回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

わたしの苦手な経済の話から

2015年09月28日 | 批評

 わたしたちは誰でも、日々経済活動の中に在り、経済活動に具体的に参加している。仕事してお金を稼いだり商品を購入したりするような自分の具体的な「経済活動」を行っている。しかしわたしは、それ以外の一国の経済や、あるいは企業や国家が世界レベルで相互に関わり合う経済など、大規模な動態的な構造としての経済というものに興味や関心を持ったことがないし、今でもそのことはあまり変わりはない。また、株や投資にも関心はない。
 
 バブルやその後の後始末期、そして現在のどんより重たい曇り続きの経済、しかも一部には光さしている所もある奇妙な空模様の経済が続いている。しかもこの世にはたくさんのエコノミストやら経済学者やらが居るようなのに、現在の天気予報ほどは期待しないが、あんまりぱっとした予測もできないようなのだ。
 
 吉本さんは、第三次産業がウエイトを増し、天然水などの水が商品となり得るようになった70年代初頭辺りからのこの社会の変わり目の時期をたどり、現在が家計消費がGDPの6割ほどを占める新たな「消費資本主義」の段階に到っていることを明らかにした。 
 そんな段階の社会に到って、わたしたち普通の生活者住民が、経済的にはもはや本物の主人公になっているということ、そして、不況をほんとうに離脱したかったら、土木工事などの公共事業ではなくこの社会の中心のウェートを持つ第三次産業にこそお金を使えばいいのだとか、家計消費を促すような政策を実行すればいいと分析していた。
 
 いまでこそ公共事業はたいして意味無しと見なされるようになったが、当時はそんなこと誰も言ってなかったと思う。エコノミストやら経済学者やらが、ぶつぶつ蟹さんのようにわけのわからない複雑な事情をつぶやくなかで、吉本さんのこの分析はわたしには衝撃であった。経済に限らないが、太古と比べたら複雑系にはまり込んでしまった経済というものを、どこでつかんだらいいか、何を主要な構成要素とする動態的な構造であるか、これらが十分に問われ煮詰められて出て来た吉本さんの現在の経済社会分析であると思う。 そうして、この吉本さんの分析に沿った経済政策は未だ本格的には取られていない。それは、この現在の最後の退行的な復古政権の先にある課題であるはずである。
 
 経済は、人間的な諸活動の一領域であり、その活動の計量は近代以降現在までのところ〈お金〉の動きやその多寡として計量されている。経済は、商品、生産、流通、宣伝、交換、消費などの概念で捉えられるものが相互に関わり合う、生命活動のような複雑で動的なひとつの構造を成している。そして、経済活動にはお金だけではない精神的な要素も関わっている。おそらく歴史を遙か彼方まで下っていけば行くほど、経済という領域は現在のように〈お金〉の動きやその多寡として計量されるだけの世界ではなかったはずである。
 
 もちろん現在でも、商品、生産、流通、宣伝、交換、消費などの諸概念で捉えられる商品の動態は、旧来的な物質的なものに限らず、現代ではサービスなどの精神的な様相をまとっているものも商品となっている。さらに、現在の経済社会では、二昔前とは違い、広告・宣伝が重要な位置を占めていて、有名人などがテレビコマーシャルなどに出ているのを目にしても誰も変だとは思わなくなっている。このマスコミを通して立ち現れる膨大な厚味を持ってしまった広告産業は、二昔前の、街の所々におたふく綿や飲料などの小さな看板が取り付けてあった牧歌的な時代からは考えられない風景である。
 
 経済についてはわたしの任ではないけど、ほんとは新しい経済の記述が深いところから促され、迫られているのかもしれない。さらに、経済に限らず、教育、スポーツ、芸術、科学などのあらゆる分野で、現在までの人類の達成を踏まえ、捉え返した新たな記述と行動が促されているように見える。しかも、複雑系を誰にもわかるような易しい記述で描くこと。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


