子どもでもわかる世界論のための素描
―宇宙・大いなる自然・人間界論
10.日差し浴び・活動し・味わい・考え・生きる
わたしたちは誰でも一度は自分はなぜ生きているのだろうかなど人の生きることの意味を問うたことがあるのではないかと思います。特に思春期と呼ばれる一般に不安定な時期にはそういう問いが湧き上がってくるのではないでしょうか。
そのことは、人類の歴史においても問い続けられてきた大きな課題のように見えます。人間が現在に到るまで世界論(世界観)を生み出し続けてきたことは、その人間的な活動の無意識的な面から見れば、人の生きることの意味の追究に当たると思います。なぜなら、そこには人の理想的なあり方や人と人の関係の理想などが含まれており、そのことの追究は人の生きることの意味の追究に相当するはずです。このように、わたしたち人間がこの世界に生きる意味は何かということは、簡単に答えることができない難しいもので、人類史の現在までの歩みがその現在的な答えであると見なすほかないように思います。
わたしたちはこの世界の或る場所に偶然のように生まれ、育ち、成長し、老いて、亡くなっていくように見えます。この点では、植物や動物と共通しています。さらに現在までの研究によれば、岩や山や星々などの無機的な自然もとても大きな時間のレベルでそうした誕生から死の過程を踏んでいくようです。ここで、「見えます」や「ようです」という断定を避けたあいまいな表現をしているのは、わたしたちが直接経験できない部分(自分の死)を含んでいたり、あるいはわたしたちの生涯の内に直接経験できないものに触れているからです。それを厳密に意識した表現をここではしてみました。
わたしたちは誰でも、乳胎児期や幼年期や少年期、青年期を通過して大人の現在に到っています。そして、それぞれの時期には外からはうかがい知れないそれぞれの独特な世界了解や感受や反応があります。つまり、そこを過ぎ去ってしまってから振り返ってみても当時の生き生きとした世界そのものとは出会えないという、内在的な世界そのものという直接性の世界があります。
こうして、それぞれの時期の〈現在〉を生きるわたしたちは、その〈現在〉を価値の中心とするような重力のかかった世界を生きています。こういう見方からすれば、わたしたちは絶えざる〈現在〉を生きているということになります。しかし、日々の生活を振り返ってみればわかるように、人には自分の過去を振り返ったり、将来のことを考えて現在的な準備をしたり等ということもあります。
わたしたちが歩み過ぎてしまった〈現在〉は、すでにその内在的な世界から抜け出してしまった過去として、良いことであれ嫌なことであれもはや生命感の直接性が絶たれた過去として、例えば幼年期や少年期としてわたしたちの現在から呼び寄せられて現れてくることがあります。たぶん、この〈現在〉そのものが〈わたし〉にとって満たされた十全なものであれば、〈わたし〉の過去は呼び出されないのではないかという気がします。もちろん、研究対象として客観的に幼年期や少年期を取り上げたり、あるいはまたわたしたち人間の自然な性向として過去を想起することはあるでしょうが、無意識的であれ過去を呼び出す場合には、〈わたし〉の〈現在〉の方に不全感などのなんらかの必然的な動機があるように見えます。しかも、呼び出されてくる過去は、過去そのものの直接性ではありません。〈わたし〉の〈現在〉に記憶として残り、〈わたし〉の〈現在〉によるなんらかの選択というフィルターを通ってきたものです。
そのことは、人の生涯の途上での振る舞いだけではなく、人類の歴史の途上においても見られることです。わが国の近代が上り詰めて昭和初期から戦争期にかけての「近代の超克」論議や奈良平安期という過去の文化や精神の呼び出し、これは退行的なものでしたが、社会の〈現在〉的な危機感が呼び寄せたものでした。ギリシア世界は、ヨーロッパという世界の根幹をなし、その発祥となる時期に当たっています。したがって、ヨーロッパでは何度かギリシャ世界が呼び出され反芻されています。これもまた、ヨーロッパ世界の〈現在〉の満たされなさや危機感が呼び寄せたものだと思われます。
このように、人も歴史も〈現在〉そのものを活動し・味わい・考え・生きると同時に過去を呼び寄せて未来に向けて現在を補填するということも行います。つまり、人も歴史も〈現在〉そのものに重力の中心の場を持ちながらそうした二重性を生きています。
人類の初期には人は洞窟やあるいはちっぽけな小屋のような建物に住まい、人間界はまだまだ自然の猛威のガードとしては簡単に吹き飛ばされるようなちゃちなものだったかもしれません。しかし、現在までの大きな時間の中で現在のように人間の力が自然を改変し人間界を増強させてきました。その当否は別にしても人間の生み出したものによる地球環境への影響力が云々されるようになったのは、人間界が増強した現在の段階を証しています。と同時に、それと対応するように人間力を増強させてきたことによって人間いうものが、人間の生涯とは別の大きな時間のスケールで推移する自然に対して一般に頭中心の世界となり、横着になってきているように見えます。まだそれ以降の世界がクリアーにイメージできませんが、これは終焉を迎えつつあるヨーロッパという文明の段階に対応したものだったと思います。この人間界や宇宙と呼ばれる世界における人間の「二重の根源的な受動性」(「4.世界内存在としての人間の有り様 1 」)という存在の有り様を内省すれば、人間の自然に対して芽ばえてきた横着さとは別の道もあり得るように思われます。
