回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

短歌味体 Ⅲ 1305-1307 起動シリーズ

2016年10月31日 | 短歌味体Ⅲ-2

[短歌味体 Ⅲ] 起動シリーズ
 
 
1305
昨日まで動いていたのに
起動しない
機動戦士ガンダムを揺する

 
 
1306
子どもらの宝箱にも
曇り差し
起動せんしガンダムがいる

 
 
1307
遊びには加わることなく
しいーんと
きどうせんしガンダム静か


短歌味体Ⅲ 1202-1300 (作品集)

2016年10月28日 | 作品集
短歌味体 Ⅲ      日付
短歌味体Ⅲ 1202-1203 固有値シリーズ・続 2016年09月17日
短歌味体Ⅲ 1204-1205 あっシリーズ 2016年09月18日
短歌味体Ⅲ 1206-1207 おおシリーズ 2016年09月19日
短歌味体Ⅲ 1208-1209 うっシリーズ 2016年09月20日
短歌味体Ⅲ 1210-1211 あっシリーズ・続 2016年09月21日
短歌味体Ⅲ 1212-1214 うっシリーズ・続  2016年09月22日
短歌味体Ⅲ 1215-1216 おおリーズ・続 2016年09月23日
短歌味体Ⅲ 1217-1218 だからあシリーズ  2016年09月24日
短歌味体Ⅲ 1219-1220 人と人シリーズ・続 2016年09月24日
短歌味体Ⅲ 1221-1222 えっシリーズ  2016年09月25日 
短歌味体Ⅲ 1223-1225 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ 2016年09月26日
短歌味体Ⅲ 1226-1228 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続  2016年09月27日
短歌味体Ⅲ 1229-1230 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続   2016年09月28日
短歌味体Ⅲ 1231-1233 そうだねシリーズ 2016年09月29日
短歌味体Ⅲ 1234-1235 沈黙シリーズ 2016年09月30日
短歌味体Ⅲ 1236-1238 沈黙シリーズ・続 2016年10月01日
短歌味体Ⅲ 1239-1240 沈黙シリーズ・続 2016年10月02日
短歌味体Ⅲ 1241-1242 沈黙シリーズ・続 2016年10月03日
短歌味体Ⅲ 1243-1245 沈黙シリーズ・続 2016年10月04日
短歌味体Ⅲ 1246-1247 世界との出会いシリーズ 2016年10月05日
短歌味体Ⅲ 1248-1249 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月06日
短歌味体Ⅲ 1250-1251 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月07日
短歌味体Ⅲ 1252-1254 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月08日
短歌味体Ⅲ 1255-1257 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月09日
短歌味体Ⅲ 1258-1259 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月10日
短歌味体Ⅲ 1260-1261 書くときはシリーズ 2016年10月11日
短歌味体Ⅲ 1262-1263 書くときはシリーズ・続  2016年10月12日
短歌味体Ⅲ 1264-1266 世界との出会いシリーズ・続 2016年10月13日
短歌味体Ⅲ 1267-1268 世界との出会いシリーズ・続  2016年10月14日
短歌味体Ⅲ 1269-1270 書くときはシリーズ・続   2016年10月15日 
短歌味体Ⅲ 1271-1272 世界との出会いシリーズ・続   2016年10月16日
短歌味体Ⅲ 1273-1275 農事シリーズ・続    2016年10月17日
短歌味体Ⅲ 1276-1277 ああいいねシリーズ 2016年10月18日 
短歌味体Ⅲ 1278-1279 ああいいねシリーズ・続 2016年10月19日
短歌味体Ⅲ 1280-1281 内と外シリーズ・続 2016年10月20日
短歌味体Ⅲ 1282-1283 ああいいねシリーズ・続 2016年10月21日
短歌味体Ⅲ 1284-1285 内と外シリーズ・続 2016年10月22日
短歌味体Ⅲ 1286-1287 内と外シリーズ・続 2016年10月23日
短歌味体Ⅲ 1288-1289 接続論シリーズ・続   2016年10月24日
短歌味体Ⅲ 1290-1292 つづけるシリーズ 2016年10月25日
短歌味体Ⅲ 1293-1295 つづけるシリーズ・続  2016年10月26日
短歌味体Ⅲ 1296-1297 つづけるシリーズ・続  2016年10月27日
短歌味体Ⅲ 1298-1300 つづけるシリーズ・続 2016年10月28日 
   












