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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

最近のツイートや覚書など2024年6月

2024年07月05日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年6月


2024/06/06
頂き女子りりちゃん事件について。「ちなみに松本崇宏税理士は弁護士ドットコムの取材に、申告漏れの所得税や延滞税などで追徴課税が「7000万円を超える金額」になる可能性も指摘している。」

前にも感じたことがあるが、欧米もそうなのかもしれないが、「犯罪」で取得したお金に対しても国の行政機関が「所得税」などをかけるということが、犯罪的な経済活動を認めているような感じで、何かすっきりしない。全て没収ならわかるけど。



農事メモ2024.6.5
・2月頃この畑の際に、保存していた種芋(安納芋)を埋(い)けていたが、もうずいぶん前に2つだけ芽を出し育っていた。7,8個は埋けていたのにその後残りが芽を出す気配がずっとなかった。それが数日前から芽を出し始めた。昨年もそういう時差があったので期待していた。



2024/06/12
農事メモ2024.6.12
・ミニトマトの脇芽を芽かきしたものから、またミニトマトが育つということをSNSで知り、今年で三年目。たぶ、水に漬けてしばらくしてから定植していたと思うが、ワラを敷いていてもカメムシの襲撃に耐えられずみな枯れてしまった。
 
・今年は、芽かきした枝を水に漬け白根が十分出てから、少し大きめの鉢に植えてみた。もうしばらく定着してから地植えをするつもり。





2024/06/13
最近テレビCMで、「ホテル トリバゴ」ということを知った。「2005年にデュッセルドルフ(ドイツ)の大学時代の友人3人によって設立されたトリバゴは、それ以来、世界有数の宿泊施設検索サイトとなっています。」とあった。アパートを借りるときは、提携している不動産屋を通さないといけない

ようになってしまった。客とアパートを仲介する不動産屋のようなものだろう。お互いが便利さを感じていたら良いと思うが、いろんな部門が間接化してきている印象がある。わたしが思いつく不都合な点は、九電やNTTも私の住む市からは撤退し、連絡するときはたらい回しのような間接的な電話によることになる。



2024/06/14
伊藤園の「おーいお茶 濃い茶」を日頃飲んでいる。最近、「お~いお茶」の35周年を記念してと思うが、「予約限定 瓶お~いお茶」(めがみ と せいめい の2種類 容量:375ml 3,240円)を知り、日頃贅沢な買い物は皆無に等しいから、まあいいかなと予約した。

2種類予約しようと思ったが他方は完売で「めがみ」の方だけ予約できた。日頃の「おーいお茶 濃い茶」2?で約150円と比べると、120倍ほどの値段である。120倍の味わいを期待していたわけではないが、まあこんなものだろうなというものだった。私の奥さんによれば上等のお茶を水出ししたようなもの

で、実際水出しお茶を飲んでみるとそんな味わいである。ただ少し味の深みがある。二つとも完売だったが、「ご好評につき再販が決定いたしました。」そうだ。



2024/06/15
農事メモ2024.6.15
・スイカ畑に、やっとカラスよけのテグス(釣り糸)を張った。40㎝間隔くらいで10本ほど。これでカラスの心配はしなくてもいいかな。



2024/06/22
覚書2024.6.22
現在は、ネットやSNSによる囲い込みもあり、広告と詐欺とがスペクトル帯のようにいくぶん溶け合いつつ花盛りの状況を呈しているように見える。ちなみに、わたしのメールには毎日のようにアマゾンやクロネコヤマトや国税庁等々を騙るフィシングメールが来る。

ところで、私たちは、物語やドラマがフィクション(虚構)、作りものであることは重々わかっている。それでも、その物語の世界を読み進んだり、ドラマを観たりしている渦中では、「作りもの」であることは忘れている。ドラマの場面に感じて感動したり、涙することもある。

私たちは、日々生きている現実をある程度自然なものとして感じ受け入れている、それを現実にたいする〈信〉と呼べば、ドラマに感動したり、涙する背景には、物語やドラマの虚構に対する〈信〉のようなものがありそうだ。

だから私たちには、「作りもの」を自然なものとして受け入れる素地がある言える。広告も詐欺も一種「作りもの」のドラマである。その「作りもの」を自然なものとして受け入れる私たちの素地が、同時に広告や詐欺を受け入れてしまう要因なのだろう。



2024/06/25
東京都のプロジェクションマッピングについて

素人経済感で言えば、このプロジェクションマッピングは無駄な生産-消費に見えるが、それすら経済活動になっており、ごく一部の関連企業を経済的に潤している。しかし、その原資は市民や法人の諸税金であり、困っている市民などへの支援として還元される方が経済としても生きた灯りとなるはずだ。



2024/06/28
岩下の新生姜、今までもこれからも縁がないと思うので、どうでもいいけど、暇空茜(ひま・そらあ・かね)と冗談でも言いたくなるほどのヘンな人を支持するなんて、僕の基準ではとってもヘンだと思う。お互い局所系に存在するわたしたちだから、自分含めてヘンな人がたくさんいる。

問題は、その「ヘン」を自覚できているかどうかである。大多数の「フツー」に同化せよというのではなくて、「フツー」の考えや行動を自分の考えや行動にちゃんと批評的に繰り込めているかどうかが大切だと思っている。



2024/06/29
時代劇専門チャンネルで、山本周五郎原作の『夫婦旅日記 さらば浪人』をつい見始めて見ている。土曜毎に二話ずつ放送される。今日の一つ目には(あれ見たことある)、松田優作が浪人役で出ていた。二つ目では、(あれは誰だったかな・・・ )なかなか思い出せなかったが、ピアノ売ってちょうだいの人まで

は思い出せた。うちの奥さんから財津一郎とわかった。『夫婦旅日記 さらば浪人』は、1976年放送のテレビ時代劇とのこと。
浪人となってしまった三沢伊兵衛(若い藤田まこと)が、妻のたよ(若い中村玉緒)と共に仕官の口を求めて旅に出る話。人が良くてなかなか仕官できない。 

最近のツイートや覚書など2024年5月

2024年06月16日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年5月


2024/05/10
「アマギフ」という言葉に以前も出会った覚えがあるが、スルーした。今日また出会ったので調べたら、何かのアニメに出てくる神ではなく、アマゾンギフトカードの略称だった。なあんだ。縁がないから、また忘れそうだ。



2024/05/11
「コーデ」も以前にも出会ったが、なんじゃらほいとスルーした。今日も出会った。文脈から、ふと「コーディネート」のことじゃないかと思った。そうだった。わたしには縁がないから、好きにすればいいさと思う。旧日本語から漢語(中国語)を取り入れ「コーデ」みたいにして新日本語を生み出してきたか。



2024/05/12
「犯罪によって得た収入も所得税法上の収入に該当し、所得税課税の対象となります。」これ、以前にも出会ったことがあり、なんかしっくりこない。犯罪という違法な行為(刑法)も別の個別法(所得税法)では、通常と同じように包摂する、なんか目まいの気分。



2024/05/17
近年、リンゴやメロンやスイカ等の果物がずいぶん高くなってきたなという印象を持ってきた。もちろん、それらを育てる苦労を考えれば仕方がないなとも思う。先日、スーパーで大きなビワが3個入って600数十円だった。1つ200円ほど。びっくり。私はビワの木があるから買わないんだけど。



2024/05/18
神戸新聞ニュース
 18日午前11時20分ごろ、兵庫県丹波市氷上町谷村で、空き家が燃えているのを近くの女性(67)が見つけ、119番した。木造平屋が全焼し、約1時間半後に消し止められた。
 丹波署によると、80代の男性が顔などにやけどを負い、病院に搬送された。男性は「以前剪定した空き家の庭木を燃やしていたところ、建物に火が移った」などと話しているという。


「兵庫県丹波市氷上町谷村」は、グーグルアースで見ると、水田地帯の後ろの山際の集落のように見える。まだ、昔の感覚で燃やされていたのだと思う。今では、私の地域では庭木の剪定したものなどはゴミに出す人が多い。私は畑に持っていく。住宅事情等で自宅で燃やすのははばかれるような時代になってしまった。



2024/05/21
農事メモ2024.5.20
・スイカにかぶせていた保温等のためのホットキャップを取り、摘芯して、半年前に買っていた稲わらを敷いた。刈ってきた茅も敷いた。これで一息。
・と思いきや、3,4日毎に雨が降るなどこちらの都合に合わせた天気になってくれない。二日毎に水やりに出ている。