短歌味体 Ⅲ 106-108 ふるふるシリーズ

2015年09月28日 | 短歌味体Ⅲ

[短歌味体 Ⅲ] ふるふるシリーズ
 
 
106
ふるふるふるふるまわってる
日差し受け
ゆっくりふるふる影差しまわる
 
 
107
ふるふる雨も降る降る
ふるふる
風も震る震る身もふるふるる
 
 
108
ふるふるふるふる時間を下り
ふるふるる
羽ふる広げ ふるふるり帰還
  
註「ふるふる」のイメージの出所として。
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに」という歌を私は歌いながら流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
 (梟の神の自ら歌った謡  「銀の滴しずく降る降るまわりに」アイヌ神謡集 知里幸惠編訳 青空文庫)


日々いろいろ―ひとつの川柳から

2015年09月27日 | 日々いろいろ

 人間が、何かに触れて、あるつながりの糸を張ろうと心の触手を伸ばしたり、情動をふるわしたりすることを〈表出〉、それらが語られる言葉や書かれる言葉として音声や文字を媒介にして外に形(かたち)成すものとしてあらわされることを〈表現〉という概念で捉えると、沈黙においては、例えば話し言葉では内語という表現(の一種)になることはあっても発語という外化された表現へ到ることはない。わたしたちは誰もが、語ることにおいても書くことにおいても、沈黙の内の、外からは容易には窺い知れない言葉の行動と、それらが音声や文字によって外化される言葉の行動という、二重の言葉の行動を日々している。
 
 わたしたちが日々語る言葉を近代あたりから注目してみれば、明治以降の統一的な標準語化政策があり、その後のラジオ、新聞、テレビなどのマスコミによる標準語の普及、また大都市への流入やそこからの流出などの交通の拡大、こうした流れによって標準語がこの列島に浸透し、地域語(方言)を相対化してきたと思われる。現在では、世代によっていくらかの違いがあるとしても、一般に標準語(統一的な日本語)が中心になり、地域語(方言)がそれを補うように使われている。もう少し厳密に言えば、学校や職場などの社会的な場面の公的な面では標準語が使われ、それらの同じ場面でも仲間内の語らいなど個人的な面では地域語(方言)が使われていると思われる。そして家庭では、標準語と混じり合ってきた地域語(方言)が勢力を張っている。それに、この列島の異なる地域出身の者が、同じ標準語(統一的な日本語)を語っているように見えても、長らく親しんできたそれぞれの地域語(方言)の抑揚やアクセントが浸透しているはずである。いわば、同じ標準語(統一的な日本語)をしゃべっていても少しずつ色合いが違っている。
 
 この同じ列島の住民であり、日々標準語(統一的な日本語)を使っているように見えても、そこにはこのような微妙なニュアンスの違いがある。したがって、例えば大阪出身でない者が大阪弁を使ってみるということは、大阪出身の者が大阪弁を使う場合と微妙に違うものがある。ちょうど歌詞にお決まりの英語のフレーズを差し挟むように、前者にとっては後者の自然さを超えたものがあり、少し感覚をずらしたり、閉塞する現状を打ち破ろうとしたり、あるいは何か新鮮さを付け加えようとしたりなどのモチーフが込められている。
 
 ところで、次のような川柳がある。最初、この作品を前者の場合と思って読んでいたら、作者は大阪とある。もちろん、他所から大阪に移り住んでいるということも考えられる。いずれにしても大阪弁になじんでいる作者であることは確かである。
 
 
  つらいとき大阪弁で考える
       (「万能川柳」毎日新聞 2015年09月12日)
 
 
 わたしたちはふだんもの思いしたり、考えたりする時、言葉というものを行使しているのはまちがいないけれど、その沈黙の中の言葉が標準語か地域語かなんて意識することはほとんどない。しかし、この作品の作者は、内省としてそこに気づいたものと思われる。つらい重たい問題を抱えたとき、この作品の〈わたし〉は、「そやな」「あほやったな」などの大阪弁で自分の行為を捉え返したり、つぶやいたりすることによって、つらい〈わたし〉の内藏感覚的な重たさや意識の囚われがいくらかでも軽くなるということであろう。
 