わたしたちは、イメージや頭の上では〈現在〉を振り切ったり、無視したりすることはできますが、わたしたちの生活世界というちっぽけに見える〈現在〉の個別的な具体性を離れて生きることは誰もできません。現在は、経済社会が社会の大きな重力となり、しかも競争・効率・成果・市場主義などの外来の経済イデオロギーが幅をきかせ、それらがわたしたちの日々の感性や意識にまで滲透してわたしたちを左右し、余りにも干からびた社会、干からびた人間というイメージが蔓延しているように感じます。わたしたちは、そんなせせこましいイメージや考えから、人間界を超えたもっと大きな世界を含めた世界の中へわたしたちを解き放ち、風通しを良くして、また新しい柔軟な〈人間〉や〈社会〉のイメージや考えを発掘して新たに構想することが切実な〈現在〉の課題であると考えています。
※ これでこの世界論ための素描の一通りの骨格は、終わりになります。しかし、まだ付け加えたり補ったりという「補遺」として書き加える余地は感じています。
[短歌味体 Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1509
う、うーん、何とも言えんねえ。
それは・・・。
言葉の国境線下って沈黙野
1510
言葉に結びつかなくても
縁結び
のように木肌の沈黙に重ねる
[短歌味体 Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1507
かんかくの橋を渡りゆく
起承転結
なじみの歌をつぶやきながら
1508
手すりから手肌に流れる
かんかくの
太古の歌のように波打つ
子どもでもわかる世界論のための素描
―宇宙・大いなる自然・人間界論
9.世界論(世界観)は変貌する
人間が想像したり考えたりすることは、無限の自由度を持っているように見えます。すなわち、人間は何でも想像できるし、何でも考えることができるというように見えます。一方で、例えば会社に入社して想像していたことや考えていたこととは違ったということなどは誰もが経験することです。つまり、人間は、自分がまだまったく経験していないことや経験していない世界については、想像や考えが及ばないということがあります。今までに自分や他者が経験してきたことを手がかりに未知のことや未知の世界に想像や考えを巡らせるわけですが、手がかりが一切存在しない場合の想像や考えは、恣意的なもの、現実性のない空想的なものになりがちです。例えば、極端な例で言えば、宇宙人の存在を想像したり考えたりすることがそれに該当します。
人間が想像したり考えたりすることが、根拠のない恣意的な空想ではなく、現実性を持ったものであるためには、自分や他者が、あるいは人類が、今までに経験してきたことが踏み締める土台としてあることが必要です。
もうひとつあります。太古に輪廻転生という考えや世界観が信じられていた歴史の段階がありましたが、産業の展開と高度化に対応するように人間の世界についての知も増大し、高度化して、その歴史段階を突き崩すようにまでなってしまったのだと思われます。太古の輪廻転生という考えや世界観は、近代以降のわたしたちの現在に到る考えや世界観とは異質なもので新たな歴史の段階を画してきたと言えます。現在でも輪廻転生の感覚や考えは世界のどこかで生き残ったり、わが国のように残骸のような状態でも存在しています。しかし、人類の歴史が、そのことが良い悪いは別にして、太古の輪廻転生という考えや世界観から現在のような自然科学的な考えや世界観中心の歴史段階に歩んできたというその現実、人類史のベクトルは、わたしたちがあることを想像したり考えたりする場合に前提として踏まえられなくてはならないと思います。その人類史のベクトルには偶然性とともに或る必然性もあるように思われます。そして、それは歴史的な現在としてわたしたちの現在に主流として流れてきています。
人間が自分を自然とは異質なものと意識し始めることにより、自然に溶け込み埋もれていた動物生の段階を抜けだし、言葉のようなものを獲得した段階からを現在に直接つながる人間の歴史がはじまったと見なすことができます。もちろんそれ以前には現在までの知見によれば動物生や植物生の途方もない時間がありました。
