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短歌味体 Ⅳ―吉本さんのおくりもの・少年期 13-18

2016年03月06日 | 短歌味体Ⅳ

 [短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・少年期


13
朝日の背にずんと押されて
駆け出して
ひみつの基地を紡ぎ歩く


14
入り日差し火照り香残し
ひかれゆく
明暗の敷居ゆっくりまたぐ


15
風景は目線の年輪
振り向けば
時間の風貌を浮上させる


16
生まれ落ち時折優しくも
氷解(とけ)ない
日々くり返し浮上する氷壁(かべ)


17
まぼろしの母のたましい
の在所
訪ねに訪ね不明の戸叩く


18
いつの間にか不明の深み
より湧く
ずきんと深い別つ渓谷(たに)はなぜ?

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註.

 少年期


 ①少年期は自体を生きる


 少年期というのは、例えば生まれて間もないひな鳥が巣の周りで出入りしながらもまだ巣立つ前の状態に対応させることができそうだ。すると、青年期は、家族から巣立っていく時期に対応する。次の吉本さんは、少年期を前期・中期・後期と三つに細分しているけれども、大雑把な感じで言えば、少年期はそれ以降の時期に比して内省的になることが少なく、また論理の言葉も未成熟で、それ自体を生きる時期のように見える。少年の当面する世界も具体的な環境も含めてとても狭い限られた世界になっている。このことは、逆にに言えば、少年にとっては世界はより濃密で、世界の濃度が高いと言えそうに思う。そして、誰もが生誕からひきづったものを、その世界の渦中で半ば以上に無自覚的に反復したり修正したり固執したりしていることになる。
 したがって、自体を生きるという性格の少年期だから、次の吉本さんの『少年』のように、自身に記憶やイメージとして残留しているものをたよりに、そこを通り過ぎた後から振り返って少年期は内省的に捉えるしかないものとしてある。



 ②吉本隆明『少年』より


 少年に難しさがあるとすれば、少年期から思春期に入る前に「性」が介在してくるところからやってくる。もっと本質的な難しさをいえるとしたら、人間は少年期に入るまでに、自分の責任ではないのに何かがつくられてしまっていることだ。そのことを経なければならないことが難しさだとおもえる。
 これはどんな人間にとっても重要なことなのに、どこに根拠や責任をもっていけばよいのか、誰にも半ばしかわからないのだ。
 自分ではべつに生まれてくるつもりもなかった、もしかすると、親の方も生むつもりはなかった。それにもかかわらず生まれたという既成事実を運命のように見做すしかないということだ。すくなくとも資質や性格についてはそうだ。
 そこではすでに親と子、とくに母親と子の関係は先験的にできてしまう。厳密にいえば胎内から生じているのだろうが、そのことが決める親と子の関係、とくに母親と子どもとの幼いときの関係について、子には責任の持ちようがないし、また責任がない。
 もっぱら責任のことをいうなら、母親あるいは間接的には父親が負ういがいにない。ただ親に根拠をもってゆくほかにないという意味で、それは責任であるかどうかはわからない。責任という言葉を使っているだけだ。
 自分には責任がないことを経なければ生存にならないことは、ものすごく重要な人間の特質のようにおもえる。ここには、自分には責任がないんだ、というままに残ってしまうものが存在する。



 少年の前期に重みをかければ、フロイトのいうようになってしまう。少年はおよそケダモノが持っている粗暴さや異常さや残虐さ、そういう無倫理の世界を全部持っている。露出していなければ潜在的になっている。もちろん植物的な繊細さも、静かさも、魂の芽ばえも、弱さも併せ持っている。
 この矛盾した特性は、少年の複雑さと単純さの根にあるものだ。少年は純真で善良でマユのように内向的であるとともに、関係意識が欠けた粗暴な動物的な存在でもある。
 少年の後期へ行く道、つまり、性の意識が芽ばえ、性の問題が介在してくる中期から後期に重みをかけてみれば、少年とは全部内向的な存在だといったらいいだろうか。それは自分以外の他の人には通じないし、親にも通じない。内向的なものを徐々にはぐくんでいる。
 少年は自分のなかの内向性を肉親や近親や家族との親和や風習に変え、動物的な運動性や衝動性を仲間との遊びの共和性に変える。少年の人間生芽ばえは、この親和力と外向的な群れの共和性とのあいだに、固有の境界地帯としての秘密の場所を設けるところにあらわれる。家族のなかの共和性の世界では、少年はまだ半ば少女なのだ。ここでは性の芽ばえが一種内向的に抑制されるとすれば、少年はまだ母親にたいして女性(引用者註.この「女性」性とは、「男性」性と見なしうる母親に全面的に依存してしか生きられない受動的存在の乳児を指している)だった乳児期の名残をひきついでいるからだ。
 (『少年』P125-P128 吉本隆明 1999年)


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