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小さい子のための世界論

2019年02月12日 | 小さい子のための世界論

 小さい子のための世界論

 

 

  ★はじめに

 人は経験してみないとほんとうは実感としてわからないということがあります。一方で、まだ経験できないけど、そのことを人の話や書物、現在ではより現実に近いVR(バーチャル・リアリティ)などを通して疑似体験したり学んだりすることができます。心に深く残る言葉であれば、将来自分が実際に経験したときその言葉やイメージを新鮮なものとして思い出すかもしれません。この世界論は、小学校高学年以降を読者として想定しています。



 ★人間は、生まれてずいぶん経ってから自分ということに気づきます。

 植物も動物も人間のような「自分」というものを持っていないように見えます。ここで、「人間のような自分」とは、過去にあった出来事を振り返って考えたり、今目の前にいない人のことを考えたり、まだやって来ていない未来について想像したりする、一人一人の自分が持っている人間的な力のことを指しています。この人間的な力は、過去にあったつらいことを思い出させることもありますし、また、楽しかったことや楽しい未来のことを想像させることもあります。



 ★過去に起こったことを思い出したり、今目の前にないことやいない人のことを思い浮かべたり、未来のことを想像したりすることは、物心ついた子どもから老人まで共通しています。

 まず、人間は好みやものの考え方などひとりひとり違う、あるいはその人が生活している地域や国によってもそれは違うということがありますが、そこからすべての人間に共通するものや世代に共通するものなどを選び出すことができます。わたしたち人間には、子どもでも老人でも過去に起こったことを思い出したり未来のことを想像したりするという共通性があります。しかし一方、それぞれの世代でその心の内側は違うということもあります。

 物心ついてから思春期以前の子どもであれば、学校や家族のなかで特にいやなことがなければ、毎日の生活を割と自然に埋もれるように生活しています。つまり、毎日毎日自分が生きていることに特に疑問とか持つことなく遊びやスポーツなどに熱中したりして割と自然に過ごしています。
 次に、思春期の青少年になると、特に他人を意識するようになったり、人間関係や勉強に悩んだりして、どうして自分はこの世界に生きているのだろうなどと、抽象的で漠然としてはいますが生や死についてふと考えることもあります。
 次の大人の成人から壮年期には、特に人間関係のいろんなトラブルや悩みも起こってきますが、毎日の仕事や生活に追われて、あわただしくはありますがちょうど子ども時代のように毎日の中に埋もれるように生活していきます。
 そして子どもも独り立ちして自分の仕事も退職した老年期に入ると、身体の衰えや寿命を意識したりして再び死が今度は具象的なイメージで身近なものとして日々の思いなどに入り込んできます。

 このように、人の性格と呼ばれているものはそんなに変わっていきませんが、人は生涯の各時期によってその心の中は姿形を変えていきます。決して一定した姿形ではありません。



 ★人はいやなことや悩みがあっても、こうあったら良いなどと理想の状態を想像したりイメージしたりします。

 人はいやなことや悩みなどがなくても、毎日の生活のなかで何かを見たり心が何かの方を向いたりすれば、あるイメージを描いたり何かを思ったり考えたりします。特に、いやなことや悩みがある場合は、よりまじめに深刻に考えてしまいます。そして、人と人との関係で、自分はそうしたいのになあとか、他人はこうあったらいいなとか理想の状態について思い巡らせたりします。

 こうしたとき、なかなかそんな気持の余裕はないかもしれませんが、現在のよその地域に住む人々はどう考えているのだろうとか、過去の人々はどう考えていたのだろうとか、疑問を持ってそれらの人々の語ることや書いたものに出会ってみることも役立つと思います。



 ★人は自分の身近な家族や友人でなくても、人が苦しんでいる姿を見て平気でいることはむずかしいものです。その一方でそれとは矛盾するようですが、自分の嫌いな人や自分の利益にならない人に対しては、その不幸を願ったりすることもありえます。

