは文学や思想の世界に限らず、日常の生活世界にも当てはまることだろう。誰もやっていなければ、自分でやるしかない。それが自然に他者にとって「誰かがやっている」ことにいつかつながるのかもしれない。今度は他者にとって自分が「誰かがやっている」の当事者になるわけである。こうしたことは取り立てて言うことではないにしても、このことも一種の人間社会の相互扶助(無意識的な無償の行為)ではないだろうか。ある行為や表現がたとえお金の関わる経済活動を含んでいたとしても、そのことは言えそうな気がする。


イメージの層の現在から

2019年09月07日 | 批評
イメージの層の現在から
 
 
 今年初めての彼岸花が咲いていた。
 彼岸花が救荒食物で、飢饉の時には球根のデンプンを水にさらして毒抜きして食用としたということをわたしがネットで知ったのはそんなに昔のことではない。
 今では単なる植物の一つになっている。その鮮やかすぎる赤の色合いと彼岸の頃に咲く花で曼珠沙華という仏教的なイメージの別称を持っているのが何かふつうの植物とは違うなという感じを起こすのかもしれない。しかし、それだけではないような気がする。
 
 この彼岸花という言葉が指示する意味は、江戸期の人々と現在のわたしたちでは同一であっても、その言葉が放つイメージの層とその情感のようなもの(自己表出)は違っている。江戸期の人々は、たとえ飢饉に見舞われない年でも救荒食物であるという飢えのイメージや危機のイメージを喚起するのを振り払うことはできなかっただろうからである。この言葉のこのような江戸期のイメージにつきまとう情感のようなもの(自己表出)の残存が、現在のわたしたちに(何かふつうの植物とは違うな)という感じを与えているのだと思う。
 
 例えば、親から子に彼岸花という言葉が語られたとして、それにまつわることをいろいろと説明されなくても、何度か耳にするうちに子は「ひがんばな」という音に込められた親のイメージの情感のようなもの(自己表出)を受け取り共有していくのだろうと思われる。
 
 同様に、家族の中の「夫」や「妻」という家族関係を示す指示性としての意味は江戸期でも現在でも同一だが、それらのイメージの情感のようなもの(自己表出)は違っているはずである。
 
 江戸時代の武家社会の相続法―農民の相続法は違うらしいが―を継承したと言われる明治民法の長子相続は、家長や長男を家族の中で法的に重要視したことになる。それ以前のことはよく知らないが少なくとも江戸期から昭和の敗戦までは、わかりやすい言葉で言えば法的あるいは社会の表面的には「男中心社会」だったのだろう。しかし、吉本さんも触れたことがあるが、学者の研究による江戸期の「三下り半」問題で明らかになったように、そんな簡単に夫が妻に「三下り半」を突きつけることができるものではなかったということ、そこにも母系性社会(わかりやすい言葉言えば「女中心社会」)の名残が残っていたということ。
 
 また、柳田国男は、「妹の力」で女性が社会的に持っていた力について触れている。家における「主婦」の座の重要性とその掌握力にも触れていた。
 
 現在の家族中でも、そのような女性の「主婦」としての力能は保存され発揮されているように思われる。吉本さんがどこかで触れていた覚えがある。女性が家族の中で子を生み育てていくと、いつの間にかいろいろと控えめ無く大胆に振る舞うようになっていくと。たぶん、そこには横着さなどの否定的な意味合いも含まれていたような気がする。若いわたしはそのときはふうんとよくわからなかったが、後に実感できるようになった。これは、子どもを産み育ててきたとか家族内のことを中心的に取り仕切ってきたという個人的な経験によるばかりではなく、女というもののイメージにつきまとう情感のようなものの歴史性(自己表出)をいろんな場面を通して受け取ってきたからではないかと思われる。
 
 昭和の敗戦後、明治近代以来二度目の欧米思想の流入によって、民主主義や自由・平等(男女平等)の考え方が社会に次第に普及・滲透してしてきた。例えば、わたしはそれに触れたことはないが、現在の「フェミニズム」などの考え方もその源流は欧米思想にあるのだろう。
 
