[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.17
63
朝日受け向こう川沿いに
茶色の
建物が静かに立っている
64
わが妻はその建物に
今日の昼
叔父の四十九日に一人向かう
註.叔父は、わたしの母方の兄弟で、最後の一人。昨年末に亡くなった。
65
車が入ってくる
操る人の
表情が車の顔に出ている
66
ストッパーなく車たち
一つ一つ
デコボコおしりに並んでいる
註.六階のわたしの病室から地上前方の駐車場を見て。
67
前、枯草の川から飛び立ち
右、小山の先へ
飛んでゆく白い鳥四羽、遅れて一羽
68
病室(へや)の外にはまだ出れない
ので中を
歩き回っている(リハビリ兼ねて?)
69
こんなにも晴天なのに
ベランダに
出て日差しのシャワーを浴びれない
70
人はみな不可逆性の
時間道(みち)を
折れ曲がりしながら前進する
71
病室(へや)に居て晴天の日浴び
風に触れ
人気(ひとけ)ない川原道を心は歩む
72
人つながりの小社会
の磁場に
ぐいぐいぐいと人は病に倒る
73
123 323 546 332
人知れず
心足踏む謎のリズムがある
[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.16
53
ふと夜中に目覚めて
(人生はまぼろしのよう)
と耳に残る言葉を無言でつぶやいている
54
(銀河系の無限遠点からは
無数の明暗の
つぶつぶにしか見えない)が思い浮かぶ
55
そんなことを思っても、また
今日も
この足下から世界ははじまるさ
56
今日はくもり空でも
わたしの
心の空は静かな晴天
57
初期CD三巻を病室(へや)で
十数年ぶりに
聴く、やっぱりいいなタテタカコ
58
にぎやかな抽象の
すべすべでなく
心の肌合いにぴったり音が添う
註.タテタカコの『そら』『イキモノタチ』『敗者復活の歌』の三巻。よしもとばななつながりで聴き出した。 |
59
いくつもの検査を乗り越え
今日もまた
ほっと一息つく夕暮れ
60
家々の明かり点々と
向こうの
薄闇に浮かぶ午後七時頃
61
内から見たわけじゃないけど
夕食や
テレビ観てるか金曜の夜
62
心はつながりの糸に
ふと足引かれつつも
ひとり病室(へや)を歩き回っている
[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.15
43
見慣れた街の光景
雨に煙り
われと共に乗る列島の舟
44
偶然にいま・ここに・いる
と思うこともある
銀河系の舟の方から眺めれば
45
いま・ここの重力下
われらは
様々な自由度の視線の層を持つ
46
若い女(こ)らの笑い声が
聴こえてくる
どんな職場でも笑い声はいいね
47
ここから斜面の森を
下ってゆく
言葉の樹木が表情を変える
48
行き止まりは見えない
そこに立って
見渡せない、言葉の森は
49
小さい子カタカタを押しながら
揺ら揺ら
バブバブ言葉をなめ回している
50
「パリは燃えているか」聴くと
胸キュンと
涙が滲む、見知らぬ老女の不幸によろめくもまた
註.「パリは燃えているか」(加古隆)
51
新聞もテレビも見ない
いいさ
それくらい、ロクなもんじゃねえ!