 わたしたちの毎日の生活は、子どもであれば自分の家と学校や友達の家、大人であれば自分の家と職場などの小さな世界の行き来が中心です。わたしたちが、ものを考えたり感じたりする場合、人間関係に悩み近場をぐるぐる行ったり来たりということもありますが、遠くまで、あるいは遠い過去や遙か未来まで行き来することもあります。そうして、遠くで人が苦しんでいたり、過去で人が苦しんでいたりしたことを知って心痛まない人はあんまりいないでしょう。また、このことは、人ばかりでなく犬やネコに対してもそうです。実際に目にしたり、テレビや新聞などで人や動物の不幸を知って心揺さぶられない人はあんまりいないのではないでしょうか。中国の古代には、人間の根っこ(人が生まれながらにもっているもの、人の本性)は善であるという考え方の性善説と人間の根っこは悪であるという考え方の性悪説がありました。この対立する人間の本性の捉え方は、その人が考えるそれぞれの望ましい社会や人間関係のあり方への考えに関係していきます。

 ちなみに、わたしは、人間は性善説と性悪説が捉えた見方の両方を人間は誰でも併せ持っていて、ある場面での行動についてある程度はその人自身のコントロールが可能でも、周りとの人間関係や生活環境に大きく左右されて悪い芽が出てしまうということがあるように思います。

 そのように、人間をどう捉えるかがその後の社会についての考え方につながっていきますから、わたしたち人間の本当の姿をできるだけ正しく捉えることは大事なことです。
 わたしたちは、まだまだ自分自身のことをよくわかっていません。もし、十分にみんなが自分自身こと、すなわち人間というものをわかったら、それを基にした知恵によって太古以来絶えることのない戦争やいじめというものは次第になくなっていくだろうと思います。それは長い長い道のりでしょうが、人間が自分自身を知ることが、人間社会内で起こる諸問題や他の地域や国との間で起こる諸問題の解決に役立つだろうと思います。
 だから、いろんな分野で人間の研究は続いています。例えば、人間が個人としてや社会性として遙か太古から持ち続けている性格や習慣などがどこから来たかを探るために長年ゴリラの研究をしている山極寿一という人もいます。



 ★人は困難が起これば解決したり、乗り越えようとしたりします。その一方で、嫌なことやつらいことから逃れようとする心もあります。

 人は困難に直面するとがんばって乗り越えようとする性質も持っていますが、一方で嫌なことが重なるとそこから逃れたり気晴らしを求めようとすることもあります。また、自力では解決できずどうしても逃れられずに心や体の病気になってしまうこともあります。この一見+と-に見える人間の性質は、誰の中にあるものだと思います。「人間とは、困難に直面するとがんばって乗り越えようとするものだ」とか片方だけで人間を捉える見方は、どこか間違ったものになるように思います。わたしたち人間の持つ二つの性質をきちんと頭の隅に入れておくことは大切なことです。
 社会の中の小社会で、イジメに遭ったりとてもつらいことがあったら、自分よりもっときつい人がいるんだからとか死ぬことに比べたらかすり傷だからとか言って慰めたりがんばれと励ましたりしてくれる人がいますが、それで自分が納得して自分を立て直すことができるならいいですが、ちょっとそれは違うような気がします。もし、その小社会でどうしてももうムリとなったら、逃げ出して別の小社会に入り直せば良いと思います。しかし、悪い意味の似たような人や場面はどこにでもありますから、人はどん詰まりに至るどこかで自分を相手に主張して困難に立ち向かわなくてはならない場面があるように思います。



 ★人も社会もあんまり変化しない部分と少しずつ変化して形や顔を変えていく部分とがあります。

 人も生涯の中で身体的にも精神的にも少しずつ変化していきます。また、現在のわたしたちとずっと昔の人々では、自然の花や木々に対する感じ方は同じようなものかもしれませんが、ものの考え方などは変化しています。そうして、社会や文明も時代とともに変化してきています。

 明治時代以前は、文明の発展は平らな川の流れのようなゆるやかな変化でしたが、――それでも人類太古の少しの道具しかない洞窟生活のようなものから見れば、大発展に見えるでしょう――明治時代以降の近代社会では滝を上るような急激な文明の発展をしてきました。今後は、そうしたものを土台としてさらに急速な発展をしていくと思われます。

 ところで、明治・大正・昭和という時代を生きた柳田国男という民俗学者が、現在のような電気やガスのなかった時代の人々の生活のなかで煮炊きや照明のための火がどのように工夫されていたかを研究した「火の昔」という優れた本があります。電灯は、明治時代にはじまり広まっていきましたが、それ以前は火の管理が大変だったようです。したがって、スイッチを入れるだけで灯り(火)の番をしなくてもいい電灯は、当時の人々にとってどれほど感動的なことだったことだろうと思われます。しかし、現在の蛍光灯のような明るい照明とは違って、室内の電灯は裸電球と呼ばれるもので、その周囲は少し薄暗かったはずです。その裸電球は、時間が経つと触れないくらい熱くなっています。