   [短歌味体Ⅲ] 固有値シリーズ・続


1202
ふと気づく いつもの風が
匂い立つ
丘陵地に立っている


1203
はじまりはわからない でも
ごはんは
左に置いて食事をしてる




   [短歌味体Ⅲ] あっシリーズ


1204
あっ なぜか急止して
言葉の橋が
がらがらと落下しゆく見える


1205
あっ 飛び石踏んだら
ぐらりと
水の匂うすろうもうしょん




   [短歌味体Ⅲ] おおシリーズ


1206
おお できるように
なったんだね
川の水ゆったり流れている


1207
おお こんなにおいしい
ものがある
なんてbeyond description!




   [短歌味体Ⅲ] うっシリーズ


1208
口に入り うっ うううう と
ズンズズン
見る間に肌合いをよじる


1209
うっ ううう うーむ
重たく
沈み閉じていく うっううう




   [短歌味体Ⅲ] あっシリーズ・続


1210
あっ から あーああ の時間
の谷間に
無縁なように主流が流れている


1211
あっ 戻れない時間
悔恨の
深い色合いに染まり流れる




   [短歌味体Ⅲ] うっシリーズ・続


1212
うっ 空洞の圧
高まり
丘陵のみどりどんより


1213
つまずく前の 寄せて来る大気
に触れる うっ
一瞬にみどり変色する


1214
うっ どこかのルートを
うーうーうー
サイレン鳴らし走る気配




   [短歌味体Ⅲ] おおリーズ・続


1215
おお 感じた時
奥深い
丘陵地緑風にふくらむ


1216
おお おお おお と前に突き進み
押しのけて
殺殺殺殺と過ぎゆく者がいる




   [短歌味体Ⅲ] だからあシリーズ


1217
川を下るいつもの流れ
ふいと混じる
濁り具合に自然と声の出る


1218
だからあ と放つ流線
過去の
くり返された場面に畳み込まれる




   [短歌味体Ⅲ] 人と人シリーズ・続


1219
場に合っておもい黙す
から一歩
出ようとすれば有り合わせで狼煙を上げる


1220
ひととひと余所行き着てても
「いい天気ですね」
と自然に流れ出せればいいな




   [短歌味体Ⅲ] えっシリーズ


1221
通りの角曲がろうと
瞬間
引き戻される引力に えっ


1222
ええ ええ ええ ええ えっ
平坦な
道をゆったり歩く突然の雨




   [短歌味体Ⅲ] 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ


1223
柳田の明らかにしたように
同じ雨
でもそれぞれの地差異を奏でる


1224
目に写る一つ列島でも
季節は
スペクトル帯を震わせ移る


1225
狂い咲きの暑い夏も
終わり 秋
つかの間の穏やかさに浸かる




   [短歌味体Ⅲ] 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続


1226
若い頃はたくさん誤解してた
たまねぎを
ただ刻むばかりに見えていた


1227
内にいても年とらないと
見えてこない
内の内なる風景の流るる


1228
大口や饒舌の峠下り
触れて来る
小さなことが言い様もなく




   [短歌味体Ⅲ] 列島の西の端から東の端へ・便りシリーズ・続


1229
顔は知らなくても
言葉の
生み出す流れや屈折があり


1230
盲目の人のように
流れに浸かり
像の手前の〈像〉の匂う




   [短歌味体Ⅲ] そうだねシリーズ


1231
絡み合いこんがらがった
糸糸糸
閉ざされた夢に薄明かりの差す


1232
ずんずんと絡まるばかり
の森の中
「そうだね」をなぎ倒し突き進む


1233
ふいとつぶやく「そうだね」
冷氷に
日が差して水ぬるみゆく朝




   [短歌味体Ⅲ] 沈黙シリーズ


1234
言葉の駅の手前で
引き返した
夜風は寒く孤星たちはまたたく


1235
何にも言うこともなく
星たちは
昼夜またたく〈・・・・・・・〉




   [短歌味体Ⅲ] 沈黙シリーズ・続


1236
沈黙の内にあっても