現在から見渡せば、太古の、人は生まれ変わるという世界観は迷妄がかって見えますが、現在のわたしたちの世界観と同様な当時の出来うる限りの把握や理解から生み出されたものであり、当時の「科学」と言うことができます。遠い未来からの視線で現在を見渡すときも同様だろうと思われます。このように、わたしたち人間の持つ世界観は、固定的、絶対的なものではなく、可変的なものです。そして、自然や世界との出会いの深まりによって、その世界の見え方や捉え方が徐々に変わっていくように見えます。このような世界観の大きな時間の区切りにおける段階的な変貌は、進化と呼べるかどうかはわかりませんが、固定的、絶対的なものではなく変貌していくものだということは言えます。したがって、現在の世界観を基準として太古を、あるいは遠い未来の世界観を基準として現在を見渡し、捉えてしまうことは、無意識的なレベルにまで及ぶ人間の感性や思考の自然な傾向だとしても、それぞれの人と世界の関わり合いから生み出された世界観からそれていくことになります。したがって、対象とする世界をありのままに近く捉えようとするとき、その自然な傾向に対する自覚と内省が大切なものとなってきます。この問題は、現在の問題に変換すると、ある対象世界の内側から見た視線や感受とその外側から見た視線や感受のずれの問題になります。
このように世界論(世界観)は、どうしてそういう世界論(世界観)が太古に生まれたのか、現在では不明になってしまうように変貌して来ました。この世界論(世界観)の変貌は、世界自体の変貌に対応しています。これから未来に渡っても世界も世界論(世界観)も変貌の歩みを止めることはないでしょう。だから、絶対的な真理というものはある歴史の段階に関しては言えるかもしれませんが、現在から人類史総体の中の絶対的な真理として位置付けるのは無理があるような気がします。例えば「水」があります。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、現在では「水」は水素と酸素から成るということが絶対的な真理に見えます、しかし、太古ではそれと違った「水」の捉え方があっただろうし、未来においてはもっと深いレベルの自然との出会い方が可能となってさらに深い「水」の捉え方が生まれないとも限りません。したがって、わたしたちに言えることは、絶対的な真理ではなく、歴史段階による更新の余地を残して普遍としての真理を目指すことができるということです。別の言い方をすれば、人間は人類史の生涯において紆余曲折を経ながら普遍としての真理を目指しているということになります。そして、その足跡は後から振り返れば不明な部分を残しつつも、わたしたちの現在の深みに層を成すように降り積もっているように見えます。
迷妄のように見える太古と現在とは異質な世界観に見えますが、なんらかの因果関係として世界を捉えているという点では両者は共通性を持っています。わたしたち人類が、これからどういう未来へ歩んでいくのかよくわかりませんが、このなんらかの因果関係として世界を捉えるということは、その普遍としての真理を目指している姿と言うことができると思われます。
[短歌味体 Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1505
「こちらは物凄い風です」
と言われて
(ああ、はい)と心つぶやき顔 観る
註.テレビの台風情報で、現場中継者とスタジオの司会者とのやり取りを観て。
1506
テレビから流れ出る
芸能人の
スキャンダル、イスカンダルのように遠い
註.イスカンダルは、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』に出て来る、地球から十数光年離れているという星。あるいは、アレキサンダー大王のこと。
[短歌味体 Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1502
他人の音(おん)を踏んでゆく
アップダウン
や屈折、見知らぬ匂いも立つ
1503
〈あ〉の海に飛び込んでみる
〈あ〉やしさも
〈あ〉いのそぶりも斑(まだら)にある
1504
〈ん〉でも終わらない
ごぞごそと
何か取り出し始まる気配する
短歌味体 Ⅲ | 日付 |
短歌味体Ⅲ 1402-1403 生きるシリーズ・続 | 2016年12月12日 |
短歌味体Ⅲ 1404-1405 半径シリーズ・続 | 2016年12月13日 |
短歌味体Ⅲ 1406-1407 生きるシリーズ・続 | 2016年12月14日 |
短歌味体Ⅲ 1408-1410 親父ギャグみたいシリーズ | 2016年12月15日 |
短歌味体Ⅲ 1411-1412 日々シリーズ | 2016年12月16日 |
短歌味体Ⅲ 1413-1414 日々シリーズ・続 | 2016年12月17日 |
短歌味体Ⅲ 1415-1416 日々シリーズ・続 | 2016年12月18日 |
短歌味体Ⅲ 1417-1418 日々シリーズ・続 | 2016年12月19日 |
短歌味体Ⅲ 1419-1420 日々シリーズ・続 | 2016年12月20日 |
短歌味体Ⅲ 1421-1422 日々シリーズ・続 | 2016年12月21日 |
短歌味体Ⅲ 1423-1424 日々シリーズ・続 | 2016年12月22日 |
短歌味体Ⅲ 1425-1426 日々シリーズ・続 | 2016年12月23日 |
短歌味体Ⅲ 1427-1428 日々シリーズ・続 | 2016年12月24日 |
短歌味体Ⅲ 1429-1430 日々シリーズ・続 | 2016年12月25日 |