 以下に、柳田国男が「火の昔」で火の「時代の変化、世の中の移り替り」を述べているところを紹介します。この具体例によって社会の変化の仕方を考えてみたいと思います。


 そこで皆さんとともに考えてみたいのは時代の変化、世の中の移り替りというものにも二通り、ある一つの時を限りにはっと改まってしまうもの(注.1)と、いつを境ということもなしに、誰も気づかぬうちにそろそろと、古いものが新しくなるのとがあって、どちらかと言えば第二の方が多いということであります。少なくとも我々のあかりなどはこの方でありました。たとえば都会には電燈より他のものは知らず、元は行燈(あんどん)でありまたは蝋燭(ろうそく)であったことくらいを、やっと知っている人が多いのに、今でも東北地方の振わない田舎に行くと、まだ石油ランプの恩恵すらも知らずに、あぶら松の割裂きを焚いている家も少しはあるのです。そうかと思うと一方には、昼間でも電気をつけてその下で働く人もあり、さらにその中間の石油燈や種油の行燈をもって、ただ一つの夜のあかりとしている家々が、捜せばまだ少しは国の内にあるのであります。しかもだんだんと昔へ遡(さかのぼ)って行けば、今日は電燈の明るい光の下に夜を送る家でも、もとは一度はランプに石油をともし、行燈の燈芯のくらい火をたよりにしていた時代があり、なお今一段と昔の世になると、どんな身分の高い方々でも、松のあかりで辛抱なされた時代があるのであります。
 (「火の昔」P247-P248『柳田國男全集23』ちくま文庫)



 そこで改めて日本人の火の利用、冬のうちいかなる方式で身を温めているかという問題を、地図によって答えることになると、近頃(注.「火の昔」の「自序」の末尾に「昭和18年初冬」とありますから、その頃を指しているでしょう)はよほどまた色分けがちがって来ているのであります。瓦斯(ガス)や電気や蒸気のパイプ、または石炭・石油を西洋炉に焚(た)くことは人がよく知っていますが、地図の上に書き込むとほんの小さな点々であります。火鉢しか使わぬものが全面積の約半分、炬燵(こたつ)も炭火しか用いませんからこの仲間に加えるとしましても、まだおそらく日本の三分の二にはなりますまい。残りの三分の一以上は、今でもまだ開いた囲炉裏(いろり)で、どっさりか少しか、必ず木を燃やしているのであります。その真中に鉄輪またはカナオ・カナゴという鉄器を置いて、自在鉤(じざいかぎ)をやめてしまったものが現在はもうよほど多く、また年々多くなって行くのではないかと思います。その残りの炉の鈎というものが今言ったように、いろいろの種類の自在とまだ自在でないものとに分かれており、または上と下との二つの鈎を綱で繋(つな)いで、上げ下げ取りはずしのできるものと、ただ一本の長い木の端の鈎に、鍋鉉(なべづる)を引っ掛けているものとがあるのであります。これを並べてみるとわが国の火焚き場の、だんだん変化して来た順序はざっとわかります。そうして東京都の中のように、わずか一日であるけるほどの区域内でも、このすべての段階のすべての標本を、集めてみることも今日はまだできるのであります。
 (「火の昔」P314-P315『柳田國男全集23』ちくま文庫)



 最初の引用では、地方と都会など地域によって火の利用の形が違うこと、また時代をさかのぼるとどんどん火の形が違ってくることが述べられています。
 ふたつ目の引用は、東京という都会の中の一部の地域を調べてみたら囲炉裏の火の利用の形のいろんな小さな変化の段階のものを収集できると述べています。つまり、ものごとは一気に新しく変化してしまうものではないことがわかります。新旧混じり合いながら、だんだんと新しく入れ替わっていくのでしょう。このような事情は、現在の例えば旧来のケイタイと新しく普及したスマホとの関係や分布でも同様でしょう。

 以下に、部屋の照明として電灯が普及し始めた明治時代頃を背景とした電灯の描写を夏目漱石の小説から少し抜き出してみます。わたしたち読者は、そのような描写はふだんはさらりと読み飛ばすかもしれませんが、その時代に書かれたものには物語作品に限らず作者が呼吸しているその時代が無意識的にも文章の端々に反映しています。