・畑の隅にウコンの花が咲いている。ウコンも蓮もインド原産という。この色は、仏教関係で見たことがある気がする。こちらの色とはちがうなと思ったことがある。色(の概念や名前、使い方)にも地域性がありそう。



2024/05/22
ハルノ宵子『隆明だもの』(2023.12)を数ヶ月掛けてやっと読んでしまった。吉本隆明全集の月報でいくつかは既に読んでいた。身近な娘であり、表現者でもあるハルノ宵子の視線は、『日時計篇』や『固有時との対話』の作者でもあった父親の孤独と自由へと小さな火を点し続ける姿をしっかりと感知している。

そうして、作者を含めてひとつの家族の中で無名のものとしてそれぞれがぶつかり合ったり、配慮したりしながら、暮らしていく姿が描写されている。おそらくどこの家族にもあり得る姿だろう。読者はこの本をたどりながら言葉にしがたい思いの中で、生きるって何だろうと自らが問われている気がする。

吉本さんは、飾ることなくだいたい本音の所を語られると思っていたから(しかし、例えば『時代の病理』で、若い頃赤面していたとか語られたけど、語るまでの時間や場が必要だったのは確かでしょうが)、「試行」など出し続けると家族崩壊にもなりかねないとか、その手の吉本さんの言葉を時々目にして、

(ふうん、よくわかんないな)とか思っていたが、この『龍明だもの』を読むと、やっぱり現実の根拠があったんだと納得させられた。



2024/05/29
数年前に流れた、ちょっと印象的なCMが、またテレQの朝に流れている。たぶん知り合いの二人と思しき少女と少年。海辺の桟橋で。次のようなやりとり。

少女「最近のしつこいシラミには
今までの薬じゃ効きにくいらしいよ」
少年「うーん、どうしていっつも
シラミの話ばっかりするん?」


これは「スミスリンシャンプー プレミアム」のCMなんだから、シラミの話が中心である。それなのに、CMの中の少年は、CMの世界を離脱した(壊す)ように見える、自然な疑問を言う。そこが、面白いのだろう。もちろん、CM作者の意図的な表現である。


最近のツイートや覚書など2024年4月

2024年05月18日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年4月


2024/04/01
テレQで朝の韓国ドラマ(宮廷物)をずいぶん見てきた。今は、『ポッサム 愛と運命を盗んだ男』が放送中。いずれのドラマでも、王やその周辺から「民のための政治をする」ということがセリフとしてよく出てくる。一方、わが国のドラマでは、そのセリフは希薄な印象を受ける。

ちなみに、久しぶりで見ているNHK大河ドラマ、『光る君』の今日の場面では、子の藤原道長が父兼家に、何のための政治ですかという問いかけたところ、摂政の兼家は自らの家門の存続のためとか答えていた。ところで、現在の政権からも「国民のための政治」という言葉は聞き取れそうもない。



2024/04/01
ある小麦粉は、以前はたまの安売りでは1㎏100円ほどだったが、最近では500gのが出てきて安売りではそれが100円になっている。カレーやシチューのルーは、10人前のが普通だったが、近年は8人前のが出ていて安いという印象を与えている。いろんな値上げの方法が講じられている。

お店やスーパーを批判するつもりはないけど、わたしたち消費者は、買う、買わない、量を少なくする、控えておくなど、苦労しているお店やスーパーとの現場での攻防になってしまう。こんなわたしたちの消費行動は、社会の方からの視線で見たら、無意識的な社会批判になっている。



今日の毎日新聞に名前だけは聞いたことのある原マスミさんの興味深い文章が載っていたので、検索していたら、彼女(註.名前から女性と思っていたら、男性だった)の「猫へ」という歌の歌詞の中に「一生歯を磨くことのないお前の身の上だけど」とフレーズがあり、なるほどなと思いつつ、昔読んだ李志綏(リチスイ)の『毛沢東の私生活』を思い出した。

毛沢東の側近の医者を命じられて身近に見聞きしていた作者李志綏によって、読者は毛沢東の具体的な人物像が得られると同時に、印象深いエピソードも得る。その一つに、毛沢東は歯を磨かなかったということがあった。人はいつ頃から歯を磨きはじめたのだろうか。



2024/04/07
昨日まで
我だった子と
月光の
プラスチックを
隔てて眠る
 #NHK短歌


「昨日まで我だった子」で不明に立ち止まってしまったが、他の人のコメントを頼りに理解できた。理路でたどるほかない男には、直観しにくいフレーズかもしれない。(昨日まで自分の胎内に居た子、ということ)



2024/04/08
(SNSで名の知られた、ある徳島県庁職員)
私は、弱者や立場の不利な人に、福祉や社会的に配慮する制度は必要だと考えます。でもそこには、ある種の「引け目」や「弁え」は必要なんじゃないかと思うんですよね。


生活保護に対する無慈悲な仕打ち(最近では、群馬県桐生市)をしばしば耳にするが、生活保護行政に携わる公務員は、こんな考え方なんだろうなと思う。主語がはっきりしないが、「引け目」や「弁(わきま)え」は、生活保護や福祉を受ける側のことを指しているのだろう。そのことを強要している。

建前では「健康で文化的な最低限度の生活が保障」と言いつつ、現実にはいろんな手枷足枷や「指導」があり、こんな考えを公務員(誰を代表しているつもりなんだろう)が持つということは、この制度設計と運用の〈悪〉を物語っていると思う。わたしが、無条件のBI(ベーシックインカム)を良しとする所以である。



2024/04/15
最近、「DX」という言葉に時々で会う。現在の生活をしている以上、わたしにも無縁ではないのだろうが、縁の薄い言葉だ。だから、すぐに忘れるから何度も調べることになったりする。

「DXは、デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation)の略です。「DT」ではなく「DX」と表記されるのは、英語圏では交差するという意味を持つ「trans」を「X」と略すことがあるためと言われています。」(三井住友銀行 Business Naviより) 「DT」ではなく「DX」、うーん、めんどくさい。



2024/04/18
「はじめしゃちょー」という者にTLで以前も出会った気がするが、今日また出会ったので、youtuberの収入源について調べてみた。

プロ野球選手になるのも、人気youtuberになるのも大変そうだけど、またそこには膨大なそうなれなかった人々の裾野が広がっているはずであるが、なれた人々にとっては、好きなことをしてお金がたくさん入ってくることになる。もちろん、それを維持するための緊張が日々続くのだろうが。

遊ぶように仕事をするということは、理想だと思う。それを現在の広告や広告産業が支えている。ふしぎなことだと思う。



2024/04/19
元禄時代が舞台の、池波正太郎原作『編笠十兵衛』(月森十兵衛:村上弘明)を見ていたら、大八車を引いて町内のゴミ収集する「塵芥請負人」というのが登場した。時代劇で初めて出会った。調べてみるとそういうのがあったらしい。因みに、幕府の出したゴミに関する法令には、

・慶安元年(1648年) 家光(3代目) ごみでの街路補修・下水溝へのごみ投棄禁止
・明歴元年(1655年) 家綱(4代目) 永代浦をごみの投棄場に指定し、昼間ごみを投棄するように通達
・寛文2年(1662年) 家綱     ごみ処理の請負人を指定し、鑑札を発行
・寛文3年(1663年) 家綱     ごみ収集料金を定める

・元禄9年(1696年) 綱吉(5代目) 永代橋をごみ投棄場に指定
・享保元年(1724年) 吉宗(8代目) 深川越中島をごみ埋立地に指定
 (「Super源さんの雑学事典」より)

一方、 「政府は1954年に「清掃法」を制定しました。この法律では、ごみの収集・運搬・処分を市町村の責任と定め、ごみの減量や資源の再利用を促進する取り組みが始まりました。」とあるが、地方でゴミ収集が本格的に始まったのは、高度経済成長期に入ってからのようである。



2024/04/22
原田曜平によると、「Z世代」(10代から26歳くらいの人たち)には、「不憫(ふびん)かわいい」ものがウケているという。「おぱんちゅうさぎ」もそんなキャラクターだという。(「Z世代って、どんな世代?」ほぼ日刊イトイ新聞) ところで、おぱんちゅうさぎは、パンツをはいたうさぎのこと?