 つらいとき意識的に大阪弁で考えたり、つぶやいたりというようなことに類することは、日常の生活で誰にも思い当たる所があるように思われる。そうやって人は、この人と人とが関わり合う人間界でつらさをやり過ごしたり、忘れようとしたりする。この場合は、おそらく自分がその地で生まれ育ち、その地の言葉になれ親しんだという言葉(大阪弁)に詰まっている時間の深さが、つらい〈わたし〉の緊張や重たさを解除したりなぐさめたりするように作用するのであろう。ちょうど、若者が実家に戻ってきたときのくつろいだ状態のように。
 
 わたしたちは、自覚的かどうかに関わらず、目や耳が捉えることができる言葉が表現された世界だけではなく、外からは窺い知ることが難しい沈黙の世界でも、日々言葉の行動を成している。それらのことが、わたしたちが生きて在るということであり、わたしたちは何ものかを生み出したり消費したり修正したりしながら絶えずこの世界の現在を呼吸し続けている。


短歌味体 Ⅲ 101-102 つながりシリーズ・続

2015年09月26日 | 短歌味体Ⅲ

[短歌味体 Ⅲ] つながりシリーズ・続
 
 
101
押し分けてつんつんつんと
迫っても
相撲のように受けたりよけたり払ったり
 

 
102
この世では誰もが「当事者」
虔十(けんじゅう)
は馬鹿にされても黙々杉を植える

 
註.虔十は、宮沢賢治「虔十公園林」の主人公。
経済も教育もスポーツも、つまり現在の社会では一般に、効率や成果や機能などの本来は附随的なものが中心の座を占め、あたかもそこにのみ人間が棲息するかのような考え方が主流としてある。人間という概念が、遊びやいい加減さをそぎ落とされて、無意識的に、すなわち現在を呼吸する自然な意識として、Aか非Aかという風に二分法的に捉えられると言い換えてもよい。日常の生活や人間関係では、事はそんなに単純じゃない複雑系と分かっていても、言葉として論理化すると当事者と非当事者という風に、次のような文章のようにもなる。「当事者になるつもりがない人」(為末 大  http://tamesue.jp/20150921/)もちろん、これは著者の体験の積み重ねから来る、少し苛立ちを含む言葉であり、人間関係論ではあろう。スポーツ指導者とか何々委員とか公的にではなく、個人として振る舞う考えとしては自由でありわたしが言うべき言葉はない。しかし、著者はより多く公的立場にも立っている。そして公的な場面では、個と個という関係では捉え尽くせない集団の問題も浮上する。この著者のような考え方は、現在では割と自然なのかもしれないが、この「当事者」という言葉に少し異和を感じて。
 


短歌味体 Ⅲ 97-100 つながりシリーズ・続

2015年09月25日 | 短歌味体Ⅲ

[短歌味体 Ⅲ] つながりシリーズ・続
 
 
97
ケイタイも後振り返っても
帰れない
いくつもの糸につなぎつながれ
 
 
98
つながれるそんなにライン
と腐(くさ)しても
渦は巻巻また流れ出す
 
 
99
渦の中ちいさな言葉たち
厭離穢土(オンリーエード)
深く沈めて軽やかに舞い踊る
 
 
100
言葉には場と椅子があり
視線の
つながる高度・濃淡がある
 
註.生活世界を超えたあらゆる言葉は、言葉の視線の占める場の高度とそこから見渡したものの濃淡の分布によって分類できそうに見える。そして、その高度が固定的かスペクトルのように可変的か、という取り得る高度の自由度が、その言葉の開かれた度合いや柔らかさに対応している。また、この高度は、空間的なものだけではなく、時間的なあるいは歴史的な深さにも対応している。これらのことは、吉本さんの普遍視線や世界視線を念頭に述べている。