 外は「暴風雨(あらし)」の場面です。電灯が登場するだけではなく、当時は家の中で食事の煮炊きなどのために火を使っていましたからその煙で「煤(すす)けた天井」があったり、嵐で停電になったり、下女がいたりと、現在とは事情がちがうことがいろいろ読み取れそうです。ちなみにわたしの記憶では、今から50年くらい前は、台風シーズンになると毎年1回は停電していました。また、雨漏りもあったと記憶しています。


 下女が心得て立って行ったかと思うと、宅中(うちじゅう)の電灯がぱたりと消えた。黒い柱と煤(すす)けた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂(あによめ)を嗅(か)げば嗅がれるような気がした。
 (『行人』「兄 三十五」夏目漱石 青空文庫)


 飯の出る前に、何の拍子か、先に暗くなった電灯がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びの鬨(とき)の声を挙げたものがあった。暴風雨(しけ)で魚がないと下女が言訳を云ったにかかわらず、われわれの膳(ぜん)の上は明かであった。
「まるで生返ったようね」と嫂が云った。
 すると電灯がまたぱっと消えた。自分は急に箸(はし)を消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。 「おやおや」
 下女は大きな声をして朋輩(ほうばい)の名を呼びながら灯火(あかり)を求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、いつの間にか薄く化粧を施したという艶(なまめ)かしい事実を見て取った。電灯の消えた今、その顔だけが真闇(まっくら)なうちにもとの通り残っているような気がしてならなかった。
「姉さんいつ御粧(おつくり)したんです」
「あら厭(いや)だ真闇になってから、そんな事を云いだして。あなたいつ見たの」
 下女は暗闇で笑い出した。そうして自分の眼ざとい事を賞(ほ)めた。
 (『行人』「兄 三十六」 夏目漱石 青空文庫)


「僕もあの風の音が耳についてどうする事もできない。電灯の消えたのは、何でもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」
「そうよ、そんな事を先刻(さっき)下女が云ったわね」
 (『行人』「兄 三十七」 夏目漱石 青空文庫)



 (注.1)
 明治時代、福岡の遠賀川では筑豊地域から採れる石炭を川舟に積んで北九州へ運んでいました。その川舟は帆船で上り下りに苦労したようです。東北でも内陸と海岸地方の物資などの交通は主に川舟でした。しかし、明治二十年前後に鉄道が開通すると、いずれの場合も川舟はぱたりと終わってしまいました。これが、そのような「世の中の移り替り」の例に当たります。次のように描写されています。

 鉄道が遠賀川流域にひろがったとき、川筋の舟子たちは急速に姿を消した。それは「宵越しの金をもたぬ」ことを誇りにしていたものにいかにもふさわしい迅速な没落で、近代産業にまきこまれてうめき苦しむ暇さえなかった。彼らは何かにふり落とされたように、いつか畑へ上り、炭坑へおりていった。そして気ままに水流にのさばっていた時代のことを、ぽっかりと思いだすのであった。
 (『日本残酷物語 4 ―保障なき社会』P151-P152 平凡社ライブラリー)




 ★自分の心のもっとも深い所に、自分や他人の幸福のイメージを据(す)えることが大切だと思います。

 このように、人も社会も時とともに少しずつ姿形を変えながら移り変わっていきます。わたしたちは、気づいた時には偶然のようにこの人間世界に生きていました。人間関係に疲れたり、嫌なことが重なると、なぜ人はいきているのだろうなど疑問が湧いてくることがあります。しかし、人はなぜ生きているのか、は太古以来の難しい問いです。つらい時も悲しい時もあるでしょうが、他人に出会ったらやさしいあいさつを交わし合い、この世界の日々をできるだけ楽しみながら生きて旅することが、その難しい問いへの答えなのかもしれません。つまり、旅を重ねていけば少しはわかってくるのかもしれません。



 ★終わりに

 わたしの世界論を書いてみました。あなたたちひとりひとりが、この世界を呼吸し味わいながら歩いて、自分なりの世界論を行動自体や言葉で築いていって欲しいと願っています。

 

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  ひとこと


 前回の『子どもでもわかる世界論』を終えて、ここまでやって来ました。
やっとこれで一区切り付いた感じがしています。いろいろ不十分さがある
のは実感していますが、とりあえずこれで終わりにします。
 『子どもでもわかる世界論 Q&A』は、まだ続きます。
               2019.2.12

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