原田
おそらく昭和、平成のある時期までは
日本の経済は右肩上がりで
多くの日本人の給料も上がっていました。
エンタメの世界を見ても、『巨人の星』も
「少年ジャンプ」の『ドラゴンボール』も、
登場人物がだんだん強くなっていくような、
状況がよくなっていくコンテンツが多かったですよね。(同上)


マンガやアニメも文学も、その時代の空気(物質的かつ精神的)を呼吸し、それに同調するか反発するかはあっても、知らない間にそんな時代性の枠組みや感性を刻印されているのだろう。



2024/04/30
人倫を超えた戦争で、人間の負性を解放し残虐を尽くした者たちは、いずれの側であれ、生きて家族や小社会の人倫の世界に戻れたとして、精神的にスムースに着地できるのだろうか。人間ゆえに、一線を越えてしまったことによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)のようなものに悩まされるのではないだろうか。

覚書2024.5.4 ― 〈科学〉はいつの時代も途上

2024年05月04日 | 覚書
 覚書2024.5.4 ― 〈科学〉はいつの時代も途上


 前にも触れたことがあるが、江戸時代、天然痘を予防するために種痘をすると牛になると信じた人がいたという。これに関しては、それを信じた人の割合はどれくらいだったのだろう。そして、人々の内心の感じ方や種痘の受けとめ方の主流はどうだったんだろうか、とまた思い直してみた。
 
 先進の〈科学〉に触れたごくわずかの医療者を除けば、人々は種痘をすると牛になると信じなくても未知のものに対する不安でいっぱいだったのではないか。また、地震は大ナマズが地中にいて暴れるから起こる(地中での何らかの振る舞いが原因ということでは現在と同一の把握)、と信じられていたという。現在の私たちからは笑い話や迷妄にしか感じられないが、本当は、もっとていねいに当時の世界に降り下て行かなくてはならないという気がする。そうでないと、未来からの視線でわたしたちの現在を見渡した場合、同様の笑い話や迷妄に見えてしまうことになる。
 
 ものの見方(〈科学〉)には時代性の壁のようなものがある。現在の普通人の一般的な〈科学〉では、ワクチンは副作用があるが病気に有効であると見なされている。江戸期の普通人の一般的な〈科学〉では、例えば地震は地中のことで見えないわからないから大ナマズによるものだと即物的に捉えているのと同様に、種痘に関しても即物的に牛由来の種痘をすると牛になると考えそうだ。そんな割と即物的な捉え方の世界に人々はいたと思われる。しかし、そんな不安を抱えながらも、病の現実と医療者の事実による説得によって、新しい種痘というものを徐々に受け入れていったのだろうと思う。
 
 現在、NHKの大河ドラマは平安時代が舞台の「光る君へ」を放送中だ。このドラマに、実在した人物である陰陽師の安倍晴明(あべのはるあきら)が登場する。NHKのそのドラマの説明に拠れば、「陰陽師(おんみょうじ)。陰陽寮に属する天文博士。並外れた占いの才能を持ち、常人にはない力があると畏怖される存在。天皇や貴族の生活はもちろん、政局にも大きな影響を及ぼす。」とある。陰陽師は、中国由来の陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって、世界や世界に起こるものごとを判断したり、対処したり、占ったりする者である。また現在からは迷信にしか見えない当時の風習に、陰陽道から来た物忌や方違えというものもある。天皇家や貴族層は、そうした先進中国由来の物の見方を有り難がって受け入れていたのだろう。一方、普通の庶民は、先進中国由来のものも少しは下りてきたであろうが、従来からの人が自然に溶け込んだような世界観の中に生きていたのだろう。

 このように、平安時代を取っても、また江戸時代や現在とは違った、時代性の壁を持ったものの見方(〈科学〉)の中に生きていたはずである。そして、現在のわたしたちの物の見方の重量感と同じように、平安時代も江戸時代もそれぞれの時代のものの見方が信じられていたはずである。
 
 ところで、現在のコロナワクチンを万能のように言う医療者もネットで見かけてきたが、副作用(「副反応」)がなにがしかの割合であり得ること、今回のは新たな段階のワクチンであり従来のものと違うということ、そして十分に調査検討する余裕がない中で実際に使い始めたこと、などは当然のこととして彼らの頭の中にも入っているはずである。ワクチンの使用がやむを得ない緊急の対策ということは理解できるとしても、一部の医療者や政府などはあまりにコロナワクチンを万能のように語り過ぎたような印象をわたしは持っている。
 
 自然の一部に過ぎないわたしたち人間にとって、自然は大きく深い。だから、わたしたち人間が自然を完全に捉え尽くすということは不可能に思える。したがって、物の見方(〈科学〉)にはいつの時代にも時代性の壁のようなものがあり、〈科学〉はいつも途上にあるほかない。
 
 最近になってやっと、コロナワクチン副作用(「副反応」)や関連死の問題がマスコミでも取り上げられ始めている。途上の〈科学〉の中にいるわたしたち(特に、医療、行政)が心がけなくてはならないのは、ものごとにはプラス面もマイナス面もありうるから、ものごとをオープンにすること、そして、問題があれば秘匿せずに公開して、きちんと対処することであるのは自明のはずである。

最近のツイートや覚書など2024年3月

2024年04月11日 | 覚書
最近のツイートや覚書など2024年3月



2024/03/03
農事メモ2024.3.2
・剪定した真木の木の切断面で、少しはがれているものがある。ハシゴに登ってノコギリで切っていく場合、幹が太すぎる時は頭頂部を全て切断してしまうと危ないようなので、少し切り残して倒れると思われる方に倒しているせいである。もっとうまいやり方があるのかもしれない。

・数えたらこの小山の下の林はちょうど100本剪定した。あと10本ほど未剪定がある。この小山の上の方にも昔の畑に真木の木を植えて山林となっているのがある。そこはもう剪定を終えている。明日にでも数えてみようと思う。(合計210本ほど剪定していました)

昨年の十月から剪定を思い立って始めて、一回で5,6本位の剪定で、もうすぐ終わりそう。我ながらよくやったと思う。
・初めて植えたタマネギの二回目の追肥をした。根元に化学肥料をパラパラした。




上は、剪定した真木の木の切断面。


2024/03/07
RT
あれか、とげとげしたもの鬼とか悪霊とかが嫌がるみたいな、あれか。柊鰯みたいな。
↓のハリセンボンは鳥取県。
軒下にハリセンボンを吊るす風習(画像略)


うーむ。なんと即物的な。現在の視線からは幼稚に見えても、当時はあれこれ必死で考えたんだろうか。「 柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らない」(wiki「柊鰯(ひいらぎいわし)」より)



2024/03/09
脇から少しだけ付き合って見たテレビアニメから言えば、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』の主要な登場人物たちの特質は、その天真爛漫な幼児性にあったように記憶している。そこは誰もが通り過ぎ抜け出てしまったなつかしい故郷のような世界である。



先ほど、テレビの情報番組を見ていたら、わたしはその名前を二、三度目にしたくらいだが、TVアニメ『呪術廻戦』の外人さんのファンの声を取り上げていた。日本語がよくわからないのに、日本語字幕で見ているとか。意味はよくわからなくても、外国の音楽のように聴いているとか。

人物たちの声優の独特な声に好感を持ったり癒やされたりしているらしい。どれがどれかと質問されると、丸っこい絵は「ブーバ」で尖った絵は「キキ」と国を超えてほとんどの人が答えるという「ブーバ・キキ効果」と言われるものがある。内臓感覚は人類普遍だから、それと同じくそこで感じ取っているのだろうか。



2024/03/30
人名で、「海南江」は(かなえ)と読むという。今日出会った読みにくい人名は、「七五三代」。今調べたら、「七五三」はしめ縄の(しめ)と読むらしい。とすると、「七五三代」は(しめよ)さんか。「七五三」は名字としても若干あるという。



2024/03/31
「換毛(期)」という言葉に初めて出会った。「羊毛の採取を目的に家畜化された種は、毛の生え変わりがさほど起きないため、人為的に刈り取らなければ生命に関わることもある。2021年、オーストラリアで飼育環境から脱していたヒツジが保護された際の例では、毛の重量が30kgを超えており話題となった」

↓RT この羊の話は昔出会った覚えがある。野生だったら、換毛できるのだろう。(その羊の記事と写真。ネットにあり。)


最近のツイートや覚書など2024年2月 ②

2024年03月23日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年2月 ②


2024/02/17
今日のNHKのニュースで、昨年のH3ロケット1号機は、「打ち上げ失敗」だったと何度も述べていた。ネットニュースでも一様に「打ち上げ失敗」だったと書いてある。技術者は姑息なことはしない言わないという印象を持っているが、幹部連中や周囲やマスコミが執拗に「打ち上げ中止」と言い張っていた覚えが

