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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

[ツイッター詩147] (4月詩)

2024年04月19日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩147] (4月詩)


現在から眺めると
一昔前までは
知りたいことがあれば
図書館に出かけるか
役所や会社を訪ねるか
電話で尋ねるか
知り合いに聞くか
しかなかった
いくつもの面倒なバリアーがあった
うまく思い出せないこともあり
あれあれ・・・と
ストレスに沈むことも多かった

今でも 人には〈わかること〉と〈わからないこと〉があり
どちらもなくなることはないが
〈わかること〉が容易になった
気がしている
〈検索〉するだけで
ものごとが大体わかる
ようになってしまった
面倒なバリアーが
消失してしまった気分

(ところで
それで
ほんとうに
君はわかっているのか)
〈わかること〉にも確かにいくつかの層がある
けど軽くわかるだけでもいい
後は自分で考えるさ

新しいものが社会に登場したら
人は怠惰になるとか
家族が壊れるとか
退行するネガティブが不安に叫び出す
けれど人は人の本質性の流れを下って行くだけだ
問題があれば微調整する
だから
軽い〈わかること〉でもいいじゃないか
あんまり重たく考えすぎずに
スルーすればいい

面倒なバリアーが
なくなることはいいことだ
そんな晴れ上がった新しい空が
またひとつ自然なものになっていけばいい 


 [ツイッター詩146] (3月詩)

2024年03月15日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩146] (3月詩)
 
 
日差しを浴びて
目をつぶると
(あかい あかいなあ)
手を日にかざしても
指間が薄赤い
(ふしぎだ)
こんなこと
何度かやったことがあるような
 
説明できる人にとっては
ふしぎでも何でもない
ことかもしれない
けれども
この世界には
ふしぎはなくならない
ような気がする
 
人は自然の内にあって
目覚めた存在だけど
人も自然の一部に過ぎないから
自然を知り尽くすことは
難しい
気がする
だから
ひとつのふしぎが自然になっても
また別のふしぎが湧いてくる
 
(ふしぎだ)
(ふしぎだね)
 
ほころび縫い合わせながら
日々の自然となった流れの中
人間界は急に泡立ちもするが
時には 自分の心身を解(ほど)いて
ふしぎに浸かることがある
 
(ふしぎだ)
(ふしぎだね)



[ツイッター詩145] (2月詩)

2024年02月11日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩145] (2月詩)


目をつむってもつむらなくても
〈ながれている〉
と感じることはあり
いろいろことばの手で探(さぐ)っていると
〈流れる〉という概念の岸辺に出る

木々ややぶを通り脱けて
見晴らしのいい
そこに
出たいわけじゃない

幼稚園の先生が明日の日課を書き留めている
園の外では砂遊び
みんなできるだけ仲良く
ひとりひとり何か物を作る
と記して日誌を閉じた
その通りから外れて
言葉通りを歩いて行く

〈流れる〉という概念の岸辺に
〈組み上げる〉という概念が寄せている
何か構造物が建つ気配がする
自分には関係なさそうで
通り過ぎて行く

そうしてことばの足は
そんな岸辺を遠目に
〈ながれている〉
そのものの内に浸かっていたい
と感じているようなのだ

流れる
ナガレル
ながれる
しっくりといく場所に座り
〈流れる〉の内側をながれる

 [ツイッター詩143] (12月詩)

2023年12月16日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩143] (12月詩)


同じ時代の同じ社会に存在していても
生きている小社会や家族や
違っている
違っていても
語らなくても
誰もがわかるものと
語られないと
意味不明のものがあり
同じ時代同じ社会に存在している

そうして わかるものもわからないものも
ともに揺らいでいる
(あらゆるものが 揺らいでいる)
感じに襲われる
(大きな 時の 曲がり角
を曲がっている 気配か これは・・・)

年齢や世代によって
見える言葉の風景は
同じもあれば 違いもあり
社会の層を流れている
その下の方では
またひとりひとり 違っている
ちがっているね
ひとりひとり
社会の結節や流れがどうあろうと
日々小さな火を点し続けている
(ああ 無数の微小な火たちが 見える)

社会は
上の方から あるいは街路から
(無意識的に あるいは意識的に)
バラバラを嫌い ひとりひとりを引き寄せ
中心を持とうとする
壮年にぴったりの言葉の衣装を身に着け
中心の流れを敷いていく
その流れの端の方を
少し遠慮気味に
子どもや老人たちの言葉が通って行く
(子どもらはわからないかもしれないが
いろんなものが大きく変わってしまい
時は「スピード感で」流れ続けている)


 [ツイッター詩142] (11月詩)

2023年11月17日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩142] (11月詩)


使っていても
それをよくわからない
ということがあり
知っていても
深みまでは知らない
ということがある

いつも放っているのに
言葉のことをよくわからない
ということがあり
ずっと生きてきたのに
生きるということがよくわからない
ということがある

人は考える坂を上ってきた
ずっとずっと上ってきた
これからも上り続けていくだろう

ところで
例えばネコが
外に出て外気をクンクンしたり
日差しを浴びて寝そべり解けている
そんなふうに
人もまた
そんな場面や時間も持っている
(知らなくても
わからなくても
いいさ)
という顔してしぜんに歩いているよ 


[ツイッター詩141] (10月詩)

2023年10月13日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩141] (10月詩)