 内田樹が離婚した妻について、触れている。
 
 
 しなければならないことは「苦役」だと思わない。これは思えば、結婚生活を送っていたときに身につけた知恵でした。
 妻はフェミニストでしたので、男女の公平な家事の分担にこだわる人でした。
 でも、家事は公平に分割できるものではありません。やるべきこと、やっておいたほうがいいことは家の中にはいくらでもあるからです。
 それをリストアップして100%公平に分担しようとすると、リストアップして、分担を決める話し合いだけで途方もない手間がかかってしまう。
 あらゆる仕事には、「誰の分担でもないけれど、誰かがしなければいけない仕事」というものが必ず発生します。誰の分担でもないのだから、やらずに済ますことはできます。でも、誰もそれを引き受けないと、いずれ取り返しのつかないことになる。そういう場合は、「これは本当は誰がやるべき仕事なんだ」ということについて厳密な議論をするよりは、誰かが、「あ、オレがやっときます」と言って、さっさと済ませてしまえば、何も面倒なことは起こらない。
 家事もそうです。どう公平に分担すべきかについて長く気鬱なネゴシエーションをする暇があったら、「あ、オレがやっときます」で済ませたほうが話が早い。
 ですから、最初から「家事は全部オレの担当」と内心決めていたほうがメンタル面では気楽なのです。
 相手に期待せず、押しつけず、全部自分でやる。だから、相手がしてくれたら「ああ、ありがたい」と感謝する気持ちになれる。
 もちろん、結婚しているときは、それほど達観できませんでした。
 でも、離婚して、家事労働は全部僕一人でやらなければならなくなったときに、「家事労働のフェアな分担」のために結婚している間、どれほど不毛な言い争いをしてきたのかが痛感されたのは本当です。
 (『そのうちなんとかなるだろう』P153-P155 内田樹 マガジンハウス 2019年7月)

 
 
 家族の中で、江戸期から昭和の敗戦までの「男中心社会」の感性を背に夫(男)が威張る場合もあれば、あるいは逆に母系制社会の古層からの名残に促されて妻(女)が威張る場合もあるのかもしれない。さらに、敗戦後の「男女平等」の流れに乗っかって、昔の内田樹の家族の中のような波風立つ場合もあるのかもしれない。
 
 いずれにしても、家族の中の夫や妻を左右する女や男のメージにつきまとう情感のようなもの(自己表出)の古層を、すなわち歴史性を引きずりながらの解体的な現在の風景があり、社会の速度のすばやい流れの圧を受けつつも、主流としては家族は夫婦も親子もフラットな関係になっているように見える。この平等化の傾向は、家族の存立基盤を揺さぶりながら将来的にも止むことはないだろう。そうした主流の流れに浸かりながら、誰もがいろんな折り合いをつけながら家族の渦中にいる。
 
 
(註) ここで私が使った「自己表出」について
 
吉本さんが生み出した「指示表出」や「自己表出」という概念は、ものを考える世界で残念ながら未だ十分ふつうの概念として流通していないので、言語に内在する二重性である「指示表出」や「自己表出」という概念について少し註釈としてメモしておく。
 
 三浦つとむは、『日本語はどういう言語か』で時枝誠記や言葉の現実的な振る舞いを踏まえて、言語には客体的表現と主体的表現があると述べている。何人か次のことを指摘しているのを目にしたが、吉本さんの「指示表出」や「自己表出」という概念は、吉本さんが語っているようにマルクスの使用価値や交換価値から着想されたのかもしれないが、この三浦つとむの概念も踏まえているとわたしも思う。特にこの「自己表出」という概念は、三浦つとむのいわば無時間的な「主体的表現」に歴史性という時間を導入して動態化されている。
 
 
 この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と、その条件にうながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを、言語の自己表出として想定できる。自己表出は現実的な条件にうながされた現実的な意識の体験がつみ重なって、意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるようになったもので、これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それとともに、ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように、対象にたいする指示(引用者註.「指示表出」)と、対象にたいする意識の自動的水準の表出(引用者註.「自己表出」)という二重性として言語本質をつくっている。
 (『定本 言語にとって美とはなにか』P29吉本隆明 角川選書)
 
 
 言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、はじめて言語とよばれる条件をもった。この状態は、「生存のために自分に必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実的な反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的な反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的な反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のためにあり、また他のためにあるようになった。
 (『同上』P30-P31 吉本隆明 角川選書)
 
 
このように言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象にする世界と関係しようとする意識の本質だといえる。この関係の仕方のなかに言語の現在と歴史の結び目があらわれる。
 この関係から、時代または社会には、言語の自己表出と指示表出とがあるひとつの水準を、おびのようにひろげているさまが想定される。そしてこの水準は、たとえばその時代の表現、具体的にいえば詩や小説や散文のなかに、また、社会のいろいろな階層のあいだにかわされる生活語のなかにひろがっている。
 (『同上』P44 吉本隆明 角川選書)
 
