吉本さんの坊主頭の写真から
吉本さんの坊主頭の二枚の写真
(註.1)にネットで出会った。二つは同時期のものだろうと思うが断定はできない。
作家という表現者とってその日常の生活での振る舞いや表情は問題にならない。『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 』によると、村上春樹も作家の時と生活者の時をはっきりと区別していた。しかし、思想者としての表現者には日常の立ち居振る舞いが問題となることがある。言葉ではそういう思想を述べているが、家族の中でもほんとうにその考えを貫こうとしているかなど、読者に指摘されなくても自分の思想から問われているはずである。吉本さんの場合は、本人が書物の中で書いたり語ったりした中の端々からはそのような原則を貫いていた様子がうかがえる。(娘の就職について吉本さんが語られていた話を今思い出した。)
ところで、この一枚の写真の件は、何も取り上げて論じるには値しない個人生活的なものかもしれない。読者は作家や表現者の作品や思想以外のなんにでも興味を持つということからではなくて、そこを敢えて取り上げてみるとどうなるだろうか。
このような坊主頭の吉本さんの写真をいつかどこかで見たような気がするが思い出せない。吉田純写真集『吉本隆明』(2013年2月 河出書房新社)にも載っていない。
写真家は、言葉ではなくて像で言葉以前のイメージを表現する。人物を撮る場合、撮る角度や陰影や距離や背景など感覚的に判断しながら一枚の写真を撮るのだろうか。人物が言葉ではなく顔かたちや佇まい自体で表出したり語りかけたりしてくるのを受けとめ画像に構成する。だから、このようにいつもと違った髪かたちをしていたら、わたしたち普通人以上に写真家は敏感になりそうな気がする。かといって、娘の吉本ばななが写真にコメントしているように「母とけんかして、頭を丸めたら許すと言われたとき」という事情が背景にあるということまではわからないだろう。
坊主頭、丸刈りは、もちろんいろんな歴史を背負って現在に至っている。明治近代以前は、名前の通りお坊さんの髪型であったろう。お坊さんも武士も近代の軍隊や学校も、実用的な事情や自然な流れも含め普通の生活世界とは違った新たな規律に基づく世界を築く一環として坊主頭(剃髪)やちょんまげや丸刈りが捉えられたのだろうと思う。現在でも見かける丸刈りは、これらの歴史の流れを受け継いでいるはずであるが、さらにさかのぼって古代の〈清祓〉までつながっているように感じられる。現在でも、わたしたちが急に丸刈り(坊主頭)にしてきた者に対して持つイメージは、何かよくないことをやらかして、その謹慎や祓い清めとしてそうしたんだなということである。
吉本さんの『共同幻想論』の「規範論」に〈清祓〉(はらいきよめ)のことが触れられている。
はじめに確かにいえることは、〈法〉的な共同規範は、共同体の〈共同幻想〉が血縁的な社会集団の水準をいささかでも離脱したときに成立したということだけである。
未開な社会ではどんなところでも、この問題はそれほど簡単にあらわれない。またはっきりと把握できる形ももっていない。そこでは〈法〉はまだ、犯罪をおかした人を罰するのか、犯罪行為を罰することで〈人〉そのものを救済しているのか明瞭ではない。そのためにおそらく〈清祓〉(はらいきよめ)の儀式と罰則の行為とが、未開の段階で〈法〉的な共同規範として並んで成立するのである。〈清祓〉の儀式では行為そのものが〈法〉的な対象であり、ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を負わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。
しかし未開的な社会での〈法〉的な共同規範では、個々の〈人(格)〉はまだそれほど問題にはなっていない。また行為そのものもあまり問題とならない。ただ部族の〈共同幻想〉になにが〈異変〉をもたらすかが問われるだけである。〈神話〉のなかにあらわれる共同的な規範が〈法〉的な形をとるときは、そこに登場する〈人(格)〉はいつも、ある〈共同幻想〉の象徴でだということができる。
(『共同幻想論』規範論 P426 『吉本隆明全集10』晶文社)
『古事記』のなかで最初に〈罪〉と〈罰〉の問題が〈法〉的にあらわれるのは、いわゆる〈天の岩戸〉の挿話のなかである。そして犯罪をおかし罰をうけるのは、農耕民の始祖で同時に種族の〈姉〉神アマテラスの〈弟〉に擬定されているスサノオである。
・・・(古事記からの引用略)・・・
そこで部神たちが合議して、天の岩戸のまえで共同祭儀をいとなんで常態にもどしてから、スサノオは合議のうえ物件を弁償として負荷され、鬚と手足の爪とをきって〈清祓〉させられ、共同体を追放されるのである。
ここでスサノオが犯した罪は、たとえば『祝詞』の「六月の晦日の大祓」にでてくる〈天つ罪〉にあたっている。すなわち「畔放ち、溝埋み、頻蒔き、串刺し、生け剥ぎ、逆剥ぎ、屎戸」等々の〈罪〉にあたっている。
これらの〈罪〉にたいしてスサノオに課せられる〈罰〉は、物件の弁償、からの追放、鬚や手足の爪を切る刑である。この刑は、南アジアの未開の社会(たとえば台湾の原住族)などで慣行となっているものとおなじで、かくべつの問題はないと考えられる。
(同上 P426-P428) スサノオが犯した罪に対する〈清祓〉には、髪を切ることは載っていないが、身体の一部を切り取る意味で同類のものと見なせるだろう。血縁的な社会集団から国家の下の社会へと変位していくとともに、〈清祓〉は〈法〉的な共同規範(法律)へと移行していくことが述べられている。そして、「ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を負わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。」と血縁的な社会集団の中の未開的な〈清祓〉の慣習(A)と国家の下の社会の中の法と処罰(B)との違いが語られている。
現在のわたしたちが、急に丸刈り(坊主頭)してきた者に対して持つイメージは、(B)を模倣する意識とも考えらることができるが、むしろわたしたちの意識の古層に保存されている、まだ法が関わらない(A)の問題から来ているような感じがする。この写真の場合、吉本ばななの証言を踏まえると、夫婦げんかをして吉本さんに分が悪かったのか、吉本さんが奥さんからのけんかの収束提案を受け入れたということになる。吉本さんが丸刈りになって奥さんの鬱憤は祓い清められ収束に向かったということだろう。こうしたことは、どこの夫婦にも無縁ではない。
(註.1) 二枚の写真
1.文化科学高等研究院(E.H.E.S.C)出版局の出版本の紹介ページの
「山本哲士のページ」 3.吉本隆明さんとの交通『戦後55年を語る』
に掲載されている吉本さんの写真
http://ehescbook.com/yoshimoto/y_worldtext/y_world03.html
( 写真に付されているコメント)
「お父さん、なぜムショ帰りみたいな
母とけんかして、頭を丸めたら許すと言われたとき。ちなみに浮気ではありません」