短歌味体Ⅲ 1431-1432 日々シリーズ・続 | 2016年12月26日 |
短歌味体Ⅲ 1433-1434 日々シリーズ・続 | 2016年12月27日 |
短歌味体Ⅲ 1435-1436 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続 | 2016年12月28日 |
短歌味体Ⅲ 1437-1438 日々シリーズ・続 | 2016年12月29日 |
短歌味体Ⅲ 1439-1440 語音シリーズ | 2016年12月30日 |
短歌味体Ⅲ 1441-1442 語音シリーズ・続 | 2016年12月31日 |
短歌味体Ⅲ 1443-1445 新年シリーズ | 2017年01月01日 |
短歌味体Ⅲ 1446-1447 | 2017年01月02日 |
短歌味体Ⅲ 1448-1449 日々シリーズ・続 | 2017年01月03日 |
短歌味体Ⅲ 1450-1452 好き!シリーズ | 2017年01月04日 |
短歌味体Ⅲ 1453-1454 好き!シリーズ・続 | 2017年01月05日 |
短歌味体Ⅲ 1455-1456 キライ!シリーズ | 2017年01月06日 |
短歌味体Ⅲ 1457-1459 キライ!シリーズ・続 | 2017年01月07日 |
短歌味体Ⅲ 1460-1461 日々シリーズ・続 | 2017年01月08日 |
短歌味体Ⅲ 1462-1463 探索シリーズ | 2017年01月09日 |
短歌味体Ⅲ 1464-1465 あっ!シリーズ・続 | 2017年01月10日 |
短歌味体Ⅲ 1466-1467 あっ!シリーズ・続 | 2017年01月11日 |
短歌味体Ⅲ 1468-1469 わけわかめシリーズ | 2017年01月12日 |
短歌味体Ⅲ 1470-1471 わけわかめシリーズ・続 | 2017年01月13日 |
短歌味体Ⅲ 1472-1473 あっ!シリーズ・続 | 2017年01月14日 |
短歌味体Ⅲ 1474-1475 わけわかめシリーズ・続 | 2017年01月15日 |
短歌味体Ⅲ 1476-1478 わけわかめシリーズ・続 | 2017年01月16日 |
短歌味体Ⅲ 1479-1480 わけわかめシリーズ・続 | 2017年01月17日 |
短歌味体Ⅲ 1481-1482 境界シリーズ | 2017年01月18日 |
短歌味体Ⅲ 1483-1484 境界シリーズ・続 | 2017年01月19日 |
短歌味体Ⅲ 1485-1486 境界シリーズ・続 | 2017年01月20日 |
短歌味体Ⅲ 1487-1489 境界シリーズ・続 | 2017年01月21日 |
短歌味体Ⅲ 1490-1491 境界シリーズ・続 | 2017年01月22日 |
短歌味体Ⅲ 1492-1493 境界シリーズ・続 | 2017年01月23日 |
短歌味体Ⅲ 1494-1495 境界シリーズ・続 | 2017年01月24日 |
短歌味体Ⅲ 1496-1497 どんなかんかくシリーズ | 2017年01月25日 |
短歌味体Ⅲ 1498-1499 どんなかんかくシリーズ・続 | 2017年01月26日 |
短歌味体Ⅲ 1500-1501 どんなかんかくシリーズ・続 | 2017年01月27日 |
[短歌味体Ⅲ] 生きるシリーズ・続
1402
のどかな童話の舞台
裏手には
オオカミ少年静かに眠る
1403
濃い霧の不明の森の
細道を
童話の薄灯りで歩む時がある
[短歌味体Ⅲ] 半径シリーズ・続
1404
半径半径呼ぶんじゃない
今は気ままな
放浪するベクトルさ
1405
ぐるっとからだほぐす
こともあるさ
半径と呼ぶ者は呼べ
[短歌味体Ⅲ] 生きるシリーズ・続
1406
これは砂、生きてる限り
砂も生き
人も砂も変貌しゆく
1407
「あっ砂」と気づく〈わたし〉と
この世界
この世の外なら〈わたし・砂〉も無い
[短歌味体Ⅲ] 親父ギャグみたいシリーズ
1408
そんなことすなすなと言う
ジャリジャリ
と砂の味する 旧言語感
1409
スナフキン砂かぶりで
現れて
いつもとちがう シン言語感
1410
金来ん寒 いや違うなあ
どっかで
耳触れたことあるシンゲンゴカン
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ
1411
日々生きて何とはなしに
落とした箸(はし)
のような涙ふいと滲む
1412
小さな石ころまたぎ
越す日々に
急なシャットダウンの大岩
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1413
この冬もまたひびわれても
修復し
振り返ることなく日々渡る
1414
目を凝らし小石投げても
静かな、
波紋も立たず日が暮れてゆく
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1415
何気なくもらった小石
ずしん深
説話のように心に沈む
1416
もらったら部屋のひかりに
溶け出して
ちろちろと点(とも)り続ける小石