ある。ツイッターでもその援護者がいたと思う。そんなことを奥さんに言われて思いだした。部分的には「打ち上げ中止」でいいけど、全体としては「打ち上げ失敗」だよね、と当時思ったものだ。



2024/02/18
RT
判事「過ち認める能力持たず」 トランプ氏側に533億円支払い命令
毎日新聞 2024/02/17


判事は「被告らは過ちを認める能力を持たず、証拠に背を向け、見ざる、聞かざる、言わざるの姿勢を取った」と指摘。」また、CNNの記事では、判事は、トランプ氏や他の被告人について、「悔恨や反省のなさはほとんど病的な域に達している」と述べているという。驚くべき異例の発言。

トランプが、住民ウケしている西部劇の無法者だとすると、わが国に翻訳するとお調子者で粗暴なジャイアンということになろうか。一方、安倍晋三は、自民党の政治家やネトウヨや取り巻き文化人等に精神的・金銭的な燃料投下しながら無法なスネ夫を演じていた。

また、昔、モーニングショーで、田﨑史郎がとにかく安倍はなぜか選挙に強かったので党の支持も強かったと語っていたが、これは主に統一教会つながりによるパワーだった。安倍死後、ネトウヨのパワーは我に返ることもなく、「推し」を探し求めて目下迷走中のように見える。



2024/02/19
RT
私はこれが一番ピンときました
作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!!


これを読んでいて、吉本さんの「グラフト国家」ということを想い出した。「南島論」(A021 吉本隆明の183講演 テキストデータあり フリーアーカイブ)の中で語られている。例えば、クラスで生徒たちが校則について話し合っているとする。いろいろ話が出てまとまりそうな段階で、上からあるいは横合いから

先生がまとめや提案などを行うとする。これもわかりやすい「グラフト」(接ぎ木)の例だと思う。住民の上に小国家があり、他所からやって来た集団が横合いからその小国家の上に「グラフト」(接ぎ木)する、次第に継ぎ目が忘れられていく。「教育勅語」なども至極当たり前の顔をして下ってくる。



「ずっとさびしくて、ずっと平和。」谷川俊太郎×渡辺真理・対談202402 ほぼ日
    ― 谷川俊太郎さんに、PEANUTSの話を聞きに。
の最終回の今日の分「その7」を読んでいたら、吉本さんについてささいなことだけど初めて聞く話があった。

谷川
いやあ、やっぱり車椅子に乗ると、
そこまで楽しくないよね。
そんな意識はしないんだけど、
前に吉本隆明が車椅子になった時に、
彼は舞台上で話をしながら車椅子で
ぐんぐん、ぐんぐん回ってるんですよ、
舞台上を曲乗りみたいにして、けっこう上手くて。

真理
アクロバティック(笑)。

谷川
彼はそれが楽しいらしいんですよね。
それは、一つ自慢でもあって、
「俺は車椅子でもこんなことするんだぞ」みたいなね。
あれは、すごく印象に残ってますね。

吉本さんのほぼ最後の講演は、『芸術言語論 ――沈黙から芸術まで』(講演日時:2008年7月19日)で、昭和女子大学人見記念講堂であった。久しぶりの講演会だった。車椅子で檀上に上って話されていたけど、谷川俊太郎の語ったような場面は記憶にないから、別の講演会でのことだろうか。



2024/02/21
RT
荒川和久/独身研究家/コラムニスト@wildriverpeace
書きました。世界最高レベルの子育て支援のフィンランドでさえ出生率1.26。子育て支援では出生増につながらないのは明らかで、日本含め先進国のほとんどが出生減=20代の結婚減。若者が若者のうちに結婚や出生できなくなったという本質の課題に向き合わないといけない。


少子化問題は、最近亡くなった批評家の芹沢俊介が、割と内側から内在的に批評をしてきていたと記憶している。事実(統計)はわかった。とすれば、次は当然なぜそのような現象になっているのかという、現在の人々の主要な共同の意識・無意識と社会の有り様の批評になるだろう。

私は、「少子化」を必ずしも「悪」(負、よくないもの)と見なしてはいない。例えば、物価が上がりすぎれば人々は買い控えで対応する。経済政策等で物価が緩和されれば消費はまた元に戻るだろう。「少子化」という現象もそんなものなのか。社会条件の緩和がそれを緩ませることは部分的にはあるかもしれない。

どうもそうではなく、近代以降の社会の変貌と対応するように個の意識が尖鋭化し成熟してきた必然の結果のような気がする。それは統一教会-自民党などの退行的な家族の重視などではどうにもならない奔流となっている。だから、大きな歴史の流れで揺り戻しなり、内省なりで動向は決まるような気がする。



2024/02/26
↓RT  「わかりやすく、おもしろく、偏りなく」。経済や投資の話をお伝えしています。・・・という後藤達也氏の経済から。彼のことは「ほぼ日刊イトイ新聞」での対談から知った。最初、noteの有料会員3万人(月500円)を知った時、直ぐに計算してしまった。

現在は、やる気さえあればそんなことも可能にしている。この方はしっかりした見識を持ち、研鑽を重ねている様に見えるが、いろんなジャンルの人々が、心優しい読者に助けられて、表現≡経済活動をしているように見える。従来の表現の定型(企業)はまだ存続しているが、こんなひとり表現≡経済活動も開花してる。



2024/02/27
『徒然草』第百九段に、学校の古文の教科書にも出て来たことのある「高名の木登り」の話がある。木登り名人が下から指図して、弟子に木に上らせて梢を切らせたとある。使えば便利だと思う、弥生時代には存在したというハシゴの記述はない。仕事を終えてもう少しで地上だという時こそ心せよと名人はいう。

緊張が解けてほっと気を抜くと油断するから危ういという。それは現在にも通じる合理的な判断・心理に属している。これは現在の庭師のような仕事だろうか。また、仕事にかかる前に、昔、山に入る時祈りを捧げたような、そんなことはしなかったのだろうか。思い巡らせば、いろんなことがよくわからない。



2024/02/29
覚書2024.2.29
先日二週にわたって放送された『鬼滅の刃』(特別編集版の『「鬼滅の刃」遊郭潜入編』と『「鬼滅の刃」遊郭決戦編』)のビデオを見た。遊郭編の長篇は、以前見たことがあるけど続篇かななど思いながら見た。しかし、ずいぶん見た後、敵の女鬼が放つ鋭い破壊力の布切れは見たことがあった。

また、その女鬼の中からだったか別れ出てきた兄の鬼の粘り着くような独特なしゃべり方には以前に出会った覚えがあった。決定的なのは、二つ目の決戦編で、柱や炭次郎らと鬼との決戦の最中に挿入された回想の場面の、その柱の一族の墓の前で、柱とその若い三人の妻たちとの会食の場面であった。

それは確かに以前見た遊郭編の長編に出てきたのを覚えていた。ドラマでも小説でも、見た読んだ現場から離れ時間が経つと記憶も印象も薄らいでいく。たいていは、ほとんど覚えていないということになるのが一般的だろう。
表現されたものを前にして、わたしたちはその現場で何をしているのだろうか。

作者は、作品へと表現することで、生産≡消費(解放感など)を同時的にしているのであり、観客や読者は、その世界の中に入り込み、物語の起伏や人物たちの振る舞いや感じ考えを見る聞くたどることによって、生産(精神的な活動の活性化や内省)≡消費(解放感など)を同時的にしているのではないだろうか。

いろいろ言われ尽くされてきたことをまとめてみると、そんなことになりそうに思う。

ところで、鬼は、先の大戦では「鬼畜米英」であり、戦争する敵の国家やその下の国民を指していた。昔の説話の鬼は何だろうか。少なくとも、こちらの集落や地域(説話の作者)からは異類と見なされている人々のことだろう。もちろん、「鬼」と見なされている人々は自身を鬼とは思っていないだろう。

ここでの鬼とは何だろうか。とても長い柱や炭次郎らと鬼たちとの決戦の後、負けた鬼の兄と妹との過去が回想される。容貌の醜かった兄は何かと軽んじられ痛めつけられる。遊郭という場でさえ居場所のない不遇の兄妹は肩寄せ合い生きていたが、あることがきっかけで鬼になって強大な力を手にする。