飛び立たない
言葉たちがにぎやかだ


1237
沈黙は否定肯定越えて
峠下り
そのままそこに溶けいることがある


1238
沈黙が人間界を
超えゆけば
木の葉が深々と落ちている




   [短歌味体Ⅲ] 沈黙シリーズ・続


1239
黙々と何かしてる時
からだは
静かの海に到達している


1240
沈黙の純度が上がる
ということは
死の漸近線(ぜんきんせん)に引き寄せらるる




   [短歌味体Ⅲ] 沈黙シリーズ・続


1241
人の話を聞いている
二方向に
引かれ二重化している沈黙


1242 
身を退いてひとり静かに
凪いでいる
水面に映る色付く木の葉




   [短歌味体Ⅲ] 沈黙シリーズ・続


1243
ぽつぽつ滴とともに
沈黙の
時間遙かに下っていく


1244
言葉は溶けて消失し
にぎやかな
魚語のこだまする海中にいる


1245
言葉がありありと見える
金縛り
ただ魚のように肌震わす




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ


1246
気づいたら渦中にいて
この世界
上流下流あり流れている


1247
おそらくは気づくこともなく
ふうっと
この世界から消えていくのだろう




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1248
ひと滴落ちてしまった
波紋 それだけで
広がり滲みて世界の色深まる


1249
不在でもぽっかり空いた
空席に
その人の匂いつなぎ止められている




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1250
何気なくころがしたボール
追いすがるも
離破離破鈍曇(リハリハドンドン)ころがりゆく


1251
すれちがうつもりなくても
すれちがい
平行線の撓(たわ)み反れゆく




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1252
しっかりと用意周到に
綱張り
巡らせても世界は複雑系か


1253
リュックしょい準備万端に
歩み出す
特異点に落ち込んだ朝の


1254
いちにいさんと数えていく
数は合っても
不在の人がいる匂いする




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1255
今が全てに見えるけど
誕生日
もありつながる葬式にも出る


1256
「おはよう」に「おはよう」と返す
何気ない
朝に静かに世界は下りている


1257
〈おはよう〉と無言の内に
つぶやくは
誰ともなく世界へのあいさつ




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1258
行動や言葉だけが
波風を
立てるわけじゃ ない


1259
静かに黙っていても
空間は
ゆがみ伝わる重力場




   [短歌味体Ⅲ] 書くときはシリーズ


1260
書く時は無心になって
砂場する
子どもの手の 探査もしている


1261
書く時はひとりのたましいの
在所を
思い浮かべて信号している 時がある




   [短歌味体Ⅲ] 書くときはシリーズ・続


1262
これがね、今発掘した
ばかりの小石
積み上げてみなよと自分に言う


1263
さてと言葉に向かう時
馴染みない
いろんな人も立ち現れる




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1264
見た一瞬の〈あっ〉や〈(あ)〉には
ひとりひとり
の年輪が放つ光の川流る


1265
人ならば見られても
見られてなくても
どこかで余所行きになっている


1266
岬近く無心のからだは
闇を背に
光る小川に浸(つ)かっている




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1267
赤ちゃんの〈あうあう あう〉
もうみんな
忘れてしまったけど 流れる深層水