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1417
泥道も遙か彼方へ
幻の
泥道行けば長靴の肌合い流る
1418
あれ?いつもと違うね
と言われる
真新しい朝誰にもあるさ
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1419
雷鳴と稲光に
襲われて
「かみなりさんだ!」の童話からあわてふためく
1420
子どもらは外の威力
知るからに
黙々として耐えスルーする
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1421
大人になり忘れてしまう
けど子どもは
幻の大きな堤防に拳(こぶし)突き続ける
註.堤防と言えば、堤防の裂け目に指をつっこんで決壊を防いだというオランダの少年の話、遠い昔に聞いたことがある。幻の話だとか。 |
1422
日溜まりにねこのように
まるくなり
からだくつろぐこともある子等は
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1423
木の葉が落ちている
時には
立ち止まり立ち合うことがある
1424
十二月とっても寒いけど
この晴天
大空を見渡すあったかさ
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1425
日々平らでも時には
にわかに
両翼のぐらりと傾(かし)ぐ
1426
らんらんらん軽い足取り
またぐ時
家の中より暗雲流れ来る
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1427
ブレス置く重い思いは
荷解(ほど)かれ
モカの香りの滲み渡りゆく
1428
オンチでもリズム踏んでる
時がある
薄い暗雲吹き飛んだ後
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1429
「はい」のひと言も巡り
巡って
血潮から放たれ上り来る
1430
風景を改行して
「あっは」
のひと言深く夢魔は登場す
註.「あっは」と「夢魔」は、埴谷雄高『死霊』の中の言葉。
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1431
駅を出て見上げた心に
ぼんやりと
電光掲示板のコマーシャル流れゆく
1432
あんまり気にも留めずに
日々歩き
ふと立ち止まる足裏の思い
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1433
例えばバンジージャンプ
場慣れしても
日々の流れの小石につまずく
1434
何度でも出会う風景
寡黙な
そのたび毎の湯気立つごはん
[短歌味体Ⅲ] 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続
1435
年かさね一年も日々
加速感
に追い立てられふんばるばるの
1436
前世来世消失し
この日々の
小さな一歩一歩味読するのみ
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1437
跳躍に日々の一滴
轟(とどろ)いて
幻の大河滔々(とうとう)と流る
1438
観終わった映画館から
キャストらの
紹介背に日々の通りに出る
[短歌味体Ⅲ] 語音シリーズ
1439
ああそうなんだそうなんだ
なんだなんだ
そうなん濁流のおもい
1440
どっこいしょええいえいえい
どっこい
どっこいどこどこどっこいしょ
[短歌味体Ⅲ] 語音シリーズ・続
1441
朝水道に手肌触れ
ずきずきず
きんこおるこおらあこおれすと
1442
冬の朝大気に触れる
からだは
響き身縮むバキバキバキン
[短歌味体Ⅲ] 新年シリーズ
1443
新年の日の出も違う
少しだけ
こころの窓に匂い新たに差す
1444
今度こそと焦り焦って
転がり落ちる
こともなく普通におみくじを引いてみる
1445
くり返す新年の
時間の手すり古びても
またこころさざ波立ち通っていくよ
[短歌味体Ⅲ]
1446
人は象形に留められて
時間の海を
宇宙塵と漂いその形象の内に生きる
1447
留められてももぞもぞと動き
回り出す
のは赤ん坊だけではなく
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1448
落ちゆくは花びらだけでなく
はらはらと
枯れ葉のように人も落ちゆく
1449
ふいに来る弔いに出る
誰しもが
指もてあそびと深々(シンシン)のあわいにあり
[短歌味体Ⅲ] 好き!シリーズ
1450
ええっとね スイカにメロン
みかんりんご
それにデコポン 好き!
1451
ええっとね 麺はすこおし固めで
さっぱり味
ネギも入ってる いいなあ
1452
りんごりんごりんご色々
あるけど
とっても好き!は蜜あるフジ
[短歌味体Ⅲ] 好き!シリーズ・続
1453
風物のこの佇まい
この流れ方
住んでみたいなと思う
1454
あれこれそれと数え上げ
巡り行く
手すりの感覚 好き!