註.ラジカセを病室に持ってきてもらった。
52
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』
一冊。
やっと よみはじめる
註.この本は、吉本さんつながりでずいぶん昔に知ったが、とても高価な手の出ない古本だったと記憶する。昨年に手頃な価格の文庫版で復刊された。太古について知るには興味深い三巻本の一冊。 |
子どもでもわかる世界論 Q&A
Q11 当事者と部外者、文学や映画作品を作る内側と外から鑑賞する者、一般化すると内からと外からとの見える風景の違いの問題は大切だと思います。どう考えますか。
A11
例えば、マスコミによって知る事故や事件でも、ほんとうに記事の通りなのかは疑わしいところがあります。一番わかりやすいのは、自分が新聞などのインタビューを受けそれが記事になったものを読んだときでしょう。インタビューの場面の出来事とずいぶん違ってすっきりまとめられているなと思うでしょう。新聞などの編集スタッフの目を通して「インタビュー」という出来事や事実が再構成されていますから、「インタビュー」そのものではなくなっています。事故や事件の報道でもテレビの番組でも編集者の目を通して切り取られまとめられたものになっていますから、「事故」や「事件」そのものではないと思われます。こういう内と外とのずれや食い違いを自覚することは大切なことだと思います。
次に挙げるのは、映画作品を作る映画監督の内側からの視線や感じ方です。なかなかこういう内からの生の言葉に出会うことはありません。
押井(守) 伝統というか歴史的な蓄積って文化だからさ。ある種の歴史的な遺産を背負わずに成立する芸能なんてほとんどないから。わずか百年にせよ映画にもそういうのはあるわけで、現場にしか通用しない言い方、セリフとかね。ニュアンスの伝え方とかあるわけじゃん。違う人間が入ってくるとまったくわかんないんだけどさ。それが一番じつはそこで支えてるというかさ。実写の連中がやたらデカい声を出すというのはさ、あれも台湾へ日本のスタッフを連れてってやったときに向こうの人間はものすごく嫌がるんだよね。「デカい声を出すと怒られてる気がする」ってものすごい反発された。「ちゃんと聞こえてるよ。なぜ喧嘩売るんだ」とか言ってさ。「いや、そうじゃないんだよ。それが日本のやり方で、誰か『本番!』って言ったらみんな『本番!』『本番!』って」「なにが起こったかわからない」ってさ。もちろん外国もそういうのあるんだけどさ。あれは結構危険もあったりするから。場を緊張させる効果もあるんだけど、私も入った瞬間最初は違和感あったんだよ。アニメやってたから「なんでみんな同じことをデカい声で言うんだろう」ってさ。途中でわかったのは、たぶんこうだというのはね。やっぱり恥ずかしいんだよ。ごっこ遊びだから。いい歳こいた大人が白昼堂々ごっこ遊びをやって、それを撮影してるだけなんだよ。あれがないとね、ちょっと耐えがたい部分がある。まして甲冑着たり、バトルスーツ着たりとかさ、ようするに仮面ライダーの世界だからね(笑)。『紅い眼鏡』って作品で最初やったとき本当に恥ずかしかったから。黒い甲冑着せて、機関銃持ってさ。現場にあれが来たときギョッとしたもん。「あ、私ってこっちの世界に行っちゃうんだ」ってさ。とうとうオレもキワモノ監督になったという。ゴダールで頭がいっぱいだった男がさ。馴染んじゃったら楽しくてしょうがないんだけど、最初はあせったの。オレってキワモノ監督になっちゃうんだというさ。だけどそれをみんな喜々としてやっててさ、やっぱり一定の様式にはめちゃうんだよ。それをやらないと耐えられない。必要以上に厳しくする。私語なんかしてるやつに蹴りを入れるとかさ、そういうのはやっぱり「ごっこ遊びじゃないんだ。仕事なんだ。神聖な時間なんだ」というさ。
(『身体のリアル』P256-P257 押井守 最上和子 2017年10月)