1268
明示する言葉がなくても
居るだけで
言葉のような 場所がある




   [短歌味体Ⅲ] 書くときはシリーズ・続


1269
イメージの破片、破片の
懸垂し
言葉の流れに浮上する


1270
イメージ群ぽっと点(とも)る時
あったかい
流線描いて言葉の舟へ




   [短歌味体Ⅲ] 世界との出会いシリーズ・続


1271
言葉かけられ「かまいませんよ」
と返す時
水濁り出し泡立つことがある


1272
「かまいません」と返す時
海は凪ぎ
玄関から部屋に静かに戻る




   [短歌味体Ⅲ] 農事シリーズ・続


1273
農に出て土に鍬(くわ)打ち
打ち打ちて
帰り着き心地よい疲労の


1274
疲労の曲線は
定常値
以下に心もからだも沈む


1275
生活のドーム内に浸かり
心からだ
溶けて別世界へ羽ばたかない




   [短歌味体Ⅲ] ああいいねシリーズ


1276
アリさんがぶつかっちゃったね
(ああいいね)
やさしい風も吹いてるね


1277
そうやってそこの峠を
越えて来た
んだね 冷たい風に煽られながら




   [短歌味体Ⅲ] ああいいねシリーズ・続


1278
ああいいね そんな風に
できるんだ
折り紙の鳥の今飛び立つ


1279
七曲がりキリキリねじれ
澱むばかり
の空気にふいと風穴の開く




   [短歌味体Ⅲ] 内と外シリーズ・続


1280
(しょうがない)と思っていても
懸垂し
大きな声で「悪だ」と叫ぶことがある


1281
内から外へ同じ線路
でも幅も
景色も違い軋(きし)みを上げる




   [短歌味体Ⅲ] ああいいねシリーズ・続


1282
このシャツ着心地がいい
なんか
うまくいくような 肌合いの予感


1283
あっ 葉っぱに 水玉が
ころころん
水しぶき上がる イメージ走行




   [短歌味体Ⅲ] 内と外シリーズ・続


1284
√(るーと)の内外同じ
演算でも
内外間の直通はない


1285
個のルートと多のルート
メビウスの輪
ねじりよじり夢うつつに抜ける




   [短歌味体Ⅲ] 内と外シリーズ・続


1286
さくら散る 鎧(よろい)の内を
はらはらと
落ちてゆき身は湿りゆく


1287
静かに佇んでいても
ずんずんと
重り重なりつま先立つ




   [短歌味体Ⅲ] 接続論シリーズ・続


1288
くねくねくね山道上り
心待ちに
ぱっと開けた湾に日の差す


1289
(うっうっう)言ってやろうー
言ってやるー
お父さんに言ってやろうー




   [短歌味体Ⅲ] つづけるシリーズ


1290
よーいドンみたいに始まり
曲がりくねる
道々を日々周回する


1291
同じ景色に見えても
少しだけ
日々新たな匂い立ち上る


1292
走行する内側では
ふだん着の
季節に合わせ衣更えもする




   [短歌味体Ⅲ] つづけるシリーズ・続


1293
つづけるは意志力が要る
日々を経て
くり返す中に溶けていく


1294
つづけるは意志力だけ
ではなく
人の奥処(おくが)から立ちのぼるもの


1295
つづけるは年経(ふ)る二人
ドキドキは
形を変えて自然走行す




   [短歌味体Ⅲ] つづけるシリーズ・続


1296
ドラマでもつづけるうちに
次第に
作る観る共になじんでゆき


1297
つづけるは人との出会い
のように
いくつもの起伏の物語があり




   [短歌味体Ⅲ] つづけるシリーズ・続


1298
走り出すERの
次第に
造型してしまう幻の物質感

註.ER: Emergency Room ,救急救命室 ,十数年続いたアメリカのテレビドラマ。


1299
目まぐるしいERの日々
人々に
時折舞い降りてくる静けさの物語


1300
いずれの地も人と人の
関わり合い
流れ出し合うものは普遍に見える



短歌味体 Ⅲ 1298-1300 つづけるシリーズ・続

2016年10月28日 | 短歌味体Ⅲ-2

[短歌味体 Ⅲ] つづけるシリーズ・続
 
 
1298
走り出すERの
次第に
造型してしまう幻の物質感
 
註.ER: Emergency Room ,救急救命室 ,十数年間続いたアメリカのテレビドラマ。

 
 
1299
目まぐるしいERの日々
人々に
時折舞い降りてくる静けさの物語

 
 
1300
いずれの地も人と人の
関わり合い
流れ出し合うものは普遍に見える


5.世界内存在としての人間の有り様・続

2016年10月24日 | 子どもでもわかる世界論

子どもでもわかる世界論のための素描
  
  ―宇宙・大いなる自然・人間界論

 5.世界内存在としての人間の有り様・続

 