「赤の他人」
今では少しなじんでいて
ヘンな気分になることはない

長らく生きていても初めて出会う言葉がある
「赤の他人」に初めて出会ったとき
赤(アカ)と他人が結びつく
その奇妙な表情に
戸惑ったと思う

その後には
気を静めるために
辞書を引く
今なら
検索に出向くことになる

そうして
時々「赤の他人」に出会っている内に
「赤の他人」は
しだいにその奇妙さを脱ぎ捨てて
ぼくの身近な言葉の椅子に座ることになる

ところで
小さい頃から
くり返しくり返す
改名もあり
くり返すくり返し
てきた
言葉たちは自然だ
〈ごはん〉も〈おふろ〉も〈かあちゃん(ママ)〉も
自然だ
しぜんだなあ

くり返してきた
大きな時間の水圧から
自然に
こぼれ出る言葉たち
もある

あるある
ありをりはべりいまそがり
言葉の滑り台を
つい滑ってしまう
時もある

 [ツイッター詩140] (9月詩)

2023年09月14日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩140] (9月詩)


風が吹いている
(かぜがふいている)
という感受は
ひとり固有のもの
と同時に
この列島地域の中の
この地域のものであり
その家族で育った者のものであり
人間という世界普遍のものでもある

それらが織り合わさって
分離することは
難しい

雨が降っている
(あめがふっている)
という言葉の通りを
ひとり
ことばの人は歩いている
背中の影は見えなくても
確かに影を帯びている

ひとりの内には
他人と共通はあっても
言うに言われぬものがあり
その自然さに
ひとりの言葉は染まっている

だから
ひとりにしか見えない
ことばの人の
総量を推し量るのは
とても難しい

この人
その人
あの人
近づけば
違いは
匂ってくる
そうして
交差する
ぼくの視線と肌感覚に
少し見知らぬ道が
微かに浮かび上がってくる 


[ツイッター詩139] (8月詩)

2023年08月19日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩139] (8月詩)
 
 
植物たちも動物たちも
一日の終わりには帰って行く
葉を閉じるものもあり
ねぐらに丸まって眠るものもあり
同じように
ことばの人も
一日の終わりには帰っていく場所はある
 
もしも帰っていく場所が
安らぎのない
揺れ止まない部屋なら
否定の言葉ばかりが
沈黙の沼に降り積もる
 
現在は過剰な言葉と客引き言葉にあふれている
時代の尖端のことばの人は
そんな言葉の通りを自然な感じで泳いで行く
そんな通りから外れたところからは
言葉で規制し
言葉に誘い込む
ように見えてしまう
警戒してしまう
だから普通のことばの人は
言葉にならない沈黙を
いっそう深くする
 
どんなことばの人も
うちに帰って
服を脱ぎ靴下を脱ぐと
もう言葉を放とうという気にはなれない
沈黙の疲労野に横たわる
ゆめは
夢は見ない
見ているのかもしれないが
夢は見ない
 
こんなどんよりした現在が
どこまでもどこまでも
続いていく
ように感じられる場所では
ことばの人は
深く沈黙に沈むばかりである
 
もちろん
いつものように
朝はまたやって来るし
ことばの人は
いつものように
朝に踏み出して行くだろう
 
けれど
ことばの人の
沈黙は
時代の意味にとらわれない
峠道を歩いている


[ツイッター詩138] (7月詩)

2023年07月11日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩138] (7月詩)


ことばの人と言葉には
なかなか明かされない
主人公の生い立ちみたいな
ひとつの物語がある

言葉とことばの人を分離するのは
言葉が
トランプの札みたいに静態的ではなく
ことばの人と
ことばの人が選び放つ言葉とは
投函されてしまった手紙みたいに
もう戻らない関係にあるからだ
ことばの人と放たれた言葉とは
動態的・重層的に見るほかない

表現の通路を通って
ことばの人に放たれてしまうと
言葉は
風に乗り
言葉が流れて行く
言葉が舞っている
受け取りのスペクトルで
大きな中央地帯はあるにしても
いろんな人に
いろんな受け取り方をされる
言葉たち
(ああ うまく言えなかったなあ)

手品でもファッションショーでもない
言葉は
どんなに過激でも
アクロバットをしても
素朴な疑問とやわらかなハートを
隠し持っている
言葉よ
ほんとうは
そこにこそ
下り立って
しずかに耳を傾けて欲しいな
と願っている
言葉は

騒がしい周囲に囲まれて
ことばの人の放った
言葉には
静かな
小さく波立つ
ひそかな
通路が
まぼろしみたいに見える


[ツイッター詩136] (5月詩)

2023年05月09日 | ツイッター詩
 [ツイッター詩136] (5月詩)
 
 
ことばが歩いて行く
ことばにはからだがあるから
向こうからやって来る
ことばに
無言でも
匂いのようなものを感じてしまう
 
ことばは歩く
ことばは水の中にも入るし
泳ぎもする
空だって飛んでいる
 
ことばは自由だ
ことばは自在だ
なんでも
(できる?)
 
ことばは不自由だ
ずばりと言い切ることができない
あれこれかれこれ
道をたどってあの目的地に着く
ことばは遠足か
重い荷を背負ったつらい行軍のようでも
楽しげなピクニックのようでも
(ある?)
 
あるあるあるある
あればあるときあらわれよ
ことばは変幻自在
でもしかし
ことばは何ものかに縛られている
いるいるいる
いろんなものが
まとわりついている
そんな谷間をことばは歩いて行く
 
人に生まれてしまったからには
例えしゃべれなくても
例え書き記せなくても
そんなことば人になってしまった
しまったなあ