 
わたしがここで想定したいのは、・・・中略・・・言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化ともいうべきもののことだ。
 言語は社会の発展とともに自己表出と指示表出をゆるやかにつよくし、それといっしょに現実の対象の類概念のはんいはしだいにひろがってゆく。ここで、現実の対象ということばは、まったく便宜的なもので、実在の事物にかぎらず行動、事件、感情など、言語にとって対象になるすべてをさしている。こういう想定からは、いくつかのもんだいがひきだされてくる。
 ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。これが言語を保守的にしている要素だといっていい。こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。
 (『同上』P46 吉本隆明 角川選書)





「つけまつける」の歌の言葉の走法

2019年03月22日 | 批評

「つけまつける」の歌の言葉の走法



 古代に、従来の話し言葉の倭語を新たに〈書き言葉の世界〉に載せるとき、古代の律令制度で中国の土地制度や法制度を借りてきて模倣したように、漢文そのものを借りて済ませるわけにはいかなかったのだろう。漢語を借りて、万葉仮名と呼ばれる〈書き言葉〉を生み出した。土地制度や法制度の場合には、それまでに中国の制度から見たら貧弱に見えるかもしれない土地制度や法制度などがあったかもしれない。しかし、万葉仮名の場合は、たぶんそれまでの長い助走があったとしても、まったく新たに作らざるを得なかった。万葉仮名は、漢字の音のみ借りているが、読み取る側からすれば錯綜としている。例えば、地名がそうだが、ほとんどが語の漢字の意味は地名の意味と無関係なことが多い。しかし、漢字というものに慣れて地名に相対する側はどうしてもその表意性を持つ漢字に惑わされやすい。

 きゃりーぱみゅぱみゅが歌い踊る「つけまつける 」を、古代に万葉仮名を生み出さざるを得なかったような言葉の問題として取り上げてみる。もちろん、その規模の違いはとても大きい。しかし、その言葉の問題は、互いに相似であるように思われる。

 この場合、万葉仮名が従来の話し言葉の倭語を新たに〈書き言葉の世界〉に載せるために生み出されたのと対応させれば、この時代に生きる新しい感覚を今までにはなかった形で、すでにある〈音楽の世界〉に載せるために「つけまつける」の歌の言葉の走法はあったと言うべきである。それはどのようなものであろうか。

 きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける 」という歌については一度取り上げたことがある。( 「きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」の歌を観て、聴いて。」2016年6月  https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/270f7268dee387f39e01e55dfa834d0f )ここでは、「つけまつける 」という歌の歌詞を言葉の表現のもんだとしてのみ取り上げてみる。


 つけまつけま つけまつける
 ぱちぱち つけまつけて
 とぅ CAME UP とぅCAME UP つけまつける
 かわいいの つけまつける
 (「つけまつける」の第一連 )



 ここで、「とぅCAME UP とぅCAME UPつけまつける」の部分は、この歌を聴いてみると分かるが、(とぅけいむあっぷ)→(とぅけいまあ)→(つけま)というように、外国語としての英語も意味は関係なく(歌としては表れることはないが、歌詞としては「come up」のやって来るや上るなどの意味も掛詞のように意識しているかもしれない)音で織り込んでいく。そうすると「つけま」と聞こえるようになっている。

 この部分は、第四連でもくり返され、最終の第七、八連でもこれと似た表現になっている。すなわち、この第一連の部分がこの歌の中心部分を成している。この歌を意味として受け取れば、つけまつげするのっていいなかわいいなということにすぎない。しかし、意味としてはつけまつげに限らず誰もが何らかの形で体験するようなもので単純に見えても、その心的世界は豊かなものとしてイメージされている。その少女たちの豊かな内面のイメージがこの第一連の部分に集約されている。その豊かな内面のイメージを担うのは、言葉のリズムと身体からあふれるリズムである。その心の躍動は、歌だけでは十分でなく、やはりダンスも必須な気がする。

 この「つけまつける」の歌は、「同じ空がどう見えるかは 心の角度次第だから」のような旧来的な意味性も付加されてはいるが、倭語に万葉仮名を当てるように、少女たちの豊かな内面のイメージ世界に言葉のリズムや身体のリズムを当てようとしたのだと思う。