『鬼滅の刃』は、派手な目まぐるしい決戦の描写や時々挿入される茶目っ気のある子供っぽさの描写などがウケている要素で大きいのかもしれないが、おおざっぱに見てきた限りでは、うつ病になったり犯罪を犯したりなどの、「普通」から外れて「鬼」になった人々の魂の救済を目指す物語かもしれない。


最近のツイートや覚書など2024年2月 ①

2024年03月07日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年2月 ①


2024/02/01
晩白柚の「ザボン漬け」は、十年ほど前に2回作ったことがある。煮崩れしてかうまくいかなかったと思う。晩白柚の実がうまくならなかったせいもあるけど、それで以後作らなかった。久しぶりに立派な実が4個なったので、1月に1個から「ザボン漬け」を作ったけど前と同じくうまくいかなかった。

今日、また作った。今度の出来はまずまずの出来だと思う。レシピの30分煮るがいけなかった。水からワタを煮て沸騰したら火を止めるという別のレシピに従ったら、煮崩れしないでよかった。そのせいでその後砂糖を加えて煮る時の水気を飛ばすのもうまくいった。




2024/02/02
先生でも医者でも製造者でも政治家でも、ある分野(部分集合)の専門家は、自分の手慣れた分野から〈世界〉(全体集合)を見がちだ。しかし、〈世界〉すなわち私たちの生活世界は人の歴史から見ても深い。だから、ものごとを見誤らないためには、〈世界〉から絶えず汲み上げてものを考えなくてはならないと思う。



RT
『撤退論』まえがき(内田樹の研究室)


「失敗学」という言葉は知っていたが、「撤退学」、「撤退論」というのは知らなかった。近代から現代(高度経済成長期)にかけての上り調子の時期には無縁な学であったろうが、現代の衰退期(ということは、先々には新たな別の形の上昇期ともなるかもしれないが)には必須の学のように感じられる。



2024/02/05
RT
“入植地問題”ってなに?アメリカの政策転換の先にある現実|中東解体新書|NHK NEWS WEB


先日のNHKスペシャルでも、「入植地」の問題も取り上げていた。今日の毎日新聞の一面でも取り上げていた。入植者の中には、兵士が同行し(守られ)、武器を持ちパレスチナ人の家に押し入り強奪する者もいる。現在のイスラエルは、軍事力を背景とした強盗国家と言うほかない。

なんと、トランプ(政権)が、2019年11月、「イスラエルがヨルダン川西岸で行っている入植活動は国際法違反とは見なさない」と表明したのか。タダでさえアメリカを主要な後ろ盾と考えているイスラエルを、さらにつけ上がらせることになったのではないか。



《読者諸君も気をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思いながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでいるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だろう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憩いの巣だ、なんともあの家に行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まずたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に箒など立てられているものである。他人の家に、憩いの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問という事に於いては、吾人は驚くべき思い違いをしているものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。》(太宰治「カチカチ山」、『お伽草紙』より)

ある人のブログからの孫引きだが、太宰治自身もそんな痛い経験を重ねたのであろう。一般にも当てはまりそうな気がする。



2024/02/06
RT
「中年はおもしろい」 歌人の永田紅さん、科学者と母の目で詠む実感 | 毎日新聞

<親指と人差し指のあいだにて「いま二センチ」の空気を挟む> 永田紅
「妊娠8~9週目に詠んだもの。エコー検査で胎児の大きさを知り、「このくらいかな」と自分の指で測ってみた、その感覚を歌にした。」
・・・うーん、「詞書き」がなければ歌の場面には下り立てない。



RT「解散命令が下りた後に霊界のお父様が天心苑に下さったメッセージ 2023.10.13」
"すべての食口が立ち上がり、心を一つにして『呼名祈祷』をしなさい。呼名祈祷は実体が動くまで、結果が見えるまで祈り続けなさい"


これは、呪いの藁人形とも同じもので、物や言葉で型どおりに呪えば、実体が動く(呪い殺せる)という平安時代やそれ以前の世界観につながるものだろう。これは、『源氏物語』の中の人物たちのように、呪われる相手も同じ世界観の中に生きていないと効果はないだろう。

また、「霊界のお父様が天心苑に下さったメッセージ」とあるから、あの幸福の科学の大川隆法の「霊言」のように、あの世にいる霊を呼び出し、その霊の言葉を霊能者が語り下ろしたものか。 この技もまた、霊を自分に降霊( 憑依 )させて、霊の代わりにその意志などを語る、巫女の口寄せに連なるものだ。

しかし、そんな世界は主流としては通り過ぎてしまったから、私たちにとっては「古い」、古すぎるんだよな。つまり、ピンとこない、訴えてこない。また、同じ現在に生きている信者さんたちは、現在を全否定するに等しいそんな世界観では救われないと思う。



2024/02/07
もう昨晩になってしまったが、テレQの番組を何気なく見ていたら、「香りをデジタルデータ化する」という言葉が出て来て驚いた。しかも、独自の機器でその香りのデジタルデータをダウンロードして香りを味わえるという。「スタートレック」の物質転送装置に対するように驚いた。



RT
HIKAKIN、「お前も一般人だろ!」の指摘に“反撃”「チャンネル登録者数1245万人は超えています」


「ヒカキン」って、二、三度名前に出会ったくらいでよく知らないけど、まだこの人は「有名」ということへの上りがけなんだろうなと思う。

(参考)
2023年9月14日
「吉本さんのおくりもの」・更新の情報 http://dbyoshimoto.web.fc2.com 「言葉の吉本隆明 ②」に、  2023.9.14 項目744「『名前』ってなんだ?」を新たに追加。 #吉本隆明 #吉本さんのおくりもの

「有名」ということに少し関わると思うが、人の価値観やものの感じ方は、日々の具体的な場面で表れる。もちろん、その表れはストレートではなく、遠慮したり配慮したりで屈折することもあり得る。例えば身近な例では、X(ツイッター)のフォロワー数やフォロー返しに対する感じ考えにもそれらは表れる。

以前、意識的に消費を控える運動をやってみようと思った時には、たくさんフォローし、フォロワー数やフォロー返しの数が多くなることを強く意識していた。それを終了した後は、そんなに気にしなくなった。興味深い人はフォローするし、逆にフォローされたらヘンなものでない限り原則フォロー返する。



2024/02/10
RT(「南妙法蓮華経」がある書体で書かれているのを見て)
伊勢原 法泉寺【公式】@ISEHARA_HOSENJI
明日は10時から15時まで 御首題直書き対応日です お天気良さそうですし、お暇な方気軽にどうぞ


書体は、石や竹、紙などの素材の制約にもよるだろうが、時代の空気や精神によって変貌したり新しく登場したりしてきたのかもしれない。この書体は、良し悪しは別にして、とんがった感性や意識の感覚的な表現になっていると思う。

書の理論と言えば、石川九楊『筆蝕の構造―書くことの現象学』等があるが、書体についてどう述べていたかは記憶にない。彼はまた書の実践家でもある。↓の「歎異抄 No.18」は、もう何が書いてあるかの次元は離脱して、作品の全体がひとつの「書体」になっていると見ることもできそう。
https://rakushokai.jp/shoda_ishikawakyuyo/



2024/02/13
覚書2024.2.13
大は政治から、小は会社内や家族内のことまで、吉本さんが取りだして見せた、相互に関わり合う「現在的な課題」(現在何とか解決可能な問題)と「永続的な課題」(現時点での根本的な解決は無理)がありそうだ。景気のいい連中は、あたかも全てを一刀両断で解決すると豪語する。

彼らにしろ、例えばオーム真理教や統一教会のマンガ的、空想的な政治改革(革命)のイメージなども、「現在的な課題」と「永続的な課題」をいっしょくたにして、すぐに政治改革(革命)が可能のような詐術の宣伝をする。たぶん、大多数の生活者は「現在的な課題」の舞台での政治的な振る舞いに

与党も野党も同列に見ている。時代は、与党も野党も現在的な課題が押し寄せる場に連れ出している。人々は、自分たちとはあんまり縁のない世界と思いつつも、「少子化問題」一つを取ってもよく政治や政治家を見ているはずだ。

今ひろってきた次のトランプの言葉もまた、詐術に満ちた空想的な政治言語である。
「2024年は最後の戦いです。あなた方を味方につけて、我々は陰の政府を破壊し、戦争屋を政府から追放し、グローバリストを追い出し、共産主義者、マルクス主義者、ファシストを追い出し、我が国を憎む病んだ政治階級を追い出し、偽ニュースメディアを敗走させ、沼地を排水する。 そして、私たちはこれらの暴君と悪党から私たちの国をきっぱりと解放します!」(2024年2月11日)


