短歌味体Ⅲ 3334-3336 なんとなくシリーズ・続 2019年05月31日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3334一枚の木の葉が落ちてゆくよと心傾き追いかける 今は3335なんとなく気がかりがあるからか 空洞をひらひら落ちてゆく 夕暮れ3336初夏なのになんとなく鈍く陰り折れ込んでくる葉のみどり シンシン
短歌味体Ⅲ 3331-3333 なんとなくシリーズ・続 2019年05月30日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3331あどちゃんのお絵描きみたい〈あ〉〈お〉〈い〉〈そ〉〈ら〉と青空がクリアーに立ち上がる註.昔テレビで観た水森亜土。絵描き歌を歌いながらお絵描きしていた。3332内情はそんなにリニアーでもないな〈あ〉〈い〉をつかみそこない青空へ3333ぐるぐると〈あ〉を塗っているとなんとなく青空の方へ心ひかれてゆく
短歌味体Ⅲ 3328-3330 農事シリーズ・続 2019年05月29日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] 農事シリーズ・続3328ソラマメの鞘(さや)をむいているひと鞘に3個を最頻値に2つ、1つ、たまに4つがある3329いずれの実のなり方も起源・変位・構成に関わってふしぎだねと言うほかない3330この世のありとあらゆるもの潜り抜け来た時間の作品として朝露に濡れている
短歌味体Ⅲ 3325 -3327 農事シリーズ・続 2019年05月28日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] 農事シリーズ・続3325鳴かないネコはスリスリして空腹を伝えようとする 気・づ・き3326伝えるということのない?ソラマメは静かに風に揺れている3327それでも見つめるわたしに湧き上がる過剰の剰余 気づきということ
短歌味体Ⅲ 3322-3324 農事シリーズ・続 2019年05月27日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] 農事シリーズ・続3322ソラマメは種一つから花開き無数のさやを実らせる ふ・し・ぎ3323咲いても咲いても実らない不毛の大地の物語を通ってきたのか3324ヨハネの比喩の遙か彼方一粒の麦自身は受難を語らない
短歌味体Ⅲ 3319-3321 なんとなくシリーズ・続 2019年05月26日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3319気負いなくても点灯する紙ヒコーキに乗り込んだ心の座席3320昨日の空を夜間飛行ぼうっと点った座席 夜空を漂う3321絵の具を取り出し塗る必要はない気分のままにぱあっと広がりゆく
短歌味体Ⅲ 3316-3318 なんとなくシリーズ・続 2019年05月25日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3316のびるのびる触手がのびてゆくそら、空、空、紙ヒコーキへ3317距離が揺ら揺らいでる「道の長手を 繰り畳ね」淡い青の空の道よ3318溶けた青のわたしゆっくりと紙ヒコーキにまたがる
短歌味体Ⅲ 3313-3315 なんとなくシリーズ・続 2019年05月24日 | 短歌味体Ⅲ-6 [短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3313なんとなく紙ヒコーキ飛ばしてみる思ったよりも飛んでゆく 大空3314飛ばしたのは空気感じて離した手の瞬間のドラマ 消失3315消え去ってもロウソクの煙ゆらゆらよりも頼りなく記憶の木に留まる 青
『騎士団長殺し』(村上春樹 2017年)読書日誌⑤ 付記 2019年05月24日 | 『騎士団長殺し』読書日誌 『騎士団長殺し』(村上春樹 2017年)読書日誌⑤ 付記 わたしは、『騎士団長殺し』(村上春樹 2017年)読書日誌で、以下のように書いた。 この『騎士団長殺し』という作品では、主人公の「私」が画家であり、「私」を通して絵画についての捉え方が披露されている。わたしは素人ではあるが「私」の絵画などの造形に対する認識や考えはずいぶんその道の修練を積んだもののように感じられた。作者は、この作品の中で絵画的なものを造形するためにそれなりの絵画の世界の体験や修練を積んだはずだと思われる。なぜなら、作者を通してしか「私」の絵画把握や絵画観は物語世界にやって来ないからである。 (『騎士団長殺し』(村上春樹 2017年)読書日誌② 2.絵画論として読む) ところで、村上春樹のインタビュー、「小説家40年と『騎士団長殺し』」(『毎日新聞』2019.5.23)を読んだ。絵画のことが触れられている。――この小説の主人公は画家です。油絵の肖像画を描いています。村上 油絵を描いたことがないので、本で学んで書きました。でもあとで何人かの絵を描く人に訊いたら、間違ったところはとくにないと言われました。絵も小説も、ゼロからものを創り出すという基本は同じですから。 「絵も小説も、ゼロからものを創り出すという基本は同じ」と言われても、例えば自由詩を書いていた者がすぐに短歌や俳句を作れるかといえば、ある程度の水準のものを生み出すのは難しいと思われる。それなりの修練を積まないと一定の水準にはなれないはずである。 しかし、この場合は、絵画作品そのものを創り上げるのではなく、絵画作品についての感じ方や考え方である。そういう事情から、「本で学んで書きました」ということで作者はうまく適応することができたのだろう。思えば、ドラマの俳優も医者や看護師の役作りをする場合は、村上春樹のように「本で学んで役作りしました」ということがありそうに思う。さらに、いろんな医学用語の説明を受けたり、病院とかでの実地研修とかまでも場合によってはあるのかもしれない。 わたしは、「絵画の世界の体験や修練」として実地の体験も想定していたが、このインタビューによると違っていた。というわけで、わたしの読みが違っていたとここに訂正しておく。
短歌味体Ⅲ 3309-3312 なんとなくシリーズ・続 2019年05月23日 | 短歌味体Ⅲ-6 短歌味体 Ⅲ] なんとなくシリーズ・続3309仮定法は死の匂いするするとすべり落ちる空白の森3310花も鳥も作り物のずんずんと斜面すべる感じがしないなあ3311なんとなく仮定の韻は他人事身と心が離れていくよ3312それでも仮定の丘陵(おか)を振り返りながらしがみついている必死の手