回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

[短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・はじまりは 1-4

2015年12月07日 | 短歌味体Ⅳ

※ 「短歌味体Ⅳ」は、不定期で、ゆっくりと表現していきます。

[短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・はじまりは



はじまりはなんどかじょそう
くり返し
見知らぬドアを開け進みゆく



気負い立つ土煙払い
ゆっくりと
言葉の階段を下ってゆく



どこまで行けるかわからない
けれども
心の深いポケットにジョバンニの切符秘め

註.「ジョバンニ」は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の主人公。



ゆっくりと旅する時間に
湧き上がる
風景の深み肌合いを流る
 
 註.は、ブログに掲載します。
 
-------------------------------------------------------------------
註.

 はじめに
 
 
 おそらくまだ吉本さんが元気だった、2008年頃に、まずは人の「順次生」(親鸞。その仏教的な解釈と違って、次から次へ順を追ってつながり生きると言う一般的な意味で)としての受け渡し(物質的かつ精神的に)ということから「おくりもの」というテーマで、そこから転じて「吉本さんのおくりもの」というテーマで文章を書こうと、資料から切り出したり、メモを取り始めたりしたことがある。批評の慣習に倣わずに「吉本さん」という呼び方で書くということまで決めていた。なかなか書き出せずに途切れてしまった。

 生活上でも、芸術表現上でも、何か物事には、いろんな蓄積の上で機がある程度熟して一気に取りかかることができるような場面がありそうに思える。もちろん、機が熟さなくても取りかからざるをえないとか、とりかかるということは、生活上でも、芸術表現上でもありうる。わたしの場合は、怠け癖もあって、また批評などは書くのがおっくうだからなかなか書き上げることができない。大まかな文章は早くに書き上げても、不明な箇所があったりしてなかなか書き上げてしまって公表するという所までいかない。そこで、機が熟するというよりももう書き上げるしかないといろいろと追い込まれた状態で、取りかかることが多い。
 
 「短歌味体Ⅳ」を「吉本さんのおくりもの」という副題で始めてみようと思う。このことを意識して、「短歌味体Ⅲ 31-33 太宰治シリーズ」で、歌と註(資料や文章)を試みたことがある。そんな形での表現を考えている。しずかに、深く「おくりもの」ということを受けとめてみたい。人(に限らずあらゆる生き物)は誰もが何らかの「おくりもの」を無意識の内に受け取り、自分のものにして意識化していく。そうして、また誰かに密かに「おくりもの」を手渡すことになる。
 
 この「短歌味体Ⅳ ―吉本さんのおくりもの」は、「短歌味体Ⅲ」と併行して進める。そして、不定期で、ほんとうにゆっくりとやっていくことになると思う。

                (2015年12月7日) 
 
 
 (付言)
 
 吉本さんの晩年は、原発大事故にも遭遇し、その大まかな収束の全過程の中途で逝かれてしまった。それは現在もまだ収束の過程にある。自然科学や科学技術の自然必然としての歩みも、また原発技術と同じ深さの自然との出会いから取り出された様々の科学技術の応用が現在の社会に普及しているのはわかる。
 
 原発大事故後、原発についてわたしも少し考察を巡らせたことがある。権力を持つ清濁含む支配的勢力が、依然として政策の大きな流線を左右してきているが、今までより一段高度化した、このような深みとしての自然との出会いから取り出される科学技術には、ある「器」というものが必須になってきているように思える。そうでないと大規模事故に相当することをいろんな分野でこれからも引き起こしてしまうような段階に現在はなっていると思う。
 
 マルクスは「イギリスのインド支配」で、インドの近代化という大きな歴史の主流の自然必然としての避けられない流れへの認識とそれがイギリスによって富の収奪やインドの伝統的な社会組織の解体、つまり住民の悲劇を伴いつつ成されたということを、外からある抽象度で把握しながら、その内にある人々の有り様にも想像を巡らせつつ、ある深い感慨を添えて述べている。このことは、現在でも問われるべき問題だと思われる。つまり、どこまでがこの世界を駆動する避けられない科学技術や文明史の大きな主流であり、どこまでをそのような世界の内側で今を生きる住民としてのわたしたちがそれにまつわる諸々を許容できるか、ということとして。水俣病などの公害問題やこの度の原発大事故問題を経て、そういう痛ましい負の問題を生み出さないような、ある「器」が、倫理のようなものが、未来に向けて、担当する組織に問われているのだと思う。例えば、新幹線が一度も事故を起こしていないのは、そのことに対する倫理のようなものからの対処やチェックが日々成されているからではないだろうか。
 
 わたしは、ただ生活者住民という場所から、この問題の有り様に関心を持ち続けている。しっかりした「器」もなく、右往左往してきたり、居直ったりしている国家や行政や学者たちや企業上層の下―もちろん、それらの世界にもまっとうな人々は数知れずいるはずだが―、被害住民の無念の言葉の場所をわたしの考えの中心に据えておきたいと考えている。それは現下の沖縄の基地問題においても同様である。なぜなら、いつ何時、わたし(たち)が、そんな状況を強いられるかわからないからだ。両者ともに、生活者住民といっても、行政や国家とつながったり、自らの特殊利害の主張もあり、それらが相対立しながら、ことはそんなに簡単ではないだろうが、あくまでも多数の普遍的な生活者住民の利害に眼差しを向けつつ、万人が落ち着くだろう場所を見つめ続けたい。
 
 最後に付け加えれば、40余年の言葉としての吉本さんとの付き合いからみて、この世界の有り様とそこでの人の有り様をラディカルに、あるいは全人的に柔らかに開示して見せてくれた、吉本さんはわたしにとってほとんど異和のない存在であることは確かなことである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