 このような歌に類例を探してみると、小さい子が、特に気に入った何らかの場面でリズムはあるがあんまり意味もない言葉を自然に発しながら踊り出す所作が浮かんでくる。これは小さい子には一般的なものである。さらにこれを言葉の表現の段階として考えてみると、遙かな太古の表現性を持っているように見える。わかりやすく言えば、それらは幼児性(あるいは歴史の幼児的な段階)ということになるが、わたしたちの誰もが内に持っているものであり、そこから発掘したと言うべきである。


表現の現在―ささいに見える問題から 28 ―作者なぜとても古い感覚やイメージを表出するか

2019年01月03日 | 批評


 表現の現在―ささいに見える問題から 28
    ―作者なぜとても古い感覚やイメージを表出するか


 たぶんこのことは一度は以前に取り上げたことがあると思う。わたしたちの意識が層を成していると見なせば、古い層としてその深みにあって、何かに触発されて意識の表層に現れ出てくるようなとても古い感覚やイメージのことである。わたしたちが、動物のように現在のみに生きているならことはもっとわかりやすいのかもしれないが、この現在自体もいくつもの歴史の積み重なりの現在としてあり、また、わたしたち自身の現在もそれと対応するようにいくつもの精神史が降り積もっている。意識の表層では、ある程度現在の先端のイメージや感じ考え方に同調しているとしても、わたしたちをそれぞれ身心の総体として見ればことはそれほど単純ではない。現在の先端的な感覚やイメージもあればとても古い感覚やイメージもあり、それらがひとりひとり意識の地層に眠っている。時には、現在の先端的な感覚やイメージの方に身を寄せればとても古い感覚やイメージは迷妄だとひとりの内部で、あるいは他者に対して対立し合うこともある。

 昨年の十二月に出た佐伯泰英の『空也十番勝負 青春篇―未だ行ならず』からとても古い感覚やイメージを取り出してみる。以下の引用文の中の★・・・★で囲んだ部分がそれに当たっている。



「こんな大きなエリザ号(引用者註.座礁した)を浮上させるなんてことが和人にもできるのですね」
「周防国は瀬戸内海に面しているわ。廻船の事故などに立ち会い、浮上させる技を身につけたのね」
 と麻衣が言ったとき、空也は久しぶりに★尖った殺意が身に突き刺さる感触を持った★。
 この監視の眼は、戦いがそう遠くないことを教えていた。
「妙ね、ぞくぞくするわ」
 麻衣も同じ殺意を感じ取ったか、空也を見て呟いた。
「薩摩の衆だと思います」
 前置きした空也は、江戸の薬丸新蔵のもとへ、酒匂兵衛入道の次男酒匂次郎兵衛が訪れ、尋常勝負をなしたことを告げた。
「どちらが生き残ったの」
「新蔵どのです」
 (『空也十番勝負 青春篇―未だ行ならず 下』P278-P279)



 磐音は、朝稽古を終えて尚武館道場から母屋に戻る途中、庭で不意に立ち止まった。
 ★胸騒ぎを覚えた★からだ。
 修羅場に身を置いた剣術家ならではの感覚だった。胸騒ぎは、この江戸ではない、と思った。
・・・中略・・・
 とすれば長崎にいる空也の身辺でなにかが起ころうとしていると、磐音は考えた。
 (『同上』P291-P292)



 二人が崇福寺の坂下に達したとき、★崇福寺境内に静かなる戦意が膨れ上がっていることに気付いた。★
(もはや戦いは始まっておるのか)
 寅吉はもはや手の打ちようはないかと考えた。
 (『同上』P314)



 太郎兵衛の薩摩拵えの剣が虚空へと翻り、反対に虚空から盛光が落ちてきた。
 空也が地表に着く前に、二つの刃が相手の体に食い込んだ。
「ああーっ」
 麻衣は悲鳴を上げていた。
 空也の盛光が太郎兵衛の首筋を断ち切り、太郎兵衛の刃が空也の胴に斬り込まれて、二人はその場に絡み合うように倒れ込んだ。

 神保小路の坂崎邸で磐音は★胸騒ぎに目を覚ました。★
「どうなされました」
おこんが磐音に質した。
「夢を見て、魘(うな)された」
「空也の身に事が起こりましたか」
 磐音はしばし沈思して答えなかった。
 (『同上』P319-P320)