[短歌味体Ⅲ] キライ!シリーズ
1455
キライなもの避けようもなく
やって来て
ギッサイボッサイ肌逆立てる
1456
キライなものからだ固くして
やりすごす
退屈な時間アメのように伸びてる
[短歌味体Ⅲ] キライ!シリーズ・続
1457
キライの匂い立つ
海域を
機雷よけつつ小舟は進む
1458
よけによけても粘り着く
アブラカダブラ
取り囲まるる キライの海!
1459
無理やりに食べさせなくても
数十年後
なんとなく食べれるようになるさ
[短歌味体Ⅲ] 日々シリーズ・続
1460
あっ 瞬(まばた)きの内によぎる
ものがあり
見えない内によぎるものがある
1461
発動する「怒り心頭」の
ずずずっと
この世の縁(ふち)に滑り落ちる
[短歌味体Ⅲ] 探索シリーズ
1462
叛には違いないけど
班 煩 汎
未知の航路に揺ら揺れる
1463
つっぱりに耐え返す退(の)く
はかりかね
測る量る図る謀る計る
[短歌味体Ⅲ] あっ!シリーズ・続
1464
あっ! おちるしみるはしる
心理線
止めようもなく佇むばかり
1465
うっ にじみにじむ
にじみ走り
カタ カタ カタ とドミノは走る
[短歌味体Ⅲ] あっ!シリーズ・続
1466
力強い風の足に
しがみつく
草花の夜は深い 深井
1467
目が慣れない新たな場面
そうなんだ
と気づく一瞬の暗転
[短歌味体Ⅲ] わけわかめシリーズ
1468
どこからか知らず知らずに
湧いてくる
フリーラン フローラン
1469
思いつきあとしばらくで書き留める
と動き回っている
ときれいさっぱり消失している
[短歌味体Ⅲ] わけわかめシリーズ・続
1470
キライ!じゃないのに
「キライ!」
と言ってしまっている自分の
1471
リニアーに走っている
つもりでも
観察者によると違っている
[短歌味体Ⅲ] あっ!シリーズ・続
1472
あ つんのめりゆらっと傾き
滑って
ころんですってんころりん っ!
1473
木の枝の葉揺れ動静(ドォウセイ)
動静動(ドォウセイドォウ)
晴天に雲流れ来て去る
[短歌味体Ⅲ] わけわかめシリーズ・続
1474
時は 静かに深く
流れている
のに逆流している ここは
1475
ぼうっとするみちにぶらり入り込む
確かに
まぼろしの汽車が走りゆく
註.こういうことがある。 「その美しい珠をそうつと覗いたとき、フーッと興奮してしまつて、何ともいへない妙な気持になつて、どうしてさうしたのか今でもわからないが、私はしやがんだまゝよく晴れた青い空を見上げたのだつた。するとお星樣が見えるのだ。今も鮮やかに覚えてゐるが、じつに澄み切つた青い空で、そこにたしかに数十の星を見たのである。昼間見えないはずだがと思つて、子供心にいろいろ考へてゐた。」 (「ある神秘な暗示」『故郷七十年』柳田国男 ) |
[短歌味体Ⅲ] わけわかめシリーズ・続
1476
ゆうれいせんを踏み行けば
アップダウン
アップダウン波打つ時間
1477
ニワトリが二羽の鳥になり
羽ばたき
二つの雲と遙か別れ行く
1478
ドア開ける部屋の空気が
混じり合い
ひえひえひえと鳥が飛び立つ
[短歌味体Ⅲ] わけわかめシリーズ・続
1479
ゆーらんゆーらんゆーらん
揺れるのは
島ばかりではなく 人の微動の
1480
微動するふるえの駅の
手前には
ふるふるふるふるあわ雪の降る
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ
1481
いずれかの地に属するも
この花は
境界を超え銀河に瞬(またた)く
1482
境界の内にあっても
トンネル効果
肌の色超えひと色に咲く花は
註.「トンネル効果」(ウィキペディアより) 古典力学的には乗り越えられないはずのポテンシャル障壁を粒子があたかも障壁にあいたトンネルを抜けたかのように通過する量子力学的現象である。 |
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1483
ゆめは…ゆめゆめゆうで
ないぞゆめ
ふかいゆめほのかに棚引いている
1484
いゅうめの深みにはまり
込んだら
あいまいみいの霧の境界
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1485
ずんずんズッキーン
バンジーの
つり上げてくるからだの深み
1486
大事故の一歩手前の
ひやりっ
カタクツメタイ波退いていく
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1487
えへんと声がしたような
あいまいの
峠に差しかかると血の気退く
1488
あまいみあまみあいまいみ
ぼおっとした
うなばらはるか島影の見ゆ
1489
知らぬ間に身をよじる島
内(しまうち)の日々に
やわらかな日差しの今日も差す
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1490
境界はしるしなくても
もわもわっ
漂い来る空気でわかる
1491
境界を一歩潜(くぐ)れば
もうきみは
まだらなきみとなり泳ぎゆく
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1492
境界はわたしでもなく
あなたでも
なくモビルスーツ身にまとってる
1493
わたしやあなただとしたら
きょうかいは
教会教戒今日かいと変幻する
[短歌味体Ⅲ] 境界シリーズ・続
1494
きょうかいを出ると石畳
せいれいの
飛び交う指定された都市に出る
1495
ふしぎでもなんでもなさそう
だがここは
子どもが泣くと白目の流れる
[短歌味体Ⅲ] どんなかんかくシリーズ
1496
かんかくのひと休みする
椅子はじん
じんじんわり暖まりゆく
1497
かんかくのつま先だって
のぞき見る
内を流るるさくらの花々
[短歌味体Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1498
ふとんの内から手の圧に
感じる手から
頭の山並みにおぼろな視野の
註.冬になるとわたしの布団の上に二匹の猫が寄りつくようになる。
1499
日差し受け目をつぶると