 わたしたち人間のこの世界(宇宙を含む自然界や人間界)内でのあり方を前回考えてみましたが、もう少し別の角度から考えてみます。

 吉本さんの文章に、〈子供〉という概念に触れたものがあります。


 〈子供〉(児童)という概念は、厳密にいうと不可能にちかいものであろう。わたしたちは誰でも〈子供〉を体験してきたにはちがいないが、再現不可能なものとして体験してきた。あるひとつの概念が直接体験のほかに再現不可能だとすれば、概念として成り立たないものだとみなしてよい。〈じぶんの子供の頃は〉という語り方をするとき、わたしたちはいつも現在によって撰択された〈子供の頃〉をいうことで、じつは現在的な撰択そのものを指している。わたしたちがいつも眼の前にしているのは他者としての〈子供〉でしかない。観察をどれだけ密にしても他者としての〈子供〉から〈子供〉そのものを再現することは不可能である。ここからは〈子供〉という概念はとても成立しそうにない。もうひとつ〈子供〉を知る手段があるとすれば、いまも地上のどこかに存在しているかもしれないし、かつて記録や調査によって存在したことがわかる〈未開人〉の心性と行動から類推することである。そしてもうひとつは〈夢〉の結合の仕方と意味の流れに〈子供〉の心的な世界や、行動への衝動をみつけだすことである。〈未開人〉や〈夢〉のことが〈子供〉の世界に類比されるのは、その両方が幼稚な未発達の世界だからではない。言葉や行為の結びつきを支配する価値観の流れが独特なために、奇妙な膨らみ方をした独特な世界だからである。全体の均整がとれているかどうか、あまり問題にならないから執着する部分が不当に拡大されたかとおもうと、全体からみて重要なことが小さな手足のように、縮小されてしまうといったことが絶えず起こる。〈子供〉には当然の世界なのに、それ以外のものからは奇妙に変形した全体像にみえる。こういういい方は眼も鼻すじも整った理想の人間を架空の基準においたいい方で〈子供〉や〈夢〉や〈未開人〉の世界とおなじように〈子供〉以外のものの世界も、べつな具合に奇妙な歪み方をしている。ふつうわたしたちが狂気と呼んでいるものの言葉と行動の世界が、いわば〈子供〉以外のものの世界を極度に拡大したときの原型であるといってよい。
 (「付 童話的世界」P321-P322 、『悲劇の解読』吉本隆明 ちくま文庫)



 『悲劇の解読』は、1979年に単行本として刊行されています。その背景の流れを見てみると、『心的現象論序説』が1971年に刊行されていますから、その後にはその続きの「心的現象論」が『試行』に連載中です。つまり、上に引用した〈子供〉という概念 を巡る考察にはその背景として『心的現象論序説』と「心的現象論」の考察による研鑽があり、その成果が流れ込んで来ています。引用部は、まだ続いて、童話というもの、そして宮沢賢治の童話につなげられていきますが、切りが良いところで切りました。ここで、吉本さんの「あるひとつの概念が直接体験のほかに再現不可能だとすれば、概念として成り立たないものだとみなしてよい。」という言葉は、徹底して考え抜かれたうえの言葉と思いますが、ちょっと面食らいました。取りあえずわたしなりに捉え返せば、それ自体が抽象度を持つ概念というものにも、具体性の生命感が込められる自然な概念もあれば、そこから一段人工化した概念もあるのではないかと思われます。ここでは、その概念の成立ということには深入りしないで、わたしの話につなげていきます。

 吉本さんは、わたしたちがふだん何気なく使っている〈子供〉という概念に触れています。これと似たような概念に〈死〉という概念があります。ただし、〈子供〉は誰もが通過してきたのに、〈死〉は未体験という違いはあります。また、動植物や人間の生命活動の停止を持って一次的な〈死〉の概念とするならば、わたしたちはその〈死〉を向かい合う対象としては直接体験することはできます。(「一次的な」という意味は、例えば「文明の死」などの比喩的、派生的な二次的ともいうべき〈死〉の概念もあるから)しかし、〈わたし〉自身の〈死〉を直接体験することはできません。したがって、〈子供〉も〈死〉も現在からは直接経験できないという点では同一です。

 このような、わたしたちが現在からは直接経験できないというものは、わたし(たち)とこの世界(宇宙を含む自然界や人間界)との関わり合いの中にも存在しています。そういう意味で、吉本さんの〈子供〉という概念の考察は、この世界と人とが関わり合う関係の根源的なものとつながっていくものを内包しています。

 わたしたちが、現在その渦中に存在しているこの世界の成り立ちや人間の成り立ちはよくわかっていません。しかし、ふだんはそんなことを考えることもなく、日々の生活の流れに溶け込むようにしてわたしたちは生きています。

 この世界の成り立ちや人間の成り立ち、あるいは両者の死後の不明と同様に、人間の誕生と死はもやに包まれています。しかし、それでもそうしたことをほとんど気がけることもなく、またもっと身近なことでは、何十年後日に予想される大地震にもくよくよ思いわずらうこともなく、日々のこまごまとした生活がまるで重力場の中心のようにわたしたち一人一人は生活しています。ここには、この世界の成り立ちとそこにおける人間の有り様の基本型が潜んでいるように見えます。