 空也は長崎に戻り、長崎奉行所の道場で独り稽古に打ち込んでいた。
「朝に三千、夕べに八千」
 の続け打ちを終えた後、奉行所の面々が稽古に姿を見せる。だが、すでにそのときには、稽古着姿の空也は★未だ目覚めていない長崎の町★を走り抜けて、浦五島町の福岡藩長崎屋敷の道場に向かっていた。
 (『同上』P276)



 この物語の主人公空也は、父磐音の子で今は長崎で武者修行をしている。十六歳で武者修行を開始して今はたぶん十九歳になる若者である。薩摩での武者修行のトラブルから薩摩の酒匂家の者から付け狙われている。その間の事情は、江戸にいる父親の磐音の耳にも入っている。

 江戸の坂崎(磐音)家の尚武館道場を中心とする登場人物たちの関わり合いは、この殺気を敏感に感じ取る感性と同様の、口で言わなくても通じ合うわかり合うような親和感に包まれている。そのような親和感は、この『空也十番勝負』もその父親の磐音を主人公とする『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズも、物語世界のイメージや価値の中心をなしている。

 このような「口で言わなくても通じ合うような親和感」が中心の世界は、人の生涯で言えば、母と幼子とが交わす「内コミュニケーション」(吉本隆明)の時代であり、人類の歴史の段階では、遙か太古のまだ言語以前の段階に当たっている。

 引用した①から⑤の文章の中の★・・・★で囲んだ部分の表現は、読者はあんまり異和感を感じることなく読み過ごす、あるいは受け入れるような気がする。それはわたしたち読者もまた、現在でもその表現と同質の感覚やイメージを意識の古層に持っていて、時には表面に流れ出てくるということを経験しているからだと思われる。例えば、身近な人や親戚の者が亡くなったとき、その人が夢枕に立ったなど今でも耳にすることがある。

 引用の①と③は長崎の空也の場面。②は長崎から遠く離れた江戸の尚武館道場の父磐音の場面。④は長崎の空也の場面と江戸の磐音の場面とが連続した場面。いずれの★・・・★で囲んだ部分の表現も現代人のわたしたちには不可能の表現となっているが、一方で、それらの表現は何となくわかる表現でもある。ここで不可能の表現という意味は、対象と人間との空間配置から見て、その人間が対象の存在やその様子を感じ取るのが普通は不可能であるということを意味している。わかりやすくいえば、感じ取れるというのは「非科学的」な表現に当たっている。しかし、武道をやっている人々がどれほどの鋭い察知力を持っているのか知らないけれど、『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズの読者ならばそのような察知力はおなじみのものである。つまり、作者はそのような姿の見えない敵の存在を察知する主人公磐音の場面をくり返し描写してきている。

 ライアル・ワトソンの本でだったか、アフリカなどの人々で道に残された動物の足跡から、その動物は何でどんな体調にあるかなどが即座にわかるという描写に出会ったことがある。太古には誰もがそのような微細な直接性としての自然感覚やイメージを持っていたのだろうと思われる。そのような自然にまみれた世界がどんなものだったのかは興味深くわかりたいと思うが、わたしたちはそこから遙かに断ち切れた、科学的と称する世界に対する感覚やイメージを主流とする現在に生きている。しかし、そのような微細な直接性としての自然感覚やイメージは完全に消え去ってしまったのではなく、現在のわたしたちの割と科学的な自然感覚に少し溶け込んだり、あるいは意識の深層に眠ったりしているのだろう。そのような古層にあるものは、例えば臨死体験などの感覚やイメージに出現したりしているものと思われる。

 わたしたちは、日々計画性や思考することを中心にして生きているようで、実は不随意的にあるいは無意識的にも日々わたしたち自身として人間的に振る舞っている。しかし、そのことの意味を十分にわかってはいない。つまり、まだまだわたしたち自身の存在自体をよくわかっていない。おそらく、この作者は、現在ではすり切れてしまって稀少になってきた察知や親和感にあふれた物語世界を描きながら、それらは現在の先端的な感覚やイメージからすれば非科学的な古い感覚やイメージに映るだろうが、それらの古い感覚やイメージはこれからどうなるんだ?と問いかけているようにわたしには感じられる。

 引用の最後の⑤、「未だ目覚めていない長崎の町」という表現は、ときどき目にする表現であり、普通の比喩表現と見なされるかもしれないが、このわたしの文脈で言えば、人ではない自然や土地を人のように表現していた時代の名残のように思える。あるいはまた、幼児が描写したり童話が描写するような表現に見える。