あかあかと
波立つ血の巡りゆく
[短歌味体Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1500
絞られて針の穴通る
かんかくの
ちろちろふるえる青色レーザー光
1501
ぼんやりと二重化して
かんかくは
大過去と現在にまたがり居る
[短歌味体 Ⅲ] どんなかんかくシリーズ・続
1500
絞られて針の穴通る
かんかくの
ちろちろふるえる青色レーザー光
1501
ぼんやりと二重化して
かんかくは
大過去と現在にまたがり居る
目 次 (臨時ブログ「回覧板」より)
回覧板他 | 日付 | |
81 | 日々いろいろ ―「イチゴを少しかじってポイ捨て」問題から | 2016年04月03日 |
82 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑫ -補註3 (吉本隆明「カール・マルクス」に触れ) |
2016年04月11日 |
83 | 覚書2016.4.29―芸術から | 2016年04月29日 |
84 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑳ (よくわからないということ①) | 2016年05月10日 |
85 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑳ (よくわからないということ②) | 2016年05月15日 |
86 | 日々いろいろ―音楽についてのきれぎれの感想 | 2016年05月29日 |
87 | 表現の現在―ささいに見える問題から 21 (語音の問題から) | 2016年06月12日 |
88 | この列島の意識の接続法について | 2016年06月14日 |
89 | 日々いろいろ ―普段着で 国家と生活者について | 2016年06月18日 |
90 | 表現の現在―ささいに見える問題から 22 (人類の言葉以前の痕跡) | 2016年06月23日 |
91 | 日々いろいろ―コマーシャルあふれる社会 | 2016年06月25日 |
92 | きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」の歌を観て、聴いて。 | 2016年06月29日 |
93 | 対象世界の構造とそれへの出入りについて | 2016年07月01日 |
94 | 人と諸対象との関わり合いの構造的な変容 | 2016年07月09日 |
95 | 参考資料・「歴史の無意識」ということ 付.わたしの註 | 2016年07月11日 |
96 | 相変わらず、生活者住民として | 2016年07月18日 |
97 | 何度(たび)か、生活者住民として (1) | 2016年07月30日 |
98 | 何度(たび)か、生活者住民として (2) | 2016年07月31日 |
99 | 何度(たび)か、生活者住民として (3) | 2016年08月02日 |
100 | 現在というものの姿(像)について―退行としての復古イデオロギー批判 | 2016年08月08日 |
101 | 吉本さんの言葉から―社会の新たな帯域の水圧 | 2016年08月16日 |
102 | 何度(たび)か、生活者住民として (4) (終わり) | 2016年08月17日 |
103 | 茶出しの問題―作者の生活世界の慣習に対する位置 | 2016年09月14日 |
104 | 語りの文体―擬音語による表現の意味 | 2016年09月16日 |
105 | 人、作者、物語世界(語り手、登場人物)、についての再考察 | 2016年09月19日 |
106 | 新たな段階の徴候―システム化された農業工場 | 2016年09月20日 |
107 | 表現世界(作品)に対する読者(観客)の位置 ―読者の作品内外における様々な行動 ※105の補遺 |
2016年09月25日 |
108 | 日々いろいろ―ベッキーさんの広告表現のこと | 2016年09月30日 |
109 | 日々いろいろ―彼岸花はどのように赤いか | 2016年10月01日 |
110 | 童話的表現の意味 ※一連 | 2016年10月07日 |
111 | 語り手について ※一連 | 2016年10月10日 |
112 | 作品から ― 『なお、この星の上に』片山恭一 ※110から112は一連 | 2016年10月10日 |
113 | 『石川くん』(枡野浩一)から考えたこと二つ | 2016年10月20日 |
114 | 覚書2016.10.22 | 2016年10月22日 |
115 | 覚書2016.11.21 | 2016年11月21日 |
116 | 日々いろいろ―「侍」って、なあに? | 2016年11月27日 |
117 | 『現実宿り』(坂口恭平)を読む | 2016年12月10日 |
118 | 『幻年時代』(坂口恭平)を読む―物語の核 | 2016年12月18日 |
119 | 『現実宿り』(坂口恭平)を読む・続 ―『現実宿り』の舞台裏から | 2016年12月22日 |
120 | 『現実宿り』(坂口恭平)を読む・続々―『現実宿り』を神話的に読む試み | 2016年12月26日 |
ツイッター詩 | 日付 | |
47 | ツイッター詩47 ( 4月詩) | 2016年04月09日 |
48 | ツイッター詩48 ( 5月詩) | 2016年05月03日 |
49 | ツイッター詩49 ( 6月詩) | 2016年06月04日 |
50 | ツイッター詩50 ( 7月詩) | 2016年07月03日 |
51 | ツイッター詩51 ( 7月下旬詩) | 2016年07月23日 |
52 | ツイッター詩52 ( 8月詩) | 2016年08月06日 |
53 | ツイッター詩53 ( 9月詩) | 2016年09月01日 |
54 | ツイッター詩54 ( 10月詩) | 2016年10月06日 |
55 | ツイッター詩55 ( 11月詩) | 2016年11月01日 |
56 | ツイッター詩56 ( 12月詩) | 2016年12月02日 |