わたしは、現在的な「女性問題」(ということは、男性問題でもある)や「性的少数者」の問題に当事者性として余り考える必要がないせいもあるが、触れたことがない。遙か太古以来の母権制社会の下では男は肩身が狭かったのかもしれない。その後社会構造の促しによって父権制社会に転換し、

今度は女が肩身が狭い身となった。もちろん、個別的には現在同様平等観を持った人々もいただろう。現在は、母権制社会と父権制社会の瓦礫の上に、人類の「永続的な課題」の促しから、ふたたび人間の平等ということが「現在的な課題」として具体的に問われているのだろうと感じている。 


最近のツイートや覚書など2024年1月 ②

2024年02月26日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年1月 ②


2024/01/17
いつからか、新聞のテレビ番組欄が、アニメや時代劇などいろんな専門チャンネルなども出てきて、多彩になってきた。また見たことないけどABEMA(アベマ)やヘンな桜チャンネルや百田尚樹チャンネルやら個人が気軽に「放送局」を持てるようになっているようだ。先ほど、DOMMUNE(ドミューン)にも出会った。

現在に生きるわたしたちは、自分のことも社会のこともその未来を現在から見通すことは難しい。社会のことは、構造的なものだから見通す(予測する)ことはいっそう難しい。気づいた時には、もうずいぶん変貌を遂げてしまった社会になっているということが多いようだ。



井上陽水の歌、「青空ひとりきり」(発売:1975年11月25日)の歌詞を探していて、「夢寝見」という歌に出会った。読みは、 (ゆめねみ)。今はやりのゆるふわネーミングに近いが、これは当然、中国から漢字を借りて換骨奪胎してきた、わが国の書き言葉としての新日本語への経験に連なるものである。

意味は、夢に見るイメージ、ほどの意味か。そういえば、昔、野田秀樹を中心に旗揚げした「夢の遊眠社」という劇団があった。このネーミングもまた、古来からのわが国の言葉の歴史に連なっている。

ところで、「 青空ひとりきり」の歌の言葉を、現在の風俗の尖端に置いてみる。歌詞の各連の最終行(「青空、あの日の青空、ひとりきり」など)が、世界の渦中に立っている。50年程の時差があり、現在はもっと孤独や空虚感は透明になり、深度を増しているような気がする。

また、現在は歌も言葉も、二昔前よりもパワーが衰え、必然的に(避けようもなく)「草食系」になってしまっているような気がする。歌番組をチラ見したが、歌にダンスや動的な照明や映像が伴っている。これは歌や言葉の衰弱とも見える。もちろん、背後にそれを促すこの社会の構造的な変貌がある。

それは別の見方もできる。現在の諸問題が、個別具体的な問題解決とは別に、BIなど人類史的な規模で考えないといけない面があるように、歌に踊りや照明映像などが付加して歌を励起状態へ導くことは、現在的な歌や言葉の衰弱でありつつも、人類的な歌の起源の新たな反復に当たっているのでは、とも見える。

例えば、空詩や木詩や土詩や画像詩など、わたしも画像を付けた詩(言葉)をやったことがあるし、やっている。そんなつもりではなくても、これも、現在的な言葉の衰弱と関係ありそうに思う。現在では、映像が付いてないとなんだか心細いとか不安であるとかがありそうな気がする。



2024/01/18
政治覚書2024.1.18
アメリカのトランプは、今までの政権ではなかなか解決されない不遇を抱えた層に支えられて登場し、今までのパッとしない政治以上のひどい扇動政治をした。一方、わが国では、司法・マスコミなどに手を突っ込んで口先だけの独裁的な安倍政治で、従来の政治の暗黙の了解をなぎ倒していった。

また、維新は、該当地域での政策・評価は知らないが、広報宣伝としてのテレビや芸能組織と癒着し、イソジンやら雨合羽やらいくつかの現象から判断する限り、今までのパッとしない政治への不満な層から押し出されてきた、今まで以上の口先だけのヤンキー政治、または、お祭り政治。



2024/01/19
最近の車の色が多彩になってきたのは、技術力によるものだろう。わたしが気になっているのは、丸みのある柔らかなデザインではなく、「トゲトゲ」とかカクカクしたなんか威圧的なデザインになってきたなということだ。調べてみたら、技術力がもたらした面が中心で時代性には触れられていない。

その車のデザインは、個人が、SNSで自由に感想を述べたり、「エッジの効いた」自己主張をしたりできるようになったという新たな事態に対応するものだろうか。いやいや、実状は、独り立ちした手ぶらの個人による表現というよりも、アジア的な負の遺伝子を持つ、

個人が国や防衛省や政党などなどと同化した、いわば「トゲトゲ」した〈党派性〉の発言の花盛りである。昨今の車のデザインは、そんな現在の社会の空気と対応していると思う。アメリカのトランプ現象も、これと相似だと思う。



2024/01/20
NHK BS『あきない世傳 金と銀』を見ている。ここで、天満屋(てんまや)というのが出てきたような気がする。(「暴れん坊将軍」の方じゃなかったよなという気持ちからこんな微妙な言い方になっている。) 同じ髙田郁原作の『銀二貫』というドラマでは、大阪天満(てんま)という言葉が出ていた。

wiki「天満宮」では、全国すべて「てんまんぐう」と読んでいる。大阪も、大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)。地名などにもなっている天満は、「てんま」、天満祭も「てんままつり」となっている。しかし、天神祭は、「てんじんまつり」である。

調べてみると由来として、「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『 日本書紀 』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という、とある。

また別のでは、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は、没後の菅原道真を神格化した呼称、あるいは神格化された道真を祀る神社。天神信仰、天満宮の主神。祟り神で神仏習合した神。主に学問の神、雷神、仏法神として祀られている、とある。

「天満大自在天神」も「天満」も、外来漢語のある固さ、よそよそしさを持っている。それを自分たちの身近な生活圏に引き入れ受け入れることばの振る舞いから「てんま」という音が生み出されたのではないだろうか。これは、大阪あたりの地域性の自然な語音だろうか、それとも一般性を持つものだろうか。

追加として、「天満町」の読みを調べたら、(地名辞典ONLINE)
1.「てんまちょう」は、
京都、島根、広島、香川、長崎・佐世保、
2.「てんまんちょう」(てんまんまち)は、
大分、宮﨑、岐阜、長崎・諫早
※正確を期すためには、ほんとは現地の人に聞いた方がいいのだろう。



2024/01/22
GIGAZINE(ギガジン)@gigazine
生成AIを利用して書かれた第170回芥川賞受賞の九段理江「東京都同情塔」が海外でも話題に

目下そのことが可能とは思えないが、生成AIが100%出力構成した「作品」なら、作者はカメラのシャッターだけを押すことで「作品」を生み出したことになる。従来の言葉によって表現された作品という概念からは、とても作品とは呼べない「作品」いうことになる。

作者によると、「小説の約5%が生成AIが出力した文章のままであること」らしい。物語を生み出すには、調べることもあるから、検索や書物の代わりに今までの人類知からの編集・構成をする生成AIの力を借りたということに過ぎない。ただし、今後生成AIの利用度の%は、もっと上がって行くに違いない。

それととも、作品とは何か、言葉とは何かが、改めてわたしたちに問われるに違いない。自然の花の生命感がわたしたちにある感動を与えることがあるように、人工の花(人の手が加わった造花や絵画に描かれた花など)が感動を与えることもある。生成AIの文章が、従来の作品より感動するということもあるかもしれない。

自然の作り上げた偶然な造形にも、人は「夫婦岩」と名付けて神聖さを感じたり、人の顔やゴジラの姿を感じたりすることがある。生成AIは、人間の手が生み出した人工の手である。「感動」という自然性も、感動とは何かと問い直さなくてはならないのかもしれない。



2024/01/25
「中国女性の髪型(註.1920-2020の変化)だけで、歴史とイデオロギー、精神と文化、社会問題とメッセージまで表現した4分動画を2分にカット」というのが、先ほど動画とともにTLに現れた。

私たちは、現在のあらゆるものを「呼吸」(それらが体内を巡り、代謝し、反応する)して、現在に生きている。現在には、子どもから大人や老人が混在しているように、主流のイデオロギー(集団的な考え方、思想)から昔風の古いイデオロギーまで存在している。また、古来からの姿形を変えてきた風習もある。