映画でもダンスでも芸術は、日常のわたしたちの振る舞いとは別の次元にあります。芸術表現に練り上げていくには、上の引用のように日常性を携えた観客がシラケるようなこともやらなくてはなりません。テレビでコマーシャル制作の舞台裏の現場をちらっと観たことがありますが、ライトを当てたり送風機で風を送って髪や服をなびかせたり、その舞台裏とカッコいいコマーシャルとの落差には驚くものがあります。鎌倉期の代表的な歌人の藤原俊成は、寒い冬に桐の火桶(暖房器具)を抱きかかえながら苦吟したそうです。歌人の藤原俊成が、一種の純粋詩ともい言えるきらびやかな表現に上り詰めた背景には、そういう現実の具体的な姿があることをちゃんと勘定に入れておくことは誤解しないためには大切です。また、平安宮中の貴族の十二単なども、きらびやかなイメージで捉える人もいますが、風呂に入らないからその臭い消しのためにたくさん重ね着していたのだという見方もあります。いずれにしても、わたしたちは外からの見え方だけによって内のことや全体や捉えようとすることが大切だと思います。そのためには、上の引用のような内からの言葉に耳を傾けて、できるだけ内そのものを調べて知ったり、想像することが大事です。
このことは、同じ家族内の人間関係も含めて、自分(内)と他者(外)という人間関係において、他者理解においても同様に言うことができることだと考えます。
付け加えれば、小さい子供の頃は、大人の視線とは違ってテレビ番組の「仮面ライダー」とか、白けることなくその物語世界に没入してわくわくしながら観ているのだと思います。小さい子供には、内も外もなく上のような舞台裏を知るよしもありませんでした。わたしの場合は、テレビで『怪傑ハリマオ』というのをやっていた頃で、主人公ハリマオのターバンの代わりに風呂敷を頭に巻き、サングラスをかけてハリマオになりきって遊んだことがあります。小さい子供の世界では、棒きれも輝く剣になるのだと思います。つまり、上の引用のような大人の照れは、小さい子供の世界ではあんまりないように思います。
[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.14
23
静けさの夜から朝へ
人も部屋も
衣替えしてにぎやかにはじまる
註.歌人河野裕子を思いつつ。河野裕子は、病床でメモ紙以外のものにまで〈歌〉を書き続けたという。わたしはそこにどこかに述べていた作品を後世に残そうというモチーフではなく、言葉というものに長らく憑かれてきた者の、突き動かされるような熱情を感じるばかりである。 |
24
管などにつながれて
身動きの
狭い痛いくつろげない
25
明け方に電動ベッド
自分で立て
水一杯飲む、何という自由!
26
六階の病室の
ベットから
見る下界、よお晴れ上がっている
27
やりたいことやれないと
こんなにも
世界はザザザンざらついている
28
自主的なものや場を奪われ
てゆくゆくと
遥か太古の心意に近づくか
29
(おまえは何をしているのだ?)
別に
ただ大空に見入っているだけさ
30
(冷静に眺めれば)現在の医療や看護も
いくつかの
きつい峠を上ってきたのではあろう
31
トーフ屋さんみたいに声出してみる
(あーいうーえお)
ああ大丈夫とほっと息する
32
あそこに頭部分が
見える
遥か昔に通った中学校
註.夕方近く、窓から外を見ていて。
33
この世界のてつがくを早く
仕上げて
しまわなくっちゃとしみじみ思う
註.今継続中の『子どもでもわかる世界論』のこと。
34
廊下やどこかの部屋で
言葉たち
が飛んだり跳ねたりしている
35
なつかしい風のように
近くから
流れてきた「ひざぼんさん」
註.一人住まいのおばあちゃんが向こうの病室で自分の説明で出てきた言葉。
36
人はみな〈物自体〉に
還るまでは
〈物〉になる居心地の悪さに耐えゆく
37
面倒な先々のこと
思いわずらっても
仕方がないその時はその時さ
38
押し寄せるこの重力下
その今・ここ
を歌え、未知も未来もそこに眠る
39
ふだんのネット過多もいいさ
ゆらゆらと
どっかへたどり着くさ、でも今はラジカセ聴いている
40
ベッドに髪の毛散り散り
いつの間にか
羅臼人(らうすびと)からケウス人になったか我は
41
一人住まいのおばあちゃん
病に
足もと掬(すく)われスッテンコロリン
註.廊下を隔てた向こうの病室から声が聞こえる。
42
不穏不安と煙立つ
山梅村
明日は知らぬが今宵は静かに眠れ
[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.13
8
ああ、これは立ち上がる前の
赤ちゃんの
浸かっている世界では?