消費を控える活動の記録・その後 3(2015.11~2016.3)
目 次 (臨時ブログ「回覧板」より)
回覧板他 | 日付 | |
48 | 『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治)を読んで | 2015年11月06日 |
49 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の1 | 2015年11月07日 |
50 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の2 | 2015年11月21日 |
51 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の3 | 2015年11月22日 |
52 | 森田真生『数学する身体』から | 2015年11月26日 |
53 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑦ | 2015年11月28日 |
54 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑧ | 2015年12月12日 |
55 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑨ | 2015年12月19日 |
56 | 作品を読むことの難しさ―宮崎駿『風立ちぬ』の批評に触れて | 2015年12月21日 |
57 | 日々いろいろ―テレビコマーシャル「年賀状、ください」から | 2015年12月24日 |
58 | 日々いろいろ―テレビニュース・熊本の「奇祭」から | 2015年12月25日 |
59 | 参考資料―『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』より 付(わたしの註) | 2015年12月30日 |
60 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑩ | 2015年12月31日 |
61 | 関口知宏の旅作品の中のエピソードから | 2016年01月07日 |
62 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑪ (ルビによる表現の拡張) | 2016年01月09日 |
63 | 日々いろいろ 2016.1.13 | 2016年01月13日 |
64 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑫ (又吉直樹の『火花』から) | 2016年01月18日 |
65 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑬ (身体と精神の活動の不随性について) | 2016年01月22日 |
66 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑭ (死のイメージについて) | 2016年01月23日 |
67 | 映像作品から物語作品へ―ささいなことから (映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について) | 2016年01月24日 |
68 | 若い世代の歌から(覚書) | 2016年02月06日 |
69 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑮ (作品と作者) | 2016年02月07日 |
70 | 再び、生活者住民ということ―その倫理の創出へ向けて | 2016年02月08日 |
71 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑯ (場面を再現する難しさ) | 2016年02月10日 |
72 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑰ (空返事について) | 2016年02月13日 |
73 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑱ (二つの心の状態について) | 2016年02月15日 |
74 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑲ (現在に潜む現在性と永続性) | 2016年02月21日 |
75 | 詩を読むのは難しい | 2016年02月26日 |
76 | 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む―中世の西行を思い浮かべつつ (1/2) | 2016年02月28日 |
77 | 少しすっきりしたこと (吉本さんの言葉の癖) | 2016年03月01日 |
78 | 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む―中世の西行を思い浮かべつつ (2/2) | 2016年03月08日 |
79 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑫-補註1 (吉本隆明『言語にとって美とはなにか』に触れ) | 2016年03月30日 |
80 | 表現の現在―ささいに見える問題から⑫-補註2 (伊東静雄に触れ) | 2016年03月31日 |
ツイッター詩 | 日付 | |
42 | ツイッター詩42 (11月詩) | 2015年11月14日 |
43 | ツイッター詩43 (12月詩) | 2015年12月15日 |
44 | ツイッター詩44 ( 1月詩) | 2016年01月06日 |
45 | ツイッター詩45 ( 2月詩) | 2016年02月05日 |
46 | ツイッター詩46 ( 3月詩) | 2016年03月04日 |