社会のイデオロギーは、一般にはそのままの形では髪型や服や物語などに反映しない。例えば、イデオロギーとしての効率やその波及意志の優先の考えは、人の批評性(受け入れ)によってスピード感やエッジの効いた感性的な表現になったりする。つまり、時代のイデオロギーも、生きる人々(作者)の批評性

(受け入れ、批判など)を潜り抜けて、ものの選択や、髪型などの感性的な表現となる。こういう問題は、もう前時代の素朴反映論やリニアーな関係把握とは違って、現在では生きる主体を含めてもっと構造的なものとして捉える段階になっていると思う。



2024/01/29
RT
「プレハブ小屋で恩師から美しい響きを学びました」阿川佐和子、天才ピアニスト・藤田真央から受ける音楽講座
阿川佐和子のこの人に会いたい【ゲスト・藤田真央】 週刊文春 2023年12月14日号

★本文(3)の末尾
藤田 「思い悩んだ末、彼(ショスタコーヴィチ)は国家(ソ連)を賛美する内容の交響曲第五番を作るのですが、実は体制に批判的な意味合いの音がこっそり入っているんです。」
阿川 「検閲でひっかからなかったんですか?」
藤田 「音楽に詳しくなければ気付かないような入れ方なんです。」


音に関しては素人のわたしだが、「体制に批判的な意味合いの音」というのがどんなものなのかが気にかかった。当時の体制、秩序がのっぺらぼうの明るさや力強さが主流とすれば、それに批判的な音とは、柔らかさや繊細さや生命感に満ちた緩急さということだろうか。



田中泰延 RTして
電通に入ると、まず資料室にデンとある『日本財界系図』という巨大な本を閲覧することになります。
そこには日本の大企業・大資本の株主、経営者の家系図、相関図が網羅されています。驚くなかれ、
●日本の大企業といわれる法人の9割くらいは
●5つか6つの家族の持ち物
●それらの家族同士も婚姻している
●それらの家族の子女はさらに政権与党の有力者の子女と婚姻している
という事実が普通に名前と線で示してあります。
電通マンとは彼らに奉仕する職業であること、仕事を遂行するにあたって、「どこの家族の系列にある資本か」を間違えないこと、を叩き込まれます。
卑近な例ですが、三菱UFJの担当として宴会を仕切ったときにアサヒビールを搬入したりキヤノンのカメラで撮影したりして出入り禁止になったり降格されられたりした人もいました。  
電通が日本を操っていたとか、お笑い草の陰謀論です。
日本は5、6軒の家族の損得勘定でみんな仕事を得たり給料をもらったりして生きているのです。
そしてそれはどこの国でも産業革命以後、資本家階級と労働者階級が発生したこの200年ほどはまあ、当たり前のことです。
だからこそそういう「家族さん」を飛び越えて資本の地図を塗り替えたイノベーティブな創業者、ジョブズだのゲイツだのベゾスだの孫だの柳井だのの出現は社会の変革のために大切なのです。
まあ、そこからまた新しい家系が始まるわけでもあるんですけど。


以前、ある政治家の家系図が、TLに流れてきて、まあいろんな「有名人(名家)」つながりだねえ、いろいろ助け合ってきたんだろうなと感じたことがある。ずいぶんフラットな社会になってきたが、この趨勢(すうせい)はとどまることはないだろう。それとともに、そうした系図は骨董品に近づくだろう。

昔、フロイスの『日本史』で知ったが、戦国時代の九州の大名(主なものでは、豊後の大友氏、薩摩の島津氏、肥前の竜造寺氏)は互いに姻戚関係を結んでいた。それでも、互いに争っていた。姻戚関係で集団の絆を結ぶ、これは歴史的に根深いのではないだろうか。



詩集の出鼻に買ったのに、ゆっくりと読む余裕がなかった山本育夫さんの詩集。その詩「キズミ」(詩集『ことばの薄日』)を読んでいたら、「目にキズミと呼ばれた/小さいルーペをはさんで」という詩句があった。調べたらキズミ・ルーペを売っている時計修理やメンテナンスの専門店の

「五十君商店 (いぎみしょうてん)」があった。五十君は、名字でもあるらしいが、初めて出会った。ちなみに、五は、いー(いつ)、五十は、いそと読む。だから、五十君(いそぎみ / いいみ / いぎみ)とも読むらしい。



最近のツイートや覚書など2024年1月 ①

2024年01月22日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年1月 ①


2024/01/02
RT
鴻上尚史@KOKAMIShoji
「体育館は雪の中のテントより寒い 」5年前の記事ですが、その数十年も前から何も変わっていません。自然災害の多発国で、どうしてなんの対策もないのでしょう→ざこ寝、プライバシーなし……「避難所の劣悪な環境」なぜ変わらないのか - Yahoo!ニュース

1932年(昭和7年)生まれの桶谷秀昭の『昭和精神史』の中だったと思うが、アメリカの戦闘機の作りと比べて零戦は搭乗する人間(個人)を大事にしない作りなっていたそうだが、そんな零戦に賛意を寄せていたように思う。桶谷の批評は伊東静雄論などマトモで感動し、初期には愛読したが、

ヘンになってからはほとんど読まなくなった。様子見に読んでみた『昭和精神史』だった。こんな避難所のシステムについても、相変わらずそんな零戦の設計思想と通じる、この国の個人を大事にしない発想から来ているように感じられる。



2024/01/08
最近、「もやもやする」という言葉に何度か出会った。検索のAI 搭載のBing によると、「何かがスッキリしない、気持ちが晴れない、といった感情を表現する言葉です。この言葉がよく使われるようになったのは、2010年代以降のことです。」とある。

それ以前の、略語由来の「うざい」や「きしょい」や「きもい」と同じ内臓感覚から来る感情表現ではあるが、それらと比べてあまり他者への攻撃性は無く、自分の感情への批評性の言葉となっている。これが他者に向かう時は、よくわからない、納得できない、というやんわりした批評性の言葉になっている。



2024/01/09
まず、各地に一人一人の住民がいる。地方の行政も県や市や町村等と層があるが一つと見る。それらは消防や医療などたくさんの組織や機関に指示命令や依頼できる接続網や権限を持たされている。更に、この社会の最上層には地方よりずっと強力な諸機関を携えて行政を担当する国家がある。この三層において、

現在の民主制の政治理念からも最優先されるべきは、住民の具体的な生活の有り様(よう)である。そこから、今何ができて何ができていないか、なぜ現状なのか、など二つのレベルの行政への批判(それは自分の地域の場合にもあり得るから)と、住民への支援の気持ちは、同じ列島の住民として当然で自然なことだと思う。

(なんで、こんなことを自己確認しなくてはならんのか?ヘンな人がウヨウヨいるよなあ。)

付け加えると、ヘンな人に限らず「自衛隊」に、なんか特別視があるような気がする。それは、昔のヘイタイさんに対する普通の住民の意識や感情(私は戦争世代じゃないから実感的ではないが)みたいなもののように感じている。災害救助は自衛隊の仕事であるから、こちらが恐縮したり何らへりくだる必要はない。

ただし、自分が、災害に遭って自衛隊の具体的な人々に助けられたら、一般に助けてくれた他人にそうするようにたぶんその人たちには感謝するだろうけど。



2024/01/10
近現代短歌bot
蝌蚪(くわと)生(あ)れし/水のよろこび/水の面(も)に/触れてかがやく/風のよろこび
 雨宮雅子 『秘法』


釈迦入滅時 生き物たちも集まって来て、その死を悼(いた)んだという(涅槃図)。それは死の場面であるが、反転させると誕生の場面となる。オタマジャクシの誕生を水も風も、もの皆全てが祝福しているように感受

され擬人的に描写されている。こういう人間世界内の表現理解を超えて、ビミョウな言い方をしてみる。沈黙する大いなる自然の側から見ると、その自然の一部の存在である人間の言葉を借りて大いなる自然の内省を表現しているとも言えそうな気がする。

なぜなら、生き物たちも人間もその大いなる自然の一部なんだから。ちょっとめまいを感じそう。



2024/01/12
RT
「1日1000円のみ支給」等、数々の違法が発覚した桐生市福祉事務所について新証言。申請したいと言ったら「家計簿をつけてください」。数日後、家計簿を見せると「生活保護を受けている人で最低金額の人は1日800円で生活している。その人を見習って」と言い、追い返し。保護率半減の背景がわかります。


