回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

最近のツイートや覚書など2024年7月

2024年08月28日 | 覚書
 最近のツイートや覚書など2024年7月


2024/07/03
「石丸氏ではなく安芸高田市に支払いが命じられたのは、当初議員は石丸個人を訴えていたのに、石丸氏が「市長としての行為なので石丸個人に責任はなく安芸高田市の責任だ」と主張したのが認められたためである。」


私たちは、父であり会社員であり趣味の会員のひとりであり・・・というように、この社会で次々に変わる「変面」をシームレスに行き来している。例えば、俳優や結婚式の司会をしている人なら、それぞれの世界の役割を演じながらもその人の個性は滲み出ているはずである。

私たちは、「個人」を「変面」のひとつと見なしがちだが、いろんな「面」の総合として「個人」を見た方が良いと思う。この社会でいろんなつながりの糸を放ち放たれながら総体性を生きる「個人」である。だから例えば、市長の石丸が議員にその言動を批判され裁判になり賠償を命じられたら、

市長としての石丸「個人」の責任が問われたわけだから、市という抽象的な責任に転嫁するのではなく、市長の石丸が具体的に責任を取るべきだろう。(賠償金は、総体としての個人ではなく、市長の石丸として、ポケットマネーがあるのかどうか知らないが、市長権限のある公金からでいいと思う。)



2024/07/06
今日の土曜8時台の番組「ウェークァップ」を何気なく見ていたら、どこか岩田明子似の馬渕磨理子(経済アナリスト)が、新紙幣関連の話題だったか、わが国の人々がお金を余り使わない(消費がふるわない)のは、貨幣愛があるからだとトンデモナイことを言っていた。

もちろん、新しい紙幣への関心や収集など、ごく一部の人には「貨幣愛」が存在するかも知れないが、それはあまりお金を使わない、消費しないということとは別次元の問題である。異次元の「経済アナリスト」だなと思った。



2024/07/12
絵本「くまとやまねこ」が流れてきた。「くま」と「やまねこ」を知っていても、あるいは知らなくても、『「くま」と「やまねこ」』とすぐに読めるとは限らない。小学校のひらがなばかりの文章や古典の文章に、どこで切って読めば良いか戸惑いをおぼえるのに似ている。

わたしたちは、今では割とシームレスに書き言葉を使いこなしているが、たぶん、ものの名前や広い世界の言葉もまだよく知らず、書き言葉というものに初めて出会った時のある戸惑いに似ている感覚かもしれない。



2024/07/14
おもしろい、お薦め、とどこかにあったので、紀行文、武田百合子『新版 犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫)を少しずつ読んでいる。数年前、ロシアにはたくさん(11も)標準時があると知って驚いたことがあり、旅行時などはどうやって調節しているのだろうとふしぎに思ったことがある。

今100ページほど読んでいる。旅行添乗員の指示に従って、時計の針を戻したり(P65,P67,P75)、針を進めたり(P92)していることが書き留められていた。合わせる標準時の違いだろうか。そんなことをしているうちに作者は、「いまは一体、本当は何時なのだろう。今日は何日なのだろう。」(P75)と混乱してくる。


わが国は標準時はひとつだから、そんな時計合わせの必要はない。昭和四十四年の旅行であるからその時点の時計合わせということになる。それで十分わかるわけではないが、こういう具体的なことを書き留めてくれているのは有難い。作者は武田泰淳の奥さん、竹内好も同行している。



2024/07/16
イーロン・マスクがトランプにこれから毎月約71億円寄付する計画だという。会社の経営につぎ込む以外に、そんなにも自由になる多額のお金があることがふしぎだ。まず、社員に還元しろよと思う。西欧は知らないがわが国では会社(商家)というのは、親方-子方(柳田国男)的な共存的な組織だったと思う。
(付け加えれば、髙田郁原作の『銀二貫』という大坂の商家を描いたドラマは、まさしくそのような世界を描いた時代小説の作品だったと思う。)


そんな多額の自由にできるお金の存在は、もちろん、第三次産業が中心の経済社会になって、利益というものが自由に設定できる、あるいは思いもよらない利益が出せる時代になったせいもあるだろう。例えば卑近な例では、大変な仕事だろうがnoteで膨大な読者会員を持てれば膨大に稼ぐことができそうだ。