9
まわりの音が溶けて
響き
時々近く遠く声もする
註.外も見えないICUにて。
10
大空を飛ぶおばあさん
ホウキ短く
大丈夫かなと見入っている
註.閉ざされた外も見えないICUから外が見える病室に移って。
11
しばらくすると三つ四つの
漂う雲、
日本列島へトランスフォーメーション
12
心臓くんよろしく頼むよ
ぼくはまだ
この世に未練がアルトリア
13
自分が二人になったり
一人に戻ったり
結婚するのもいいと思うな
註.外から聞こえる看護師の若い女(こ)たちの明るい声につぶやく。
14
偶然にオメガ星に
一人残される
ことになっちまっても、まあ、仕方ないか
15
大空に雲が溶けだした
ような
晴れ日の夕方近く
16
治療・看護・食事。たくさんの手が
表に裏に
しっかりした仕事が内からわたしを支えている
註.質素だがあったかくておいしい病院食を食べながら。
17
今時にしてはおいしい
みかん一つ
食べた、帰ったらデコポン食べたいな
18
濁り澄みはあっても内からの
そのせせらぎを
聴けとふと亡き詩人宮城賢が浮かぶ
19
他者を思いみる者は
その沈黙に
耐え湛(たた)えた水量を思へ
20
一人山に薪(たきぎ)取りに
入り込み
帰り道がわからない夕暮れの、おお迷子!
21
きみは全ゆることを
言葉に
白状させようとするヤクザに似てる
22
兄が死に母も父も死に
姉も死に
まだわたしと弟とがこの岸辺にいる
[短歌味体 Ⅲ] 入院詩シリーズ・2.12
1
救急車着いて搬送
病院着へ
強力に変えられていく
2
テキパキとおちんちんにも
カテーテル
入れられてズキンとモノになっていく気分
3
わかってはいるさそのリズムの中に
現在の
命の道が苦しげに続く
4
いくつかの計器につながれて
おだやかな
天気の砂地をゆったり歩む
5
深く静かな呼吸が
こんなにも
と夢うつつの森の中にいる
6
ひも付きのアリか我は
三日も
不自由なベッドに身じろぎする
7
触れてはいけない所に
触れられて
(うっ)してはならない反応の手前に
お知らせ
―読者のみなさんへ
あまり風邪ひかないわたしですが、風邪かな?それにしては胸の芯が痛む、今年のインフルエンザかなと思っていたら、なかなか治りそうにもなく一週間後くらいの2月11日の早朝、目覚めたら立っていられないほど息苦しくなりました。近くのかかりつけのお医者さんが連休のため旅行に出ていて不在だったのが逆に良かったのかもしれません。直ちに救急車ー病院へとスムーズに搬送され、手術・処置してもらえました。「急性心筋梗塞」でした。振り返れば、今までに、ちょっとしたことで息切れがしたり、時にはわけもなく胸の芯がもたれるようなこともありました。つまり、心筋梗塞の兆候はあったようです。
計器やカテーテルなどにつながれたベッド上から、つまりまだ立てない赤ちゃんのような狭い一次元の世界から、徐々に解除されて病室外に出歩くことができるようになりました。なんとかまた、人間界に生還・復帰できそうです。
うまくいけば、あとしばらくで退院できるかもしれません。退院しても薬を飲み続けることやいろんな制限がありそうですが、今はそれを気にしても仕方ありません。
退院したら、また表現を再開します。よろしく。
(病院の図書室より 2018.2.19)
病院の案内パンフレットによると、病院内に図書室があり、そこにネットにつながるパソコンがあるということだったので行ってみたら、「医療検索」以外の個人的なメールをするなどはだめですということでした。そこで、そのとき発信しようとした上の文章を生かして、書き継ぎます。
今日、2月23日に退院しました。自分の家に帰ってきました。ねこ二匹もいつものようにこの時間窓際の段ボール箱に隣同士に入って寝ています。わたしもいつもの生活に少し新しい形で着地していかなければな、と思っています。表現も再開します。また、よろしくお願いします。
(2018.2.23)
[短歌味体 Ⅲ] とっても低い視線シリーズ・続
2355
拾い上げる砂一粒〈あ〉
もう一粒〈い〉
砂場には言葉が眠っている
2356
つぶつぶぶつぶつぶつぶつ
砂粒を
選び並べるきみの手に日差している