【独自】桐生市生活保護課の水際・恫喝・ハラスメント「9年が経ちやっと話せる」女性の告白
(小林美穂子「週刊女性PRIME」)

戦争が人間の残虐さを引き出し増長させるように、「生活保護」という制度悪が担当部署の人々の残酷さを引き出している。早く改廃すべき制度と思うが、まだまだ機が熟していない状況か。例えばAIの深化・普及が社会構造や諸制度に改変を促す状況まで待たねばならないのか。



2024/01/14
RT
WIRED.jp@wired_jp
化学療法や放射線療法を含むCAR-T細胞療法以前のがん治療が、患者が新たに発症したT細胞がんに関与しているという説明もある。

病と治癒行為、そんなリニアーな単純な関係ではなく、うーん、複雑だ。まだまだ人の体内の機構はよくわかっていないところがある。

最近のツイートや覚書など2023年12月 ②

2024年01月12日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2023年12月 ②


2023/12/18
RT
北欧、暮らしの道具店@hokuoh_kurashi
書き留めることは、世界と能動的に向き合うこと。

歌人の東直子さんに短歌の魅力や言葉にすることの効用を教えていただく特集。最終話の今回は、短歌の楽しみ方についてじっくり聞いてみました。
https://hokuohkurashi.com/note/308879

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【短歌に出会って】第3話:書き留めることは、世界と能動的に向き合うこと より

(ライター 嶌陽子)
もうひとつ、東さんに聞いてみたいことがありました。なんだかいいなと思っても、全体の意味はよく分からないという短歌もあります。分からないまま、短歌を味わうというのもありなんでしょうか?

東さん:
「うまく説明できないけれど、なんだかいいなあと感じることってありますよね。その感じ方で全然いいんです。

作品の中にある余白の部分から、読者がそれぞれ想像して世界を広げていけばいいし、言葉で説明できない感覚を味わうのも面白いんじゃないかな」

(ライター 嶌陽子)
その言葉を聞いてほっとひと安心。気になっていた東さんの作品についても聞いてみることにしました。

 「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露

『春原さんのリコーダー』

人間や蜘蛛が生きているリアルな気配に惹かれるものの、上の句と下の句の関係を含め、どんな意味なんだろうと考え込んでしまいます。

東さん:
「娘が幼稚園の時に、舞台の幕の下から出ている手で自分の子どもを当てるという遊びに参加したことがあって、ぶじに娘の手を当てることができた。その時のことを詠んだ歌です。

手だけ見て触って判断したときの不安な気持ちと、でも確かに生きている実感のようなものが混ざった気持ちがあって、それが帰り道に見た自然の姿と結びついたんです。脱皮したての蜘蛛は弱々しいけれど、朝露がかかっている蜘蛛の巣はみずみずしい生命感があるなって」
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文章中にある以下の歌の上の句と下の句の二つの場面の連結が具体的に説明されている。

「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露
 (東直子『春原さんのリコーダー』)


読者は、その歌からなんらかの「生命感」つながりの理解までは行けそうだが、

歌の場面の具体性までたどり着くのは難しい。(まあ、人間の現状からはそれはそれで良いのだろう。あるいは、もっとよくわかりたいという観点からは、それは仕方がないことだ。)



2023/12/22
先日、偶然出会った「なつぴなつ」のツイートから「学歴の暴力」というのを知った。1つ知った歌詞から判断すると固い漢語を駆使したトゲトゲの椎名林檎の歌詞に近い。自分自身に対しても言うのだが、もっと柔らかい言葉で語れそうに思う。

気になったこと。「ゆるキャラ」(「見る人の心を和ませる独特の雰囲気を漂わせたキャラクター」)というのがある。「学歴の暴力」のメンバーの名前、えもりえも、なつぴなつ、あずきあず、あろえあろ、りりりかり、これらはゆるキャラ言葉とでも言える語感を持っている。また、対句表現みたいな造語法はなんか古来からありそうだ。



2023/12/24
白川静の説明で知ったが、中国の漢字の研究も錯綜としていたという。後漢の許慎の『説文解字』は、最古の漢字事典だが、甲骨文や金文(註.後漢の時代より1000年以上も前)といった豊富な古代文字資料の発掘以前のもので、解説にこじつけや的外れなどがあるという。例えば、「間」の成り立ち。

「間」の成り立ち
①会意文字 です (門 + 月 (日))。 「 欠け た 月 」の象形と「 左右両開き になる 戸 」の象形から 門 を 閉じ ても 月 の 光 が 漏れる 、すなわち 「 すきま 」を意味する「間」という漢字が成り立ちました。 ※「間」は「閒」の 略字 です。(ネットのまとめより)

②深く研鑚を積んだ白川静によると「間」は、「字の初義は、門中に肉(月。月は肉の形)をおいて祀り、安静を祈願する意で、間敵・間静の意となる。」(白川静『新訂 字統』より)

①のような現在的なイメージからの理解が起こる理由には、「月」には、簡略化したときに「肉」⇒「月」になった「にくづき」と、それときまったくの別物の「つきへん」があるという事情がある。

先ほど、学者さんの、月と日から読み解いた「「間」とは何か」というツイートが流れてきた。それで少し調べてみた。人間の思考は、対象(この場合は漢字)にどんな恣意的な意味づけも自由だが、発生の事情に近づいた方が人間の本質を明らかにする上で大事だろうと思う。



2023/12/29
最近、元貴乃花の演じるテレビCMを何度が目にした。「ふるなび」(ふるさと納税サイト)のHPには三つのCMが掲載してある中の「最大30%還元キャンペーン告知篇②」である。説明によると、「貴乃花さんが老舗「ふるなび屋」の店主役で登場し、・・・」ということらしい。このCMの最後で、

セリフに詰まってしまった店主元貴乃花が「すいません」と言う場面がある。これは、CM制作者や撮影しているスタッフなどへのミスして「すいません」ということだろう。しかし、これをそのままCMとして公表しているとうことは、偶然か意図的かは知らないが素人臭さの親しみの表出を狙ったものか。

「ふるなび」は、たぶん民間組織だろうと思ったらそうだった。「株式会社アイモバイルは、日本のインターネットIT企業。ふるさと納税支援サイト『ふるなび』の運営事業とアドネットワーク事業を中心に行っている。 同じ渋谷区にあるアイ・モバイル株式会社とは別会社である。」



農事メモ2023.12.29
スイカ、カボチャ、キュウリ、サツマイモ、うりずん、ソラマメくらいしか育てていないので、今頃になると、農作業は冬休み。今年は、真木の木の剪定をしている。ほんとは、秋か春先が良いらしいけど。今日計算したら、三時間で6本ほど剪定できた(切った後処理含む)。


農事メモ2023.12.29
・自宅から遠目に晩白柚の木が見える。一個しか実が見えなかったので、久しぶりのその畑の見回り。ちゃんと四個なっていた。1月になって収穫しようかと思っている。


・ざぼんの木も1株ある。触ったら軽く取れたので、今年の初収穫。12個収穫。木の病気のせいか、少し煤けている。

 





2023/12/31
X(ツィッター)にはいろんな出会いがある。昔、真偽は別にして推理小説のように読んだ古田武彦の本に、「九州年号」というのがあったが、江戸時代後期の国学者、鶴峯 戊申(つるみね しげのぶ)が、『襲国偽僣考』でわが国の従来の年号とは異質な「九州年号」というものをまとめたのか。



北島三郎と言えば、『暴れん坊将軍』に登場する火消し「め組」の頭、辰五郎役である。め組は毎回登場するが、頭の辰五郎は、寄合などに出かけていて不在であることが多い。このことの現実的な背景としては、北島三郎が歌の興行などで忙しいせいだと思われる。

時代劇ついでに言えば、『暴れん坊将軍』には毎回、無敵の吉宗とお庭番二人による悪をやっつける場面がある。最近見終わった、人は殺さずため込んだ悪銭を盗み取るをモットーとする、宗次と弁蔵との盗賊の話の『ふたがしら』では、血が流れた。『暴れん坊将軍』ではほとんど血の表現がない。

この違いは何だろう。『暴れん坊将軍』での立ち回りは、舞台劇の伝統に連なるものかもしれない。要するに悪が成敗されるということが表現できればいいからである。一方、『ふたがしら』での鈍い音や血が飛び散るのは、(本当にこうして人は大ケガしたり死んだりするんですよ)というリアリズムの表現か。