2024/07/18
農事メモ2024.7.18
・芽欠きして、水に漬け白根を出して、鉢に植え、しばらくして定植したミニトマト。裏庭に植えた1苗は枯れてしまった。ここに植えている4苗の内左から2番目と4番目が長雨の後萎(しお)れてもうダメみたい。別の畑に植えた2苗は元気そう。(画像略)

なかなか植物さんの事情がわからない。4苗は、タマネギの後に植えている、同じ条件みたいに思うが、そうでもなかったのか、それとも苗が少し違ったのか、よくわからない。
ところで、昨年剪定した真木の木が新しいみどりの葉を出している。



2024/07/19

不正に揺れるトヨタ、会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」
7/16(火) 朝日新聞


「日本のサイレントマジョリティーは、自動車産業が世界で競争していることにものすごく感謝していると思う」や「ここ日本では、私たちに対して『ありがとう』の言葉が聞こえてくることはほとんどありません」とか、大きな企業であっても、一企業の経営者のこの言葉、自意識過剰で意味が分からない。



2024/07/27
 何度もこの赤い帽子を見にきたのだが、高いからやめておいたのだ。今日は、ここを発つので買った。私のだ。すぐかぶってしまう。売店の人は、よく似合うと言った。・・・中略・・・
 私が売店へ出かけようとすると、主人はおいかけて言うのだ。
「ふらふらとムダなもの買うんじゃないぞ。つまらんものは買うんじゃないぞ。バッジと絵葉書は買ってもいいぞ」と言うのだ。
 店を出ると、ウズベク人の男が追ってきて造花を一本くれた。
(『新版 犬が星見た ロシア旅行』P162武田百合子 中公文庫)

久しぶりにビールの味のビールを飲みたい―と、皆が言いだした。山口さんは、給仕長らしい厳めしい男のところへ行く。「グルジアに来てビールを飲む人間はバカである。ぶどう酒を飲め」と言われて戻ってきた。
 グルジアのパン、グルジアのぶどう酒は有名なのだそうだ。(P169)

まだ、この本は半分ほどしか読み進んでいないけど、武田百合子の『富士日記』も読んでみようかなと思い始めた



2024/07/29
畑の見回り(7/21)で、畑の隅の木蓮の花が咲いていた。(あれ?今年はもう咲き終わったのじゃなかったっけ・・・)とちょっと目まいの気分になった。調べてみると、ヤフー知恵袋に「モクレンの花って4月に咲いて7月にも咲くんですか?」の質問に、季節外れの7月に開花することがあるとのこと。



2024/07/30
先ほどオリンピック放送避(よ)けてNHKBSに変えたら、ちょうど名前くらいしか知らないYOASOBIが、「舞台に立って」(NHKスポーツテーマソング2024)を歌う場面だったので、聴いてしまった。

MISIA「フルール・ドゥ・ラ・パシオン」は、歌詞を見ると個の内面に作者が巫女のように伴走して歌っている。ちょっと大げさだ。つまり、儀式的な歌に近い。YOASOBIの「舞台に立って」は、人生で誰もが様々な「舞台」に立って思い悩みながらがんばることはある、その「私」の内面に立って歌っている。

儀式的な歌から遠い。

ただし人は、青年期や壮年期は「がんばる」ことが、社会的な(強いられる)主流の感覚だとしても、幼少年期や老年期にはがんばることはあっても、主流ではない。YOASOBIの「舞台に立って」は、ウケる通俗的なすぐれた歌だとしても、その地点が歌の限界地点だと思う。

詩『言葉の街から』 マイ世界論シリーズ 30-33

2024年08月28日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 マイ世界論シリーズ



30
『ヨブ記』のヨブに限らず
幼児のような人類は
言葉も嵐の木の葉のように揺れていた



31
柔らかな日差しや
木々の実りの季節に心和(やわ)らぎつつ
不意の天変地異に小舟のように翻弄され



32
自然に呼びかける独特の言葉や話法
を生み出してしまった
そんな飾り付けの言葉の舟を今日も漕ぎ出す



33
人はどこに住み どんなふうに生きていても
大自然の中の揺れる小さな木の葉だったから
同じような言葉や話法を生み出した