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坂口くんのひみつ・続

2024年08月21日 | 坂口恭平を読む
 坂口くんのひみつ・続


 昔、坂口くんが、ツイッターで自分は「きちがい」だから、というような言葉を使ったことがあることを思い出して、「坂口恭平-Twilog」で過去のツイートに検索をかけてみた。

 取り出してみると、
1.「げんたろう調子良い。安心した。きちがい同士がんばろ。」(2012年02月15日)

2.ほんとに僕は自殺者をゼロにする方法を、知ってるという確信がある。いま自殺者をゼロにすること以外にやることはない。仕事なんかみんなでやめて自殺者をゼロにしたほうがいい。それが新しい僕が作りたい国の姿。きちがいと思うなかれ。僕の10年間の修行によって得たこれはれっきとした智恵である。(2020年08月04日)

3.解離してる人よりおれのほうが解離してておもろすぎる。逆に驚かれる。おれは解離してる別人格とも世間話できちゃうから、おれのほうが頭おかしいと思われちゃう笑。解離を自在に操る男って呼んでよー、きちがい扱いするなって(2020年10月27日)

4.僕がきちがいであることをお忘れなきように。(2020年10月27日)

5.いつも漫画のキャラとか映画の登場人物とかできちがい役を僕は似てると言われるが、いつも思うのは、僕、リアルに生きてるからそれだけでキャラよりも何千倍もやばい。ブッダはキャラじゃなくて実在。リアルがやばい(2022年12月02日)


 「きちがい」の辞書的な意味では、「精神の平衡を失うこと。気が狂うこと。また,そのような人。狂人。」と釣りきちがいなどの「一つの物事に非常に熱中すること。また,その人。」と二つあげてある。また、英語でも同様で、「crazy」には、1.気が狂った 2.・・・に熱狂して,夢中になって の二つの意味があり、「be crazy about」は、「・・・に夢中だ」の意味である。

 1.と2.の意味は、もともとはひとつの意味だったと思われる。祭りや宗教的な場面などで熱狂するのは今でもあることだが、それが終わればまたフツーに戻っていく。しかし、フツーがシャーマンや巫女さんの励起状態に見えるような人々もいて、変わった人やある能力を持つ人として集落に受け入れられていたようだが、特に近代以降はそれが1.の精神の病と見なされる意味で捉えられるようになってしまった。その病として分離されたことが、1.と2.の分離された意味と対応しているはずである。

 ここでの「きちがい」の用法は、否定的な意味で使われているときは、俗っぽくいえばイカレタ人、さらに進んで「狂人」すなわち精神病の人という意味で使われている。ところが、1.と4.(4.はこれだけでは文脈がはっきりしないが)は、肯定的に使われている。一見矛盾している用法である。

 坂口くんの使った「きちがい」という言葉についてまとめてみると、
1.フツーと違った自分の生き方のスタイルを軽く自嘲的に言った場合(1.と4.)
2.イカレタ人、さらに進んで精神の病を抱えた人という意味の場合(2.と3.)

 坂口くんは、どこかで自分の「躁鬱病」を病とは認めていないということを述べていた、とわたしは記憶している。その線上で肯定的な意味の「きちがい」という言葉を考えると、軽いあいさつ程度の意味としては、大多数の「普通」から外れた変わり者程度の意味だろう。それをより積極的な意味として捉えるならば、大多数の「普通」の人々から逸脱してしまっている自分という存在認識だろう。こういう「普通」から自分は外れているという感覚は誰しも持つことがある。しかし、積極的な意味として捉えるならばと述べたのは坂口くんの場合は、存在感覚や存在認識として深く磨かれてきていることによっている。

 その考え方や表現はフツーと違っていて、あるいはフツーを深く貫いて吟味し、独特の磨かれ方をして出てきているように見える。『継続するコツ』に限らず、彼の文章を読んでそのことを感じている。もうひとつ、微かにではあるが、坂口くんの生き方のスタイルを促す根っこの部分、についてはまだ自身でもよくわからない不安のようなものがあるような気がする。もちろん、それもまた誰しも抱えていることではある。

詩『言葉の街から』 マイ世界論シリーズ 1-4

2024年08月21日 | 詩『言葉の街から』
詩『言葉の街から』 マイ世界論シリーズ




知らない間に庇(ひさし)の内にいた
眠りから覚めた
子はぼんやりとしてまた歩き出す




疾(と)うにそこに居るのに
世界も気づきも遅れてやって来る
そんなふうに人も世界もできている




人でなければたぶん自然に埋もれて
すき間も内も
見えない感じない考えない




それがなぜかこんなになってしまったか
人ゆえに
感じ考え気づいてしまう おお世界よ