 まず言っておかなくてはならないことは、わたし(たち)は、人類が途方もない時間の中で獲得し積み重ねてきた人間的な関わりの意識や了解の現在的な水準で、そんな水準の言葉で自動的に、あるいは無意識的に促されるように考えているということです。そこから眺め渡してみると、この世界は、この世界に生まれた〈わたし〉が存在するから〈世界〉はあり、したがって〈わたし〉の〈死〉は、〈世界〉の〈死〉を意味するように見えます。

 もちろん、他者の〈死〉とその他者の〈死〉後の世界の有り様という間接性から類推すると、〈わたし〉の〈死〉後も世界そのものは存在し続けるように見えますが、〈わたし〉の〈死〉とともに、わたしにとっての〈世界〉は死滅します。

 もうひとつあります。この〈世界〉は、〈わたし〉が存在する前にも〈別のわたし〉とともにわたし同様の関係にありました。それがあったからこそ現在の〈わたし〉が存在することに連なっていることになります。言い換えれば、この〈世界〉は、無数の〈わたし〉の連鎖した〈わたしたち〉とともに存在する面を持っています。

 ところで、わたしたち人間が、言葉を持たず植物や動物たちのように世界そのものの内に埋もれるようにして存在しているならば、わたしたち人間にとって〈世界〉はない、つまり対象として意識に上って来ません。これは大切なことです。しかし、わたしたち人間も今なお植物生や動物生を内包しているから、そのように世界内に埋もれている段階も通過してきたはずですが、言葉の獲得によってそこから半ば抜け出て、この世界内に浮上して来てしまいました。そして、この世界というものを対象として感じ考え、手を加えることができるようになりました。

 〈わたし〉が生まれる以前の世界や死後の世界は、〈わたし〉の直接は与(あずか)り知らぬ世界です。ただし、〈わたしたち〉と〈世界〉という〈わたし〉のつながり、つまり何世代にも及ぶつながりや人類史の中では、そのことは意味を持ち続けます。

 現在の自然科学は、人間や生命の誕生遙か以前にまで探査の視線や意識を向けています。しかし、人間の誕生からもっとさかのぼって生命が誕生してこの〈世界〉と関わり始める段階を突き抜けて、〈わたし〉と〈世界〉や〈わたしたち〉と〈世界〉ということは意味を成しません。同様に、未来のある時点で人類が滅亡(死)したとして、その死後の〈わたし〉と〈世界〉や〈わたしたち〉と〈世界〉ということも意味を成しません。つまり、それらは現実性の基盤のない空想に過ぎないことになります。

 それでは、現在の自然科学の人類以前やおそらく人類以後にも及ぶ世界の探査はどう捉えるべきでしょうか。つまり、それらの自然科学の探査を空想に過ぎないと見なさない、どんな見方があるでしょうか。先に述べた〈わたし〉の誕生前や死後が〈わたしたち〉の中では意味を持つように、〈わたしたち〉(人類)の誕生前や死後を探査することは、〈わたしたち〉(人類)、ということは〈わたし〉と言っても良いですが、そのこの〈世界〉での運命(有り様や不可避性)の現在的な姿を明らかにすることにつながるのではないかと見なすことです。このことは、大きな時間のスケールで科学が自然との出会いの深度を深めていくことによって、人間の運命の現在的な姿を次々に更新していくだろうと思われます。

 わたしたち人間は、前回述べた「二重の根源的な受動性」の負荷を受けながら、遙か太古から自然界と関わり合い、自然を引き寄せながら、人間界を築き上げてきました。その過程で、古代インドでは仏教、ヨーロッパ近代ではヘーゲルやマルクスなどの偉大な思想家や思想が生み出され、人間界の主流に対する内省が加えられることもありました。これらの思想や思想家たちは、そのような具体的な作者名や作品名があったとしても、たぶん、人間界の主流が積み重ねられ来た頂で、その主流が、内省する作者や作品として押し出したものだと捉えることもできると思います。つまり、人間の歴史は、例え血にまみれていたとしてもそのような内省を加えつつ流れる大河のような主流を形成しているということです。

 そして、一方でそういうことでありつつも、わたしたちは、重力の中心が日々の生活世界の「現在」にあり、絶えず現在を生きていくという風に存在しています。そうして、半ば以上が無意識的であるようにわたしたちの生存はあり、日々諸活動をしています。わたしたちのこの世界における生存の有り様は、絶えざる現在性を重力の中心として、他方では過去や少し先の未来などに思いを馳せたり内省を加えたりもする、という二重性としてあります。このことは、人間の形作る集団や組織にも同様に言えることです。